素顔の告白

 

私が永井橋という作家に興味を持ったのは、19歳で大学に通うために、単身上京した時であった。

 

その頃、実母は小料理屋を営んでおり、私に学費を出して「大学へ行ってはどうか」と勧めてくれたのである。

 

被害者意識の強い私はそれを、私が産まれてこの方叔母に預けっぱなしのほったらかしであった事への罪悪感かと考えつつ、以前から郷里から遠く離れたいとの思いや、華やかな場所への憧れもあり、その申し出を受ける事にしたのだ。

 

しかし実際の東京は、そんなに甘くはなかった。毎日生活費を稼ぐためにアルバイトをした後、私と同じような貧乏学生と共に寮で雑魚寝する日々。

 

それも、人間関係が充実していれば楽しかったかもしれない。

 

しかし寮内等では女に関する話ばかりであった。

 

同性愛者でありつつ、その性癖を隠している私にはどう受け答えしていいのか分からなかったと言えば、おそらく性癖を言い訳にしている事になるのだろうか。

 

そう、単に私には社交性が無かったのだ。例え異性愛者であったとしても、結果は同じだっただろう。

 

それを近い将来に証明されるとは、この時はまだ思いもよらなかった。

 

 

 

そんな毎日の中、何の魔が差したのか、書店で一冊の本を手に取り何気なく立ち読みしてみたら、その内容がなんと、私と同じ男性同性愛者が少年時代からの自分を振り返るという内容の話で、私はぐいぐい引き込まれ、その時以来、その小説を書いた作家の作品をリスペクトするようになった。

 

私は自分の孤独を、同性愛者という性癖のためと思い込んでいた。実際は、原因は違うところにあったというのに、それを直視する事が辛くて目を逸らしていたのだ。

 

とにかく、その頃の私は同性愛者の集団というか関わりの中へ入る事で、自らの孤独を解消しようとしていた。

 

永井橋は、異性愛者を自称していたが、私は同性愛者もしくはその気ありと半場確信していた。そこであるアイデアが思い浮かび、永井氏にファンレターを送りつけた。

 

「ルマンというゲイバーは実際に存在するのですか?もし存在するのなら、興味があるのでお教えください。」

 

永井氏の作品を読んでいて、なんとなく、永井氏は知的な青年、文学青年等は好きではないだろう、と予想していたのでこういう内容にしておいた。さらに、ゲイバーに興味があるという点で、同性愛者である可能性を十分に匂わせておいたのだ。

 

このアイデアは功を制し、私はいきなり永井橋氏に直接、個人的に会う事となった。

 

白状すると、私には永井氏の作品や芸術、文学等に対する執着は皆無と言って良く、ただ、当時日本中から天才と称賛される大作家を通じて、東京の華やかな世界に関わりを持つチャンスが欲しかっただけである。

 

また、同性愛者もしくはその傾向があると思われる永井氏に、そういう意味で気に入られたら、きっと良い思いができる。そんな下心もあった。

 

なので、永井氏に初めて会う時は本当に緊張していた。絶対に気に入られなければ、せっかく見つけたこのチャンス、逃してはなるまいと必死であった。

 

貧乏学生にできる、精一杯の正装で待ち合わせ場所の喫茶店で、緊張しながら待っていると、永井橋が現れた。これが私と永井さんの初対面である。

 

 

永井さんは正装の私と違い、ラフな普段着だったが、当時流行の服装で全体的にあか抜けていた。顔は十人並で、体はどちらかと言えば貧弱で小柄だった。

緊張している私に対して、非常にリラックスしたフレンドリーな態度で、かといって緊張している私に気を使うわけでもなかった。いや、ひょっとしたら気を使っていたのかもしれないが、それを窺わせない非常に自然な態度であった。

 

「ルマンという店自体は無いんだけど、モデルにした店ならあるんだ。そのうち連れてってあげるよ。」

 

元々ルマンという店に興味があったわけでなく、永井さんの気を引きたかっただけなので、そんな事はどうでもよかったが、「そのうち」という台詞から、どうやら永井さんは私との繋がりをこれっきりにはしないつもりらしい、という希望を抱いた。

 

その後、しばらく雑談していたが、永井さんは非常に話上手で私の緊張が解けていくのにそれほど時間はかからなかった。

ものの短時間で、私は永井さんを好きになった。

どういう種類の好きかは分からないが、性的な意味でない事は確かだった。男性同性愛者だからといって、男なら誰でも良いというわけではなく、好みがある。

永井さんは、文学の才能だけでなく、相手に好感を抱かせる、人間的魅力にも富む人であった。

 

