天降り姫 ヒルコの夢 -1-

第1章 淤能碁呂( 1 / 3 )

 

「すっごくいいモノに見えたんだけどなぁ」

 ミルクチョコレートの箱を姫香ひめかはまじまじと見つめた。駅の売店で見た時はこれが宝石のように輝いていた。それが購入した途端、どこにでも売っているチョコレートになったのだ。

「狐につままれた……?」

 ため息をつき、学生カバンにチョコレートを放りこんだ。

「さてと……」

 駅から続く商店街は夕飯の買い物客で賑わっている。人ごみを避け小道に入る。参道にでて真っ赤なツツジを横目に境内へ続く階段をあがる。新緑に覆われたご神木のイチョウを撫で、小さな社殿に一礼をして神社を通り抜けた。

「あ……」

   目の前をモンシロチョウがフワフワと通り過ぎていく。

 さわやかな風が吹き抜けた先には鯉のぼりが泳いでいた。 


 藤 ふじ小手毬こでまり花菱草はなびしそう撫子なでしこすみれ桜草さくらそう石楠花しゃくなげ山吹やまぶき芝桜しばざくら……。

 

 住宅街には色とりどりの花が美しさを競い、やわらかな春の空気があたりに満ちている。

 

 それなのに……。

「なんだろう、この感じ」

 家の前まで来ると空気が一瞬にして重苦しいものに変わった。日が陰ってきたからだろうか。

 母の自慢の花壇からハーブの匂いがむぅっとまとわりついてきた。

「きゃ、なにっ?」

 何かに触られた気がした。振り返ったが黄昏たそがれどきの住宅街に人影はない。

 空気が妙に生ぬるく、制服の下に嫌ぁな汗がじっとりとにじんだ。

逢う魔お う まがとき……」

 ふと、祖母の口癖が口をついた。

 昼でも夜でもない時間。そんな不確かな時間の狭間はざまくうという。

「なーんてね!」

 嫌な気分を吹き飛ばすように、姫香は勢いよく玄関のドアを開けた。

「ただいまぁ」

 家の中に料理のいい香りが充満している。母が台所から顔をだした。

「姫香、おかえりぃ。メインはステーキにしたからね!」

 母の唐突な話し方はいつもの通りだ。

「それとね、鶏肉で何か作ろうと思うのよね。ね、ね、何か食べたいものある?」

「ママ、またたくさん作りすぎないでよ」

「なに言ってるのよ。16歳のお誕生日じゃない。それに明日からはゴールデンウィーク。楽しいことばかりよ。パーッとやりましょうよ、パーッと!  あっ!」

 オーブンレンジのブザーを合図に母の姿が台所へ消えた。

「いつも作り過ぎて困るくせに。なにがパーッとなんだか」

 肩をすくめた。廊下の突き当たりのふすまを開ける。

「おばあちゃん、ただいまぁ」

 いつもは明るい南向きの部屋が、水底に沈んでいるようにうす暗く冷ややかだ。

 この部屋にいた祖母は、去年の秋に老衰で逝った。島根の叔父が遺骨を引き取ったため、面影を忍ぶ物も文机と壁の雉の刺繍絵しかない。

 家に帰ったらこの部屋にまず顔をだす。そんな幼い頃からの習慣が今も続いていた。障子を開けて縁側のガラス戸から庭を眺める。白兎の赤い目が小屋の中からじっとこちらを見つめている。

「アモリ、ただいまぁ、元気かーい?」

 ガラス越しに兎に軽く手を振り、右肩の学生カバンを担ぎ直した。

「あれ?」

 文机の上に30㎝四方の古めかしいはこがある。

「さっきこんな物なかった……よね?」

  黒い匣の文字盤は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の十二支だ。

「和時計?」

 腕時計に目をやる。もうすぐ五時だ。だが、和時計には時計の針がない。

「どうやって時間を見るんだろう?」

 黒い匣に手を伸ばした。寒気が背筋を這いあがった。

「なに……?」

 体中の細胞という細胞が危険を察知して凍りつく。

 体の力が、がくんと抜けた。部屋の柱時計がボーンと時を打ちはじめた。

 薄れゆく意識の片隅で、どこかに向かって落ちていくのを知った。


第1章 淤能碁呂( 2 / 3 )

 

「ひぃぁっ……」

 氷の上に寝ているような冷たさに姫香は飛び起きた。

 右手に強く握っていたベルトを引き寄せ、学生カバンを胸に抱える。

「ここ……どこ……?」

 大きな川の浅瀬にひとり座っている。

 取り巻く川は暗く淀み、岸には枯れて茶色くなったあしが見渡すかぎり続いている。見上げた空は灰色一色で鳥の影すらなかった。祖母の部屋からどうやって来たのか検討もつかない。

「う、うう、寒っ……」

 水の冷たさにガチガチと歯が鳴る。岸に向かって歩く。濡れたカバンは重く、制服のスカートが足に纏わりついて歩きにくい。靴下だけの足もゴロゴロした川原の石で痛かった。時間をかけ、ようやく乾燥した地面にたどり着いた。

「誰かっ、誰かいないのーっ!」

 葦を押しのけて歩く。

「お願い!  誰か答えて……きゃっ!」

 しぼんだゴムボールを踏んだ時のような感触に、地面から飛び退いた。

「な、なんなの?」

 足元に皮のない鶏のむね肉のような物が落ちている。

「これを踏んだの?」

(痛……イ……ゾ)

 不意に、たどたどしい男の声が頭の中でつぶやいた。

「だ、誰?  誰なのっ!  誰っ?」

(静カニシロ! ウルサイ!)

