ピンク

 拾われて10か月目を迎えたピンクは、ピョンピョンと短い脚で家じゅうを駆け回るようになり、また、かなり知恵もついてきていた。そこで、スパイダーは、これから人間社会で生き抜いていくために必要な心得をピンクに聞かせてやるチャンスをうかがっていた。だれもいない今日は絶好のチャンス、と思ったスパイダーは、キッチンでウロウロしていたピンクを呼び寄せ、ソファーに腰掛けるように指示した。元気よく跳び上がったピンクは、ソファーに腰掛けた。

 

 スパイダーは、ピンクに向かって正座するとマジな顔つきで話し始めた。「ピンク、よく聞くんだぞ。今から、我々動物が、人間社会で生き抜いていくための心得を話す。しっかり、心にとどめておくように」世間を知らないピンクに、突然難しい話をしても理解できそうもないから、まず、スパイダーは、家族について話すことにした。「ピンク、気を楽にして聞くがいい。ママは亜紀ちゃんで、パパはスパイダーだ。亜紀ちゃんは人間で、スパイダーは犬だ。ピンクは猫だな。猫のパパとママが、ピンクを育てるのが、本来の姿なのだが、どういういきさつかはわからないが、ピンクは亜紀ちゃんのうちに引き取られた。だからといって、いいか、実のママを恨んではいけない。実のママにとって、ピンクと離れ離れに暮らすことは、とっても悲しかったに違いない。おそらく、実のママを飼っていた人間が、ママとピンクを強引に引き離したに違いない。このようなことは、人間社会ではよくあることだ。言ってることがわかるか?」

 

 ピンクは、実の親はどこにいるのだろうと一瞬思ったが、猫のママとパパがはっきりと想像できなかった。やっぱ、目の前にいるスパイダーこそが大好きなパパだと思い、スパイダーを見つめて小さくうなずいた。ピンクにとっては、少し難しい話のように思えたが、スパイダーもうなずき返し、話を続けた。「人間をあまり怖がることはないが、人間の恐ろしさを知るということは、我々動物にとっては、とても大切なことだ。亜紀ちゃんは、人間の中でも動物に優しい人間だ。だから、信用してもいい。俺も、亜紀ちゃんにかわいがられたからこそ、今まで生きてこられた」スパイダーは、身近にいる危険人物について話すことにした。

 


 スパイダーは、万が一、アンナが聞いていたなら、追い出されるかもしれないと思い、一呼吸おいて、ゆっくりと目を凝らして周りの様子を伺い、小さめの声で話し始めた。「このうちにバカでかい女がいるだろ~。なぜだかわからんが、あの手の顔が、世間では美人といわれている。一見、善人そうに見えるバカデカ女は、亜紀ちゃんのママで、名前は、アンナという。でも、このアンナは、ちょっと警戒しなければならん。ちょっと機嫌が悪いと犬であれ猫でも、八つ当たりで蹴飛ばすことがある。俺なんか、今までなんどケツを蹴飛ばされたことか。まったく、亜紀ちゃんのママとは思えないほどのハラグロ女だ」

 

 人間の性格については、ピンクにとってちょっと難解な話で、寝落ちしそうになった。スパイダーに叱られたらいけないと思ったピンクは、気を引き締めて、確認するように、質問した。「要は、亜紀ちゃんは信用していいけど、亜紀ちゃんのママは信用しちゃいけない、ってことね。そういうこと?」スパイダーは、うなずいた。「まあ、そういうことだ。アンナに限らず、エサをくれるからといって、信用をしてはならん、ということだ。中には、極悪な人間がいる。ピンクのようなかわいい猫をエサでおびき寄せて、誘拐(ゆうかい)するんだ。そして、売り飛ばす悪人がいる。そう、人間というやつは、カワイ~動物を好む。そして、カワイ~猫は特に高く売れるんだ。ピンクが外を出回るときは、十分注意しなくてはならん。いいな。でも、決して、おびえることはない。外に出かけるときは、亜紀ちゃんとスパイダーが、守ってやるから、安心するがいい」

 

 話を聞いていたピンクは、人間が怖くなってきた。人間は、亜紀ちゃんのようにみんなやさしいと思い込んでいた。ピンクは、体を震わせながらうなずいた。ピンクを怖がらせているようだったが、スパイダーは、ピンクのためと思い、もっと怖い話をすることにした。「それと、道端やゴミ捨て場にある食べ物を食べてはいけない。毒が入っていることがある。毒を食べると動物でも人間でも死んでしまう。この世で最も怖いものだ。ピンクは、箱入り娘だから、まったく、人間に対して警戒心がない。いいか、信用していいのは、亜紀ちゃんとスパイダーだけだ。俺は、犬だが、ピンクを我が子のように思っている」

 

 

 

 


