時は流れ始めた、或いはあたしが進む、バートミュンスター まで


十 転調:年寄りの冷や水、やってみんきゃわからん 
ーー2016年末にそこまでを振り返りつつ始めたブログ集ーー

20161224 小題 「 この夏71歳、父がこの世を後にした年齢となった」

ここ1年、紙の媒体に自分の手で(当たり前なことに)、心のうちのすったもんだを(紫色の瞑想帖に)書くようになっていたのだけれど、その他のもろもろのことも、書きたくなったような気がしてきて、まかり出てきた次第でござりまする。

今日は、何と言ってもMrs K.のことをこの世に残しておかなくちゃ。
K.と言えば、知る人ぞ知る、カフカの登場人物K.を思い浮かべる向きもあろう。不条理の謎の世界で不可能の壁にぶち当たっているK.。
でもご安心、そんなことはとっくに克服したMrs K.なのである。彼女はお隣さん、72歳でお掃除のお仕事を(さる有名な会社)生き生きとなさっている。

夫の長患い、自身の抑うつ、息子の結婚問題、などが重なった年月ののち、Mrs K.は突然(かどうかは、そこまでは不明)不死鳥のように蘇って、65歳間際で職を得た。それからは自信に満ちた生活となったとか。
細身の体はよく動く。くるくるした瞳、ボーイッシュな短髪、真っ白な歯並。清潔に掃除することが楽しく美しい。

~~~~空想癖発揮 Mrs K. 語ると役割を仮託して~~~~
 2011年の震災の日に、隣に引っ越してきた夫婦者のことが、どうも気になった。
夫は外国人だというが、彼女はその姿を見たことはない。見たという人もいる。時には車がないので乗って出かけたのであろう。
 道の反対側の菜園の所有者と隣家の妻とは気軽にしゃべっているようだった。そこからの情報でMrs K.は隣家の内実が、夫の病気も含めかなり精神的に逼迫しているらしいと感じた。
 一度か二度、垣根越しに話をしたのみだったのだが、何とない親和力から、Mrs K.はこう話しかけた。
「山本さん、お隣同志なので連絡できるようにしておきませんか、電話とそれにメールもできるように」
 
 その頃、市の方から災害が起こった場合、近所で人手の足りない家を把握したり、お互いに頼んだりしておきましょうという呼びかけもあった。第一、彼女の息子は市役所の人だったのだ。
 で、山本夫人にも渡りに船、すぐに連絡網を作った。
 間も無く、図書館に行きませんか、お茶しませんか、とMrs K.が始めた。
 喜んで、待っていましたと山本夫人も応じた。

~~~ここで語り手が私に戻り~~~
こんなわけで、付き合いが始まり私、山本夫人にはまるで菩薩のようなMrs K.なのである。買い物、通院、図書館、ガスト、郵便局に銀行、コンビニ。

ちょっとした物々交換ももちろんあるのだが、それがお世話になったから云々、という贈答文化によるものではなく、本当にあげたいから、もしよければ差し上げる、というやり方であった。それは私の大好きな方法である。

そのやり方に従い、私が最近彼女に差し上げたのが、手作りの黄色い小さな、中身は真っ白いメモ帳(というには厚い作りで、紙の質がしっかりしている)である。私も実は人からもらったのであるが。
絵を描くのが好きだった、というMrs K.なので、ちょっとしたスケッチでもどうだろう、と私は考えていた。

今日は、江戸時代から続いたという大市が開催されていた。天気もよし、風もなし、私たちは語らって、車ではなくバスで出かけた。100円の乗車賃、私の普段の足である。

昔、とは言わないまでも30年前までは、近隣の農家や工具屋が生産物を持ち寄って(何しろスーパーもコンビニも十分にはないという時代)、年越しに必要なものを売り買いしたわけである。
今ではそんな目的ではなく、食べ物の露店、フリマ、若い踊り子、おばあさんのフラダンス、楽器演奏、と老いも若きも楽しげにしている。

私は、御札(おさつ)の木、菊の苗、苔玉、を買いそうになって買わず、300円の枯葉のブローチ、広島お好み焼き、イラン人のケバブ、奈良の柿(騙されて千円取られそうになったので、小銭962円で勘弁してもらった)をゲット。
Mrs K.は、同じブローチの他、孫に頼まれた食べ物をかなり買い込んだ。みな孫には目がない。

近くにドトールがあるので、入る。Mrs K.は一人でお店で食べるということに抵抗があったようだ。私は平気なので一緒に彼女の冒険を手伝える。
そこで、黄色い手帳を彼女は取り出し、パラパラと私の目の前でページを繰った。10センチもないほどのページには蟻のような小さな文字が並んでいた。

驚いて、なになに?と目を近づけるとそんなに小さいのに、くっきりと精確な文字の線が見えた。そういえば彼女は0、3ミリのペンを色を揃えて持っていると言ったことがあった。
「実は、隷書体、というのが好きなのね」と言って、唖然としている私にあるページを見せた。そこには隷書についての説明が、辞書から引用したらしく必要なところにはふりがな付きで書き写してあった。

私は、ただ無用な音を発しているのみであった。
「でね、ほら、ここはドイツについてのメモよ、まだ書けるように数ページ取ってあるのよ。例えば、ドイツで作られた肌着って、人体工学に沿った裁断や縫い目などの丈夫で肌に優しいところなど、何年使ってもどうもないのですって」
「ど、どこからこんな情報を?」
「いろいろ、読んだり聞いたりして、あ、と思うとここに書いておくの、楽しいよ」

あるところには、FBIの心理学的な捜査方法について書いてあるので、これにも驚いた。ドラマでも見たのかもしれない。
あまりに意外な、そして素敵な使い方に感銘を受けたのだが、もっと詳しく見せてもらうに至らなかった。今度また聞いてみよう。帰りのバスの時刻になった。

「そうそう、この前山本さんが言っていたアインシュタインのことね、今日の新聞に出ていたから、ちゃんと読んでからあなたにあげるわ」
このことは、彼女には初耳だったので、新しい世界が開けたように思っているらしかった。

そして結局今日の記事のタイトルは、やや意味なく残ってしまったが、こんな世界を残して旅立たねばならなかった父のことを偲び、残された日々を意味あるものにしていこう、という決意のようなものが込められている、らしい。しっかり考えてつけたタイトルではなくて、慌ただしく。

「今日の本編」
わたくし、2014年69歳になった年の暮れごろ、腰痛に襲われた。(のちに時間系列がわかったのだが、夫が酒飲みになって間も無くのことであった)
医者との交渉ごとの困難が身に沁みた一件である。
特に整形外科、という部門につきものの不信感に襲われたのには困ったが、実は患者の無知とも関係があるとのちにわかった。
 つまり、体のこの種の痛みはまだ原因不詳であることがとても多い。同じように老化による骨の歪みがあっても全員に痛みが出るわけではない。
頚椎の故障なのに痛みは背中や脇腹に出ることもある。
なので、整形外科医の仕事は、痛みを解消することではあるがある程度行き当たりばったりであり、その本職としては何らかの、重大な病気を発見することなのだ。

これも余談である。

「さていよいよ本番」
私が腰痛で動けなくなったと聞いて、母が突然眠り病にかかった。私が連れて行くはずのペースメーカー検診をヘルパーさんと行ってもらった。すると翌日朝、眠り病発病していた。
母の心身に何が起こったかは不明だが、ともかくもう生きるのを止めたい、という反応だったと思う。思いもかけず父の後25年あまり生きてしまった、と。

しかし、徐々にまた回復して食事を摂るようになった。
私の腰痛と少しくたばっていた精神も同時に徐々に回復して、
「ああそうだ、生きて話ができるうちにできるだけ、母を訪ねよう」と気持ちを入れ替えた。

*そして翌年2015年の夏が来て
私は古稀、70歳となり、母は93歳となった。そしてすぐに父の命日7月11日となった。

「ああ、そうだ、母の安らかな最期を考えてあげるのは私の役目だ」
と、ふと気づいた。
(弟は震災の年に亡くなっていた。父母のあるいは祖父母の、そして幼年期と故郷の思い出は、それを知っている父母と私にしか残されていない、今や私しか存在していない。語り部になろうとして自分にも懐かしい昭和の時代を別に書き始めた。それも自分にしかできない使命として残し始めた)

父が最後まで一心に唱え、修行していた経文の一部を、まず筆で書くことにした。母は父を尊敬していたことだし。
お習字が好きだったし。
書道の心得、と言っても子どもの頃以来である。
「実相完全円満」
ゆっくりと筆の線が美しくなるように気をつけて運ぶと、次第に母が言っていたように、心が落ち着いてくるのがわかった。

そう、この言葉によって私はいわば母に、引導を渡そうと思ったのだ。恐れなくむしろ楽しみに死に相対することができるように。そもそも、例の、天国のような花咲く川べり、というシーンを母は入院した時などに見て経験している。

元気を取り戻したものの、母の短期記憶力は信じられないほど無くなっていたので、私が色々あることないこと、口走り、
「死後の世界は素晴らしいと楽しみにしておいて損はないんじゃない? 極楽があると信じたが勝ちだよ」
などと力説しても、霞のように雲散霧消することになるのだが、それで諦めてはいけない。
と、頑張っているうちに、自分までそう思うようになってしまった。

これは、そうだ、試してみて損はない。
それにしても、この本題の基礎に入っていこう。

科学者が協同して追求している物理学的真理とは、どこまで追い詰めたらたどり着けるものか、あるいは否か、そのことに非常に興味を持つものの一人として、何らかの意図を持つ創造主のような存在は特に必要ないと、あの車椅子の学者が述べたとか、ではあるが、それでもどんな可能性があるのか、考えてくれる天才はもう現代にはいないものだろうか。

特に、人類の脳であるが、自分を振り返ると大して頼りになりそうでもないけれども、要するに「神的な存在」との接点はここにしかない、何らかの方法でコミュニケートするには。そうとばかりは言えないかもしれないが、とりあえずはとっかかり点である。

よし瞑想だ、修行だ、探求だ、失敗でも失うものはない。
すべての努力も虚しく、神を発見できず、くたばったら無の世界で、それこそ無だ。すべてアウトだ。
生きてるうちしかジタバタできない。

ここまで考えがまとまった時から、1年近く経った。(現在は2016年末)
いくつか改善点はある。
さあしかし、この後のことを書いていいものか、大した結果ではないけれども。



2016年12月27日 小題 「こんなこともあるのが人生か」

もし私がシリアのアレッポにいて
「反乱軍」の地域から逃れられずに
自分の政府軍からの攻撃に対する人間の盾にされ
しかもお構いなく爆弾が降ってくるとしたら

神様(アラーでも何でも)助けて、何故なのですか
と叫ぶだろう、もちろんだ。

でも平和な日本に、温暖な半島に住んで
地震も震度3くらいで過ぎるし
一応生活もできるなら
ちゃんちゃら可笑しいと誰だって思うに違いない。

でも苦楽の絶対的基準はあまり知られていない
ので、人並みに「助けて、誰でもいいから~」と
叫んででもいたのだろう。

末期の癌でもなく、俗に言うような失恋したじゃなく
ただ歳をとると先に光が見えず
つまり希望がなくなり
八方塞がり状態に陥る。
右に行こうとするが行けない理由があり
かといって左にも進めない理由がある。

昔から、わかっていたが私も相当な悪人である。
なので、これは「贖罪」であろうと思うようになった。

ギリギリに身動き取れず
逃れられないほどに縛られるというのは
苦しむようになっているのだ。

当然の報いだと思うことにして
これに耐えようと思った。
心理学的にも自分を許せず
自分を罰する、とはありうる行動らしいし。

これで悟りました、とはいかない。
すったもんだは止む気配もなし
しかし、そのうちにも瞑想を毎日続け、世界平和を念じる日々のうちに
去年の2015年11月10日(孫の7歳の誕生日)から

変なことに
次々と、ほらこれを読みなさい、と
私の目の前に本が現れるのだった。

それも実に不思議で
いつも思いもかけない風に。

そいてついに
12月4日のこと
駅のそばの陸橋の下でローソンへと
曲がろうとした時
自分の人生を悲しく思い返していた。

その時
声が、意味がはっきりと理解された
「あなたに罪はありません」

即、私はそれを了解した。
物質世界と非物質世界、二つの存在を前提としている
のだと。

科学女子の私にとって
知りたくてたまらないこの世の(ミクロマクロ通して)仕組み、その真実
そこに人類のたどり着く果てには
果たして非物質(エネルギー)の世界もあるのか?