 頭の中いっぱいに響いた男の怒鳴り声に、恐怖が噴きだした。

「きゃぁぁっ!」

 死に物狂いで葦をかきわけ走る。

(コラッ、待テ、待ツンダ!)

 全速力で走っても声が追いかけてくる。何度振り返っても姿がない。

「はぁ、はぁ、やだ!  こんなのいやだよっ!  ぎゃっ!」

 石につまずきひどく転んだ。両膝から血がつたう。靴下だけの足にも血がにじんでいた。

「はぁ、はぁ、はぁ、痛い、痛いよ……」

 息が切れ、足に激痛が走った。

 

「う、うっ」

 周囲が回転する感覚に地面に突っ伏した。まばたきをして焦点を合わせる。

「なに、これ……おかしいよ」

 ついさっきまで見ていた世界と違う。地面が近すぎる。川原の石もさっきより数倍大きい。葦も木のように太く長く伸びている。周囲が急に膨れ上がり、姫香が小人になったような感覚だ。

(……なんなの?)

 目をこする。その手が白い毛皮で覆われている。顔も体も変な感触だ。

「……これ、どうなってんの?」

 鏡を見たいと思った瞬間、目の前に黒い手鏡が浮かんだ。

「黒地に桃の蒔絵まきえ……」

 祖母からもらった手鏡とそっくりだが、この鏡のほうが数倍大きい。

 鏡の中に赤い目をした白兎が映っている。

「なんなの、このうさぎ?」

 その兎が姫香の触る場所とまったく同じ場所を触っている。

「嘘っ!  わたし、うさぎになってる!」

(シッ、夜刀ヤトガ、イル。声ヲ、出スナ)

 つぶやく声が頭の中でした。

(ヤト……?)

 それが何かはわからないが、脳内に危険信号が明滅した。目だけを動かしてあたりを見る。

(あ……)

 数メートル先の川岸に巨大な虎がいる。白く輝く毛皮に黒い縞模様。

(……ホワイトタイガーだ……すごく綺麗……)

 虎がうなり声をあげて身構えた。ぞくりとする気配に川へ視線を向けた。

 いつからそこにいたのだろう。川の中州に人が立っている。肉のない細い体。白い薄絹の着物、足元まで長く垂れた白髪。伏し目がちな顔は青白く、彫刻のように整っていた。

(あれが夜刀?)

 若く美しいが性別の判別すらつかない。白い素足がゆるりと動き、夜刀の半身がこちらを向いた。

 姫香は揺さぶられる心に押され、一歩近づいた。

(何ヲ、シテイル! 動クナ!)

 夜刀の目がサッと開いた。その目を見た刹那、総毛立った。それは怨念を宿した暗黒の空洞だった。

「ほほう、面白いモノがる」

 その声はまるで墓場に響く鐘の音だ。

「おいで」

 夜刀がしなやかな手を虎へ伸ばした。虎は抵抗するように足を踏ん張っている。

「おお、あらがうか。面白いのぅ。さ、来い!」

 フラフラした足つきで虎が夜刀の前にいき、その足元にこうべをたれた。

「クク……クククク……可愛いのぅ」

 夜刀が口の端に凄まじい笑みを浮かべ、虎と共に掻き消えた。

 

 体の力が抜けた。なぜ一瞬でもあんなものに引き寄せられたのだろう。そのことすら罪悪としか思えなかった。烙印を押されたように脳裏に暗黒の空洞がちらついた。

(直視ナド、スルカラダ)

 頭の中にまた声が響いた。

「あ……」

 いつの間にか人間の手に戻っている。

「わたしに話しかけてる人。どこにいるの?  もう逃げないから、姿を見せてよ」

(俺ハ、此処ここダ。オ前おまえノ前ニ、イル)

「前?  前……」

 手を伸ばしたが当たるものはない。足元にさっきの肉が落ちているが……。

「って、まさかね。これってことはないよね?」

 手近な石を拾って、肉に落とした。

(痛イッ!  何ヲ、スル!)

「この肉が、話してるの?」

(ソウダ。俺ガ、喋ッテ、イル)

 肌色の肉がわずかに動いた。

「やだ!  気持ち悪いっ!」

(気持チ……悪イ、ノカ?)

 哀れに思えるほどしょんぼりした声だった。あわてて左右に手を振る。

「ご、ごめん。そんなことないよ」

(ソウ、カ?)

「ここどこ。わたし、なぜこんな所にいるの。なぜ、うさぎになったの。家に帰りたいのよ。どうしたら帰れるの?」

(待テ!  質問、スルナラ、何カ、クレ)

「くれったって、なにも持ってないよ」

(袋ニ、入ッテ無イノカ?)

