光はプラスマイナスで進む

タイトル「光はプラスマイナスで進む」


通し番号十四 
(副題)ビザとドイツ語試験とネット問題 ツイート参加

ーー負の波、通信手段なしーー

目的の住居が手に入り、ホテルから移るや、負の波がどっときたのですよ。
ブッセ氏にはイケアに、ブッセ夫人にはデンマーク家具屋に、アントニアには住民課へ、そしてサラダ問題も軽く超えたナデイアにはテレコムへ連れて行ってもらいプリペイド電話を買い、ヴィータからは手押し車をもらい、さて欠けるものは通信手段となりました。


主よ、お分かりかどうか知りませんが、勿論お分かりでしょうが、電話とネットがないのは致命的なのです、この時代の人間には。普通に暮らしている人には想像もつかない事態です。普通のことができないのですから。テレコムでプリペイド電話が買うことができました。これでタクシーを呼ぶことは可能。家具屋家具屋、どこにある? ネットでは注文できない、IKEAは遠すぎる。注文できたとしても運び賃、組み立て代は惜しい、たとえ組み立てる男手も器具もないとしても。車はない。駐車場はなく運転能力はない。せめてテレビかラジオが欲しい、よし、テレビはメディアマルクトで買えた。床に直おきだ。さ、これをどうしたら見ることができるか?

またブッセ夫人に尋ねる。息子が知っている、WiFiは多分ケーブルでヴォーダフォンから繋がっている、なのでテレコムではない方が統一が取れる。何しろWiFiがないと持っているスマホが使えないのだ。WiFiWiFiWiFi。ホットスポットはあちこちにあるんです。パソコンをその近くで試したこともあるんです、ただ、あたしの知識や能力も足らなくて役に立たないわけで。

しかしJBはテレコムにこだわり、例のごとく他人の話を信用しないでテレコムと固定電話とネットの契約をしてしまう。テレコムからは、テレビ受信はパラボラアンテナで衛星放送を勧めるのみ、通りの名前をペラペラ言ってそこの店に頼んだら、と他人の事情も知らないで、知るわけがないが、ペラペラと無情なのです。でも住んでいるあたりにそんなアンテナの家を見たことないじゃありませんか、こんな山の中で受信ってそれはないでしょう。あたしが強く言うと、JBが契約を解除すると言いだしました。

そう簡単に行くわけもありません。説明が不十分だったから、と言ってもそうですかと引き下がるわけはありません、ブッセ氏が大丈夫、なんとかしてあげようと一緒に行く予定だったのですが、嘘か本当か、その日に車が故障したとか、JBも観念して契約を遂行させました。そしてテレビ受信はヴォーダホン傘下になったばかりの別会社のケーブルテレビで注文したのです。


その日のあたしの年甲斐もない、またもや年寄りの冷や水というツイート。誰も、神以外に見てくれるわけではありません。神に直接報告しているのみです。電子の手紙。

(神への収支報告。5/11+途方に暮れてナディアにタクシーを呼んでもらおうとすると、車を出してくれテレコムと繋がり安い携帯の望み叶う。12から16までマイナス状態:乗り越える自信を失い鬱屈、より高き自分を見失う。本当の退屈を初めて知る。深い不如意、不可能に陥る。有難い踏み台、スプリングボードであるのに。)

(5/13性愛と性感を忌むべきではないとわかる。それはやはり聖霊との交歓であり、創造の行いであるゆえに喜びの絶頂として肉体にも反映するので。その故に秘されたものでもある。これは自分の思考構築の中での大きな変化だ。生殖のために性欲があるのではなく、交歓の結果として生殖が生じたのかも)


翌日の14日、住民票を持って意気揚々と?あたしたちは外国人局へ出かけました。
全体的に問題なく進み、申請書を受け取ってくれ、第1回の面接の日が決まりました。

ところがそれが八月四日、つまり予定では日本にいて引越し作業をしている時期です。そこでわざわざ延期してもらったのが九月四日です。その頃にはまたドイツに戻っているはずですから。重要要件その1、結婚届は持ってくる予定だったのに、これもJBが持ち出し損ね、三男に頼んで家で探してもらい送ってもらいましたから、揃っていました。ただ一つ、最近の要請として外国人の妻はドイツ語の試験に合格しなければならないのでした。
そして翌々日、16日発覚したこと、幸運にも、と言うべきこと。


ゲーテ協会というドイツ語試験を行う機関に電話したところ、今日がこの地方の最終締め切りだと言うのです。急いで午後4時までにネットで申込書を送りなさいと。場所はマンハイムです。列車です。乗り換えです。

また、ネットです。これがないと、あるいは少なくともプリンタがないともうお手上げの世界なのです、空気がない状態です。そしてあたしたちの持っていた旅行用のプリンタにはケーブルが忘れられてありました。頼りにならない夫を持つとこう言うことになるわけです。
手足をもがれてしまいました。泣くのみです、喚くのみです。


しかしながら、すでに世の初めの時からホテルクローネのフロントに美声の主任とペンシルベニア女性とが配置されていたのです。長逗留をして毎日顔を合わせ親しくなっていて、その後レストランに食べに行ったとき、事情を聞いて古いラジオや傘を貸してくれ、パソコンをロビーで使ってもいいと言ってくれたのです。

それに便乗して、あたしは1、9キログラムのMacBook Proを抱えて、信頼たっぷりの笑い顔でワイファイを使わせて欲しいと頼みます。どうぞ以外の何があるでしょう。そこで悠々とネットで試験申し込みとホテル予約まで済ませました。

するとまたメールで確認が入ってきます。色々とサインや説明や、大変です。プリンタがないとサインを送ることができない、またもやピンチ、と言うので思いついたのがはとこのヴィータに印刷してもらい持ってきてもらいそれにサインして送ると言うものでした。素晴らしい案です。



(5/17聖霊と摂理という新しい把握に至る。嬉しくありがたい。白いニセアカシアの花の香るこの町を厭いそうになっていた時、またありうべき、ありたきこの生と存在へ引き戻される、自分を引き戻した。国や人の違いを論じるより、その同一性は同じ地球の住人という点にある、個性はもちろん異なる。異なるように造られているのだから。)


