ピンク

 スパイダーは、万が一、アンナが聞いていたなら、追い出されるかもしれないと思い、一呼吸おいて、ゆっくりと目を凝らして周りの様子を伺い、小さめの声で話し始めた。「このうちにバカでかい女がいるだろ~。なぜだかわからんが、あの手の顔が、世間では美人といわれている。一見、善人そうに見えるバカデカ女は、亜紀ちゃんのママで、名前は、アンナという。でも、このアンナは、ちょっと警戒しなければならん。ちょっと機嫌が悪いと犬であれ猫でも、八つ当たりで蹴飛ばすことがある。俺なんか、今までなんどケツを蹴飛ばされたことか。まったく、亜紀ちゃんのママとは思えないほどのハラグロ女だ」

 

 人間の性格については、ピンクにとってちょっと難解な話で、寝落ちしそうになった。スパイダーに叱られたらいけないと思ったピンクは、気を引き締めて、確認するように、質問した。「要は、亜紀ちゃんは信用していいけど、亜紀ちゃんのママは信用しちゃいけない、ってことね。そういうこと?」スパイダーは、うなずいた。「まあ、そういうことだ。アンナに限らず、エサをくれるからといって、信用をしてはならん、ということだ。中には、極悪な人間がいる。ピンクのようなかわいい猫をエサでおびき寄せて、誘拐(ゆうかい)するんだ。そして、売り飛ばす悪人がいる。そう、人間というやつは、カワイ~動物を好む。そして、カワイ~猫は特に高く売れるんだ。ピンクが外を出回るときは、十分注意しなくてはならん。いいな。でも、決して、おびえることはない。外に出かけるときは、亜紀ちゃんとスパイダーが、守ってやるから、安心するがいい」

 

 話を聞いていたピンクは、人間が怖くなってきた。人間は、亜紀ちゃんのようにみんなやさしいと思い込んでいた。ピンクは、体を震わせながらうなずいた。ピンクを怖がらせているようだったが、スパイダーは、ピンクのためと思い、もっと怖い話をすることにした。「それと、道端やゴミ捨て場にある食べ物を食べてはいけない。毒が入っていることがある。毒を食べると動物でも人間でも死んでしまう。この世で最も怖いものだ。ピンクは、箱入り娘だから、まったく、人間に対して警戒心がない。いいか、信用していいのは、亜紀ちゃんとスパイダーだけだ。俺は、犬だが、ピンクを我が子のように思っている」

 

 

 

 


 ちょっと話が難しくなり、頭が混乱してきた。そして、信用していた周りの人間が怖くなってきた。ピンクが首をかしげて質問した。「わかった。時々、頭をナデナデしてくれるチッコイ人間は、どうなの?」スパイダーは、さやかのことを言っていると直感した。「ああ、さやかのことだな。このうちに同居しているチンチクリンのチッコイ女は、さやかというんだ。小学生のようだが、あれでも、立派な大人らしい。さやかとアンナの関係はよくわからんが、アンナとさやかは、とても仲がいい。幼い時からの友達に違いない。さやかは、動物にはやさしいようだが、本当にやさしいかどうか、いまだはっきりしない。人間は、突然、鬼のようになるからな。決して、油断してはいけない。やはり、アンナと同じく、さやかも信用しないほうがいい。でも、アンナとさやかは、毒を食べさせるような極悪人ではない。もし、二人が極悪人であれば、俺は、とっくの昔に、殺されていただろう」

 

 ピンクは、アンナとさやかは極悪人いでないと聞かされ、ホッとした。ピンクは、平原歴史公園のベンチで、時々出くわす白いカラスについて質問した。「それじゃ、白い羽の生えたカ~カ~って鳴くあの鳥は、信用していいの?」スパイダーは、風来坊のことはよくわからなかったが一応話しておくことにした。「あ~~、あの白いカラスか。あのカラスは、風来坊といって、奇妙なカラスだ。ほとんどのカラスは、黒いんだが、なぜか、あのカラスだけは白い。風来坊も、自分がなぜ白いのかは、全く分からんといっていた。風来坊は、亜紀ちゃんから聞いたんだが、東京からやってきたらしい。東京というのは、ここから北に、900キロほど離れたところだ」

 

 ピンクは、東京とか、北とか、900キロとか、言われても、全く初めて聞く言葉で、さっぱりわからなかった。でも、眠気をこらえて、わかったような顔をして聞いていた。ピンクの表情からして、あまり理解していないように思えたが、スパイダーは、学校の先生になった気分で、胸を張って話を続けた。「風来坊は、いいやつか、悪いやつか、よくわからん。カラスは、人間でもなければ、犬や猫でもない。数千キロも空を飛べるモンスターだ。確かに、風来坊は人間並みに賢いが、白いカラスだからといって、信用しないほうがいい。黒いカラスは、小鳥や人間を攻撃することがあるらしい。猫だからといって、攻撃されないとは言い切れない。用心することに越したことはない。もし、攻撃されたら、一目散に逃げることだ。猫パンチで立ち向かうんじゃないぞ。まったく、勝ち目はない。なんせ、恐ろしく鋭いくちばしを持ってるからな」