 ちょっと話が難しくなり、頭が混乱してきた。そして、信用していた周りの人間が怖くなってきた。ピンクが首をかしげて質問した。「わかった。時々、頭をナデナデしてくれるチッコイ人間は、どうなの?」スパイダーは、さやかのことを言っていると直感した。「ああ、さやかのことだな。このうちに同居しているチンチクリンのチッコイ女は、さやかというんだ。小学生のようだが、あれでも、立派な大人らしい。さやかとアンナの関係はよくわからんが、アンナとさやかは、とても仲がいい。幼い時からの友達に違いない。さやかは、動物にはやさしいようだが、本当にやさしいかどうか、いまだはっきりしない。人間は、突然、鬼のようになるからな。決して、油断してはいけない。やはり、アンナと同じく、さやかも信用しないほうがいい。でも、アンナとさやかは、毒を食べさせるような極悪人ではない。もし、二人が極悪人であれば、俺は、とっくの昔に、殺されていただろう」

 

 ピンクは、アンナとさやかは極悪人いでないと聞かされ、ホッとした。ピンクは、平原歴史公園のベンチで、時々出くわす白いカラスについて質問した。「それじゃ、白い羽の生えたカ~カ~って鳴くあの鳥は、信用していいの?」スパイダーは、風来坊のことはよくわからなかったが一応話しておくことにした。「あ~~、あの白いカラスか。あのカラスは、風来坊といって、奇妙なカラスだ。ほとんどのカラスは、黒いんだが、なぜか、あのカラスだけは白い。風来坊も、自分がなぜ白いのかは、全く分からんといっていた。風来坊は、亜紀ちゃんから聞いたんだが、東京からやってきたらしい。東京というのは、ここから北に、900キロほど離れたところだ」

 

 ピンクは、東京とか、北とか、900キロとか、言われても、全く初めて聞く言葉で、さっぱりわからなかった。でも、眠気をこらえて、わかったような顔をして聞いていた。ピンクの表情からして、あまり理解していないように思えたが、スパイダーは、学校の先生になった気分で、胸を張って話を続けた。「風来坊は、いいやつか、悪いやつか、よくわからん。カラスは、人間でもなければ、犬や猫でもない。数千キロも空を飛べるモンスターだ。確かに、風来坊は人間並みに賢いが、白いカラスだからといって、信用しないほうがいい。黒いカラスは、小鳥や人間を攻撃することがあるらしい。猫だからといって、攻撃されないとは言い切れない。用心することに越したことはない。もし、攻撃されたら、一目散に逃げることだ。猫パンチで立ち向かうんじゃないぞ。まったく、勝ち目はない。なんせ、恐ろしく鋭いくちばしを持ってるからな」

 

 

 


 

 次に、ピンクは、ミンミンミ~~ンとセミが鳴く蒸し暑かったころ、ちょっとだけお話した黒猫のおばさんを思い出し、質問した。「そいじゃ、ずっと、ずっと、前に会った黒猫のおばさんはどう?やさしそうな猫だったけど」黒猫の卑弥呼女王は、ピースと同じくちょっと気取ったところがあって、スパイダーはかなり苦手だった。でも、卑弥呼女王は糸島の女王猫だから、そのことは知らせておくべきだと思った。「いやな、猫の世界のことはよくわからんが、あのお方は、卑弥呼女王といわれていてな、糸島の女王猫らしい。今は亡き高貴なピースが言っていた。犬にとっては、どうでもいいことなんだが、猫のピンクにとっては大切なお方だ。猫の世界のことを教えていただけるお方だから、機会があればお話を聞くがいい。いまだ、どこに住んでおられるか知らんが、時々、姫島に行かれると見えて、姫島の様子を話してくれる。おそらく、旅好きなんだろう」

 

 高貴なピースと聞いたピンクは、ピースに興味がわいた。「ね~、高貴なピースって、猫なの?」ピースについては、ピンクには話していなかった。あまり好きではなかったが、やはり、思い出すとつらくなるからだった。「まだ、話していなかったな。ピースというのは、ピンクと同じ猫だ。でも、ピースは、よくしゃべるシャムネコで、ちょっと苦手だった。ピースはすぐに自慢話をしてな。自分は、フランス生まれの血統書付きの猫だとか、美猫・コンテストで優勝したとか、よく自慢話をしていた。まあ、性格は悪いとは言わないが、ちょっと上から目線の話し方には、イラッと来た。教養はあるようだったが、あんたは美意識がないだとか、下品だとか言って、オレをバカにするんだ。まったく、高貴なお嬢様には参ったよ」突然、胸が苦しくなり、言葉が途切れた。

 

 ピースの思い出話をしていると、手足が長く、気品のある毛並みにサファイアのような目を輝かせたピースの姿が、脳裏のスクリーンいっぱいに現れた。いたずらばかりしていたヤンチャだったころ、いつも叱られていたが、一番の遊び相手であり、頼りにしていたお姉さんであった。目頭が熱くなり、ドッと、涙があふれ出そうになったが、グッと涙をこらえて、元気な声で話し始めた。「いや~~、あの時は、びっくりした。ピースが、食欲がないといって、何も食べなくなった。そして、寝込むようになった。どんなに気丈でも、病気には勝てなかった。みんなに看取られて、天国に行っちまった。今となっては、ピース姉さんに、かわいがってもらっていた子供の頃が懐かしい。もっと、仲良くすればよかった」スパイダーの目頭から、ポタポタと涙が流れ落ちた。

 


サーファーヒカル
作家:春日信彦
ピンク
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