「袋? ああ、カバンね」

 学生カバンを開け、中を探す。

「あ、チョコレートならある。これでもいい?」 

 箱の封を切り1粒取って、肉のそばの地面に置く。肉がもぞもぞと動いてチョコレートに覆い被さった。ペチャペチャと食べる音が聞こる。

「へぇ、食べるんだ」

 横目でヒルコを見ながら、カバンの中の上履き袋の靴を履いた。ゴールデンウィーク中に洗おうと上履きを持ち帰っていたのだ。

「あ、鏡……」

 すこし先に黒地に桃の蒔絵の手鏡が落ちている。拾いあげカバンの中のポーチを確認する。竹櫛はあるが手鏡が入っていない。

「やっぱり、これ、わたしの鏡だ」

 竹櫛と鏡は祖母の形見なのだ。竹櫛とともにポーチに戻した。

「さっき浮いてた……よね?」

 兎になったり鏡が勝手に浮いたり不思議なことだらけだ。

(ウ、ウマイ!  モット、クレ!)

 すごく嬉しそうな声が脳裏に響いた。

「今、あげたでしょ。なんでもいいから先に教えてよ」

(ウム、ワカッタ。コノハ、オノゴロ。俺ノ名ハ、ヒルコ」

「ヒルコ……」

「俺ハ、ヨモツくにカラ来ル、天降リ姫あもりひめノ案内役ダ)

「案内役……あなたが」

 話言葉が不思議と漢字で理解できた。

(夜刀ハ災厄さいやく元凶げんきょうダ。夜刀ヲ倒セバ、呪イガケル)

「わたしがここに来たのも夜刀のせいなの?」

(天降リ姫ガ、夜刀ヲ倒セバ、全テノ望ミガ、かなウノダ)

「天降り姫って、すっごい力があるんだね」

 肉が案内役なのだから、天降り姫も普通の人間ではないのだろう。

   夜刀に対抗できるなら、姫香を元の世界へ帰す力もあるかもしれない。

「そのお姫さまに会わせてくれないかな。頼みたいことがあるの」

(天降リ姫ハ、俺ニ、物ヲ、クレル)

「よかった。やさしい人なんだね。で、そのお姫さまはどこにいるの?」

(天降リ姫ハ、オ前。俺ニ、食ベ物ヲ、クレタ)

「お前って。ははっ、やだなぁ」

(天降リ姫ハ、オ前)

「あのねぇ、わたしの名前は、氷室ひむろ姫香ひめか!」

(ウルサイ。大声ヲ、出スナ。夜刀ニ、見ツカル)

「あわわ」

 慌てて口を押さえた。

「小声で話すからちゃんと聞いてよ。わたしは、地球の日本って国から来たんだよ。住所は東京……あれ?  日本の……高校1年生で。あれ?  あれっ? やだ、なんで?」

 今度は、記憶が抜け落ちた。

「と、とにかく、違うのよ。わたしは天降り姫じゃないの」

(天降リ姫ハ、オ前。天降リ姫ハ、オ前。天降リ姫ハ……)

 どんなに説明してもヒルコは同じ言葉を繰り返した。

 人っ子ひとりいない葦の川原で肉に向かってしゃべっている。普通なら頭がおかしくなったとしか思えない状況だった。大きくため息をつく。

「はぁぁ、もういいよ、わかったよ」

 極度のあきらめがとうとう開き直らせた。

「天降り姫になってあげる。で、夜刀を倒して帰る。それでいいんだよね」

(ソウダ。夜刀ヲ倒ス、天降リ姫ハ、オ前)

「もー、わかったってば。それに名前を呼ぶなら、天降り姫じゃなくて姫香にしてよ」

(ウム、姫香カ。ワカッタ)

 夜刀と戦うことに躊躇がある。だが、今はこの場所から一刻も早く抜けだしたい。

 この状況では天降り姫になるしか選択肢がなかった。

 

「あ……空が……」

 どんよりとした雲間が切れ、まぶしい太陽が顔を見せた。青く澄んだ空が広がっていく。空の青を映す川はサラサラと息づいたように流れ、うっそうと生い茂る緑の葦が風にユラユラとなびいた。

「葦、緑になってる。なんで?  さっきまで枯れていたのに?」

 セミロングの髪をさわやかな風が撫でていく。濃紺のブレザーが明るく発色し、スカートの裾がはためいた。ずぶ濡れだった服とカバンがいつの間にか乾いている。体には爽快感が溢れ、両膝からは傷と血の跡が消えていた。

「なぜ、傷が治るの。なんなのよ、この世界は。なんでもありってやつ?」

(コノ世界ハ、オノゴロ)

「同じ話はもういいよ。ほら、案内役。これからどこに行けばいいの。それを教えてよ」

(ソレハ別ノ、質問ダナ。ナラバ、チョコレートヲクレ)

「まだ食べるの?」

(質問スルナラ、チョコレートヲ、クレ)

「えっ?  あぁ、そういうことか」

 ヒルコから情報をもらうには、かてを与えなければならないのだ。

「どこに向かえばいいか、教えて」

 置いたチョコレートにヒルコがのたりと乗った。

(マズ、西ニ行ケ。下部しもべヲ探スノダ)

「しもべ?  あぁ、仲間のことね。わかった。じゃ、ヒルコはここに入って」

 上履き袋をヒルコのそばに置くとヒルコが這いずり靴袋に入った。それをカバンの横のフックに吊るし、スリーウェイタイプのカバンをリュック型に直して背負う。

 靴袋からヒルコが少し体をのぞかせた。やはり肉が動くのは気味が悪い。ヒルコの姿を見ないようにして聞く。

「西がどっちかぐらいはタダで教えてよ。ねぇ、西ってどっち?」

(太陽ガ、昇ルノガ、東。太陽ガ、沈ムノガ、西ダ)