負の波から明るい善なるポジティブな目的を見出せるか、その戦いであるのですね、要は人々の厚情です。それはあなたの巧みなプレゼントそのものなのですね。


滞在許可を外国人局から発行してもらうための重要案件その2、(1はもちろん住居があること、これはクリア)健康保険組合へ加入すること、これも絶対の目的でした。

電話が手に入ったので(つまり普通の人は足や車で移動して行動するのに身体的にも不自由なあたしたち)やっとやっと連絡が取れ、加入を申請するところまでこぎつけました。

三十年前にミュンヘンで親子三人で加入していたのに、そのころの記録はちゃんとデジタル化されていませんでした。おまけに大組織の意思疎通がとても悪く、あるいはのんびりしていて、あるいは休暇ばかりとっていて、地域担当者のグレフ氏がヒョロヒョロで半ズボンという格好でやっときたとき、神様のように思えたものです。しかし彼の言うことと、事務方のすることが一致せずイライラするばかりでした。

テレコム、保険組合の件について、またも登場してくれたはとこのヴィータが肢体不自由を押して情報を探し、持ってきてくれ、さらに先に触れたドイツ語試験に関するプリント問題も手伝ってもらいました。なんとありがたいはとこなのでしょう、彼女は天使でした。
天使はそこら中にいました。ただその後、ヴィータに会うことはほとんどできなくなりました。彼女が家の階段から墜落し骨折! こちらからも行けません。最後の出会いのチャンスを使って、あたしのドイツ試験を可能にしてくれたのでした。


(5/19 タクシーを待ちながら惨めさと絶望感、しかし山と森は端然と美しい。聖霊と慈愛と摂理に行き着いた自分をも祝福し、さらに高いヴァージョンもあり得べし。ヴィータ、などの人々のあること嬉しい。大失敗に終わりそうなのが胸を締め付ける、悲しさを体験する、日常の出来事に違う意味づけがなされるという作品を書いてみたいが)

思えば、不自由な住まいながら得たものの、生きるための保険、ビザ、それがまだでした。超えるべき山は延々と続くのです。


(5/21月休日、鬱屈に負けそうだったのです、聖霊と慈愛と摂理なる存在よ、この地を祝福するために来たはずなのに。暗い洞窟から出て庭に座り、猫、鳥、緑、囀り、山を見回しているうちにこの苦悩をも愉しめと頭に浮かびました。どんな苦悩が来てもそれを娯しめと。すぐに心が切り替わり、夫すら美しく見えたほどに。)
 


ーー帰国便とドイツ語試験の関係ーー

帰国便のことが突然重要になりました。購入した時からおおよそ3ヶ月という意味で6月25日に決まっていて、それはでも、うまくいけばずらすこともできるという決まりの格安券でした。

ところが、ドイツ語試験は5月末にあり、その結果は6月中旬から発表されるので取りに来いというのです。すると25日離陸が危ういのでした。

おまけにその頃ヴィータのもたらした恐ろしい情報によると、日本人の旅行者には半年の期間中にきっかり90日分(3ヶ月ではなく)滞独が許されるのです。
この説明は、わずかな人しかわからないし、あたしもある夜突然にわかったほどとんでもない仕組みなので、主よ、あなたはもちろん精通されているでしょうが、ともかくそのせいで6月末ギリギリに離陸し、10月1日きっかりにまた戻ってこなければ、10月4日(ここでも一捻りの意外な展開がありました。本来8月だったのを、夏には帰国して借家の処分引越しをしなくてはならないので9月初めに変更してもらった面接予約があったのに、今度はドイツ語試験の結果受け取りのために帰国を遅らす結果、「シェンゲン条約」もあり、7、8、9月すぎて10月初の予約にずらしてもらわざるを得ず、わざわざまた外国人局に出かけたのです、朝早くから一人で。

受付の乙女が言うには、ビザ申請したのだからこのまま滞在できるのですよ。でももし中途半端で帰国すると90日滞在が適用されるのよ。いまどちらかに決めてください。)のビザインタビューに間に合わない可能性が出てくるのでした。

苦悩をも愉しめという言葉がなければ耐えられるものではありません。第一、そのために日本の全日空に電話しようとしてもなかなか時間が合わないのです、7時間の差がありますから。それで仕方なくドイツルフトハンザに電話し始めました。そこからまた恐ろしい事態へ流れて行こうとは。


(5/24偏在なる聖霊よ、夫が「神はビッグバンでバラバラになったのだ」と彼の悟りを述べました。確かに。個別化した神性たちはそれでも一つのものとして、大きな海に包まれて、含まれているのですね。誰かに心配させると言う心配なしに、ここに住みたいと私が思っているらしいのは何かの理由があるはずでしょう。)

(5/26土今日の哲学:聖霊の湧き出で散らふ岩肌より彼を自在に生殺せよ、良心必要なし彼は神の道具なり、思いのままに使い自分の生命を喜び楽しめ、と聞こえるので、ビザをもらうまでは必要なる道具です。大いなる全智なる無限なる聖霊の本質は、人類という形に至り、創造と喜びと自由自在とにあることが顕現されている。それが神の創造の目的である。感覚と意識で捉えるものは水面に揺れる岩山の影)



ーードイツ語試験、転生待望、オカリナの関連ーー

マンハイムにゲーテ協会の宿泊所があることはわかっていましたが、何と無く近づきたくない感じがして、近くと思われるホテルを予約していたのですが、地図をよく見ているうちに試験場の一角にあるという宿泊施設がよかろうと思われてきました。しかしもうかなり日にちが迫っています。仕方なく電話しました。やれやれ、大丈夫だということ。しかし料金や鍵の受け渡しなどなんだかややこしく、想像を絶する感じでした。そしてそうしておいてよかったとわかったのは行ってみた時でした。


(5/27日 ここ数日のうちに亡き子の転生と出会うことに決めているわけです。そのときの嬉しさを想像するだけで号泣しそうに、嬉しさというより聖霊の摂理と慈愛を確信するという感激。銀の砂つぶをまぶした聖霊の体現としてのこの大宇宙にとりわけ神の夢の場としての地球に玩具とギフトを溢れさせて。)