本当の真実、
請い願ってやまない真実の姿
宇宙の裏表
人類の大脳の謎
平和と満足の世界
ここに希望が透けて見えた
ベールの向こうに明るさが。

生活の苦悩を理想の追求が凌駕する
その瞬間でもあった。


2017年1月10日 小題 「どうなのどうなの!?あの世は」

月曜日12月19日は、母をペースメーカー検査に連れていく予定だった。
そのことは実は忘れて(期日を忘れて)いたのだが、忠実な執事のように私のマックブックがお知らせしてくれた。 しかも、
普通、月曜日は太極拳の稽古があるのだが、その日に限って場所が取れなかったので、
すでに2ヶ月前から私の体が空いていたのである。

 天気は良し、風もなし。
夫も了解済みで快く送り出してくれた!!
 
しかし、
ふと浮かんだ思いのために私の心はどす黒く陰ってきていた。
 
未亡人5年の弟の嫁さん(彼女にとって私は厄介な、本当に迷惑をかける小姑)=F子ちゃん(私は彼女が大好きで尊敬もしていたので、しかし年下なのでちゃん付のままなのだが)との
母の遺産(まだ生きているが)の取り扱いをめぐる気持ちの齟齬を思い出したのだ。
 
それなら単に近寄らなければいい
しかし、
私は厄介な質問を抱いてしまっていた、
母の遺産(生きているが)の一つの口座の住所変更がなされているか、と言う質問
 
それなら尋ねればいい、
しかし、私は厄介な気後れを感じていた。
 
何故なら
すでに気持ちの齟齬が生じていたからだ
弟の死後、F子ちゃんが(遺産の受取人ではないのに)口座を管理していて
私は今更また私の管理に戻してくれとは言いづらい。
 
何故なら
弟の罹患を聞いて5年前、私が面倒を見ていた母を
彼の近くに送り込んだのだが(双方の気持ちを慮って)、
弟はさっさと死んでしまい
妙に全てが宙ぶらりんになってしまったのである。
 
概略こんなわけなのだが他人から見たら大したことでもないのに私は妙に苦しむようになっていた。
 
自分の中に欲と疑惑と不信と不安がわき起こる
それが苦しい
いつもは考えない
単に引っかかっていたのが、、、
 
急に半日の暇、と言う可能性ができたために
急にF子ちゃんの近くの病院に行くために
急に自分の疑問を解決しなければならなくなった。
 
ともかく、それはそれとして、
 
現実には、それからあらゆる悪条件が押し寄せてきた
夏の検診に比して
冬の検診時期のせいか患者が多く
 
レントゲン、心電図、診察と脱いだり着たり
 
スマホがストを起こして電話もできず
 
母はランチをのろのろと食べ
病院のタクシーも出はらい
 
やっと車椅子ごとのったバスは予想外にくねくね走り、冬至前の日差しはぐんぐん弱くなり
どうしてか公衆電話を使えなくて、老人ホームでも帰りが遅いと待っているだろうし
 第一、亡弟の家の中に母を運び込むことができないだろうし
胃の腑が痛みそうだった。

しかし 
それを耐えてあくまでもF子ちゃんを訪ねたのは
他ならぬ彼女の明るい声だった。
 
一度だけスマホが通じて
その時私は彼女に向かって最後に叫んだ
「会えるのを楽しみにしてる!」
 
ああ、彼女は100%だった
パーフェクトに優しかった!
 
F子ちゃん、弟が選んだだけあるあなただった
私に親しくしてくれた、いつものように突然に訪問する勝手気儘な小姑に対し。

 
弟が見つけてきて可愛がっていた犬が
今でも「パパ」と聞くと心乱れるそうだ
 
遺体が寝かせてある時、ブルブル震えて近づかなかった
手のひらに乗るほどのピノ!葬式後、私がその部屋に寝ているとトコトコとやってきて私の脇の下で眠った
同じ遺伝子であるのを知ったのだろう
 
今はもう年取ったピノを撫ぜて、私も心が震えた
近くで目と目を合わせた
 
懸案は問題なく片付き母は庭で車椅子で待たされていたのですぐにF子ちゃんの車で戻ることができた
 
彼女はパーフェトに優しかった
 感銘を受けた私は、せめてかわいいクリスマスカードに気持ちを込めたいと思った。(今日実行した)

~~~~~~~~~
さて、ここからだが

 
母を施設において、電車で帰る時
突然、思いが降ってきた。
世に溢れる苦しみ
例えば弟に生まれた癌細胞
例えばホームレスという生活
それが何故私でなかったのだろう(これはある方の日記で知った考えだが)?
 
苦に見舞われた人たちは
いわば私の代わりにそれを背負っているとも言える
この突然の考えは、
世界の苦悩に対し
なすすべもない私であることを残念に思うのみであるとしても
その対処のための、せめてもの第一歩となるための正しい認識であるのかもしれない
 
絶望をなんとか跳ね返す?
世界の秘密を探求する? 
とりあえず人の話からではなく自分から気づく事ができたのだ。新鮮だった。

1年前に
あなたに罪はない、と誰かに言われた時
実はその日
「私は彼を許そうと思ってもどうしても許す事ができない者です、そんな私ですがあなたに(私の最も善良な部分に)全てを委ねますので善処お願いいたします」
と念じることを学んだのであった。
彼とは夫のこと。
 
爾後
自我を捨てるごとに
なんらかの思いが降って湧いた。
でも
今回はとんでもない、私はただF子ちゃんに救われただけ。
 
でも、待って!
 
あるいは、数日前
私が魂たちに個々の名前をつけたことは?
私自身の最も深い部分に、
弟にも、父にも、
知る限りの人にも特別な名前をつけて、
そして呼びかけたのだ
 
「魂・恒夫さん、ごきげんよう!」
(と世界中の魂たちへ向けて)
 


2017年1月15日 小題 「大丈夫 死は希望である」目下の目標

今日は成人の日で祝日であるが、ごみ収集はいつものように行われる。
しかもゴミ当番が私であった。
つまりゴミを害獣より守るためのシートを出して、たくさんの水入りペットボトルで押さえつけておく。
特に雨風がひどかったので朝、6時、閉口した。
それのみならず、収集車が回収に来ると素早くそれらを片付け、お隣に持って行くまでが当番の仕事なのだ。

いつも困るのは、太極拳の稽古などが11時からはじまるとき、回収が遅れると間に合わないことだ。

今朝、いろいろ工夫を重ね、なんとかギリギリのバスに乗れそうであった。
しかし、豈図らんや、バス停で待つこと30分以上。世界に取り残されたような情けない気持ちだ。寒い。小雨が残っている。
何故ならば、今日は祝日、するとバスは30分に一回であったのだ。それをすっかり忘れていた!!

一度に二つ以上のことを正しく為すことが著しく難しい。

~~~~

さて、脳の不具合と戦いながら、
思い出すままに、この1年余の歩まされてきた軌跡を辿ってみよう。脳の老化甚だしい71歳、そう思いついたこの機を逃すべきではないと思う。
先日より、机の上に立っている5冊の本。

『はじめての短歌』穂村弘2014 

2000年から短歌らしきものを作っているのに、今頃になってこのタイトルとは恥ずかしいけれども、穂村弘は若手のホープであり、私は古手ではあるが歌風が「独自で先端的で洗練されており、知的で硬派」??なのでどんな大家よりも優先するべき歌人というべきだろう。遅きに失するとはいえ。。

今あちこちめくってみたけど、すごい人だわ。参りました。世のしきたりから飛び出している。
こんな本のページを開ける一瞬、私はちょっと息を止める。
何をもらえるかっ?!とばかり。


『偉人たちの脳』茂木健一郎2009 

図書館で、茂木さんだし脳だし、と思って手に取り、ぱらっと開けた。
p.87 キリスト(偉人の一人)について、タイトルは受難と情熱、同じ言葉passionに二つの意味があるのはなぜか。キリスト教の突出したところは「愛の教え」である。それはしかし当時の習わしと異なるので受難を受ける、が、それゆえに情熱が燃え盛る。そういう関連性。
「個人と社会の関係が予定調和に陥り、結果として沈滞する日本」と茂木さんは比較している。

ここ数日、やっとイエスキリストのことが気になり始めた。
いわゆる「神様」は偉大すぎ、でかすぎ、小さすぎ、万能すぎ、完璧すぎて声が届きにくい。
それでその部分である私専用の聖霊を呼び出しておねだりしていたのだが、これでは力が足らない感じだ。
やはりグッと能力差のあるイエスを理解せねば、あるいは彼となら全く感情的に結びつくことが可能かどうか、という方向になってきていた。

そうしたところ、古い映画「聖衣」(リチャードバートン主演)に遭遇してしまった。こんな計らいは実に小憎い神の技だ。
私の質問は、「脳のどこに、イエスに出会って心が震え、感涙するような要素があるのか、それはただの私の癖なのか?」
しかし見ると無神論者の夫もなんだか目をしばたたかせている。なんなんだ、これは? 重要な課題の一つ。

p.103 次に開かれたページは私の大好きな画家のパウル・クレーであった。タイトルは真実への覚醒。
う~~む、やってくれるな、と私は自分の脳に、魂に話しかける(潜在意識のこと、必要なものを持って来てくれる)。
実は私も色は大好きだ(誤解なきよう!)。
色は光だから。
無限のグラデーション(今、この言葉を絶望的な気分で記憶から探していた、なんとか現れてくれた)で世界に満ちているものだから。
ひとつひとつの色彩に伴う鮮烈な質感のことを茂木さん「クオリア」と命名したよね。


『神の発明』中沢新一2003 

図書館の歴史の棚を見ていたら、これが飛び込んできた。いつもの計らいだ。私はそう認識する。さっとめくると神という概念の由来と構造などらしい。おもしろそ!! 最重要課題だ。


『マヨラナ 消えたな天才物理学者を追う』マゲイジョ2013

この本は、Mrs. K.が見つけてくれた。彼女は私の物理好きを知っているので。イタリア人で、失踪してしまったこの人は、ニュートリノ、弦理論などを予測していたが不運が重なったらしい。
私が大いに気を揉んでいる物理の始まるところ、物理学で説明不能の量子問題だ。


『森の時間』前登志夫 

奈良の山奥に息づく霊力(アニミズムとでも言うのだろうか)の世界を文学的に見事に表現しきった傑作。

ところで意外にも、『神の発明』と言う本でもアニミズムが重要なポイントになっているようだ。
さらにまた、『神の発明』では、脳の進化という視点から説明してあるようなので、続けて意外にも、脳科学の茂木さんの本との関わりも見て取れる。

図書館で10分ほどで集めた本なのに、なかなか粋なことをやってくれる。
~~
これに似たようなやり方で、芋づる式に本が与えられるのが最近の私の日常である。その始まりを簡単に。
時系軸の正確さはあまりここでは必要ないだろう。

鍼灸院の待合室に本棚があり、いろいろな怪しそうな本が雑多に並んでいた。
院長には遠隔治療などのスゴ技があるという話を合気道の先生から聞いてはいたが、ただ眺めるだけにしていたある日。

どうしても見過ごせないタイトルがあった。
「合気道をする物理学者」とかいう。常のこととして、もうタイトルは忘れたが、要するにこの二つは我が家の核心なので、しかも並んで書いてあるというのは読むしかないだろう、と。

中味は、その頃から死を探索しようと決心し始めていた私にぴったりと言おうか、類が類を呼ぶ、ということか、精神世界という別世界体験が綴られている、ではないか。

本当だろうか、ともう一つ似たような本を読んだりする。

突然、生長の家という新興宗教開祖の本がそこにある。
久しぶりに読んでみる。昔、父が熟知していて私もなんとなく読んでいた。

この再会から、母に対する終末ケアという私の考えの由って来たるところがわかって来た。
立派な最期を迎えて欲しいと、私に伝えているのは、そうだ、間違いない、父からの采配であったか。