しかし私の方と言えば、相変わらず、興味深い受け答えなんてできず、我ながら面白味の無い男だと嫌になるほどであった。

緊張していようと、していなかろうと、相手の性癖がどうであろうと、私は社交性の無い、人間的魅力の乏しい奴なのだ。もちろん、永井さんレベルどころか、並の文学的才能も無い。

 

そんな私相手にも、永井さんは全く迷惑そうな素振りすら見せず、全く自然体で好意を持って接してくれた。そんな彼だからこそ、好かれるのだろう。

 

私など、好意を抱いた相手にすら何もできやしない。

永井さんには、自分の性癖を知る親友とも言える間柄の人が居る。加藤さんといって、飲食店を経営している。その店は異性愛者も普通に来る、普通の店なのだが、経営者の加藤さんがゲイなので、同じような人達が集う事も少なくなかった。

永井さんは私を加藤さんに紹介し、よく加藤さんの店で飲食をしたものだった。加藤さんもまた、社交的な人で、人見知りが激しく陰気な私を上手く輪の中に入れてくれていた。

 

私は毎日のように、大学にもろくに行かず永井さんの所に入り浸っていた。永井さんは私に3万の小遣いを渡す口実のため、簡単な仕事を与えていた。働かずに、金を貰うという愛人生活をするような人間になってはいけないとの配慮だったらしい。

私はそんな風に、自分を心配してくれる事が嬉しかった。ペットのような愛玩具ではなく、社会生活を営む人間として重んじられている気がしたから。

 

簡単な仕事をするだけで、小遣いを貰え、良い飯をご馳走になり、映画を見に行った事もある。以前の自分からは想像もつかない、至福の贅沢三昧の日々。

 

私は、所謂暴露本の「告白~永井橋」に「まるで農民から殿さまの側近にでも召し抱えられた気分だった」と厚かましく書いていたが、側近というのは社会的な関わりの中での生産的な活動に対して、欠かせない能力を発揮できるからこそ成り立つ表現であり、あっても無くても良いような形だけの仕事をして小遣いを貰う私は、愛人と言った方が正確なのかもしれない。

 

いや、より正確に言えば愛人ですらなかった。

 

永井さんは、珍しい類の手紙を出してきた青年の私を、一時珍しがり、面白いと興味を持って可愛がっていたに過ぎず、要はペット、もしくは野良犬に気まぐれで餌をやったりする、という表現が最も似つかわしい気がする。

 

野良犬でも、もっと気に入られれば、飼ってもらえる。当時の私は、なんとか永井さんに飼ってもらおうと必死であった。しかし私には結局、永井さんをそこまで惹きつけるだけの魅力は無かったのである。

 

ある日、某作家が亡くなった時の事、永井さんは葬儀へ行く支度をしながら

「何であんな下らない作家の葬式に行かなきゃならないんだ」

とぼやいていた事がある。

私は実は、その作家の作品は庶民的な感じが良いなと以前から思っており、愛読していたので、その作家を好きだと永井さんに言った事が無くて良かったと思った。

 

言えばよかったのだ。でも私の言い方で言えば、きっと永井さんは気を悪くしただろう。

 

私には、相手とは違う自分の意見を、相手の気分を害させずに伝える能力が欠けている。同じ意見の場合ですら、相手を不快にさせる事があるくらいだ。

このように、私は相手の気分を良くさせる事が苦手である。どんなにおべっかを使って機嫌を取ろうとしても、わざとらしいおべっかになってしまい、気に入られるという事が無い。

 

理由はこの歳になって、ようやく分かってきた。私が人間を愛していないからだ。人間嫌いだから、その嫌悪が愛の無い言動として自然と表れるのだろう。

愛の無い言動は、どんなに理に適っていても魅力の無いものだ。私は魅力の無い言動しかとれぬ、魅力の無い人間であった。

 

しかし、私が本当に至福に感じていたのは、実は経済的な贅沢ではなく、人との繋がり・人間関係の充実にあった。むしろ、経済的な贅沢は無くても十分だったと本心から言える。

楽しい会話、皆で囲む食事、私はだんだんよく笑うようになり、冗談も普通に言うようになった。自分でも以前より明るくなった事が分かった。それでも私の根本、人間嫌いは相変わらずなため、魅力の無い人間である事には変わりなかったのだが。

 

 