 空の右上に太陽は輝いている。さっき見たときより左に傾いているようだ。

「ということは、左方向が西ってわけね」

 太陽が東から昇り、西へと沈む。

「オノゴロも……と同じだね」

 どこと同じだったのかを忘れている自分に冷たいものが走った。

(サァ、行コウ)

 ヒルコがうながした。

第1章 淤能碁呂( 3 / 3 )

 

 背の高い葦が行く手を阻むように続き、それを押し退ける手は傷だらけになった。

 葦の原を抜けると今度は岩の多い山道になった。何時間も歩いている気がして腕時計を見た。

「秒針、動いてない」

 五時で時計が止まっている。

「ママ、パパ、早く気がついて」

 すり傷だらけの手をさする。膝ががくがくして足が棒のようだ。

「おばあちゃん、助けて」

 祖母は姫香が悲しい顔や困った顔をしているとよく春の小川を歌ってくれた。祖母が歌うたび、「小学校で習った歌詞と違う」と言っては、困らせたものだった。

(けれど、歌い終わった時には……)

 元気がもどり、二人で笑い合っていた。こぼれた涙を制服の袖で拭き取る。

「帰れるよね。きっと、きっと、帰れるよね」

 ひとりごとを続けていないと歩き続けることができなかった。

 

 日が陰りはじめ、岩場にぽっかりと黒くあいた二つのほら穴が見えた。

(あそこに仲間が?)

(アレハ、部落ダ)

 ひとりごとにヒルコが答えた。

「部落ってことは人がいるのよね。わたしは何をすればいいの?」

(チョコレートヲ寄越セ)

 ほら穴から人の気配を感じる。怖くなり靴袋にチョコレートを入れた。

(ココデハ、アイテムヲ、揃エル)

「アイテムって?」

(旅立チノ、道具ダ。道具屋ニ行ケバ、姫香ノ持ッテイル物ト、交換シテクレル)

「それってゲームみたい」

(ゲーム?)

「うちのパパがやってるRPG。たしか、道具屋で剣とか薬とか旅に必要な物を買ってたよ」

(サッサト、道具屋ニ、行ケ)

「あ、うん。で、道具屋はどこにあるの?」

(石斧ガ、出テイルノガ、道具屋ダ)

 手前のほら穴の入り口に石斧が置いてある。

「ふぅん、あれが道具屋」

 ほら穴におそるおそる入る。大きな石がカウンターのように置かれている。

「なんか、用か!」

 どら声に姫香は飛びあがった。暗がりから男が現れた。原始人のように毛皮を纏い、体からは鼻をつく異臭がする。

「用ない、出ろ!」

 男が追い払うように手を振った。

「あ、あのっ。も、も、も、も、物を交換してくれると、き、き、聞いたんですが」

「ああ、客か。物はあるか」

 カバンをじろじろと見ている。

「この中の物でいいってこと……だよね」

 カバンを背中からおろし、中の物を石の上に置く。

 教科書、バインダー、下敷き、ペンケース、財布。

「もう、ない、か?」

 ポーチの手鏡と竹櫛は渡したくない。姫香の所作を値踏みするように男がじっと見つめている。

「あと、売れるものって……」

 ポケットを探ってチョコレート以外の物をだす。

 ハンカチ、ポケットティッシュ、定期券、生徒手帳。

 定期券も生徒手帳も文字がにじんでいて読めない。

「これ、なんだ」

 男がペンケースを指さした。

「字を書くものが入ってます」

 ペンケースのチャックを開けて並べる。

 ボールペン、シャープペンシル、替え芯、黄色とピンクのマーカー、消しゴム。

「なんだ、匂うぞ」

 香りつきの消しゴムに男が鼻を近づけた。

「うほほぉぉい!  これがいい!  宝と交換だ!  好きなモン、持ってけ!」

 雄たけびをあげ、ペンケースとその中身を男が引き寄せた。消しゴムの匂いを嗅いでは奇妙な格好で飛び跳ねている。

 驚いている場合ではない。交換するなら今ではないか。

「ヒルコ。交換する物をぜんぶ教えて。ぜんぶだよ」

 石の上にチョコレートを置き、上履き袋をその横に置く。袋からでてきたヒルコがチョコレートに覆い被さりあたりを見た。

(水晶ヲ、5個。水壺みずつぼ。ソレト、石斧、ダナ)

 うなずいた男がせかせかと動いた。

 透明の水晶が5個、素焼きの一合徳利、木の柄に黒い石がついた石斧が机に並んだ。

「ヒルコの声、この人にも聞こえているんだね」

(当然ダロウ。姫香トモ、話シテイル)

「まぁ、そうね」

 なにげなく触った徳利から水が溢れてきた。

「わ!」

 あわてて手を離すと水がひいた。

「あれ?」

 再び持ってみる。触れれば水が溢れ、手を離せば水が無くなるのだ。

「ここ持つ、出ない」

 徳利についている紐が持ち手なのだ。

「この水晶はどうやって使うんですか?」

「水晶使えば、交換だ」

「水晶がお金の換わり。じゃぁ、これも使えますよね?」

 財布の千円札と小銭を見せる。姫香の全財産に男が顔をしかめた。

「それ、ゴミ。交換は玉だ」

「あ、そうなんですね」

 侮蔑の交じった視線に慌てて財布をしまう。

「ええっと、石斧はなんに使うんでしょう?」

(護身用ダ)

 率先してヒルコが答えた。持った石斧はずしりと重い。

「これが武器?  こんなものが役に立つの?」

(何モ、無イ、ヨリハ、イイ)

「そう言われれば、そうだけど」

「夜、来る。この先、宿屋だ。行け、行け」

 左横を指さしているから、隣のほら穴が宿屋なのだ。

「ありがとうございました」

 荷物をまとめて道具屋を後にした。

 

「わぁぁ、すっごい夕焼け!」

 岩場全体がまっ赤に染まっている。

「こんな燃えるような空、初めて見たよ!」

(フーン)

 興味なげな声。

「ヒルコにも見える?」

(感ジハスルガ、見エハシナイ)

「そう、残念だね」

(イイ、モノカ?)