5月末の28、29日はマンハイムまで列車の一人旅。
バートミュンスター 駅から出発。ここは車椅子では無理という駅だ、階段があるのにエレベータもない。一人なのでなんの事なく家から10分の道を歩く。身軽だ。しかし出かけるときは早朝な上に、やはり道中のやりとりがどんな目が出るかわからないのでそれなりに緊張していたらしい。
自分では思わなかった自分の気分だが、大家夫人の犬は感じたらしく、知っているのに私が歩くときにトレンチコートがこすれる音にすっかり怯えてヒイヒイ哭き、脱兎の勢いで階段を駆け上がって帰って言った。そうか、と少し深呼吸をして出発した。

駅ではアジア人女性が一人列車を待っていた。いかにも試験に行くという感じだ。マインツの学生もいるようだった。その中の姿の良い若者が偶然にあたしと相席になってしまった。座るやパソコンを出してせっせと作業するのをちらとみると、電気関係の測量の値らしいページをめくりながら次々に表を並べ、比べている、ときに論文のような場面も使う。そのよそ見もせぬ必死の様子が、ふと亡き長男を思い出させた。学会に行くときの苦労と眠る暇もない極限の有様はあたしには承知のことだった、だから、ひょっとしてこの子があたしの子の生まれ変わりかもとどうしても思いたかった。様子も良い若者のようだった。顔をちゃんと見ることははばかれたし、話しかけるような雰囲気ではなかった。あたしは降りるときも彼から離れないようにしたが、エレベーターで別れることになった。
同じバートミュンスター で乗ったので、近辺に住んでいる子に違いない、その後もキョロキョロしていたがもう見つからなかった。でもそう決めてしまいたかった。


この地方でも女性同士で結構しっかり目を合わせてくる、そしてニコッと笑いかけてくるので、あたしはドッキリ、すぐに笑顔を返せなくて向こうがもう視線を合わせてくれません。半秒ほどの出逢いです。日本との違いはどうだろう、と頭を振るのみでした。

試験は明日なのに、前日朝一番の列車で出かけてよかったのです。大きな大学があるらしく若者の姿が多いところ、そしてまさに大学街に乗り込んでいくのでした。暑い日です。市電で広々とした開拓地みたいな、建設ラッシュの大学街で降りて、さて、と見回すとなんと目の前にゲーテ協会の建物が見えるではありませんか。今日は楽勝とニヤニヤして、さて、この金網の向こうにあるけど、入口はどこかな?

立っている道路の4メートルも下に、新築だけどどちらかと言うと無粋なゲーテ協会建物があり、その周囲は広々として、建設用大型機械と砂ぼこりと労働者の世界です。右に登るか下に下るか、立て札も案内も何もありません。

ちょうど下から(左から)汗をかきかき学生らしい男がくるので、尋ねるとこれを下へ行くと入口がある、と言いますから、今やってきたわけなので正解だろうと早速下へ向かいました。暑いので右への坂は登りたくなくてホッとしました。
しかし、彼はわざと嘘をついたのか、東洋人だから? 

見るところ入り口などなく、雑然たる危険極まりない工事現場が金網の向こうに広がるのみ、あたしは老いの汗を流して歩き続け、降りて行って、網が途切れたところで道もないのに無理やり敷地に入り込みました。誰かに尋ねようにも、大きな機械ばかり人は遠いところにいます。穴にハマったり、ロープにひっかかったり、何かに挟まったりしないよう万全の老いの注意を払い、徐々に横切っていき、建物の裏に着きました。それからまた足元の不確かなところを渡って入り口に近づきましたが、どの扉が何やらわかりません。そこにはいかにも学生然とした若者が屯ろしていたので問題なく、涼しい建物に入りました。老いの汗みどろです。

ごった返しているロビーでしばしぐったりしていました。名前を告げると若い外国人の女性が「まああなた、どうして1級の試験など受けるのですか?」と親しげに言うのでちょっと気分が良くなりました。電話で話した相手だったようです。「だって最低1級と言うことですから」と卑下して、実は得意で急に楽しくなりました。あたしもまだまだいい加減な人間です。

驚いたことに、その会場ビルの隣の馬鹿でかい近代的な便利な宿泊所に泊まるのはあたしだけなんです。付き添いもないのはあたしだけなんです。中にはウクライナからきた家族もいて同年輩のおばあさんが試験を受けるので青くなっていました。あたしはあとはルンルン、と言うそんな感じ、珍しいことでした
何棟もある宿泊施設は不必要なほど至れり尽くせり、孤独な一夜、ほとんど眠れずにいると、隣から面白い音楽が聞こえてきました。後でわかったのですが、それは職員の一人だったのです。


その調子で、問題なく試験を終え正しい臨時出入り口(それは昨日の立ち位置からいうと右方向だったのです、上り坂)から出たところで、焦った様子の乙女が入り口を尋ねてきます。待ってました、と言うごとくあたしは正しい道を指し示しました。珍しく自分へのご褒美、とは思わなかったけれども時間があったので、ちょうど駅構内で座っていたところがお店の前だったこともあり、生まれて初めてマニュキュアをしてもらったのでした。美しい鴇色の。カメラにたくさん自分の指を納めました。


(5/29 時々微笑を抑えられぬ、神といつも共にあれば、歌おう、踊ろう、この身に集中しよう、聖霊の流れるさまを感じよう、それのみが真実で大切なこと。他の何も重要ではない。髪を切り、爪を美しくしてもらう。まだ衰えぬ2箇所ゆえに。自分へのご褒美的に。自身の努力も必要らしい。慌てずに諦めずに理性的に努力を続ける。)


あたしが留守をしたその日に、テレコムから技術者がきて、翌日5/30にはいい加減な男がケーブルテレビ会社からきて、ろくに仕事もしないのに値段ばかり口走って時間がないと帰って行きました。先のテレコムの男も時間に追い回されて、客に怒鳴られていたとか、誰も必死なのはわかるけれどもこちらだって必死なのです。この問題はあとあと尾を引きます。