永井さんが、私を書生として永井さんのご両親に紹介するまで時間はかからなかった。

この永井さんの行動から、私はどうやら野良犬から飼い犬に昇格できたらしいと、内心小躍りしていた。

何でも、永井さんは今まで書生を持った事が無いらしいのだ。私はそれだけ気に入られているのでは、永井さんに強い影響力を持つ愛人ぐらいになれるのかもしれないという期待を大いに抱いた。

 

そこは東京の高級住宅街にある、洋風建築の館で、永井さんはまだその頃独身で、ご両親と同居していた。

 

父親の健一さんは官僚で、その頃は既に退職していた。ちなみに永井さんも作家になる前は官僚であった事は皆も知る通りである。

健一さんは典型的なオールドワイズマンで、温厚な紳士で、人を指導する事が好きらしく、育ちの悪さからか食べ方等のマナーが成っていない私を、「箸の持ち方は、こうだ。」等、喜んで指導していた。

母親の静子さんもグレートマザータイプの人で、「福次郎さん、これ召し上がって」「福次郎さん、ご苦労様」等としょっちゅう優しい言葉をかけ、手料理を始めとして真心の心遣いをしてくれた。

私はこの家で、しょっちゅう食事をご馳走になり、泊まったりして健一さんや静子さんとの疑似親子を楽しんでいた。ひょっとしたら永井さんよりも、この夫妻への執着の方が強いかもしれない。

父親の顔も知らず、母親からは放っておかれた私は親の愛情に飢えていた。

「告白」でも他の作品でも、「私は自分の境遇を不幸とは思っていない」と断言しているが、それは自分で自分の境遇を憐れんで見せる事の見苦しさを感じていたからで、実際心の底では、自分の境遇を憐れんでいたし、母を、両親を憎んでいた。

しかしそれは、恥ずべきことと知っていたので、世間には隠そうとしていたのだ。

とにかくそういう訳で、私は永井さんではなく自分がこの夫妻の実子であったらと常に思っていた。しかし、どんなに疑似親子を楽しんでも、私はやはりよその子でしかなく、夫妻は実子の永井橋を溺愛していた。

 

私は、才能だけでなく、愛してくれる両親も、他人を引き寄せる人間的魅力、私が持っておらず、欲しくて仕方がないものを当たり前のように享受する永井さんに対して、暗い嫉妬を抱くようになった。

嫉妬という現象は、相手を自分と対等もしくは自分より劣るとの考えから生じると思う。

私に永井さんへの嫉妬が生じたのは、同じ同性愛者であったからだ。私には、同性愛者は異性愛者よりも劣るという認識が、ある。

そんな、私と同じ同性愛者という劣等種族のくせに、華やかな世界でちやほやされて、愛されているなんて、と。こう思うわけである。

今そんな事を言えば、いや当時言っても馬鹿にされたであろう。こんな、同性愛者への認識が誤りである事は、私も頭では知識として知っている。

性癖だけではなく、私には自分について自虐的というか卑屈になり易いところがあるのだが、それは自らを虐めたいわけではなく、むしろ自らを守るための自虐である。私は自虐する事で、世間という名の神に弁解しているのだ。世間が認め得ない性癖について、私はこんなに罪悪感を抱いて苦しんでいます、悩んでいます。だから許してくれたっていいじゃありませんか、と。

しかしそれだけではなく、自らを汚らわしいというかろくでもない存在と認識し、嫌悪しているところも確かにあった。私は自分の声を録音テープ等で聞いたり、聞かれたり、また鏡なんかで自分の姿を明確に見る事が非常に苦痛なのだが、それは自らの本性や内面から目を逸らしている、逸らさねばならぬほどの醜さを知っているが故なのかもしれない。

私は直視できぬほど嫌悪する自分を、なぜそれでも守って大切にしようとするのか、自分でも不思議である。

 

後年、永井さんの友人の書生が、永井さん宅について、こんな記述をしているのを読んで、驚いた。あの、高級住宅街にある永井さん宅は、昔首つりのあったような格安物件であり、永井家の精一杯の見栄だったという。もし、息子の永井橋さんの作品が売れなければ、定年退職している健一さんの年金以外に収入は無く、静子さんは健一さんとの離婚までかつて考えていたそうなのだ。

私はその記述を読んで、自分と同じ同性愛者のくせに全てに恵まれていると嫉妬していた相手が、実はそうでもなかったのだ、と密かに暗い喜びを感じていた。

 

麺平良
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