すると院長が、これは面白いかも、と冊子のような本を選んだ。「たくさんの人がこれを読んで救われた」という怪しげなタイトルがポツンと説明抜きでつけてある。第一作者がはっきりしない。
そこに脈絡なく書いてある考えは生長の家と似ている、しかし、どこかつかみどころがない。するとある場所に作者を救ってくれたと言う本の名前が記されていた。

その本もそこの本棚にあった。
『神との対話』ニール D ウォルシュ1995である。

その後、図書館で「ニューソートの歴史」とかいう本が目に飛び込んだ。アメリカのニューソートに属する本を読もうとしているとは知らなかったが、見た途端にそうだったとわかったのだ。

そんな風に図書館(全てあの親切な隣人Mrs. K.のおかげである)で、あるいは人を通じて出会った本のおおよそのタイトル
白洲正子 伝記とエッセイ
科学としての神学の基礎
キリスト教vs科学
エクスタシーの神学


2017年1月某日 ボケたのか? 地上を天国となさむ、など~~

まさに今日ばかりはヒヤリとした。
二日間、左こめかみに疼痛
どうかすると1分ごとに刺される

こういう時はお風呂だろう、昼風呂だ
しきりに新しいボディソープが思われる
いやあれは、ソープ兼バスソルトだった
まずソープとして使い
洗い落とさずそのまま湯船へ
あら不思議、入浴剤となる

臙脂色のチューブはもうセロハンも剥いで
そこに立ててある

ふふ、楽しそう
人が見たらさぞ空恐ろしいだろうけど
本人はいたって幸せ
ゴシゴシ
さあ、サブンとばかり!
 
ヌルヌル
泡らしきものあり
香りあり

し、しかし!
このチューブ、どうしてここにある?
それが思い出せないことに急に気づいた
手に入れた経緯がわからない、おののいた

だって、オルビスに注文したけどまだ来てないでしょ
じゃ、これは何? 何故ここに?

頭の中がぐるぐる回った
どこにもとっかかりがない

ハッと電気が点いた
どこから接続したのかわからないが

このチュープは昨日美容院で買った
トリートメントだった
ワア
一人に慣れているのでこんな場合でも叫んだりしない
解決策をすぐに模索する

だということは、体に悪影響はないだろう
体毛がすべすべになるくらいだ
髪を洗うことはそもそも目的ではなかった
あとでシャワーだ

と決めてしばし、絶望する
私、大丈夫か。

美容院から帰って
瞑想して、彼岸と此岸の二つの世界のありうる様を突き詰めて探っていたら
日本語だけど、意味も使い方も異国語のように歌が現れた
「地上をば天国となさむ出来るはず目標あれば行動自づと」

こんな意味だった

もう十分に人間は悲惨を体験した、まだ十分ではないのか!
今こそ!とばかりに。

これを私は心底理解して納得した
簡単さに驚いた
決心すればいいのだ

その確信の正しさを信頼している

む~~
私、大丈夫か。


2018年1月14日 小題 「私の気がかり」

表現できるかどうか、さっぱりわからないが
試してみよう
まずはこんな始まり方だ

私が生きている、(ように思える)ということは
私を少なくとも物質の法則が
それを科学的真理と呼んでもいいが
そんなほぼ完璧なものが
私の中にあり、私を制御している
つまり、
私の芯は
真理そのものである
あるいはその表現体である

それが理の当然ではないか?

理想形には程遠いとはいえ、不完全とはいえ、
そうした理屈が私を生じさせ、
数十年生きさせ、次世代を作らせた
そうしたからには

真理は存在する

宇宙の果てまで
量子の近くまで
10の69乗くらい(いい加減)の範囲を
制御するほどの
真理は存在する


ところで
光とエネルギーと質量との
アインシュタインのいう関係を思うと
私=物質、と一義的に言えるのか
それは誰でも知りたいことで
しかし不可知の領域に入ることだ
(だってね、
一片が光速の距離の平面四角形で
エネルギーをザクザク刻んだ回数が
質量だということになるので???
全然単位がわからない、、、)


仕方ない
「在りて在るもの」
という指令内容が来たので
とりあえず真理のことをそう呼んでおこう

そんな指示は
瞑想中にぴょこんと浮かんでくる
思いがけなく、どんな想定をも超えて

どこから指示はくるかといえば
私の脳内から、か
あるいは、未知の精霊の領域からか

仮に第三の眼があるとして
そこを通して精霊の領域へねじ込み
(自分の脳内ではありえないと思うので)
グリグリと
目玉を回していると

多分そこは非常に眩しいはずだが
意識には余り感じない
遠くを睨んでいると
来た!
「プラネタリウム」という指示が

そうか、仰いで見ると
プラネタリウムのごとく
そこには理想の創造世界があった
全てが「良きかな」と
輝くような美しさで
人類もいて
殺しあったりせず、自然を享受し
知識を役立てているようだ


それで?
これを何だというのです?
私はこの自分自身に向かって
あるいはもっと物知りの自分自身に向かって
尋ねる

意外な今日の指示
「ミイラ」「メモリカード」

死ぬならミイラで死ねと?
メモリカードに記録せよと?

前回の日記以来
私の頭はごく正常で
さしたるミス、物忘れは犯していない
一度鍋を焦がしただけだ

現実生活に役立ちそうな指示は
「もらいたい、と思うものがあったらまず自分から人に与えよ。なぜなら彼は私であり、私は彼であるから」
現実世界ではとんでもなく役立ちそうにないのだが

~~~~
そうだ、現実問題
1 トランプ新大統領
2 駅のホームレス
3 「サピエンス全史」これ面白い!
4 夕食に豚肉、卵1、ご飯しかない

もう一度強調しておきます
私の頭は正常範囲です
今日は、余り目が良く見えず頭が重いだけです。


2917年2月23日 小題 「これぞハプニング!」

前回の日誌とほぼ同じ頃に
何か、忘れたくないアイデアが浮かんだ
いい言葉だった
あまりにクリアだったので
忘れはしまいとメモせずに眠った
惜しいことに
もちろん思い出せない、今もどこか深くに、、

どこにも手がかり一つなく
諦めた

老いの一日は長そうで短い
出かける準備に2時間かかる
静かに自分の中に沈潜する暇もない
夫は、怒ったり笑ったりしながら物を申してくる
テレビも見なくてはならず
世界の終末が近づいているのか見極めるために、、

一年前まで私の終末が近かった
刑務所に入り、子供達の恥となり果てるようなことを
日々妄想していた

絶望が深いほど
切羽詰まった時ほど
別の世界を夢見る、激しく命がけで
人格の解離が起こる時のように

それで
しばらく鳴かず飛ばずだった
科学的な本と、歴史的な本と、神学的な本を
並行して読んだ

あまりに複雑で、命題はシンプルなのに理解するには
流石に複雑すぎて
ついにイライラしてきたので
「いい加減にはっきりさせてほしい!」
「もう少しわからせてほしい!」
と叫んで

私担当のタマシイを呼び出した
この一年間、私ができないことはこれに委ねてよろしく、と任せてきた

言葉にはならなかったが、おおよそこんな前置きで
(あなたが神のパーツで私の担当で私に責任があるのならあるいは、あなたが存在するとして本当に存在するのなら)((「神」という言葉は使うべきではないが、とりあえず記号として使うと便利なので、もっともそうするとこれまでの「神」概念に汚染されるという危険がいっぱいだが))


私はタマシイに包まれ、私の脳内を疾走した
私はタマシイではなく、意識を持った肉であるがもともと、私があるかないかはパーセントで言えば、ほとんど無に近く、私は幻想の産物かもしれないのだ。

それでも、タマシイも私も大きな法則の通りに
制御されている
次元は異なろうとも、
それ以外は存在しない全き法則と一致しているはずだ
このタマシイ、私と一体であるこのタマシイは
小さな「神」として存在している
それ以外の存在はない

そこでハプニング!
残念ながらいわゆる霊的な現象ではない

意味が突然出現した

『私も「神」である』

それはストンと理解された
前回の日誌にも書いた言葉だが、その時はただの理屈だった
それが事実だと納得したのだ
驚いた、思いもかけなかったことだ

すると
その日、うっとおしかった私の脳内の霧がさっと晴れた
突然風がスウスウ通る感じがわき起こった
神経の束から
真っ白な花が咲き開いた
輝くような白い花が
それを感じた

そこらへんに置いてあった両手の間に
エネルギーが充満した
何かが存在するような感じで

「私の本体は神である」
「だって存在の法則を体現しているのだから」
「そうである以外にありえない」
いつもの言葉をつぶやくごとにそれが現実だということがわかった


もちろん、この身体は多分幽霊のような存在で
過ちだらけだが

そこから動きたくなかったが
私は、しばらくしてから手鏡を覗き込んだ
何が写っているか、どうなったのか知ろうとして

完全な白髪になったか、
天使のようになったか、

普段の私で、ちょっとシワが一本消えたような気はした

~~~
これは昨日のことで
これを書いている今は
ショックの感は失せている
事実は残っている

ちょっとした脳のマジック?

それにしても
トランプとプーチンでどんなタッグを組んで
世界を破滅寸前まで追いやるのか

私は妙にニヤニヤしている
思い出してはほくそ笑んでいる


2017年2月15日 小題 「重なる偶然あるいは神慮」

珍しく鉢花を購入。
昔持っていたがその後なかなか見つけられなかった花キリン。もう一つ、お初にお目にかかるアッサムニオイザクラ。本当に匂う。化粧品のような甘い香りだ。
これらが目に入るたびに、香りが漂うたびに幸せな気分になれる。

 今回の偶然の出会い、あるいは神慮、はかくの如き次第である。
 
桐島洋子と佐藤愛子、この自立した二人の女傑の本を求めたわけでもないのにほら、と手渡された。
歌人会の同僚が「ほら、読んでみる? 今返してもらったのだけど」と桐島洋子の最近の本を貸してくれるという。長く放っておいたのだがついに読んでみると、カラッとした合理的思考のその他の部分とは異なる記述があった。

彼女は気功を習ってはいたのだが、ある時瞑想していると体が自然に動き出し、各部分が勝手にくねくねし出したのだ。1時間も続いてそれが終わるとスッキリしたという。

次は、先日、太極拳の仲間が「ほら、読む?」と渡してくれた「老いの力」という50代から80代までの佐藤愛子のエッセイ選集。
竹を割ったような人となりが窺える中に突然、整体師にかかっていた彼女に、体が勝手にクネクネあちこち動くということが起こり、自分を治療したという話があった。
そればかりではなく、もっと思いがけなく愛子さんにホルターガイストのような霊現象が起こった。
死後の世界を暗示するものとして、少なくとも死後はあっさり無というわけにはいかないかもしれない!
それが吉と、出るか凶と出るか、慌てないようにと、最近はこの可能性を大いに考慮に入れている私である、


先週の水曜日に、唯一ゆっくりした日だったので昼前まで新聞を開いて、切り抜きしたり、日と月の時刻を図表にしたり、寝間着のままでいた。

展覧会などの日時が小さくお知らせになっていた。

あ、と惹きつけられたのは、実は上野の国立科学博物館に翌日木曜日に行こうか迷っていたからである、ひどく寒くなるという予想だった。

その日水曜日は休館日のはずだった。しかし、目を落としたところに月曜日休館とある。

時計を見た。12時15分前。快晴。
即決心して、夫に宣言した。バスは11時59分だ。

サンスクリーンクリームも塗っていなかったが、そこらへんにあるものを引っ掛けて出発。
途中で立ち食いでもしようと思っていたが、乗り継ぎがあまりにぴったりすぎて暇がなく、かろうじてコーンスープを飲んだ。風はひどく冷たい東京である。

