素顔の告白

 

永井さんが、私を書生として永井さんのご両親に紹介するまで時間はかからなかった。

この永井さんの行動から、私はどうやら野良犬から飼い犬に昇格できたらしいと、内心小躍りしていた。

何でも、永井さんは今まで書生を持った事が無いらしいのだ。私はそれだけ気に入られているのでは、永井さんに強い影響力を持つ愛人ぐらいになれるのかもしれないという期待を大いに抱いた。

 

そこは東京の高級住宅街にある、洋風建築の館で、永井さんはまだその頃独身で、ご両親と同居していた。

 

父親の健一さんは官僚で、その頃は既に退職していた。ちなみに永井さんも作家になる前は官僚であった事は皆も知る通りである。

健一さんは典型的なオールドワイズマンで、温厚な紳士で、人を指導する事が好きらしく、育ちの悪さからか食べ方等のマナーが成っていない私を、「箸の持ち方は、こうだ。」等、喜んで指導していた。

母親の静子さんもグレートマザータイプの人で、「福次郎さん、これ召し上がって」「福次郎さん、ご苦労様」等としょっちゅう優しい言葉をかけ、手料理を始めとして真心の心遣いをしてくれた。

私はこの家で、しょっちゅう食事をご馳走になり、泊まったりして健一さんや静子さんとの疑似親子を楽しんでいた。ひょっとしたら永井さんよりも、この夫妻への執着の方が強いかもしれない。

父親の顔も知らず、母親からは放っておかれた私は親の愛情に飢えていた。

「告白」でも他の作品でも、「私は自分の境遇を不幸とは思っていない」と断言しているが、それは自分で自分の境遇を憐れんで見せる事の見苦しさを感じていたからで、実際心の底では、自分の境遇を憐れんでいたし、母を、両親を憎んでいた。

しかしそれは、恥ずべきことと知っていたので、世間には隠そうとしていたのだ。

とにかくそういう訳で、私は永井さんではなく自分がこの夫妻の実子であったらと常に思っていた。しかし、どんなに疑似親子を楽しんでも、私はやはりよその子でしかなく、夫妻は実子の永井橋を溺愛していた。

 

私は、才能だけでなく、愛してくれる両親も、他人を引き寄せる人間的魅力、私が持っておらず、欲しくて仕方がないものを当たり前のように享受する永井さんに対して、暗い嫉妬を抱くようになった。

嫉妬という現象は、相手を自分と対等もしくは自分より劣るとの考えから生じると思う。

私に永井さんへの嫉妬が生じたのは、同じ同性愛者であったからだ。私には、同性愛者は異性愛者よりも劣るという認識が、ある。

そんな、私と同じ同性愛者という劣等種族のくせに、華やかな世界でちやほやされて、愛されているなんて、と。こう思うわけである。

今そんな事を言えば、いや当時言っても馬鹿にされたであろう。こんな、同性愛者への認識が誤りである事は、私も頭では知識として知っている。

性癖だけではなく、私には自分について自虐的というか卑屈になり易いところがあるのだが、それは自らを虐めたいわけではなく、むしろ自らを守るための自虐である。私は自虐する事で、世間という名の神に弁解しているのだ。世間が認め得ない性癖について、私はこんなに罪悪感を抱いて苦しんでいます、悩んでいます。だから許してくれたっていいじゃありませんか、と。

しかしそれだけではなく、自らを汚らわしいというかろくでもない存在と認識し、嫌悪しているところも確かにあった。私は自分の声を録音テープ等で聞いたり、聞かれたり、また鏡なんかで自分の姿を明確に見る事が非常に苦痛なのだが、それは自らの本性や内面から目を逸らしている、逸らさねばならぬほどの醜さを知っているが故なのかもしれない。

私は直視できぬほど嫌悪する自分を、なぜそれでも守って大切にしようとするのか、自分でも不思議である。

 

後年、永井さんの友人の書生が、永井さん宅について、こんな記述をしているのを読んで、驚いた。あの、高級住宅街にある永井さん宅は、昔首つりのあったような格安物件であり、永井家の精一杯の見栄だったという。もし、息子の永井橋さんの作品が売れなければ、定年退職している健一さんの年金以外に収入は無く、静子さんは健一さんとの離婚までかつて考えていたそうなのだ。

私はその記述を読んで、自分と同じ同性愛者のくせに全てに恵まれていると嫉妬していた相手が、実はそうでもなかったのだ、と密かに暗い喜びを感じていた。

 

 