「好きな人と見られたらロマンチックだろうなぁ」

(ソンナ、相手ガ、イルノカ?)

「へへへ、学校の先輩と見たいな。とってもかっこいいんだよ」

(ソノ男ノ、子ヲ、産ムノカ)

「やめてよ。まだ、わたしの片思いなんだから!」

(ソウナノカ)

「そうなの」

 漆黒が辺りを覆い、星のない空に糸のように細く赤い色をした三日月が昇った。

 静寂をやぶる獣の遠吠えが空気を振動させた。

(モウ、宿屋ニ、行ケ)

「うん」

 獣の声に追われるように宿屋へ入った。

 

 

「よく、来たな」

 茶色の毛皮を着た若い夫婦が笑顔で迎えてくれた。焚き火たきびがあるだけの狭いほら穴だが、人がいることだけで安心できた。

「これ、食べる。いい」

 女が笑顔で赤い生肉のかたまりを姫香に持たせた。肉をつついたがヒルコのように話はしない。

「あの、いらないです。お腹もすいてないし」

「食べろ、食べろ!」

 夫婦は食べるまで許してくれそうもない。

 姫香はひきつりそうになる顔をおさえ笑顔を作った。

「へへへ、ヒルコに聞いてみますね」

 ほら穴の隅に置いたカバンのそばに移動する。

「ね、ヒルコ、あの人たちこれを食べろってうるさいんだけど、どうしたらいい?」

(ウルサイノハ、オ前ダ。早ク、寝ロ!)

 ひどく不機嫌な声がかえってきた。夫婦をうかがうと、こちらを睨むように見ている。

(こんなの食べれないよ。困ったなぁ)

 夫婦に背中を向け、食べる振りをしながらバインダーからノートを切って肉をくるみ、カバンの奥に突っこんだ。水壺で手を洗いハンカチで手を拭き、夫婦のかたわらに戻る。

「食べたか?」

「ごちそうさま。おいしかったです。わたし、食べるの早いんです。えへへへーっ」

 姫香が笑ってごまかすと夫婦もつられて笑った。

「そうか、食ったら、寝るか」

 男が地面に寝転がった。

「あ、あのっ、このまま寝るんですかっ?  こんなに寒いのに?」

 焚き火があるとはいえ、ほら穴は吹きっさらしだ。

「寒いか。そうか、あんた、寒いか」

 二人が顔を見交わし、ほら穴をでていった。

「どうしよう。どこかに行っちゃったよ」

 ヒルコから応えはない。

 しばらくすると夫婦が大きな毛皮を持ってきた。

「わたしに……?」

 毛皮は臭いが二人の気持ちが嬉しかった。

「ありがとうございます」

 姫香が毛皮を受け取ろうとすると、男が毛皮を引っこめた。

「交換。水晶1個だ」

「ええっ、お金を取るんですか?」

「当然だろう」

「ああ、はぁ、まぁそうですよね」

 しぶしぶ財布から水晶をだす。その水晶を男がうれしそうに受け取った。

「寝る、寝る」

 そう言うと、男は女と抱き合いすぐに寝息を立てた。

 姫香も毛皮を巻きつけ、焚き火のそばの地面に寝ころぶ。

 静かな夜、パチパチと鳴る焚き火の音に不安だけが心を占めた。

(ママ、パパ、帰りたいよ)

 傷だらけの手足が痛い。涙が頬をつたった。

 急に今までの疲労と緊張が睡魔を連れてきた。

(目が覚めたら、家のベッドでありますように……)

 祈りながら目を閉じた。

第2章 竹林の少年( 1 / 3 )

 

(イツマデ、寝テル!  西ニ、行ケ!)

 ヒルコの声が姫香の頭の中をかきまわす。

「わかったから、何度も言わないで」

 あくびをして毛皮から立ち上がった。

「あれ?」

 手足に無数にあった傷が跡形もない。

「ヒルコ、変だよ。傷が治ってる」

 靴袋に向かって声をかけた。

(質問、スル、ナラ、チョコレートヲ、クレ)

「あ、いい。チョコがいるなら質問はしない」

 この世界は常識が通用しない。傷が治るのも普通のことなのだ。

「用意するから、もうちょっと待ってて」

 水壺から水を流して顔を洗い、鏡を見ながら櫛で髪をとかした。

 ヒルコに見えないように制服のポケットからチョコレートの箱をだして確認する。

 パッケージには12粒と書かれているが、8粒しか入っていない。

(あっという間に無くなりそう)