展示について書くのが眼目ではない、こうして不意に行かされたということを書いた。

で、2万年前、クロマニヨン人というのは遺伝子的に我々と全く同じホモ・サピエンスである。
毛皮を針で縫い合わせた服を着て、貝殻をビーズのように帽子に縫い付け、石の道具にも模様が彫ってある。
レスコーの洞窟壁画は、写実的でもあり、想像的でもある。さらに幻想的なものもある。みんなで協力して延々と描いたのである。(写真にトリ人間が見える)


 さて、お隣の Mrs. Kから一日遅れで新聞をもらうようになってすぐ、広告に「サピエンス全史」というのを見て、即購入。

作者は、人類とその前の原人を分かつ機能を「認知革命」と呼んでいる。
大げさに言えば、心理的に、目の前にあることよりもその前後への思いが強く働くのだ。
無いものを想像してリアルであるかのように対処する能力、例えば銀行という仕組みも全員が約束のもと、運営する(信用が元になるが)ので架空のものが力を発揮する。

(農業革命、産業革命1次、2次 帝国主義 科学革命 貨幣経済 資本主義 民主主義 グローバリズム、という章立てになっている)

 で、こんな風に、人類の歴史という視点から何千年、何万年とさかのぼることになったのだが、、、

さらに思いがけなくも、やがて地球の歴史をも通過し、183億年の宇宙の歴史(ところで、遠い星ほど速く遠ざかって宇宙は膨張していくそうだが、なぜより速く遠ざかるのかが最近やっと理解でき、別に不可思議な現象ではないとわかった)をあっという間に(便利にも)意識の中で走り抜け、、、

例のビッグバンの頃、物質世界ができた理由を新しく教えてもらえることになった。
それもテレビの番組をみわたしていて目に飛び込んできた言葉「反物質」「ダークマター」「ニュートリノ」のおかげである。偶然である。

かいつまんで、しか書くことはできないのだが、要するに最初、物質(電荷プラス)と反物質(マイナス、いわば鏡像)が同数できたはずなのにどうして物質世界ができたのか、ぶつかり合ってエネルギーとなり無が残るはずだったのに?
反物質のうち一個が物質に変換すると、対消滅が起こったのち、50億分の2の割合の物質が残るそうだ。

ところで、その物質ももしダークマターという未だ謎の存在がなければお互いに凝縮し合って物質になれなかったはずだという。
普通の物質1に対し、ダークマターは5倍量で銀河団をバラバラにならないよう締めつけている。

ところで全てを通り抜けていき、この今もここら辺にいっぱいある素粒子ニュートリノこそ物質でも反物質でもない(電荷がない)ので、これがバランスを物質側に寄せた張本人ではないかと見られているらしい。

(ここでもう一つ出会いの偶然があった。ニュートリノのこのようなどちらにでも変化しそうな性質をマヨラナ変性というのだが、マヨラナというイタリアの物理学者、彼が行方不明になったことを書いた本があり、何とこの本をMrs. K.が、図書館でたまたま見かけて私好みではないかと推薦してくれたのであった。)

ともあれ、これらについては鋭意実験が行われている。


 ホモ・サピエンスは、自らが発達させた科学を最大限に利用して、自らを進化させ(=滅び)、アンドロイドなどの別種になって生き抜くであろう、と「サピエンス全史」は予測している。

物質世界の謎でも手こずっているのに、魂の世界のことには手が回らないだろうが、証明がなされることを(生きている間になんてとても無理だろうが)願いたい。

そうするともっと別種の進化も可能であるかもしれない。何しろ、ホモ・サピエンスはまだ幼年時代であるらしい。

自分を見ても不手際の多いことには驚かざるを得ない、幼児のようだ。せめて、人類のこの特殊に発達した脳に、霊的な機能も仕込まれているかもしれないとこっそり思っている。


2017年2月20日知らぬ間に宇宙の一大事が!

2012年7月以降も、世界に色々あれど、我々の日常は普通の幸不幸、運不運のままに暮らして来た。

私にとってのリラックスタイムは、テレビドラマ(主に海外刑事物)を見る時間かなーと思う。
でもそう言うと、殺人やサイコが好きみたいだし(事実興味深い)、
それにテレビを見てる時は、脳は完全に受け身で活動が少ないらしいので、
また、ドラマの中の集団の絆が結構気に入っているみたいなので、
自分でもどうかなー怪しいなーとは思いつつ。

もう一つ、テレビの楽しみは明石家さんまの番組。
これは夫には大不評なのだが、彼自身が面白いと言うより、ほかの人を一皮剥いで、笑いの対象にしてしまう、あるいは人が自分をオープンにする羽目になる、という点を買っているのだが。

(7年ほど日本にいなくて、帰国してテレビを見たら、妙齢の女性たちが、あけすけに恋愛を語るのに、=ついでに言うとそのほかに生理用品のコマーシャルが大々的に流されているのにも= ともかく仰天したのだが、それは彼の番組だった)

それに、さんまさん語録、生きているだけで丸儲け、というのがいたく気に入っているし。

彼のように恵まれていればそう思うのも当たり前だろうが、一般的にこのスタンスで、それ以上の生きている全てに感謝できればハッピーになること請け合い、と、今日はつくづくそう思える。(今日は、と言うのは昨日そう思わされるような文章を読んだせいだが)


さて、2015年頃にはスイスにあるLHCとか言うミニビッグバンを発生させる装置が、高エネルギーにアップされると何となく聞いていた。
そうすると、原子核の中にある陽子を光速でぶつけあわせ、未知の素粒子をどんどん発生させる、つまり見つける、ことがより可能になる。
ただ、自分ではそれがどんな意味かは知らぬまま。


一昨日から、急にその結果が気になっている。もう2017年だ。
何故か。テレビだ。
テレビ番組表を流し読みして、何気なく映画を録画しておいた。「パーティクル フィーバー」

それが何と、上に触れたスイスのCERNという大規模施設での「ヒッグス粒子」発見までのドキュメンタリーだったのである。2012年までのことだ。

最後の、神の粒子として長く予言されていたのだが(ピーター ヒッグス博士によって)、私の理解するところを表現すると、それは宇宙に充満していて、粒子の自由な動きを邪魔するために、動きが遅くなる。このことが「質量を持つ」ということらしい。そして、質量を持つとお互いに重力で引き寄せあい、この宇宙が出来うる、のである。
なので、これなしでは宇宙が成り立たない。

さて、目的の粒子が実際に見つかったので喜んでいた科学者たちは、間も無く頭を抱えた。

何故なのかまでは知らないが、ヒッグス粒子の質量は軽いものであってほしいらしい。
要するに、それはこれまで延々と研究されてきた方向の正しさを決めるものだからだ。
それが標準理論とか、超対称性理論とか、いわゆる美しい論理、数学の式で表現できる宇宙の姿、のことである。

一方、計算上の宇宙の質量は実際よりずっとずっと大きいそうだ。だからもっとたくさん粒子があってほしい。

そうでないと、別の宇宙、マルチヴァース、泡宇宙、カオス、ただの偶然、という学者にとっては絶望的な宇宙像が出てくるのだ。
この場合ヒッグス粒子の質量は重たいということになるのだそうだ。しかも文字通り最後の粒子として。

残りの質量は別世界にある??

必死でヒッグス粒子の質量を調べて見ると、

驚くなかれ、それは、ちょうど真ん中。
二つの可能性のどちらもあり得る、という値だったのである。こんなことがありうるだろうか。
これが2012年のことだ。映画はここまでである。



2017年3月4日 終活における 些事と大事304

前回の日誌からもう2週間経ってしまった。
月末と月初はジタバタする時期である。
するべきことを粛々とこなして、終活の日々もここに三月に至る。

いわゆる短期記憶、ワーキングメモリーとかの磨滅には参る。

この季節、確定申告のためにする、医療費の仕分けと計算だが、今年は特に間違えることはなはだしく、ため息つきながらやっと一覧表を作った。57万円もの額になった。

こうして税の控除をしようとするのだが、実際は、所得より控除額が完全に多くて話にならないのである。

個人年金(苦労して長年掛けておいてよかった、そうでなければ今の生活が成り立たなかっただろう)から源泉徴収された分を還付してもらわなければ!という一心のみで。

こんな重要な雑事につい紛れてしまうのではあるが、あくまでも(遅々としてではあるが)私の非物質世界探求は続いている。

向こうからぶつかってきた本など、ははーっと押し頂いて何かどこかのアンテナにピンとくるものがあるかどうか、私の心の深部にしっくりと捉えられるのかどうか、客観的、理性的に読みながら、もちろんそこを越えられかどうかが眼目なので、瞑想のうちに、
「そうであるならそうであれかし、在らば在れかし」
とあなた任せでじっと待っている。


終活の日々に、今回受け取った言葉は

「死すらも生命である」という文であった。

突然この一文が光り出したのだ。

もちろん、私の場合は武士のような潔い思いからではない。
生は死を超えて続く、永遠に続く、という命題からである。
そこには、偶然で動くものは何一つなく、全てが、全てが大きな法則の展開だ、という信仰がある。

であってもしかし、人類の意識にはその「?」からの自由意志があり、しかも結局その「?」に抱かれたままであるはずだという、まさに孫悟空の立場である。

何気ない言葉が突然光りだすのは、実に頼もしい。

「?」と書いたのは、私がたどり着こうとしている、存在が私の定義する力からはみ出しているので、呼びかけることさえままならないという、まさに悩ましいわからない課題であることが現れた結果である。

神よ、主よ、仏様、と簡単に呼びかけることができない。
しかし、それを考え、開拓して行くのは心楽しい、とも言える。


遠隔治療?の巻

知人が全身の痛みに苛まれていた。メール付き合いでしかないのだが、もちろん伊達や酔狂で知り合ったわけではないはずなので、瞑想して、
「彼女の苦悩が解決したことをひたすら感謝します」
と念じた。

こうこういう手順でこう念じた、と彼女にメールすると、間も無く返信に、同じ時刻にすでに痛みが消えたと言ってきた。

魂は一続きなので、量子効果のように、あっという間に伝わると仮定しているので、あまり驚きはしなかった。関係はなかったのかもしれないが、ここは無理にもそう思うことにした。

その夜だったか、夫がどうしても本屋に行くというのへ、あまり乗り気でなく付き添って行った。(乗り気でない些細な理由は様々あった)

しかし、
店に一歩入り、通路の真ん中に書棚があって、そのど真ん中に、新聞広告で見て、しばらく前から気になっていたタイトルが見えた。

「死ぬ瞬間」キュプラーロス
一冊しか残っていない。
即買い。また出会ったのだ。

内容は、死を予告された重病人を心理学的にリサーチすることと、思いもかけずそこからカウンセリングとしての効き目が見られ、一分野が開かれた、という次第を記したものであった。

読みながら、しかし、これではないな~と思い始めて、訳者のあとがきを見る。

筆者は、研究者として始めたのであったが、種々の体験を経て、死そのものの新しい(新しくはないのだろうが、改変された?)定義を信じるようになって行った。

なるほど、ここだったか、と教えてもらったこと(神慮)に感謝して、彼女のその後の本を手に入れようとしている日々となった。


2017年3月12日 「あなた?」はご存じでしょうが

(これは虚空「あなた?」への報告です。なので、また戯れ言、世迷いごとになりますが、それを敢えてするのは、たとえ私が見失っても、向こうは私を決して見失わず、興味とケアを忘れず、私にGPSタグをつけていると、そう信じることにしていればこそ、なのです。)

さて、ここ1週間の某時における些事ですが、「あなた?」はご存知のはずですけれども、まあ日本語による世間話ということで。
と書く間に、構想を忘れてしまいました。思い出した順に行きましょう。

時節柄流行の確定申告。
月曜日に市役所へ雨の中出かけるも、「市役所での例年の申告は二月で終了につき、税務署へお出かけください」との張り紙がありまして、春雨? に濡れてバスを待つというお馴染みの光景です。
 
そうそう、恐れていたバスの時刻改正が庶民には改悪となり、1時間2本となりました。

火曜日、このバスをうまく捕まえてJR、タクシーと乗り継いで税務署へ到着しましたら、外に長蛇の列。
事故渋滞の車列のごとく一歩、一歩と進み行き、やっと入り口まで到達したので、中を見ると、