永井さんと関係を持ったのは、会ってから5回目くらいの時であった。

場所はホテルで、私がベッドに寝そべると、私より体の小さな裸の永井さんが、まるで獣のように覆いかぶさり、事を終える。

私は実は性交渉が初めてで、何か変な行動をして永井さんに気に入られなくなってはいけない、との緊張から何もできずマグロ状態で、性器も反応しなかった。そのため、最中とその後は、永井さんに愛想をつかされたのではと不安でいっぱいだった。

しかし、事を終えた後も、次の日の朝も、永井さんは上機嫌であったので、私は一先ず胸をなでおろした。

ちなみに、この私の何の反応も無い状態での永井さんとの性行為は、この後も変わり無かった。

そのうち永井さんも、さすがに気にし始めていた。なので私も、このままでは永井さんに愛想を尽かされるのでは、と不安に思い始めるようになる。床の上で、永井さんが気に入るような行動をしたかったが、私は床の上ですらコミュニケーション下手であり、とんちんかんな行動しかできなかった。せめて性器に反応して欲しかった。そして床で永井さんに気に入られ、仕事を手伝う秘書のような、欠かせない存在となり、東京の華やかな世界の一員として確固たる地位を築きたい、健一さんや静子さん夫婦の義息子としてますます可愛がられたい。

愚かで浅はかな私である。気が利かず、意志の疎通も下手で、何より相手への何の愛情も持たない自らの事しか考えない私が、そのような欠かせない存在となる仕事ができるはずが無かったというのに。

 

話を戻そう。そしてホテルのルームサービスの朝食だが、柔らかいパン、卵に、分厚いバターやジャム等の豪勢な朝食は、一日の食事がコッペパン一個でもおかしくない貧乏学生には驚愕するものであった。

私があまりにガツガツしているので、元々小食な永井さんは「僕の分もあげるよ」と言ってくれたものだから、私はバターもジャムもあるだけ全てパンにつけて平らげた。

そんな私の様子を見る永井さんの表情は、非常に穏やかで余裕のある笑みを浮かべていた。

きっと、卑しい貧乏人だと見下していたのだろう、と思った。実際はそんな事は無く、ただの私の思い込みだったかもしれない。しかし被害者意識の強い私は、その思い込みを完全に消す事ができず、いつまでも燻り続け、「今に見てろよ、いつか俺の方が見下してやる」というような逆恨みを密かに抱くようになった。

しかしどうやって見返すというのだろう?才能を始めとして、私には永井さんより勝る点が見当たらない。だからせめて、永井さんに強く執着されたい、愛されたい。けれども私の方では永井さんを欠片も愛さず、執着もしないのだ。

しかし実際は、逆であった。私は永井さんを確かに愛してはいなかったが、暗い執着は強く抱いていた。

永井さんの親しみやすい、共に居る者を楽しませる感化力に自分は当然、魅了されており、それによる、永井さんに気に入られたい、好かれたいとの思いがあったが、同時にその思いを悟られたくないとも思っていた。理由は、その感情に付け込まれて裏切られる事が怖かったからである。私は人間を嫌うが故に、恐れてもいるらしい。

永井さんという人間への執着を隠すため、私は永井さんの与える経済的な豊かさにしか執着していないとのポーズを、無意識にとるようになっていた。それが逆に相手を遠ざける事になると、愚かで臆病な私には分からなかったのだ。

 

朝食後、永井さんの腕時計が見当たらず、ちょっとした騒ぎになった。永井さんはホテルのボーイと共に探していたのだが、私は冷たくそれを眺めているだけであった。

少し前の私ならば、永井さんの気を惹くため、ゴミやほこりまみれになる事も構わず必死で探したであろう。

しかし愚かな私は、永井さんと床を共にした事から、彼の暗い秘密を知った気でいたので、また永井さんがすっかり自分を気に入って、自分は愛人としてかなり強い影響力を持った気がしたため、必要以上の優越感を抱き、馬鹿にしてもいた。

このように、私は仲良くしている相手が目の前で困っていても、こんな態度と考えを抱くような人間である。我ながら自らの冷たさに呆れると同時に、なぜ自分が人に好かれないかが分かる気がする。

 

 

 

永井さんが、私を「ルマン」のモデルになった店へ連れて行ってくれたのは、それから数日後ぐらいであったと思う。

 

元々「ルマン」等に興味は無かった上に、その店での経験は私にとっては不愉快でしかなかった。

 

シャンデリアや絨毯、ソファー等のある華やかな店内では、ボーイ達はこぞって永井さんに気に入られようとちやほやしたり、媚びたりしており、永井さんの連れで、貧乏学生でしかない私は邪魔者として退かされ孤立していた。