 重い気分でチョコレートをしまい、カバンを持ちあげる。

「出発します。ありがとうございました」

 姫香の前に夫婦が立ちふさがった。

「泊まり賃。水晶2個!  水晶、2個だ!」

「ああ、お金」

 喚き散らす夫婦に水晶を渡すと二人は満足そうな笑顔を見せて道を開けた。

 水晶は残り2個。どう考えても旅立ちには心細い。もう一度、交換をするため道具屋に足を向けた。

「おはようございまぁーす」

 ほら穴の中から全身に痺れるような冷気が吹きつける。言いようもない恐怖がふつふつと沸いてきた。

「お……じさん……?」

 視界が下に落ち、兎の白い足が目に入った。

「フフ……フフフ……」

 むぅっとする異臭が襲う。

「ヒッ」

 ほら穴の奥の暗闇に夜刀がいる。その足元には、体が捻じ曲がり赤い塊となった道具屋がいた。

「フフフフ……」

 夜刀がさも愉しそうに笑った。道具屋を踏みにじる白い足が赤くぬれぬれと光っている。

 恐怖と美しさの境界……。

 動くこともできずそれを凝視していた。

(逃ゲロ!)

 ヒルコの声にはじかれた。

「ぎ、ぎゃぁぁぁ!」

 ほら穴を飛びでて突っ走る。頭の中は真っ白だった。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 息が切れ姫香は地面に倒れ伏した。どこをどう走ったのか覚えていない。

「はぁ、はぁ」

 いつの間にか人間に戻っている。

「はぁ、はぁ……ここどこ?」

 周囲には立ち枯れた竹林が広がり、奥へといざなう一本のけもの道がある。

 昨夜の獣の声が気にかかる。しかし、後ろには夜刀がいるのだ。

「ヒルコ、どうしよう」

(サッキモ、助ケタ。質問、スル、ナラ、チョコレートヲ、クレ)

 チョコレートの数が頭をよぎる。

「いい。またあとで質問する」

 カバンから石斧をだして握りしめる。引き返せない以上、進むしかないのだ。

「出ない。出ない。怖いものはなーんにも出ないっ!」

 呪文のように唱えながら、けもの道を歩く。枯れて積もった竹の葉は踏みしめるとサクサクと音がした。かなりの時間歩いたが一向に竹林を抜ける様子がない。いつの間にか、けもの道もなくなっていた。

「引き返したほうが、きゃっ!」

 急に、大きくなった石斧が兎の手から落ちた。

「あ、またうさぎに!  どうなってんの!  ヒルコッ、どこにいるの!」

 頭の中にヒルコの冷めた声がした。

(オ前ニ、同化どうかシテイル)

「同化ぁぁぁ?」

 訳のわからぬ状況に泣きそうだ。

 カサッ、と葉ずれの音がした。その方向に体をまわす。

 竹やぶの暗がりに白地に黒い縞の虎がゆったりと寝そべっている。

(まさか、葦の原にいたホワイトタイガー?)

 あわてて周囲を見たが夜刀の姿は無い。ほっと胸を撫でおろした。

(この虎、毛並みがすごくきれい。そういや、テレビで白い虎が出てたよ。あれって、なんのテレビだっけ?)

 ぼんやりと虎を眺めていた。のそりと立ち上がった虎と、真っ向から目が合った。

「え?」

  虎が唸りながら竹を巡り、ゆっくりと姫香に近づいてくる。

「え、ええ?」

 獲物を見つけた黒い目がギラギラと光った。虎が背中を丸め姿勢を低くした。

「イヤァァァァァッ!」

 竹の間を必死で逃げるが、虎は俊敏で逃げる前へ前へと先まわりしてくる。遊びながら食べる気なのだ。

「ギイャァァッ!  食われるぅぅっ!」

 虎が姫香の正面に飛びでた。身構え狙っている。極度の恐怖で姫香の後ろ足に力が入った。兎の体が虎の頭を飛び越え、虎の背中に乗った。

(今ダ!  蹴レ!  連打ダ、連打ッ!)

 言われるまま、無我夢中で虎の背中を蹴る。小さな唸り声をあげて虎がうずくまった。

「どれだけ蹴れば、殺せるの!」

(チョコレート、貰ッテイイノカ)

「いいから、早く教えてっ!」

(兎ニ、虎ハ殺セナイ)

「じゃ、どうすればいいの!  はぁはぁ」

 息が切れてきた。蹴り続ける足が重い。

(コイツハ、夜刀ニ、惑ワサレテイル。呪縛解除じゅばくかいじょシロ!)

「その方法は、ギャッ!」

 虎に振り落とされ、兎の体が枯れた藪に突っこんだ。

(肉ヲ、食ワセロ。持ッテイル物ハ、言エバ出ル)

 ヒルコがあきれ声で言った。虎の顔が視界に大きく映る。

「うぇっ!」

 兎のお腹を前足で押さえられた。苦しくて息ができない。

 虎の口が開いていく。太い牙、大きな舌、ヨダレ、のどちんこまで見える。

(ぎゃーっ!  肉ーっっっ!)

 姫香が声にならない声をあげた直後、虎と兎の間に肉のかたまりが浮いた。

 虎の口めがけてそれを押しこむ。

「……げほ、げほっ!」

 姫香に呼吸が戻った。制服が目に入る。

「手……人間の手に……はぁ、はぁ……戻ってる……」

 

 姫香の少し先に、あぐらを組んで生肉をがつがつと食べる少年がいる。

(……同じぐらいの歳かな?)