そこもまたグネグネの人の塊、人間の頭が詰まっていました。
50人x4列、進むと第一の関門(右か左かへ)
同じく50人x8列のジグザグの道を進むと第二の関門(書類確認)
40人x5列進むと、やっとパソコン入力となり
ここでやっと老女一人が、椅子を要求してすみに座らせてもらっています。

その他大勢、ほとんど中高年で、税金を納めるというより、還付金をもらうという逼迫した目的のため、文句や小言を言う人もいなくて、絶望的な視線を天井、ないしは足元に向けているのみ、我が同胞のこの忍耐力には、つくづく感心しました。
終わってみると、しっかり4時間立ちっぱなしだったわけで、駅まで20分をよろよろ歩き、やっと見つけた中華店へ倒れこむように入りました。
しかし、予定通りの還付金をもらうこととなり、ミッション満了です。


さて、口調も変わり、
木曜日、
朝6時に起きてゴミ当番の務めを果たしに(あまり日頃交流のない後ろのお隣さんから日にちを交代してと言われたので)、南側のドアをさっと開けたところ、

スッキリした曙の空色が広がっていた。
私は明け方がかなり苦手で、夜の暗さを引きずった空には悲しみを感じてしまう方なので、この爽やか感にはびっくり。これなら好きかも、と。

その夜、
ちょうど手に入ったキュプラーロスの「死ぬ瞬間と臨死体験」や森田健の「生まれ変わりの村」を読みあさっていたところ、

「暁の1時間を、真理への想いに、あなた自身への回帰に使わないか?」
と読んだ気がしたので、ハッとしてページをめくってみるが、もう見つからない。
あの夜明けの空の色が目の前に広がり、なるほどいいかも、とは思ったものの、できるとも思わず眠った。


さて、
翌朝、6時にふと目覚めた、ような単にまどろんでいるような時、突然のイメージにショックを受けて目覚めた。
うちに古い、誰も使わないボアの男物の室内ブーツがある。それをあの駅に住むホームレス氏にあげよう!
なんだって??!!

自分で驚く。
いい方法ではないか。この冬も靴下なしで壊れた靴のままだった。ひどい状態の脚だ。

そ、そうですね、これならできそうです。やってみましょう!! (もっとも次第に自信がなくなり、あれこれ考えあぐねて実行には遠そうなのだが)

春眠暁を覚えず、とばかり、だらしなくもまた眠りこもうとした。と、また起こされる。

思考が素早く駆け巡り、あっという間に結論が出る。

私のこの世の、この生活に不満不平を言うのはもう止めよう!! 
(解説:そんな理由はないはずだ、完璧の創造を信仰するのなら)

実際、満足できるほどの有難い生活ではないか?!

ありうるすべてを、善きことはもちろん、病も貧も手のかかる夫も含め、どんと受け入れよう、私は!

ありがとう、と言ってそうするのだ、喜んで!

自由な意思決定である。
自由を感じた。
不平不満に押しつぶされるのではない、
それを押しのける自由も得たのだ。

とはいえ、弱虫の私が後ろの方で、困ったなあ~と袖を引くのではあったが。


タイトルは忘れたが、ブラウニングとか言う人の詩

時は春
日はあした
あしたは七時
片岡につゆ満ちて
揚雲雀 名乗りいで
カタツムリ枝に這い
神 空にしろしめす
すべて世は こともなし


以下は全くの冗談です。ふと思いつきました。

NPO法人設立案
この世の悲惨をとめよう
ホームレスにブーツを
ブラウニング混声合唱団
子育て応援老人団

2017年3月18日 気づく、と 忘れる の応酬

前回の日誌の最後に与えられたミッション:
*今生のこの生活に金輪際不平不満を言うなかれ
*ホームレス氏を支援せよ

困った。
前半生、家族では優しい、温和な男達しか見たことなかったのに、この伴侶は天罰かとも思えるほど、手に余る。今でもそうだが、それでもこうして生きていける。そこを足場にすると、妙なことに不満は思わない、ありがたいと思う
と言う行為と、
現実には、腹を立てたり言い合いをしたりする行為
この二つが、共存して別に違和感がない。
それが面白くなっていた。

問題は2つ目だ。
月火水と言い訳めいた外出が続いた。
ついに明日が木曜日となり、どう見てもこの日だろうとわかるが、あれこれ、想像してひるんでしまう。
勇気が出ない。

もし「神様」だったらどうする、もし「愛」そのもだったらどうするだろう?
ベンハーという映画が昔あった。
砂漠で、ベンハーが行き倒れになる場面で、人影が彼に近づく、ひと椀の水を、命の水をくれる。

そしたら私はスッと立ち上がって、水をあげに行くだろう。私がせめて神の子だったら。余分なことは考えないだろう。ホームレス氏の壊れた靴と汚いスネ、薄いコートもボロボロになっている。

木曜日にもう迷わず、突進して駅に行った。
その日、歯医者の予約の前にこの課題を済ました。
ミッション完了!

私の友人にはこんなふうに説明した。

「一つには、ホームレスにありがちな袋をたくさん持って歩く、ものを集める、という甲斐性?がなくて、この寒さの中、他のホームレスはセーターなど手に入れているのに、余りにもひどい有様なので、普通に考えても放って置けないでしょ!と、無視している人間への怒りすら感じて。

また一つには、あれこれ読んだり知ったりした中の、「あなたが神ならどうする、愛そのものであるならどうする」という問いかけが浮かんで来て、その途端に、怯む心が消えたのです。この言葉を思うたびに、神性がぬっと乗り出して来てそれでいっぱいになってしまいます。

そのどちらかの状態をキープしたままで、ずんずん進んでいき、新聞紙の上で座って眠っている彼をつついて、
「新しい靴、履いてください!」
そしたら、目をやっと開けて「ありがとう」と。
喋れるんだ!

でも実は、一つ私への助けがありました。
すでに二つプラスチックの白い買い物袋が置いてあったのです。多分食べ物。
それも私を力づけました。他にも誰かがいて、彼はこれらを受け取ったのだと。この事実が。

そう、室内ばきは小さすぎるとわかったので、夫の新品の靴をあげたのです。(その人の壊れかかった靴もひどすぎました)
夫の足はむくんでしまってもやは履けません。
それとひざ下までの靴下、化繊のホットシートも。」

別に神様になったような高揚感はなかった。
さっとこの出来事を通り過ぎていた。

実は既にその前、日曜日に、私は大いに感動して涙を流したのだった。
(この日記を書くのは、そうでないと全て忘れてしまうからである。毎日のように何かを与えられるのに、or 見つけるのに、痕跡が残らないことがある)

ドイツの童謡の一つがオカリナの練習中に見つかった。

夜空いっぱい、星はいくつあるだろ
大空ゆく雲も数限りない
そのひとつも忘れずそのひとつも逃さず
数えてくれる 神は数える

陽を浴び飛びまわるたくさんの羽虫
涼しい川の中 たくさんの小鮒
呼んでいのち与えた
楽しく生きよと神は名を呼んだ

朝は早く目覚め 昼は楽しく
わずらいもなくその日
過ごす子供たち 神様のお気に入り
かけがえのない神の愛し子


こんな「神」との関係、こんな「神」の意図、こんな実際、それをどれほど切望していることだろう。
目の前の現世は程遠い。
どちらかが間違っているはずだ。

21世紀までに人類が追い詰めてきたとんでもない宇宙の仕組みを見ると、現世の悲惨の方が分が悪い。人間の愚かな部分の方がありえない。

木曜日の夜、新聞に本の広告が目に止まった。
「神の子」というタイトルだ。
あんまりじゃない?と思ったが、、、

金曜日、図書館に行った。1分ほどぐるりを見渡すと、果たして「神の子」が目の前にあった。
なぜ読むのかは分からずに、上巻を読破した。

もうひとつ
今週の気づき:
(なんとこれらの失われやすいことか、こうして印をつけておかなければもう見失う)

・こうして君の前に次々に差し出される配慮は、実は君自身が創造したものなのだ、君はミニ「神」だからね
・ええっ! 私が創造していると? あなたの神慮ではないのですか? 
・そうだなあ、何しろ私と君はひとつのものだからして。

2017年3月26日 行ったり来たり

弥生の冷たい雨が
クリーム色の薔薇を濡らしている
蕾のまま2ヶ月も耐えて数日前の暖かさにちょっと騙されて咲いてしまった
おまけにヒヨドリに齧られている

同時に笑って咲いたヒゴスミレ、白
鹿児島から母と共に旅をして房総半島でも門柱の角で満足して香っていることだろう
そこまで鼻を持っていけない

薬丸岳作「神の子」上下を猛スピードで読んだが
力作ではあったけれど、却下。
キャサリン・ロス  森田健 大川隆法 通り過ぎる。

しかし、「神の子」下を図書館に受け取りに行った時、
大阪人の幻月さんの名を久しぶりに見て、めくって見たがおどろおどろしくて却下。

その隣に、玄侑宗久の名が。
そうか、これだったか~と納得して借りる。
仏の世界に招かれたようだ。

しかし、その際に小さな事故が起こった。
切れ味の悪いカッターを使っていたら、案の定左の親指の腹をスパーっと切ってしまった。
血をしばらく滴らせる、妙に美しい赤色だ、この色好きだなあと思いながら。
それからアルコール綿と共にムギュッと押さえつけること1時間、
暇なので瞑想もする
最近は第三の目に集中すると、呼吸が楽に出来るようになった。目の奥に小さな四角があり、こちらが進んでいるのか、向こうからやってくるのかともかく、疾走感がすごい。「真実への回廊」と名付ける。

名付ける、と言えば、未だに呼びかけ方にこだわっていて、アレヤコレヤ、決定しない。

在りて在るなる太神(おおみかみ)
完全の実相なる統めら命(すめらみこと、天皇ではなく)
永遠の慈愛なる太魂(おおみたま)

この三つの相が私なりの定義となっているようだ

玄侑さんの本はとりあえず
「アミダーバ無量光明」
もろに臨死体験と死後の感覚に挑戦したもので、物理を援用しているところ、大いに我が意を得た。

「化蝶散華」
まだ読みかけなのだが、アプローチが「お金」の役割と位置づけなのが独特だ。禅の世界に入って行った男が「魂あり」の立場と世間の有様とを擦り合わせていく、という話らしい。確かにここ(すり合わせ、意味の改革)が肝心なのです。

これまで単純に、死ねば終わり、と思っていたので、せめてそうでない可能性を探ろうとあれこれ行ったり来たりしているが

贅沢にも
既成の宗教や他人のお題目を借りるとしても、

自分自身に問いかけて、勘違いであれともかく自分の中から自分用の世界理解を深めていこうとしている。

それで、次々に面白いことが目の前に差し出されるように出てくるのだが、ここで、注意。

これをもって深慮、摂理、と捉えるべきか
あるいは自分が決定して選択しているのか、視野が異なってきたのみなのか。

まあ、退屈している暇はない。
しばらく仏の世界に。


2017年4月2日  寄ってたかって知らされる

ともかく書いておかねば。

先週月曜日、時間を無理にやりくりして、私のアッシーさん(同年の女性、運転が好きで、かつ嫁姑問題で家に居たくない、それであれこれ付き合ってくれる貴重な存在)と風雨の中、木更津までドライブへ。

さあ、ついたと駐車場で彼女がドアを開けたところ、思わぬ突風が!
ドアが大開になり、隣の車に衝突してしまった。しかも運転席には女性が座って居た。
それで、傷がついたので話し合い、結局保険屋さんが入ることになった。

日頃、呑気な我らも少ししぼんでしまった。
帰ってから思い返す。
「起こったことには全て意味はない。意味を与えるのは君だ」と思いが湧いた。

そうだなあ、途中の産業道路では3回も危険な瞬間があった。とろとろ走る軽自動車なので、後ろから追い越しをかけられた、3回とも十分な車間距離もなく、大型車に挟まれそうになった。

これだ。
私はこれを参考にして、ドアが風で事故を誘発したことを、これくらいで済んだと思うことに決めた。

彼女からも「気が緩んでいたなあ」と反省して前向きに捉えるメールが入った。

その朝、和田さんという短歌のお仲間のことを考えていた。出逢う全ての人、物、事が尊き存在であると和田さんが感じていることが、その短歌に滲み出ているなあと。

そして、諸々思いを馳せている時に、「私は自分だけの世界に生きている」と浮かんで来た。私が彼を憎いと思ってもそれはそう認識するからで、彼なんかいない。憎しみは不要で幻想である」

(しかし、愛がある場合はどうだろう?
創造主の定義からして「徳」のみは実在なのであろうか?
と次の問いが待っている)

さて翌日火曜日、母を施設に訪問。滞りなく。
で、その際に本屋さんに入ったら、
雑誌のコーナーに、「ミクロからの宇宙」「唯識」という文字を見つけて迷いなく、2冊を手に取る。
レジに並べてあった、「なぜこの世は『ある』のか?」という問いを発している本を、迷いなく購入。

帰りの電車で「唯識」を読んでいると、「一人一宇宙」と目に入った。ここでこれに会うとは!!