(6/6ところで、神の思いも掛けない技に驚かされる、というシナリオを自分が欲したとしたらそうなるだろう、お任せという気持ちは神の手段を待つということだが、これと自由意志の関連は? 単に己がそれを楽しんで欲するかということなのか?ところで転生の長男に出会いその子の視点から描く小説はどうだろう。書くのが楽しそうだが。)



数日、梅雨のように雨が続いた。JBの様子は相変わらず紫鬼のようで象のようで怒鳴る元気は無いようだった。その日は薬局に二度も行くハメになり、左脚が痺れる、心臓は動悸を打つという状態だったのだが、ちょうど計算され意図された時刻にあたしが近くの角のセコハン店に近づくと、何かヒョロヒョロと情けない音がする。
あれはひょっとしてオカリナでは、と見ると、軒下のちょっとした場所に金髪の男が膝をつき、それは楽譜を見るための姿勢だったが、首に紐でぶら下げた珍しい赤いオカリナを吹いているところでした。なんとなんと。

私はすぐに近づき、話しかけ小銭をあげました。別に容器がおいてあるわけではなかったけれども。それからオカリナを持ってまた行きました。何か一緒に吹きましょうと言いました。30歳くらいの男は満面の笑みをたたえていました。荷物が多いので浮浪者だろうとは思いましたが汚い感じではなかったのです。

あたしもまだまだ初心者もいいところで、なんと彼はまだ初めて数週間、毎日練習はしているとか、合奏はなんとかできました。ところが、姿勢が悪かったせいか、歩きすぎたせいか、あたしの心臓が早鐘を打ち始め、手足から力が抜けて行く感じになりました。不整脈の症状です。

そのせいであたしは這々の体で、サヨ先生のCDをあげてさようならを言わなくてなりませんでした。あとで大家夫人が「あ、それはヨーハンだわ、お祭りで手わざを見せてくれる」と言いました。彼女に本当はあげるつもりだったのです。その日彼女もとても親切だったけれど。


(6/15 (2週間も飛ばず泣かずだったか)この心身を包む実在、叡智へ、粋な計らい、降って湧いたようなオカリナマン発見。流れが計算されていて、心がそのように動いた、雨も利した、すぐに決心した、この人にCDをあげなくてどうする!と。星のような青い目と笑い合った。浮浪者らしかったのに。)

タイトル「光はプラスマイナスで進む」


通し番号十五
(副題)さらなるネット問題と帰国までの騒動

ーーミュンヘンへ移動、とんでもない離陸ーー

その後は楽しみにして思い切って買ったテレビに悩む日々が続きました。待望の大型4Kなのにチャンネルは山ほどあるのに、リモコンは使い勝手が悪くすぐに接続できませんと言ってくるし、かと言って叩くには薄すぎるのでソケットを抜き差ししてみて、それが意外にも当たりだったりして、さて調子が良くて見ているとさっぱり聞き取れない。耳が悪いのか機械が悪いのか。日本語だったら笑える微妙な言い回しがわからず面白味がないなど、時たま出会う大自然などの画面に吸い込まれそうな例外を除くとがっかり現象でした。


もちろん、6月25日という最初の離陸予定はフランクフルトのルフトハンザに電話して30日に延期してありました。こんな重大な話でもあたしが電話するという情けなさ、それが何とか通じてしまうので、JBが電話上手じゃないかなどと抜かすのでした。

ともかく、今回はスーツケースの数が少なかったので車椅子介助のみ申請して、23日にもうミュンヘンへ列車の旅となったのですがここでもフランクフルトで乗り換えがあり、待っていると何と接続列車が運休になったというのです。もちろん介助の優秀なおじさんおばさんが無線を使ってちゃっちゃっと車椅子専用座席を確保してくれました。JBは黙ってじっと断髪の髪を晒して座っています。すると色白の彼がご婦人に間違われたりする始末。

ミュンヘンについたものの、ホテルが駅のどちら側なのかそれが問題でした。タクシーを使うには決まっているが、どちらの出口か、昔から知り抜いているはずのJBはぼさっとしています。
ホテルの名前を聞いたおじさんが思い当たるらしく、よし、このまま押してゆこうとさっさと先にJBを運んで行きます。悔しいことにスーツケースを持っているだけではなく、もう足運びの遅いあたしはとてつもなく遅れてしまう有様でした。おじさんが時々待っていてくれます。実は本当に目の前だったのです。
そんな便利なホテルを私は選んでいたのでした。まさに若い旅行者のための一夜限りのホテルです。ここに連泊というのは珍しい。


翌日はまた銀行との予約、というか住所などの変更の確認作業。昔を思い出しながらちょっと車椅子散歩などするともうあたしの手首が痛んでたまらずお腹で押して行くのです。


夕食は、普通あたしが道路を渡って駅構内でこれまで食べるチャンスのなかったミュンらしい食べ物を買ってきたり、あるいはJBがうまく目覚めていると昔美味しかったイタリアンアイスを食べに言ったり、豚の足を食べに行ったりやや旅行者気分を味わうのでした。

その間はもちろんのように唯子さんが付き添ってくれ、はとこの知人に借りていた車椅子を一緒に返却するのまでついて行ってくれました。空港リムジンバスで乗って行くときも彼女が付き添い、旅行慣れしているので世話を焼いてくれ、写真もとったりして、普通にじゃあね、バイバイと別れたのでした。


ところで、実は、ホテル内ではあたしはネットを使いっぱなし、というか電話しっぱなしでした。というのも、30日のその変更便が車椅子介助など本当に頼めているのか、次第に心配になり、サイトで確かめ、大丈夫らしいと見て取り、翌日もう一度見ると今度は全く予約が取れていないではありませんか。

そんなバカな、昨日は確かに書いてあったのに!!!
帰れなかったら大変です。3ヶ月の旅行ビザが切れてあたしはドイツで逮捕されてしまう。
JBは一人で残ってしまう。
またフランクフルトに電話してルフトハンザで尋ねると何が何だかわからない様子なのです。
たまらず日本のルフトハンザに電話、しかし時間が7時間ずれているのでその具合の悪さと行ったらありません。
しかし、一筋さんという練達の人に当たり、やはり予約されていないので、新たな便を探したが直通はない、デュッセルドルフで乗り換え、羽田ではなく成田着を提案してきました。
乗り換えは本当に困るのだけど仕方ない、と承諾。
「あした朝9時一番で電話してきてくださいよ、支払いの話をしましょう」 
ところが老いのいい加減さ、眠り込んでしまい、遅くにネットで確かめようとすると、何とまた予約が取れていないではないか!!!