 

 

 


 

 次に、ピンクは、ミンミンミ~~ンとセミが鳴く蒸し暑かったころ、ちょっとだけお話した黒猫のおばさんを思い出し、質問した。「そいじゃ、ずっと、ずっと、前に会った黒猫のおばさんはどう?やさしそうな猫だったけど」黒猫の卑弥呼女王は、ピースと同じくちょっと気取ったところがあって、スパイダーはかなり苦手だった。でも、卑弥呼女王は糸島の女王猫だから、そのことは知らせておくべきだと思った。「いやな、猫の世界のことはよくわからんが、あのお方は、卑弥呼女王といわれていてな、糸島の女王猫らしい。今は亡き高貴なピースが言っていた。犬にとっては、どうでもいいことなんだが、猫のピンクにとっては大切なお方だ。猫の世界のことを教えていただけるお方だから、機会があればお話を聞くがいい。いまだ、どこに住んでおられるか知らんが、時々、姫島に行かれると見えて、姫島の様子を話してくれる。おそらく、旅好きなんだろう」

 

 高貴なピースと聞いたピンクは、ピースに興味がわいた。「ね~、高貴なピースって、猫なの?」ピースについては、ピンクには話していなかった。あまり好きではなかったが、やはり、思い出すとつらくなるからだった。「まだ、話していなかったな。ピースというのは、ピンクと同じ猫だ。でも、ピースは、よくしゃべるシャムネコで、ちょっと苦手だった。ピースはすぐに自慢話をしてな。自分は、フランス生まれの血統書付きの猫だとか、美猫・コンテストで優勝したとか、よく自慢話をしていた。まあ、性格は悪いとは言わないが、ちょっと上から目線の話し方には、イラッと来た。教養はあるようだったが、あんたは美意識がないだとか、下品だとか言って、オレをバカにするんだ。まったく、高貴なお嬢様には参ったよ」突然、胸が苦しくなり、言葉が途切れた。

 

 ピースの思い出話をしていると、手足が長く、気品のある毛並みにサファイアのような目を輝かせたピースの姿が、脳裏のスクリーンいっぱいに現れた。いたずらばかりしていたヤンチャだったころ、いつも叱られていたが、一番の遊び相手であり、頼りにしていたお姉さんであった。目頭が熱くなり、ドッと、涙があふれ出そうになったが、グッと涙をこらえて、元気な声で話し始めた。「いや~~、あの時は、びっくりした。ピースが、食欲がないといって、何も食べなくなった。そして、寝込むようになった。どんなに気丈でも、病気には勝てなかった。みんなに看取られて、天国に行っちまった。今となっては、ピース姉さんに、かわいがってもらっていた子供の頃が懐かしい。もっと、仲良くすればよかった」スパイダーの目頭から、ポタポタと涙が流れ落ちた。

 


 ピンクには、スパイダーの涙の意味がよくわからなかった。というのも、ピンクは、別れることの悲しみをまだ知らなかったからだ。遊び盛りのピンクは、最近、猫の友達が欲しくて仕方なかった。犬のスパイダーは、やさしかったが、遊び相手としてはイマイチだった。ピースが猫と聞いて、ますます猫友達が欲しくなった。「ね~、スパイダー、近所に猫はいないの?やっぱ、猫の友達がいないと、つまんない。ね~~、遊び相手になってくれそうな猫はいないの?」スパイダーは、ちょっと困った。近所をウロウロしてはいたが、飼い猫と出くわすことがなく、近所にどんな猫が飼われているか全く分からなかった。知っている猫といえば、卑弥呼女王だけだった。「そうか。やっぱ、猫友が欲しいのか。あ、そうだ。卑弥呼女王に尋ねるといい。きっと、猫友を紹介してくれる」

 

 ピンクは、早速、卑弥呼女王に会いたくなった。「ね~、公園に行ってみようよ~。卑弥呼女王に会えるかも。いいでしょ、スパイダー」スパイダーは、ちょっと首をかしげて考え込んだ。亜紀ちゃんに黙ってピンクを連れ出せば、きっと大目玉を食らう。万が一、ピンクにカゼでも引かせたら、それこそ、ケツを蹴飛ばされて、今夜はゴハン抜きだからね、といわれるかもしれない。スパイダーは、ガラス戸の窓から空を見上げピンクに尋ねた。「ピンク、晴天でも、外は寒いぞ。それでも、公園に行きたいか?」

 

 ピンクは、外が寒いということをすっかり忘れていた。でも、卑弥呼女王に会えるかもしれないと思うと、どうしても公園に行ってみたくなった。「行く。寒くても行きたい」スパイダーは、ピンクのはやる気持ちは分かったが、今一つ踏ん切りがつかなかった。獰猛(どうもう)な犬がやってきて、ピンクがかみ殺されるかも。極悪人がピンクをさらっていくかも。車に引き殺されるかも。次々と悪い予感が、湧き上がってきた。万が一のことを考えると行くべきではないように思えてきた。その時、玄関の扉が開くガラガラという音が響いてきた。

 

 

 


サーファーヒカル
作家:春日信彦
ピンク
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