それで電車を降りそこねてしまった。
(唯識とは:私に説明できるとは思えないが、孫悟空とともに三蔵法師がもたらしたいわゆる大乗仏教の考え方で、日本では新仏教と禅宗における基本である。
ただ知らされている状態、という意味の言葉で、空の思想でありヨガとも繋がっている。
現代社会では最近マインドフルネスという瞑想行為が流行っていて、それは同じ作者の「唯識」という本の英語訳から発生したという話)


話はこれで終わらない。
世界中が寄ってたかって、私を世界の別の見方へ導いているかのようだ。

ジム・ホルト著「世界はなぜ『ある』のか?」早川書房
著者は科学哲学者であり、古代からの思想を探り、現代の哲学、科学、神学の先端的意見を探求している、まるで私の代わりに、物質世界がなぜ在るのか、を。

実にスリリングな情報ばかりで、章ごとに休憩を入れてしまう、あまりの充実感に。

理神論 科学の発達によってますますこの世界の壮大さ、玄妙さ、知性のようなものは認めざるを得ないようになった。この意味での神、までは納得できる。

しかし、それ以上の、人間に関わろうとする神についてはどうなのか? 慈愛やあらゆる徳性、神性、(罰する神というのは論外だ)あるいは、この世に溢れる悲惨に手を打たないことなど、
ここが問題なのだ。

私にそれがわかるはずもなく、最高の頭脳によっても明らかとは言えない。
馬鹿の考え休むに似たり、と、私は「大きな智慧に委ねます」とつぶやいた。

が、どうしても気がおさまらず、神の心が感じられなくては生きている価値はないですよ、と私が迫ると、

「君の中に愛があるだろう、平和と幸せと善意と許しへの希求、激しい希求が。それが神の心だ」

自分に呟いたのは自分だが、嬉しさがあった。涙が出た。

悪と見え、無力と見えるものがあっても、こちらに重心を置くのだ。そこに人間の自由意志があり、それが神の目的であり、人間の生の目的であろう。

「あ、戦いは止めよう、憎むのはまずい、止めよう。」
と心で思うことが重要なステップなのだろう。
これが、私の今朝の思い。ここまで。


2017年4月10日 今日もやってみる? 待てばなんとやら

今日もやってみる? 待てばなんとやら

なぜこの世はあるのか? ジム・ホルト
やっと読み終えた。
科学哲学者ジム ホルトの、ギリシャ時代から現代の最先端まで、哲学と物理学をたどる旅は
意外にも、ダライ・ラマかと思われる僧の言葉で、つまり仏教の教えにおいて決着を見た。

安易に「神、創造者」を立てないと言う方針で論理と科学的真理の突き進む「それはなぜ、それは何故」と言う終わらぬ問いかけにはビッグバンという壁がある。
無から物質があらわれる。(これは可能だ、と言うか解っているらしい、この仕組みは物理学的に解析されている)

そこでもなお「それは何故」が付いて回る。
始まったこの宇宙には終わりもあるらしい。
無と無の間の170億年。

ここで、引用してみようと思う。
我々は死において平等である。死の心理学。
誕生は偶発的だが、死は必然である。

「私はなぜ死に不安をおぼえるのだろう。自分の死を容易に想像することができない、自分が完全に無意識な状態も想像できない。
死が恐るべきものであるとみなされるのは、無が果てしなく続くという見通しそのもののためではなく、生のあらゆるよいものを失うこと、永遠に、のためだ。~ー
だが、もし人生に何もよいことがなければどうなるだろう?~ー
死はわれわれから、特定の喜びを奪うのでもなく、もっと根本的なこと、すなわちわれわれが存在しつづけている生き物として、主観的意識体験を奪う。
~ー死の恐怖は、自分がいなくても生の奔流が続いていくと言うことの怖さをはるかに超えている。それ無というゆく末だ。どうやってこの無を思い浮かべればいいのだろう?
私だけの自己の消滅である恐怖。その理由は、自分は自分がいる現実の本源ではなく、自分は世界の中心ではないと言うことを死は暴くからだ。
(一方、この生は子宮の静謐から疎外されたもの、でもあるので) 一体感の回復を待ち望む旅の終点は、、、つまりあの暖かい母の海、あの満足した無意識の永遠なる安息の場所、無である。」

と、ここへダライ・ラマが登場し、あの笑顔で
宇宙に始まりはなかった。だから無が存在に取って代わることはありえない。
宇宙は無ではないが、確かに無にとても近いもの、つまり空虚だ。事物には、それらの属性だと私たちが見なす実質性が、あまり備わっていない。この世界は夢が幻のようなものなのだ。

なぜこの世はあるのか?と言うライプニッツの問いには、何かが実際に間違いなく存在すると言うことが前提になっていた。つまりそれが幻想なのだ。

ここで終わりになっている。と言うことは、
ホルトさん、ご苦労様でした。
「神」はどうなるのかなぁ・・・


現実に戻り、
この木曜日に福島県まで桜を見に行くことが、やはり決まった。福聚寺住職の玄侑さんに手紙を持って行こう。
ちょっとした思いつき。。

現実に戻ると、
色々交錯するものが多くて、
なかなか思う通りにはいかない。
したいことはできず
したくないことをせねばならず
意欲と希望を持っていても
体には故障が起こる

いやだなあ を
よし!やったろ!に変えられるか。
(自分が決めることだから)

人の意見はスルー
(私だけの世界の登場人物だもの)

もしこれで無残な死に様を晒すことになったとしても
外見は外見
その意味は絶対最高のはず
(なぜなら全てを大いなる智慧に委ねた結果なので)

ここまでの帰依、絶対への信仰を
信じてはいないけれども
ありうるべきだと理解している。

最近の発見:
桜の花はハラハラと散る、と思っていたら
満開の花のまま、瓶のひと枝は
風の吹かない玄関のたたきで
もう1週間、じっと保っている
どんな終わり方をするのだろう。


2017年4月23日 あしたが楽しみ

全くの私事、日常
公開するまでもないのだけれど
書かなかったらただ消滅するのみ
電子の世界に暫時漂わせて

10日ほど前、私の不整脈悪化
目の前に白い幕が生じて
穴を通してかろうじで世界が見えた
手足の力が抜けてしまう

が、立ち直った
さて、強い薬を服用することに
乗り切っていく日々

福島県三春町の花見山見物の件は
もろもろ整い(おかげさまで)
夫も機嫌よく(どうしたわけか)
首尾よく(早朝特急で40分後には東京駅着
構内にて翻弄されるも無事乗り切り)

さらにラッキーなこと
運転者は二人、添乗員のおじさん愉快で
同席の80代女性と話題がずれず
東北自動車道も常磐道も全くスイスイと
暖かく、曇りから晴れ

のどかな景色の向こうに白銀を抱く
阿多多羅山系と吾妻山連山(これには桜以上に感激
関西で山に囲まれての暮らしに慣れている)

トイレ休憩のサービスエリアの
清潔で便利なこと
つい散財してしまった
夫に特別な取り計らい(彼の好きな龍と陰陽マークをデザインしたキーホルダー)
お隣やアッシーさん、菜園のご夫婦には
乾燥しじみなどを

サツマイモと栗の饅頭が
味見させてもらったら美味しくてつい自分買い
手作りの毛糸のキティちゃんまで

困るのはただ一つ
景色の中で自分を撮れないことくらい
ま、あまり意味ないけど
手を伸ばして無理やり花桃に自分を入れて撮影し
変な図柄となる
観光バス、ほどほどの数で
餅入りのアイスなど食べる

肝心の花は、まさに絵のよう
特に三春のダム近辺は
桜真っ盛り
枝の先まで花の鞠玉
ひらりと散る花びらすらない

観光など何十年ぶりであろうか
人生の記念の一日
ここは天国かと何度も思わせられた

帰り、東京駅からも快速で座って1時間
なんとまあ運の良い私


さてしかし、帰ると夫がおかんむり
いくら電話しても私が出なかったと
いつものすったもんだ
外では音が聞こえないのに(呼び鈴を聞きたくない?)

もしもの時に通じるかが
心配で夫はいつも無駄にかけてくる
ちょうどこちらには都合の悪い時が多い
そして用事は何かと言うと
何かを買ってきて、なのだ
これでは狼少年ならずとも(狼が来たと村人をいつも脅していた)緊急時に信用されないだろう

ま、これもいい
巻き込まれるまじ!

ところが!
ここ数日誰からもメールがこないことに気づく
試しにスマホとPC間で送ってみたら
変な、英語付きで戻って来た!!

総じて意味不明な内容
すわ、いわゆるマルウェアに取り込まれたか!!
と内心青ざめた

しかしセキュリティはかなりいいはずだが
折しも、
亡き長男の写真立てが落っこちた
妙に心配、妙に頼もしい
どっちだ???

何が起ころうとどっしり構えて
信仰を忘れず
全てを善き意思に委ねよ

結果は、当該の会社に電話
土曜日は時間外なのに妙に親切に
老婆の世話をしてくれて
解決
「OSのヴァージョンアップなどで
サーバにメールが溜まっていたそうだ」(引用すれば)

すっかり
雲が晴れて
元気になった私

考えてみれば、、、、
知識さえあれば
知識がなくても然るべく電話すれば
結果は同じく無事解決したのであろう

花見旅行にしても
むやみに喜んで「やっぱりなあ」と
世界の黒を白にひっくり返している
この自分
その無意味さ、愚かしさとも言おうか
我田引水もいいところ

実は旅行を決める頃
北朝鮮からもし東京に攻撃があったら??
という番組を見た

実は怖くなった
安全なこの地域からわざわざ東京へ
出かけるのが

しかし、
頭をコンと叩かれたように気が変わった

よし、だから私は行くのだ
このバスの中の人々、周囲の行き交う人々
その全てを守るために
何が起ころうと大丈夫と
全ては空であるから被害はないと
念じるために
愛を送るために
委ねるために

「神仏」との協同作業で
生きる名人に皆がなれるように
切に願う
願うまでもなく
すでに大きな手の内にあるのだが
つまり我々は驚くなかれ、
神仏と一体の存在なのだが

しかしそれを知っているかというと
そこまで図々しくない方がいいと
思ってしまうだろう
自分が神様と同じだなんて(小型版ではあれ)
ありえない
却って怒られて叱られてしまう
もっと謙虚であれとか。

日々起こっている悲惨は忘れていないよ
私だって!
諦めないでなんとか手伝いたい

我々老人が直接的に手助けするのは無理でも
理想と真実を追い求め
その力と実現を信じて
慈愛の念を送信することはできる

あと50年、私はそうしたいと思う
明日、何を体験するか
楽しみなことしか起こらない
そう信じることにする


2017年5月2日 3、4個のハプニング 阿吽の呼吸

この1週間、3つのハプニングに出遭ったこと
このまさに今、この瞬間に思い出せるまま
書き出そう。

以前読み始めていた「生まれ変わりの村」というシリーズ、
ついにその4冊目においてその核に出遭ったらしい。

貧しいとうわけでもないのに、その村人たちは未だに洞窟に住んでいて、しかも幸福に感じている。死んだのち、忘却のスープを飲まないという言い伝えが広まっているのが、生まれ変わったという記憶を持つ割合の多い原因だとか。

インタビューの内容は、生まれ変わるまでの日にちの長短はあれ、似通っている。その語り口も淡々として、神仏を頼ったり、修行をしたりとは縁遠い感じである。

というところから、インタビューアー森田健氏は(かなり神秘的な体験もあるらしいが)かの鈴木大拙の悟り観を援用して、かの?よく使われる「あるがまま」に生きる、を村人たちの態度に当てはめている。

お腹が空いたら食べる、のと同じように、悟りや神仏を請い願うことなく、まして修行や瞑想などしてそれに捉われ、しがみつくのではなく(それは在るがままとは異なる)、流れるように自分の深層意識のままに生活して幸福なのである。表層意識に邪魔させない、ということらしい

さて、私は考え込んでしまった。
かなり意図的に真理とか(悟りのことは余り意識していなかったが)探求中の身としては、様々な方法でしがみついているのは確かだ。

幸いにも、集中力が弱っているのでさほど考え込んだわけでもないが。

と、二つ目のハプニング、忘却中。~~~

スープも飲まないのに!!