 ひたいに落ちる髪が邪魔なのか少年が頭を振った。

(あ、かっこいい)

 姫香を睨んだ黒い瞳はきれいな二重で、精悍な顔立ちをしている。細身だが筋肉質の体には、白い毛皮の袖なしシャツと短いパンツを着け、手甲、ベルト、サンダルは黒い革だ。そのコーディネートが嫌でも虎を連想させた。

「あっ、あなた。夜刀の虎……ぎゃ!」

 言い終わるより早く、地面に叩きつけられた。姫香の背中に少年が馬乗りになった。

「うるせぃ、あの変な野郎にたぶらかされただけだ!」

 体重の重みに息が詰まる。

「ううっ……苦し」

「このバカうさぎが。おれさまに勝てるとでも思ったか」

「苦しい……お願い……どいて」

(モウ、ヤメロ。ソレハ、天降リ姫ダ)

「えっ、天降り姫?」

 少年が飛びのいた。姫香が顔をあげると猫目が大きく見開かれていた。

「おまえ……本当に天降り姫か?」

「う、うん……成り行き上、天降り姫やってます」

「悪かったっ!」

 急に土下座した。

「おれ、知らなかったんだ。許してくれ!」

 少年からすこし距離をとる。

「もうひどいことしない?」

「ああ、もうしねぇよ」

 安堵した途端、姫香は涙がとまらなくなった。ひとしきり泣いて顔をあげると、少年が食べ終わった手を猫のようにペロペロとなめていた。

「お、泣きやんだか」

 姫香に微笑みかけ、肉を包んでいた紙を丸めて藪へ投げ捨てた。

「あ、ゴミを捨てちゃ駄目!」

「けっ、うるさいヤツ」

 言葉は乱暴だが少年の口の端に笑顔が浮いている。それを見て姫香の気持ちもほぐれた。

「あなた、名前は?」

「ああ……おれは……ビャッコ。よろしくな、天降り姫」

「わたしのことは天降り姫じゃなくて、姫香って呼んでくれる?」

「天降り姫じゃないのか?」

 目線が強くなった。姫香は腕を大きく左右に振った。

「わたしの生まれた所では氷室姫香って名前なの。そっちの方が慣れているから、姫香って呼んでくれる?」

「ふぅん、おまえがいいならそれでもいいけどよ」

 気まずい空気が流れた。いつ食われるかと思うと冷や汗がでた。

「ちょっとごめん。落し物を拾ってくる」

 ビャッコを目の隅に入れながら落ちている石斧を拾う。小声でヒルコに話しかけた。

「ね、ヒルコ。このまま全速力で逃げる?  それとも戦う?」

(ドッチモ、オ前ニハ無理ダロウ。ナゼ、ソンナ事ヲ言ウ)

「あれ、本物の虎だよ」

(ビャッコハ、下部ダ)

「しもべって……あれは虎だよ。生肉を食べてたもん」

(オ前モ、兎ダッタ)

「そうじゃなくて」

「おい、その肉も食っていいのか?」

 ビャッコが顎をしゃくった。視線の先は靴袋に向かっている。

(俺ヲ、食オウナンテ、思ウナ!)

「な、なんだ、今の声!  そういや、さっきも同じ声がしたぞ」

 ビャッコがキョロキョロとあたりを見ている。以前の自分を見るようだ。苦笑いしながらカバンを下ろし、靴袋を地面に置く。中からヒルコが這ってきた。

「彼の名前は、ヒルコ。仲間だよ」

「この肉が仲間ぁ?」

 猫目を見開いている。

(俺ハ天降リ姫ノ、案内役ダ)

「へぇぇ、おまえ、実はすげえんだな」

 ジロジロとビャッコがヒルコを見た。その視線を逃れ、ヒルコが落ち葉にもぐった。

「ヒルコ、これからどこに行くのかを教えて。ほら、チョコ……」

 チョコレートの箱の中を見て姫香はギョッとした。5粒しか残っていない。

「なに、これっ。誰が3粒も食べていいって言った?」

(モウ、食ベタ)

「ヒルコッ、どこに行ったのっ、出てきなさいっ!」

 落ち葉を掻きまわしたが、どこにもヒルコの姿がない。

「なにをやっているんだ?  もう仲間割れか?」

 ビャッコの無神経な言葉も姫香のかんにさわった。

「そうだ、ねぇ、ビャッコ。ヒルコをちょっとかじってみない?」

「ええっ、いいのか?」

 すごく嬉しそうな声がビャッコからあがった。

(ワーッ!  教エル!)

 落ち葉の中からヒルコが、姫香の胸へ飛びついてきた。

「おい、かじらせろよ」

 ビャッコが伸ばした手を姫香がはばんだ。

「冗談に決まっているでしょ。まさか、本当に食べる気だったの?」

 ビャッコは不満を露骨に顔にあらわしている。

「食べる気なんかねーよ!」

「わたしたちを食べないって約束する?」

「ああ、約束するよっ!」

 ビャッコが怒って後ろを向いた。

 本当に食べないのか不安は残る。だが、約束をしたことで今は良しとするしかない。

(姫香ハ、柔ラカクテ、気持チイイナ)

 腕の中のヒルコが甘えたように体を擦りつけてきた。ぐにょぐにょしたヒルコまで平気で抱けるようになった。姫香もこの世界で少しはタフになっていた。

 