もう真っ青、日本の翌日を今か今かと時計とにらめっこで待って即電話。
一筋さんはまだきてないが、クレジットカードの支払いをすれば確定して見えるようになります、と言う。そうか、フランクフルトの予約もそこまで詰めなかったので確定しなかったのだ!!!

日本で予約したときにちゃんとクレジットカードで支払ってあるので、いくばくかの追加料金がかかるとしても自動的に連携されるものと、はっきり考えていたのではなくさっぱり考えていなかったのでした。


そういう経緯の飛行機に搭乗するために唯子さんと別れたのでした。
そうデュッセルドルフヘまず発つのです。うまく座れました。
でも機械が具合悪いので検証するとか、待たされました。
そして珍しいことに飛ばないということになりました。

車椅子なので全部の乗客の最後に降ろされ、代替便は手遅れで、もう誰もいないガランとした空港内を介助の女性に押されてあちこちカウンターを周り、結局決定した便は、何という神の愛情か、羽田へ直通という理想的なものでした。

その前のはミュンヘン~デュッセルドルフ~成田とは大違いの便利さだったのです。
何と何と、やるわね、神様、と思って座っていると間も無く電子機器が使えなくなりそうでした。はっと気づく。
幸雄だ、もう今ごろは起きようとしている、私たちを成田へ迎えに行こうとして!! 
これでは全く会うことができないではないか。
電話、とりあえず幸雄に電話だ、できた、できたではないか、しかし彼は寝ぼけている、話が通じそうにない。
そうだ唯子さんの電話を待つようにと言う。成田ではなく羽田だと。

次はミュンヘン住まいの唯子さんに電話。東京よりはまだ通じやすい。
「唯子さ~ん、お願いがあるの、幸雄に電話して、番号はこうこう」
「えーまだそこにいるの。何してるの」
「飛行機が飛べなくなって羽田まで直航便よ、時間は云々」


ピン、と禁止のランプがちょうどついた。すれすれだ。

数年前の旅行の帰国時にもトラブルがあったなあと思い出す。モスクワ上空で理由は言わずに急にミュンヘンにユータンだと。クリミヤ半島関係で飛行機が消える事件が続いた頃だったかしらん。最後まで理由は告げられなかった。
おかげで一流のホテルに無料で泊まることができました。湯船が大きかっただけで大した違いを感じなかったのは、あたしたちが貧乏性だからでしょう。


(6/24この身を包む聖霊、叡智よ、一つ一つの課題を超越しつつ「苦境をも楽しむ」の元、予定の日が無であったとも知らず、しかしMrひとすじを遣わされ最適なはずの思わぬ僥倖として頂くことになろうとは。多くの波紋をくぐり抜け、不安を宥め無視しつつ、また呟く「苦境もない、本気にするな」この身は光)


羽田に着くと、息子が待っていました。
あたしたちには円がありませんでした。
口座にも入っていないのでまた息子に十万円借りました。
そして車で連れて帰ってもらいました。

家の中は、ドイツの話など知らぬげに、これまでの生活そのままが残っていました。庭はもうもうと草木が茂っていました。近所中が帰ってきたかやっぱり、という顔をしていました。このまま移住するとは誰も知らないのです。

6/30 光よエネルギーよ、帰国までの三日間見事なまでに暗転と好転を複数回繰り返し、人々の好意により、得たよりも一段と最適な航路へと手渡されて帰ってきました。ドイツが帰すまいとしているようにも見えた程に。美しい言葉を思い出すけれどもメモできない時が残念です。その一つを温めています)

この項 終了

タイトル「光はプラスマイナスで進む」


通し番号十四 
(副題)ビザとドイツ語試験とネット問題 ツイート参加

ーー負の波、通信手段なしーー

目的の住居が手に入り、ホテルから移るや、負の波がどっときたのですよ。
ブッセ氏にはイケアに、ブッセ夫人にはデンマーク家具屋に、アントニアには住民課へ、そしてサラダ問題も軽く超えたナデイアにはテレコムへ連れて行ってもらいプリペイド電話を買い、ヴィータからは手押し車をもらい、さて欠けるものは通信手段となりました。


主よ、お分かりかどうか知りませんが、勿論お分かりでしょうが、電話とネットがないのは致命的なのです、この時代の人間には。普通に暮らしている人には想像もつかない事態です。普通のことができないのですから。テレコムでプリペイド電話が買うことができました。これでタクシーを呼ぶことは可能。家具屋家具屋、どこにある? ネットでは注文できない、IKEAは遠すぎる。注文できたとしても運び賃、組み立て代は惜しい、たとえ組み立てる男手も器具もないとしても。車はない。駐車場はなく運転能力はない。せめてテレビかラジオが欲しい、よし、テレビはメディアマルクトで買えた。床に直おきだ。さ、これをどうしたら見ることができるか?

またブッセ夫人に尋ねる。息子が知っている、WiFiは多分ケーブルでヴォーダフォンから繋がっている、なのでテレコムではない方が統一が取れる。何しろWiFiがないと持っているスマホが使えないのだ。WiFiWiFiWiFi。ホットスポットはあちこちにあるんです。パソコンをその近くで試したこともあるんです、ただ、あたしの知識や能力も足らなくて役に立たないわけで。

しかしJBはテレコムにこだわり、例のごとく他人の話を信用しないでテレコムと固定電話とネットの契約をしてしまう。テレコムからは、テレビ受信はパラボラアンテナで衛星放送を勧めるのみ、通りの名前をペラペラ言ってそこの店に頼んだら、と他人の事情も知らないで、知るわけがないが、ペラペラと無情なのです。でも住んでいるあたりにそんなアンテナの家を見たことないじゃありませんか、こんな山の中で受信ってそれはないでしょう。あたしが強く言うと、JBが契約を解除すると言いだしました。