三つ目は、人間の生きる意味について「悟った」こと!!

そうだ、待つのも面倒なのでこれに取りかかろう。
 
昨日土曜日に、3ヶ月余りぶりに孫と会えることになり、電車で木更津へ向かっていた。
辺りの景色はこんな感じ。

>湖の中ゆく道と思ふまで水張田(みはりだ)光り聖五月来も

青葉若葉と水田の光、薫風と、麗しいばかりであった。
と感じた瞬間、頭のどこかが開いて
「人間の生まれて生きる目的は、その意味は、この世を天国のように素晴らしいものにすることである(もちろん人間自身も進化して前進すべし)」
と言葉が繋がった。

まさにその通り、と思えてその明らかさに感動した。
これまで聞いても読んでも、そんなバカなと思っていた文章が超深刻に真剣に真実に思えたのである。
ここに辿り着けたことがとても嬉しくありがたかった。
静かに涙が流れた。

騒然とした世界、きな臭い状況であるのはわかっているが、地球を壊すのではなくより良い世界にすることが人間の使命であると確信できた。
この目的に沿って、多々異なっている意見や信条や思い込みを調整し和解へと持って行くことが今までできなかったのは、人間の使命をこうだと確信することができないからではなかったろうか。

とりあえず私の中ではこんな風な了解がなされた。
 


さあ、2番目は何であったか、まだ思い出さないのでとうとう紫の瞑想帖のメモを見ることにして、別室へ取りに行ったところ、干しておいた布団を押入れに入れたり、お菓子を持ってきたりして、すっかり用事を忘れていた。

余分な時間を食ったが、やっと前後関係がわかった。

孫の可愛さときたら予想外であり、しかも大部分の祖父母に起こる現象である。

愛する誰かを見つけられるチャンスはそうそうない。愛することは喜びであり、恵みである。

なのに、
訪問されることは苦痛だ、片付けや準備がしんどい。
理由は簡単だが解決が難しい。
常々家事を怠っていることから来る。うちにゴミ製造機がある(居る)ことが言い訳になったり、事実、家事の増大を引き起こしている。
まず、そんな自分が嫌だ。(単に甲状腺機能低下による鬱かもしれないとしても)

土曜日の朝目覚めた時、数日苦しんでいたのに解決しないので、滅多に使わないのだが「かみ、、さま」とまさに神頼みして呼びかけた。
「今日一日、また善い体験をさせてもらえること感謝致します」
とあらかじめお礼から言っておいた。お願いはしないほうがいいようだ。
それはその存在の全能さと矛盾するから逆効果であって(なぜなら、こうしてくださいと頼むことは神の仕事が不手際だということになる)、
なので、むしろ彼の?彼女の?その全能に身を委ねて帰依するほうがいい。
(そうか~ これが潜在意識界とかいうものかな~)

まだベッドに寝転がっていた私は、床に足をつけた。その瞬間が妙に記憶に残っている。
一歩踏み出すごとに、ゴミを拾い、次の一歩で洗濯物を集め、動くごとに何かをした。手も足も仕事をした。
いつもだと朝食だけしかしない間に、洗い物、モップがけ、トイレ掃除をこなしたのである。

確かこのことが二つ目のハプニングだったのだろう。
だいたい、三つあると思ったのが不思議だ。(私、大丈夫か?)


こうして、私と息子、孫は合流し、渋滞などの荒波を越えて仲良く過ごした。うちにもやってきて「怖いおじいちゃん」にも会った孫は、チェスの対戦を迫った。

そうそう、
息子も、理系だったのがこちら方面にも目覚めているので、朝の電車の中で私にわかったことを短い言葉で伝えた。

息子は、うなづいた。「ウン」と言ったが私には、「そうだね」と聞こえた。

夕刻、出かけられない夫を残して、回転寿司屋で三人でたらふく食べた。そのまま私たちは別れた。
出足の良い息子の車が、あっというまに遠ざかり、空を見ると2、6の繊月がまだ高い位置に光っていた。
そこで1首

>腹みつるまで寿司を食(は)み うかららと別れ往くなり三日月つれて

夫は多分パソコンで囲碁をしているだろうと思った。
寂しいはずだ、親族は誰もいない、異国で私だけを頼りに生活している。おまけにうからには煙たがられている。悪人ではないがあまりにネガティブなのだ。
彼を帰国させること、
それが差し迫った課題であり、全然解決しそうにない。
恐ろしすぎて話題にもできないほどである。

あ! 本来の二つ目のハプニングを思い出した。

若葉に関すること。
今年は桜に堪能して、さてこの季節の爽やかさはまるで肺がクリーンアップされるようなのだが、残念ながら目からの情報のみで、実際に体験するまでにはまるで行かない。

と、ぶつくさ思いながら、家賃を払いに遠くの(指定された)銀行まで出かけた。
帰りのバスを待つ間、いつもと違う方向になんだか清々しいものを感じた。それもそのはず、若葉が種々うち重なって、なんとなく源氏物語の青海波、と言った趣が漂って来る。
その日は、脚が不如意だったが、100メートルほど歩くと突然森林が始まったのだ。

種々の大木が青い影を作って、別種の空気を生成していた。しかし一方では人の手も加わっていて、整然と敷石が敷かれてあり、設計されたものなのだ。名前が付いていないらしい。
左手、下って行くと池がありその手前の綺麗な敷地ではボール投げを一人でしている男性がいた。作り付けの高いコンクリート壁に打ち付ける音だけが響く。

右はやや小高く、自然そのものに見える。若葉の天井を見上げ、足元の濡れた土、クマザサ、初めて見る花、(鳥はいなかった)眺め回して、私はついニヤニヤしてしまった。

有難い、こんなところにこんな林があろうとは。まさにこれを体験したかったのだ!!
これが今の望みだった。

これが木曜日だった。翌日太極拳の仲間に尋ねてもほとんどこの森のことを知らなかった。知っている人も場所についてはトンチンカンなことを述べた。

ところで、その後すぐに、ある懇意な人の日記にボール投げの話、特に壁投げ?の話が出ていたので、あそこでチラと見た人のことが思い出された。

私は時空を超えて彼を見たのだろうか。


2017年5月10日  死生学とかや それにプラスあるいはマイナス

現実の死をめぐる、比較的実践的な生者の対応を、学際的に考える、または死への心の準備を整える、というのが、死生学とかいうものらしい。

この対応の中で
プラトンが哲学的に主張したこと、
魂の存在とその不滅(肉体は滅びる)
これを私は探求している

その方法、
自然に私の方へやってくる本、
届けられる機会と契機
自分の中から生まれてくる言葉と思い
私を無にし、
信じて待つ、何かぴったりのものが降ってくるのを

なのだけれども
浮世の憂いと心配に巻き込まれ
鳴かず飛ばずで過ごした1週間ではあった

十年ないしは二十年の私たち夫婦の生存期間が
社会から落ちこぼれ、社会から拒絶され
横死、客死、離婚、孤独死、殺人、自殺、貧困

という展開で進む可能性が
無くはない
悪くすると牢屋にたどり着く(これはつまり介護殺人の予期不安)

特に
地球の裏側のドイツへ引っ越し
などという恐怖の計画が進んでいる
引きずられて行く

これまでの経験からすると
地獄めぐりのようなことになるだろう

昨日土曜日の朝。
やっとのことで、全身呼吸法による瞑想の試み
やっとのことで
宇宙を統べる大いなる存在に対し、
「今日も善き体験をさせていただくことを感謝します」
と述べることができた。

午後になり
広島時代からの盟友三木さんへメール
大変な荷物を背負うことになったねえ、とわかってくれる
あれこれ、心配事を書くうちに

委ねる、という字が浮かんだ
そうか、どこかの時点で出会った「ハイヤーセルフ」
これを思い出すことができてよかった!


「見える宇宙、見えざる世界を動かす存在
不可知の智慧、善と愛と自由であるはずの存在
我々がその部分である唯一の存在へ」
と私はある限りの知識を総動員させて呼びかけた

全てを委ねます、お手上げなのです
全てを委ねます」

このいくつかの文章により煮詰まっていた不安と絶望感がまさに雲散霧消した。これは実は、自分の潜在意識、ハイヤーセルフ、魂に呼びかけたのでもあった。何しろ神様はデカすぎる。

とりあえず自分にかく魔法をかけ、
効率100%の神の仕組みへの帰依を示すことに成功した

ケセラセラ、とも言えるか?

眠る前にまた思いつく
確かに、サピエンス全史を通して
不調和と苦悩と諍いの世界
そんな風に見えるけれども

待てよ
神の尺度で見ればこの数万年は
瞬く間であろうに
幻のように泡沫のように
苦しみの息吹として浮かんだだけのもの
神の恩寵の隠し味のようなもの(これはいい表現だ 笑)

よかった
これにたどり着いて

今朝になって
心配事を人に預けたのですっかり気楽
なんだか
アイデアや言葉、思ったこともないような文章が
あれこれ生まれてくる

まあ睡眠不足のせいかもしれないけれども

この関係の短歌:

呑み込まれ不安のふくろ被さるる一なる神の偏在を忘れ

友にメール書くさえ契機 ピンセットにつままれ脱出一気に広し


2017年6月3日 ニューソートの神の定義

大上段に振りかぶったようなタイトルになったけれど、これについて大して書けるような私ではない。

とりあえず今まで主に読んできた本がニール・ウオルシュのものであることによる。
ともかく、これまで人間がすがったり、または無視したりしていた神なる存在のその定義と、それに関連して、物質世界の意味 人間との関係がどうも不具合だと思われてきた結果が、新しい考え、を求める人たちを生み出したようだ。

現世では、母を往復四時間かかって見舞いに行き、さすがにフラフラになって帰宅、
帰ると夫の世話、
そして不眠(ここにきて、母の終末とそれに伴う心配事)には安定剤服用

現世のこんな仕事に気を取られ、どうも瞑想することにならない。
すると、少し悪いことをしてる、みたいな感じがしてよくない。
 
が!
ここで新しい思考を思い出そう。
そんなことで気を悪くするような狭量な人?じゃないでしょ、あの存在は。
こんな自分に負けるな、
もっとリラックスして親友づきあいしろよな
あんまり親方が大きすぎると言うなら
小型のハイヤーセルフがいつもここにいてくれるじゃない

そうだね、
特に瞑想の時間なんてとらわれないで
常にコンタクトしてるとしよう
息を吸うごとに
   神霊世界へと膨らんでいく
息を吐くごとに
   物質世界に愛を捧げる

そんなことをさせていただきますよ
気楽な道を歩みましょう


「あのね」
といきなりGさんが話し出した。
「私の母が亡くなる時に~」

みんなで両親のあるなしを話していた時である。
「もう、本当に子供みたいに幸せいっぱいの笑い顔で亡くなったんです! もう信じられないくらい嬉しそうに」
「え、じゃ何か見たとか?」
「そう、両手をかきいだくかのように動かして、私が誰かいるのと聞くと、そうだと言うジェスチャーをするの!」

「なんて素晴らしい、よかったねえ」とみんなが驚き、かつ喜んだ。

その話を姪にしたところ、
「パパもそうだったよ~」
と言う。
「息を引き取って酸素マスクを外したら、口が笑っていたんだよ、ニコーっと」
その話を最初私が聞いたときは、何かの偶然だと思った。歯を食いしばっていたのだろうと。
「幸せホルモンが出る、とか言うしね」
と姪は続けた。

そうなら結構なことだ、本当に。

昨日、いかにも皐月、と言う空の下を乗り換え駅まで歩いていた。そこは初めての駅である。そのせいか少しワクワクした気分で、好奇心が満ちてきた。

おじいさんが紙切れを渡そうとする。
いつもは断るのに、なんだかもらいたいような気がした。

そのチラシはなんと日蓮宗の宣伝であった。
房総半島は日蓮の在所であるそうだが、私がこれまで最も気にかけなかった宗派である。

仏教の他宗派を激しく攻撃し、禅ですら否定したらしい。
そして蒙古襲来から日本を守ったとか。

で、
そこには死相の話が書いてあった。

死後の人相が、人によりあるいは高貴な和顔となり、あるいは正反対ともなる。
ちょっと極端な書きぶりだったが、私には例により示唆されるところがあった。


死によって、ただ無と暗黒が来るのか
そうではなくて地獄か極楽なのか
そうでなくて、魂にとって階段の踊り場なのか
つまりそもそも永遠の魂があるのか
魂は、善意の神と一つものなのか

どれを選ぶ?
どれが人間にとって効果的か?