「ヒルコ、これからどうすればいいの?」

(姫香ハ、ビャッコニ、石斧ヲ、渡ス)

「渡すとどうなるの?」

(変身シタ時ニ、ビャッコノ、攻撃力ガ、増ス)

 ビャッコが石斧を強引に奪い取った。

「あっ、何するのっ!」

「石斧を持てばもっと強くなるんだろ」

 ニヤリと笑ったその目には凶暴な光が宿っている。あまりの恐ろしさに姫香は一歩退いた。戦力としては心強いが、気分次第で牙をむくかもしれない。敵の攻撃力を増すようにしか思えなかった。

「それを持つってことは、わたしたちの仲間になるってことだよ。わかってる?」

「仲間?」

「そう、対等の仲間ってこと」

「ふぅん、わかった。対等な」

 ビャッコがニヤリと笑って、石斧をクルクルと軽そうに回した。

 

「ああっ!」

 キラキラとした木漏れ日がシャワーのように射してきた。やわらかな風が頬を撫でる。サラサラという葉ずれの音がして、枯れていた竹林が生き生きとした緑の葉で覆われた。

「ヒルコ、これ、どうなってんの!」

 竹のいい香りがあたり一面にたちこめた。

(グ……グ……ググググググゥゥゥゥ……)

 ヒルコが急に苦しみもだえて丸くなった。

「ヒルコ、どうしたの!  大丈夫なの!  きゃ!」

 ギョロリ、と、鶏肉ボールに人間の目ができた。

(グ、グ……オ前ガ、姫香カ。カワイイ、ジャナイ、カ)

 キョロキョロとよく動く瞳は金色をしている。

「おい、なんなんだよ。こいつはぁ」

「わ、わたしにだって、わかんないよ」

(目ダ。俺ニ、目ガ、デキタ)

 頭の中にヒルコの嬉しそうな声が続いた。

(コノ地ヲ、夜刀カラ、解放シタ。ダカラ、景色ガ元ニ、戻ッタノダ)

「でも、この変わりようはすごすぎるよ」

 夜刀の計り知れない力にひしひしと恐怖を感じた。

「ま、この方が殺風景じゃなくていいんじゃねぇか」

 ビャッコは意にも介していない。

(ビャッコ、宝ヲ出セ)

「おれは、なにも持ってねぇぜ」

(腰ニ、アル)

「なんだ、これがおれの宝かよ。しょぼいな」

 腰にさしている革の巻物を抜きとり、ビャッコが地面に広げた。

 30㎝四方の薄手の革に絵が描かれている。中央には葦の川原。その左横に岩山とほら穴がある。

 竹林が一番左に描かれているから、この竹林が西と考えればいいのだろう。

 葦の河原と岩山は、緑と茶色できれいに色が塗られているが、ほかは黒一色だ。

「ヒルコ、これって」

オノゴロノ、地図ダ)

 北西には草むら。北には数件の家が黒墨で描かれている。その他は空白だ。

「この地図、4分の1しか載っていないよ」

(他ハ、進メバ出ル)

「地図に勝手に出てくるの?」

(ソウダ)

「この地図にねぇ。ふぅぅん」

 地図を眺めているとビャッコが鼻で笑った。

「ようは、空白を埋めれば敵に辿り着くってことだ」

「あ、見てっ!」

 透明の見えない手が地図に色でも塗っているように、竹林にきれいな緑が塗られていく。

「ほら、勝手に地図に色がついてくよ!」

「うるせいな。進めば出るってさっきヒルコが言ったろ」

「動じないヤツ……」

「なんだと?」

「いや、なんでもないです。あ、北のこのしるしはなに?」

 一軒の家には、巻き貝の絵。もう一軒には二枚貝が描かれている。

(村ガ、アル。巻き貝ガ、道具屋。二枚貝ガ、宿屋ダ)

「ふぅん」

 ビャッコが興味なさそうに地図から目をそらした。

(夜刀ヲ倒セバ、全テノ望ミガ、叶ウノダ)

「おれの望みは夜刀を倒すことだ。ヒルコ。どこに行けばいい。教えろ」

(北ニ、行ケ。他ハ、進メバ、出ル)

「まずは、北だな!」

 勢いよくビャッコが立ち上がった。

「あ、地図、返すよ」

 地図を押し戻された。

「石斧をもらったからな、地図はおまえにやる。さ、行くぞ!」

 ヒルコを靴袋に入れ、ビャッコを追いかけた。

「ビャッコ、方角はそっちであってるの?」

「おれがそう思うんだから、こっちに間違いねーよ」

「なにそれ。野性の勘ってこと?」

「けっ、嫌ならついてくんなよ」

 ビャッコは慣れた足どりで竹と竹との間を歩いていく。

「もう少しゆっくり歩いてよ。仲間でしょ」

「おれの仲間なら、早く歩け!」

 ビャッコの姿がとうとう見えなくなった。

「ヒルコ。あいつ、わたしたちを置いてっちゃったよ」

(モット、早ク、歩ケバイイ)

「そういうことじゃないでしょ!」

(モット、早ク、歩ク事ダ)

「もうっ。都合が悪くなると同じこと言いだすんだから!」

 少し先の藪で石斧をまわしながら待っているビャッコが見えた。

(……口は悪いけど、やさしいところもあるのかな)

 そう思いたかった。 

たきもと裕
天降り姫 ヒルコの夢 -1-
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