そう簡単に行くわけもありません。説明が不十分だったから、と言ってもそうですかと引き下がるわけはありません、ブッセ氏が大丈夫、なんとかしてあげようと一緒に行く予定だったのですが、嘘か本当か、その日に車が故障したとか、JBも観念して契約を遂行させました。そしてテレビ受信はヴォーダホン傘下になったばかりの別会社のケーブルテレビで注文したのです。


その日のあたしの年甲斐もない、またもや年寄りの冷や水というツイート。誰も、神以外に見てくれるわけではありません。神に直接報告しているのみです。電子の手紙。

(神への収支報告。5/11+途方に暮れてナディアにタクシーを呼んでもらおうとすると、車を出してくれテレコムと繋がり安い携帯の望み叶う。12から16までマイナス状態:乗り越える自信を失い鬱屈、より高き自分を見失う。本当の退屈を初めて知る。深い不如意、不可能に陥る。有難い踏み台、スプリングボードであるのに。)

(5/13性愛と性感を忌むべきではないとわかる。それはやはり聖霊との交歓であり、創造の行いであるゆえに喜びの絶頂として肉体にも反映するので。その故に秘されたものでもある。これは自分の思考構築の中での大きな変化だ。生殖のために性欲があるのではなく、交歓の結果として生殖が生じたのかも)


翌日の14日、住民票を持って意気揚々と?あたしたちは外国人局へ出かけました。
全体的に問題なく進み、申請書を受け取ってくれ、第1回の面接の日が決まりました。

ところがそれが八月四日、つまり予定では日本にいて引越し作業をしている時期です。そこでわざわざ延期してもらったのが九月四日です。その頃にはまたドイツに戻っているはずですから。重要要件その1、結婚届は持ってくる予定だったのに、これもJBが持ち出し損ね、三男に頼んで家で探してもらい送ってもらいましたから、揃っていました。ただ一つ、最近の要請として外国人の妻はドイツ語の試験に合格しなければならないのでした。
そして翌々日、16日発覚したこと、幸運にも、と言うべきこと。


ゲーテ協会というドイツ語試験を行う機関に電話したところ、今日がこの地方の最終締め切りだと言うのです。急いで午後4時までにネットで申込書を送りなさいと。場所はマンハイムです。列車です。乗り換えです。

また、ネットです。これがないと、あるいは少なくともプリンタがないともうお手上げの世界なのです、空気がない状態です。そしてあたしたちの持っていた旅行用のプリンタにはケーブルが忘れられてありました。頼りにならない夫を持つとこう言うことになるわけです。
手足をもがれてしまいました。泣くのみです、喚くのみです。


しかしながら、すでに世の初めの時からホテルクローネのフロントに美声の主任とペンシルベニア女性とが配置されていたのです。長逗留をして毎日顔を合わせ親しくなっていて、その後レストランに食べに行ったとき、事情を聞いて古いラジオや傘を貸してくれ、パソコンをロビーで使ってもいいと言ってくれたのです。

それに便乗して、あたしは1、9キログラムのMacBook Proを抱えて、信頼たっぷりの笑い顔でワイファイを使わせて欲しいと頼みます。どうぞ以外の何があるでしょう。そこで悠々とネットで試験申し込みとホテル予約まで済ませました。

するとまたメールで確認が入ってきます。色々とサインや説明や、大変です。プリンタがないとサインを送ることができない、またもやピンチ、と言うので思いついたのがはとこのヴィータに印刷してもらい持ってきてもらいそれにサインして送ると言うものでした。素晴らしい案です。



(5/17聖霊と摂理という新しい把握に至る。嬉しくありがたい。白いニセアカシアの花の香るこの町を厭いそうになっていた時、またありうべき、ありたきこの生と存在へ引き戻される、自分を引き戻した。国や人の違いを論じるより、その同一性は同じ地球の住人という点にある、個性はもちろん異なる。異なるように造られているのだから。)


負の波から明るい善なるポジティブな目的を見出せるか、その戦いであるのですね、要は人々の厚情です。それはあなたの巧みなプレゼントそのものなのですね。


滞在許可を外国人局から発行してもらうための重要案件その2、(1はもちろん住居があること、これはクリア)健康保険組合へ加入すること、これも絶対の目的でした。

電話が手に入ったので(つまり普通の人は足や車で移動して行動するのに身体的にも不自由なあたしたち)やっとやっと連絡が取れ、加入を申請するところまでこぎつけました。

三十年前にミュンヘンで親子三人で加入していたのに、そのころの記録はちゃんとデジタル化されていませんでした。おまけに大組織の意思疎通がとても悪く、あるいはのんびりしていて、あるいは休暇ばかりとっていて、地域担当者のグレフ氏がヒョロヒョロで半ズボンという格好でやっときたとき、神様のように思えたものです。しかし彼の言うことと、事務方のすることが一致せずイライラするばかりでした。

テレコム、保険組合の件について、またも登場してくれたはとこのヴィータが肢体不自由を押して情報を探し、持ってきてくれ、さらに先に触れたドイツ語試験に関するプリント問題も手伝ってもらいました。なんとありがたいはとこなのでしょう、彼女は天使でした。
天使はそこら中にいました。ただその後、ヴィータに会うことはほとんどできなくなりました。彼女が家の階段から墜落し骨折! こちらからも行けません。最後の出会いのチャンスを使って、あたしのドイツ試験を可能にしてくれたのでした。


(5/19 タクシーを待ちながら惨めさと絶望感、しかし山と森は端然と美しい。聖霊と慈愛と摂理に行き着いた自分をも祝福し、さらに高いヴァージョンもあり得べし。ヴィータ、などの人々のあること嬉しい。大失敗に終わりそうなのが胸を締め付ける、悲しさを体験する、日常の出来事に違う意味づけがなされるという作品を書いてみたいが)

