永井さんが、私を「ルマン」のモデルになった店へ連れて行ってくれたのは、それから数日後ぐらいであったと思う。
元々「ルマン」等に興味は無かった上に、その店での経験は私にとっては不愉快でしかなかった。
シャンデリアや絨毯、ソファー等のある華やかな店内では、ボーイ達はこぞって永井さんに気に入られようとちやほやしたり、媚びたりしており、永井さんの連れで、貧乏学生でしかない私は邪魔者として退かされ孤立していた。
接客のプロ達に対して、コミュニケーション下手の私には立つ瀬が無く、惨めで寂しく、また永井さんが自分の代わりをここで見つけるのでは、と不安でもあった。そうなれば私の事などすっかり忘れてしまうだろう。
思い上がっていた私の気持ちは急激に萎み、それ以降は常に、永井さんに飽きられる事を恐れつつ、それを表に出す事に私の脆い自尊心は耐えられないので、外面では永井さんの好意を無下にするような傲慢な態度をとっていた。
同時に、どうすればいいのか分からない、どのような言動で相手が喜ぶのか、私には皆目見当もつかないというのも大きな理由ではあった。要は人の気持ちが分からぬ人間という事である。
永井さんは、毎年伊豆で過ごすそうで、その夏は私も連れて行ってくれた。豪勢な食事を永井さんと楽しく頂き、昼間はもちろん海で泳いだ。社交的な永井さんは、その旅館に泊まる他の客達と早々に顔見知りになっており、夜は彼らと歓談したりしていた。私は彼らの身なりや言葉等から、私とは相当に違う、永井さんのような育ちの良さや豊かさを感じ、何か育ちの悪さや貧しさを匂わせる発言をして、恥をかく事を恐れて何も言えず苦痛でしかなかったが。
私は海へ泳ぎに行く時、永井さんには何も断りをせず勝手に一人で行っていた。すると後から永井さんも砂浜に現れ、海パン姿になる。
永井さんは何も不満を言わず、不満そうな素振りすら見られなかった。実際、そこまで気にしていなかったのかもしれない。
しかし私は、今から考えれば「永井さん、一緒に海に行きましょう」とでも言えば良かったと後悔している。あの頃も、そういう事をしたかったのだが、一体どんな言動をとればいいのか皆目分からず、結局ぶっきらぼうな言動に至ってしまっていた。
あの頃の私は、そんな初歩的なコミュニケーションすらとることができなかった。
だから、この伊豆でとうとう永井さんにも愛想を尽かされてしまったのである。
私の受け答えの不味さが原因であった。どんな受け答えをしたのかについて、この誰も読む者が居ないであろう書記にすら、書くことができない。それくらい私には思い出すのも辛く、恥ずかしいという事である。
私は自分のその言葉が相手を傷つけるなどと、永井さんが機嫌を損ねた後も分からなかった。永井さんはちょっと神経質すぎるんじゃないか、とすら、今まで散々寛容に接してもらっていたのに、思ったくらいである。
しかし後で、他の人間から同じ言葉を言われた時、かなり腹が立った。それで初めて自分が非常に失礼な言い方をした事に気付いたのである。
しかしこの時はまだ、機嫌を損ねた永井さんに対して逆に腹を立てている状態であった。旅館での荷造りの時も、永井さんは大変そうだったが、私は冷ややかに眺めているだけで、帰宅途中も永井さんが喋らないので、私も一言も喋らなかった。
私は永井さんを通じて、東京の華やかな世界に繋がりたいのだから、機嫌を直してもらおうと、許しを乞うべきであると、知ってはいたのだが、初歩的なコミュニケーションすらとれない私に、壊れた関係を修復する能力などあるはずがない。
何をどうしていいのか分からぬ私は、永井さんの所へ行くのを止め、ある日金を借りるため加藤さん宅へ伺った。
加藤さんは金を貸すと同時に、永井さんとの事についても色々聞いてくれた。
「帰り道もずっと、何も喋らなかったそうだね。その後も永井さんに会いに行ってないとか…永井さんね、気にしてたよ。あなたが何を考えているのか、さっぱり分からないって。」
ああ…まただ。私は内心、暗く呟いた。「何を考えているのかさっぱり分からない」他の場所でも何度か言われた事がある。私は相手に、自分の意思や意見を上手く伝える事ができない。語彙力が乏しく、日本語が下手なのか、自分本位でしか話すことができないからか、そのどちらもか…この性質は、今なお抱えているが、この頃は今よりもっと酷かった。
加藤さんは「永井さんは、まだ十分にあなたを許しているよ。明日にでも会いに行って謝ってきなさいよ。」と勧めてくれたが、私は行かなかった。
相変わらず腹を立てていたのではない。怖かったのだ。前にも書いたように、私は人間を恐れている。だから永井さんから逃げ、自分の世界に閉じ籠った。
永井さんという生活の糧を失った私は、加藤さんの紹介により、あるゲイバーのボーイとして雇われたが、一日で洗い場に回された。
理由は今まで散々書いた、私の対人関係スキルの無さが原因で、接客どころかボーイ間の人間関係すら上手くいかなかった。私にとっても接客は苦痛でしかなかったので、人とほとんど関わる必要の無い洗い場の仕事に回してもらえてほっとした。
洗い物に追われ、食事をとる暇も無く、カウンターの内側でしゃがみ込んで、店から支給される食事を慌ただしくとっていた。その食事はマスターの妻が作る弁当なのだが、静子さんの手料理とは比べものにならない、菜と飯だけの貧しいものであり、しょっちゅう空腹を抱えていたが、それでもボーイとしての接客よりは随分気持ちが楽だった。
しかし結局、この仕事も10日程しか続かなかった。
理由はしんどかったからである。私は病弱ではないが、疲れやすく、体力があまり無い。これは虚弱と言うのだろうか?