 

接客のプロ達に対して、コミュニケーション下手の私には立つ瀬が無く、惨めで寂しく、また永井さんが自分の代わりをここで見つけるのでは、と不安でもあった。そうなれば私の事などすっかり忘れてしまうだろう。

 

思い上がっていた私の気持ちは急激に萎み、それ以降は常に、永井さんに飽きられる事を恐れつつ、それを表に出す事に私の脆い自尊心は耐えられないので、外面では永井さんの好意を無下にするような傲慢な態度をとっていた。

 

同時に、どうすればいいのか分からない、どのような言動で相手が喜ぶのか、私には皆目見当もつかないというのも大きな理由ではあった。要は人の気持ちが分からぬ人間という事である。

 

 

永井さんは、毎年伊豆で過ごすそうで、その夏は私も連れて行ってくれた。豪勢な食事を永井さんと楽しく頂き、昼間はもちろん海で泳いだ。社交的な永井さんは、その旅館に泊まる他の客達と早々に顔見知りになっており、夜は彼らと歓談したりしていた。私は彼らの身なりや言葉等から、私とは相当に違う、永井さんのような育ちの良さや豊かさを感じ、何か育ちの悪さや貧しさを匂わせる発言をして、恥をかく事を恐れて何も言えず苦痛でしかなかったが。

私は海へ泳ぎに行く時、永井さんには何も断りをせず勝手に一人で行っていた。すると後から永井さんも砂浜に現れ、海パン姿になる。

永井さんは何も不満を言わず、不満そうな素振りすら見られなかった。実際、そこまで気にしていなかったのかもしれない。

しかし私は、今から考えれば「永井さん、一緒に海に行きましょう」とでも言えば良かったと後悔している。あの頃も、そういう事をしたかったのだが、一体どんな言動をとればいいのか皆目分からず、結局ぶっきらぼうな言動に至ってしまっていた。

あの頃の私は、そんな初歩的なコミュニケーションすらとることができなかった。

 

だから、この伊豆でとうとう永井さんにも愛想を尽かされてしまったのである。

私の受け答えの不味さが原因であった。どんな受け答えをしたのかについて、この誰も読む者が居ないであろう書記にすら、書くことができない。それくらい私には思い出すのも辛く、恥ずかしいという事である。

私は自分のその言葉が相手を傷つけるなどと、永井さんが機嫌を損ねた後も分からなかった。永井さんはちょっと神経質すぎるんじゃないか、とすら、今まで散々寛容に接してもらっていたのに、思ったくらいである。

しかし後で、他の人間から同じ言葉を言われた時、かなり腹が立った。それで初めて自分が非常に失礼な言い方をした事に気付いたのである。

 

しかしこの時はまだ、機嫌を損ねた永井さんに対して逆に腹を立てている状態であった。旅館での荷造りの時も、永井さんは大変そうだったが、私は冷ややかに眺めているだけで、帰宅途中も永井さんが喋らないので、私も一言も喋らなかった。

私は永井さんを通じて、東京の華やかな世界に繋がりたいのだから、機嫌を直してもらおうと、許しを乞うべきであると、知ってはいたのだが、初歩的なコミュニケーションすらとれない私に、壊れた関係を修復する能力などあるはずがない。

何をどうしていいのか分からぬ私は、永井さんの所へ行くのを止め、ある日金を借りるため加藤さん宅へ伺った。

加藤さんは金を貸すと同時に、永井さんとの事についても色々聞いてくれた。

「帰り道もずっと、何も喋らなかったそうだね。その後も永井さんに会いに行ってないとか…永井さんね、気にしてたよ。あなたが何を考えているのか、さっぱり分からないって。」

 

ああ…まただ。私は内心、暗く呟いた。「何を考えているのかさっぱり分からない」他の場所でも何度か言われた事がある。私は相手に、自分の意思や意見を上手く伝える事ができない。語彙力が乏しく、日本語が下手なのか、自分本位でしか話すことができないからか、そのどちらもか…この性質は、今なお抱えているが、この頃は今よりもっと酷かった。

 

加藤さんは「永井さんは、まだ十分にあなたを許しているよ。明日にでも会いに行って謝ってきなさいよ。」と勧めてくれたが、私は行かなかった。

相変わらず腹を立てていたのではない。怖かったのだ。前にも書いたように、私は人間を恐れている。だから永井さんから逃げ、自分の世界に閉じ籠った。

 

 

麺平良
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