思えば、不自由な住まいながら得たものの、生きるための保険、ビザ、それがまだでした。超えるべき山は延々と続くのです。


(5/21月休日、鬱屈に負けそうだったのです、聖霊と慈愛と摂理なる存在よ、この地を祝福するために来たはずなのに。暗い洞窟から出て庭に座り、猫、鳥、緑、囀り、山を見回しているうちにこの苦悩をも愉しめと頭に浮かびました。どんな苦悩が来てもそれを娯しめと。すぐに心が切り替わり、夫すら美しく見えたほどに。)
 


ーー帰国便とドイツ語試験の関係ーー

帰国便のことが突然重要になりました。購入した時からおおよそ3ヶ月という意味で6月25日に決まっていて、それはでも、うまくいけばずらすこともできるという決まりの格安券でした。

ところが、ドイツ語試験は5月末にあり、その結果は6月中旬から発表されるので取りに来いというのです。すると25日離陸が危ういのでした。

おまけにその頃ヴィータのもたらした恐ろしい情報によると、日本人の旅行者には半年の期間中にきっかり90日分(3ヶ月ではなく)滞独が許されるのです。
この説明は、わずかな人しかわからないし、あたしもある夜突然にわかったほどとんでもない仕組みなので、主よ、あなたはもちろん精通されているでしょうが、ともかくそのせいで6月末ギリギリに離陸し、10月1日きっかりにまた戻ってこなければ、10月4日(ここでも一捻りの意外な展開がありました。本来8月だったのを、夏には帰国して借家の処分引越しをしなくてはならないので9月初めに変更してもらった面接予約があったのに、今度はドイツ語試験の結果受け取りのために帰国を遅らす結果、「シェンゲン条約」もあり、7、8、9月すぎて10月初の予約にずらしてもらわざるを得ず、わざわざまた外国人局に出かけたのです、朝早くから一人で。

受付の乙女が言うには、ビザ申請したのだからこのまま滞在できるのですよ。でももし中途半端で帰国すると90日滞在が適用されるのよ。いまどちらかに決めてください。)のビザインタビューに間に合わない可能性が出てくるのでした。

苦悩をも愉しめという言葉がなければ耐えられるものではありません。第一、そのために日本の全日空に電話しようとしてもなかなか時間が合わないのです、7時間の差がありますから。それで仕方なくドイツルフトハンザに電話し始めました。そこからまた恐ろしい事態へ流れて行こうとは。


(5/24偏在なる聖霊よ、夫が「神はビッグバンでバラバラになったのだ」と彼の悟りを述べました。確かに。個別化した神性たちはそれでも一つのものとして、大きな海に包まれて、含まれているのですね。誰かに心配させると言う心配なしに、ここに住みたいと私が思っているらしいのは何かの理由があるはずでしょう。)

(5/26土今日の哲学:聖霊の湧き出で散らふ岩肌より彼を自在に生殺せよ、良心必要なし彼は神の道具なり、思いのままに使い自分の生命を喜び楽しめ、と聞こえるので、ビザをもらうまでは必要なる道具です。大いなる全智なる無限なる聖霊の本質は、人類という形に至り、創造と喜びと自由自在とにあることが顕現されている。それが神の創造の目的である。感覚と意識で捉えるものは水面に揺れる岩山の影)



ーードイツ語試験、転生待望、オカリナの関連ーー

マンハイムにゲーテ協会の宿泊所があることはわかっていましたが、何と無く近づきたくない感じがして、近くと思われるホテルを予約していたのですが、地図をよく見ているうちに試験場の一角にあるという宿泊施設がよかろうと思われてきました。しかしもうかなり日にちが迫っています。仕方なく電話しました。やれやれ、大丈夫だということ。しかし料金や鍵の受け渡しなどなんだかややこしく、想像を絶する感じでした。そしてそうしておいてよかったとわかったのは行ってみた時でした。


(5/27日 ここ数日のうちに亡き子の転生と出会うことに決めているわけです。そのときの嬉しさを想像するだけで号泣しそうに、嬉しさというより聖霊の摂理と慈愛を確信するという感激。銀の砂つぶをまぶした聖霊の体現としてのこの大宇宙にとりわけ神の夢の場としての地球に玩具とギフトを溢れさせて。)


5月末の28、29日はマンハイムまで列車の一人旅。
バートミュンスター 駅から出発。ここは車椅子では無理という駅だ、階段があるのにエレベータもない。一人なのでなんの事なく家から10分の道を歩く。身軽だ。しかし出かけるときは早朝な上に、やはり道中のやりとりがどんな目が出るかわからないのでそれなりに緊張していたらしい。
自分では思わなかった自分の気分だが、大家夫人の犬は感じたらしく、知っているのに私が歩くときにトレンチコートがこすれる音にすっかり怯えてヒイヒイ哭き、脱兎の勢いで階段を駆け上がって帰って言った。そうか、と少し深呼吸をして出発した。

駅ではアジア人女性が一人列車を待っていた。いかにも試験に行くという感じだ。マインツの学生もいるようだった。その中の姿の良い若者が偶然にあたしと相席になってしまった。座るやパソコンを出してせっせと作業するのをちらとみると、電気関係の測量の値らしいページをめくりながら次々に表を並べ、比べている、ときに論文のような場面も使う。そのよそ見もせぬ必死の様子が、ふと亡き長男を思い出させた。学会に行くときの苦労と眠る暇もない極限の有様はあたしには承知のことだった、だから、ひょっとしてこの子があたしの子の生まれ変わりかもとどうしても思いたかった。様子も良い若者のようだった。顔をちゃんと見ることははばかれたし、話しかけるような雰囲気ではなかった。あたしは降りるときも彼から離れないようにしたが、エレベーターで別れることになった。
同じバートミュンスター で乗ったので、近辺に住んでいる子に違いない、その後もキョロキョロしていたがもう見つからなかった。でもそう決めてしまいたかった。


この地方でも女性同士で結構しっかり目を合わせてくる、そしてニコッと笑いかけてくるので、あたしはドッキリ、すぐに笑顔を返せなくて向こうがもう視線を合わせてくれません。半秒ほどの出逢いです。日本との違いはどうだろう、と頭を振るのみでした。

試験は明日なのに、前日朝一番の列車で出かけてよかったのです。大きな大学があるらしく若者の姿が多いところ、そしてまさに大学街に乗り込んでいくのでした。暑い日です。市電で広々とした開拓地みたいな、建設ラッシュの大学街で降りて、さて、と見回すとなんと目の前にゲーテ協会の建物が見えるではありませんか。今日は楽勝とニヤニヤして、さて、この金網の向こうにあるけど、入口はどこかな?