しかし、永井さんと違い、体格が貧弱ではなく、丈夫そうに見えるので、世間の皆からは根気が無いだけ、と見なされる事が多い。実際その通りなのかもしれない。しかし根気というものを身に着けるにはどうすればいいのかも分からなかった。
「頑張って目の前にある仕事をすればいい」と世間は言うのかもしれない。しかしそもそも「頑張って」という事自体が根気があってこそできる事なので、根気の無い人間には不可能なはずだ。
しかし私は別の事柄において、「根気を持ってやってる」と言われた事がある。つまり私には根気があるという事だ。
根気を持ってできる相手とそうでない相手があることになり、それは私だけでなく人間は皆その様であるはずだ。そして、何に根気を持つべきか否かについては、世間、つまり人口の大多数によって決められる。
そして世間という名の神が定めた事柄に根気を持って取り組めない場合、社会不適合者という事になるのだろう。
洗い場のすぐ上で、青年たちが接客している。その華やかな世界に、私の居場所は無かった。そして裏舞台にすらも。私は居場所が欲しかった。確実にそこに所属していると確信する事のできる、安心できる居場所が。
その頃の私は、出口を失ったような不安と焦燥を抱え、お先真っ暗だった。
永井さんを避けるようになってから、普通に会っていた時以上に、永井さんの著書を気にかけて読み漁るようになった。
私は永井さんを愛してはいなかったが、強く執着していたので、無関心ではいられず情けない話だが未練たらたらであったのだ。
暗い内容の話があれば、自分との破局が影響を及ぼしているのではと深読みしたり、また、「次郎」という名の男が登場すれば、それは自分をモデルにしてるに違いないと考えた。
ある時、永井さんの小説内の「次郎」という登場人物が、卑しい吝嗇化の良い所無しな人物として書かれていたのを目にして、永井さんを避けるようになった私を恨んでの事に違いないと勝手に思い、一人喜んでいた事もある。私は忘れられておらず、これほど永井さんの心に強い影響力を持っていたのだと。
馬鹿な話である。加藤さんは、「永井さんは私を許している」と言っていたではないか。「許す」という事は、その相手に囚われていないという事だ。おまけに私と別れた後、他の男の愛人もいたと聞いた。
しかし私は、私が囚われていると同様、いやそれ以上に、私に囚われていてほしかった。そうでなければ、私一人、置いてけぼりの孤独ではないか。
私は、私に囚われず、早々に新しい相手を見つけた永井さんを密に恨み、憎んだ。
永井さんが仕事のため、アメリカへ渡ったと聞き、私はのこのこと健一さん、静子さん夫妻の元へ足を運んだ。
もはや永井さんの心に、私の居場所を見出せる自信は無かったが、この夫妻の元にはまだ見出せる気がしていたから。
不安に思いながら訪れたが、夫妻は温かく迎えてくれた。健一さんの雑用を手伝い、夕食を頂いてから帰宅する。泊まる事もしょっちゅうだった。私はこの夫妻に溺愛される永井さんに嫉妬していたので、永井さんが居ない事で逆にいい気分だった。
このまま永井さんが帰宅せず、自分がこの2人の息子のような形になればいいのにと思った。
しかし永井さんが帰宅する前に、私は福島県の学校に勤めながら卒業論文を書くことになり、2人にその旨お伝えして東京を出た。
帰宅した永井さんは、私がお邪魔していた事を知り、どう思っただろうかと考える。不快に感じただろうか?不快だろうと愉快だろうと何でも良い。何も思われないなんて惨めだ。
愉快よりは不快の方が、感じて欲しかった。そちらの方が、より強い影響力を持っている気がするから。