立っている道路の4メートルも下に、新築だけどどちらかと言うと無粋なゲーテ協会建物があり、その周囲は広々として、建設用大型機械と砂ぼこりと労働者の世界です。右に登るか下に下るか、立て札も案内も何もありません。

ちょうど下から(左から)汗をかきかき学生らしい男がくるので、尋ねるとこれを下へ行くと入口がある、と言いますから、今やってきたわけなので正解だろうと早速下へ向かいました。暑いので右への坂は登りたくなくてホッとしました。
しかし、彼はわざと嘘をついたのか、東洋人だから? 

見るところ入り口などなく、雑然たる危険極まりない工事現場が金網の向こうに広がるのみ、あたしは老いの汗を流して歩き続け、降りて行って、網が途切れたところで道もないのに無理やり敷地に入り込みました。誰かに尋ねようにも、大きな機械ばかり人は遠いところにいます。穴にハマったり、ロープにひっかかったり、何かに挟まったりしないよう万全の老いの注意を払い、徐々に横切っていき、建物の裏に着きました。それからまた足元の不確かなところを渡って入り口に近づきましたが、どの扉が何やらわかりません。そこにはいかにも学生然とした若者が屯ろしていたので問題なく、涼しい建物に入りました。老いの汗みどろです。

ごった返しているロビーでしばしぐったりしていました。名前を告げると若い外国人の女性が「まああなた、どうして1級の試験など受けるのですか?」と親しげに言うのでちょっと気分が良くなりました。電話で話した相手だったようです。「だって最低1級と言うことですから」と卑下して、実は得意で急に楽しくなりました。あたしもまだまだいい加減な人間です。

驚いたことに、その会場ビルの隣の馬鹿でかい近代的な便利な宿泊所に泊まるのはあたしだけなんです。付き添いもないのはあたしだけなんです。中にはウクライナからきた家族もいて同年輩のおばあさんが試験を受けるので青くなっていました。あたしはあとはルンルン、と言うそんな感じ、珍しいことでした
何棟もある宿泊施設は不必要なほど至れり尽くせり、孤独な一夜、ほとんど眠れずにいると、隣から面白い音楽が聞こえてきました。後でわかったのですが、それは職員の一人だったのです。


その調子で、問題なく試験を終え正しい臨時出入り口(それは昨日の立ち位置からいうと右方向だったのです、上り坂)から出たところで、焦った様子の乙女が入り口を尋ねてきます。待ってました、と言うごとくあたしは正しい道を指し示しました。珍しく自分へのご褒美、とは思わなかったけれども時間があったので、ちょうど駅構内で座っていたところがお店の前だったこともあり、生まれて初めてマニュキュアをしてもらったのでした。美しい鴇色の。カメラにたくさん自分の指を納めました。


(5/29 時々微笑を抑えられぬ、神といつも共にあれば、歌おう、踊ろう、この身に集中しよう、聖霊の流れるさまを感じよう、それのみが真実で大切なこと。他の何も重要ではない。髪を切り、爪を美しくしてもらう。まだ衰えぬ2箇所ゆえに。自分へのご褒美的に。自身の努力も必要らしい。慌てずに諦めずに理性的に努力を続ける。)


あたしが留守をしたその日に、テレコムから技術者がきて、翌日5/30にはいい加減な男がケーブルテレビ会社からきて、ろくに仕事もしないのに値段ばかり口走って時間がないと帰って行きました。先のテレコムの男も時間に追い回されて、客に怒鳴られていたとか、誰も必死なのはわかるけれどもこちらだって必死なのです。この問題はあとあと尾を引きます。

(6/6ところで、神の思いも掛けない技に驚かされる、というシナリオを自分が欲したとしたらそうなるだろう、お任せという気持ちは神の手段を待つということだが、これと自由意志の関連は? 単に己がそれを楽しんで欲するかということなのか?ところで転生の長男に出会いその子の視点から描く小説はどうだろう。書くのが楽しそうだが。)



数日、梅雨のように雨が続いた。JBの様子は相変わらず紫鬼のようで象のようで怒鳴る元気は無いようだった。その日は薬局に二度も行くハメになり、左脚が痺れる、心臓は動悸を打つという状態だったのだが、ちょうど計算され意図された時刻にあたしが近くの角のセコハン店に近づくと、何かヒョロヒョロと情けない音がする。
あれはひょっとしてオカリナでは、と見ると、軒下のちょっとした場所に金髪の男が膝をつき、それは楽譜を見るための姿勢だったが、首に紐でぶら下げた珍しい赤いオカリナを吹いているところでした。なんとなんと。

私はすぐに近づき、話しかけ小銭をあげました。別に容器がおいてあるわけではなかったけれども。それからオカリナを持ってまた行きました。何か一緒に吹きましょうと言いました。30歳くらいの男は満面の笑みをたたえていました。荷物が多いので浮浪者だろうとは思いましたが汚い感じではなかったのです。

あたしもまだまだ初心者もいいところで、なんと彼はまだ初めて数週間、毎日練習はしているとか、合奏はなんとかできました。ところが、姿勢が悪かったせいか、歩きすぎたせいか、あたしの心臓が早鐘を打ち始め、手足から力が抜けて行く感じになりました。不整脈の症状です。

そのせいであたしは這々の体で、サヨ先生のCDをあげてさようならを言わなくてなりませんでした。あとで大家夫人が「あ、それはヨーハンだわ、お祭りで手わざを見せてくれる」と言いました。彼女に本当はあげるつもりだったのです。その日彼女もとても親切だったけれど。


(6/15 (2週間も飛ばず泣かずだったか)この心身を包む実在、叡智へ、粋な計らい、降って湧いたようなオカリナマン発見。流れが計算されていて、心がそのように動いた、雨も利した、すぐに決心した、この人にCDをあげなくてどうする!と。星のような青い目と笑い合った。浮浪者らしかったのに。)

東天
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