2017年7月13日 どうなることやら、私の自由意志だとはいうが

前回の日誌からひと月が経過しました。今日は7月8日です。
あの時、6月8日ですでに25日という時間が経っていました。

合わせておよそ55日間、九十五歳の母は点滴数百cc以外は飲まず食わずで、脳梗塞後を元気に?生存しています。
病院はとっくに追い出されたので、これまでの施設に戻っています。

今夜はほとんど満月状態の赤みを帯びた月が、私の目の前にぽっかり浮かんでいます。夕七時という頃です。

文字通り空には雲ひとつない、暑い、風のない、蒸し暑い房総半島に、白い木の花、ねずみかなめもち(かな?)とハゴロモジャスミンと金銀のスイカズラがかすかに香っていますねー 有難いことに。

本題に行きましょう。

この間に私のしたことは、週に五日の割合で日参すること。うとうとと覚醒を7:3くらいで繰り返す母を、手足と頭、首などに触れてマッサージの真似事。
顔に香り高い化粧水とクリームをつけるも、ほとんど嗅覚はなし。

麻痺していない右脚が時々痛む以外は、乾きも空腹もないらしく、床ずれを防ぐために左右に転がされては静かにしている。
大声で何かを尋ねられると、うなづいたり否が伝わったりする。
看護師に名前を呼ばれると、かすかにアイ、と返事をする。ともかくア、の音の発声は作れるらしい。ありがとう、の最初を言うらしく見える。状況的にそう判断するのだが。

体の中に囚われているに等しい。
意識はどうなっているのか。何かを考える能力は失われていない、明らかに。
(字は書けるのだ。体勢が保てないので困難なのだが、名前も何月かも書ける。足が冷たい、とも。驚いたことに、「私は何を考えているかさっぱりわかりませんです」とも書いた。自分を客観的に判断しているのだ)

これでは本当に辛い意識状態なのではないのか。

と、常人には思えるのだが、見ている限り穏やかである。
口を開けてカーカー眠るか、目覚めて目玉をキョロキョロ(といっても左側はあまり認識できないらしいが)させる。その目は、意外にも母の父親の目にそっくりだ。

ますます即身成仏という言葉が私にはリアルになってきた。
このままエネルギーを下げて行って入滅するのだろう。

しかしここまでのことをいくらなんでも私は考えていなかった。
母の死をできるだけ穏やかなものにする、と決心していたとはしても。
 
「楽しい素晴らしい、思いもかけないあの世」という考えを何度か、私の想像として母に一人語りした。


あ? そう言えば?

私は母の世話をすると思っていたが、私こそ、こうして死を迎えるあり方を母によって見せられているのだと、突然私の考えが逆転した。私の方が引導を与えられていたのであった。

いつもながら、神にはどこまでも裏技があるので感心する。
(その存在の定義と呼び名を色々考えたが、バカの考え休みに似たり、ともいうので、諦めて、標準的な「神」と呼ぶことにした。なぜなら、何かの折に叫んだり呼びかけたりするのは、やはりこのすでに刷り込まれた言葉だから。私の「主」というのも可能性ある。なぜなら、私担当の、私という一個別化された魂こそ私の意識や肉体の「ぬし」であるので) 


さて、本題の本題だ。
母は7月3日に九十五歳の誕生日を迎えた。ブリザードフラワーのプレゼントをあげたが、すぐに忘れてしまうので、全く甲斐がないことこの上もないのだが。


その翌日、「神へ帰る Home with God」という、もろに死について詳しく書かれた本を、ビニールの本屋の袋に入れ、
冷房が効きすぎた時のためにスカーフを入れ、
さて、紫色の瞑想帖も入れた。

ここには私にとって重要な、神学研究??の思いつきや思索??が、ともかく私にしか重要でないことがワンさと書き溜めてあるのだ。私の心が詰まっていた。

暑くて眠たい。
千葉までの車中で、ふと目覚めたような気がした。座っている体より離れてその黄色いビニール袋があった。認識したのだが、それを引き寄せる前にまた眠り込んだらしい。

あ、千葉だ、と降りて、エスカレーターを二つ降り、道を渡りそごうを右に見つつ、京成電鉄へ移動。

改札から、エレベーターでホームに上がる。
上がってからまだそこに立っていた時、
あれ、袋を持っていない!
斜めがけのポシェットと日傘のみだ。

あれを忘れた。座席に置きっぱなしにした。
頭にガンときた。
回れ右、エレベーターを降りる。

あれを失った。大変な失態である。世に二つとない、本は買えるがあれは、私の心だ。

私には幸いにも行くあてがあった。いつも通るこの乗り換えの道にJRの遺失物届け所があるのを知っていた。
飛び込んで、説明する。

「11時2分発です、後ろから3両目くらい、ボックスになっていない席です!」

あとで電話をもらうことにして、這々の体でまた京成電鉄へ移動、ものすごい喪失感である。

一方、誰かがそれらを読むことを考えると、いたたまれなかった。さっぱり理解できないか、笑止千万な内容ではあろうが、ともかく読まれることは想定外なのである。

読む、誰かが。
読まれる、誰かに。
誰が。
どんな人が。

待てよ。
ここが我慢のしどころだ。日頃、神に言われてきたことを忘れるな。

この世の出来事に無駄なことはない。
その誰かはこの本や帳面を必要としているのだ。
私にとってより、その人にとって意味があるはずだ。

これで気持ちがうんと軽くなった。

電話が来る。「駅員がその車両あたりを見ましたありませんでした。どこにも届けもありません」

そうか、誰かが必要としていたのだ。
あげよう。

その日の夕刻、また帰りがけに寄るとやはり誰も届け出てなかった。

そうか、もっと必要な人がいるのだ。

誰にも話さず、孤独な時間だった。信じ難さは残っていた。私にとっての喪失感と誰かの役に立つ、ことは両立していた。

翌日の夕刻、母の帰りにまた遺失物届け所に行った。
「届け出がありました」

私はさすがに力が抜けた。また戻ってきた。
これまでの時間の続きを過ごしていいのだ。


で、
神との付き合いの全体の流れの中で
懸案はもう一つ、夫の取り扱いがあった。(なんたる文だ!)

母に先を越されて?
肝硬変初期の夫は、帰省を延期せざるを得なくなった。
はっきり言って、彼は母の成仏を待っている。
彼にもあまり時間はないかもしれないのだ。責める気は私には無い。

とりあえず簡単なのは、ゆだねる、という行為と気持ちだが、
それにしても、この世は私だけの宇宙であり、すべてが私が選んで決定したことである、という自由意志論についてはさっぱりわからないままである。
神って、万端、手を尽くして準備しているが、自由意志のままに動き、動かしているのはこの小さな創造主、我々、なのだと。。。????
 


2017年7月31日  待って、消えないで!ーー改め、今のうちに

未だに、私の九十五歳の母親の介護のことである。
そう、点滴のみで2ヶ月半、たった。
医者の予定?では今日が最終日、
七月末までとか。

今日は全く目を開けず、比較的穏やかにドラキュラの口を開けて眠っていた母のひたいに、私のひたいをそっと当てて、黙って別れてきたのだが。

帰りの電車の中で不意に思われたこと。
母のいる今のこの世の時間、今の時空、今のうちに何かを書いておこう、もう過ぎ去ってしまったら2度と手に入らないこの時間のうちに、母がいるという特別なこの世の時間のうちに!
切実に、この時空に掴み下がっていたかった。

なんでもいい、母のいる時間、というタグが付いている。
タグが大事だ。
さっき、ドラキュラの口、と書いた
口を開けたまま眠るので、この十日ほどは、口内炎がひどくなり、一週間前には、血を垂らし、口内も唇も血だらけ、うみだらけで横たわっている母を見て愕然としたのだった。血膿をごくりと飲み込んでいる。

これが口中に広がったら、と思うと絶望的なパニックになった。苦しませないと決意して看病しているのだ。
すぐに医師に相談して、幸いにも深く眠って苦痛を感じないようにと、点滴を減らしてくれることになった。
最近の若い医師は、延命だけに集中するようなことはないようだ。特に高齢者になると大問題、死活問題?である。

点滴が減ると、てき面に尿量が減る。
日々弱って、ウトウトの度合いが増えていく。
今日は、清拭と尿バッド交換の時、例のごとく左右に転がされた時だけ、片目を開けた。
ヘルパーが何か軽口を叩いた時、明らかに母の口が大きく、ひし形に開いた。それは笑った、ということだ。

笑ったといえば、

関西時代に、デイサービスで母が詩吟を少し習ったらしい。ある日、私が隣室にいると、どこからか、低~い、不気味な、単調な呻き声が長々と聞こえてきた。

何事であろうと母の部屋に行って驚いた。母が詩吟を唸っていたのである。私は大騒動し、私たちは大笑いした。

その話を、一月くらい前母に対し、一人語りで話して
「鞭声粛々~~
夜 河を渡る~~」
と私も一節唸って見せた。子供の頃ラジオでよく聞いていたものだ。
すると母が大笑いを始めた。声は出さずに、口をひし形に大きく開けて、涙を流して笑った。もちろん私も母の大笑いがまたおかしくて、涙を流して笑った。

あれが最後の大笑いになるらしい。

おとといは、母の好きな唱歌を歌って聞かせた。
母も私も歌は下手だが、好きな歌はたくさんあった。思い出すままに懐かしい歌を次々に歌い、母が眠ってしまっても、満足するまで一人で歌った。

七十二年、いや胎内を入れると七十三年の長い付き合いだった、実に長い。
母からは学ぶべきことはたくさんあったのに、少しも真似なかった。自由に生きさせてもらい、心配ばかりかけた。今尚かけている、覚えていないにしろ。

明日、また会える。
毎日こうして、往復4時間以上かけて通うことが意外にも苦にならない。


以下は、六月の歌
*光るなき入江の水の白白と六月尽へ母は看取りへ

*点滴の溜まりて腫るる母の身のいよよ即身成仏なるか

*言葉出ず飲まず食はずの94の名前を書きぬ計算もせり

*ニーチェ説く超人なるか我が母の飲食不要永久機関
 


ただ何か書くための余談として 「恵みの雨に 大地の恵みも」

先日NHKテレビで今の日本列島になるまでの地学的な話を放送していた。
要するに私の崇めている(?一目置いているということ、こう言うのもまたこれはこれではてな?ではあろうが)地殻の動きである。つまり、太陽や月や、諸々我々に影響を与えるものはあるが、地殻の動きも重大な影響を与えると言うことで。

かいつまんで書くと、西日本に当たる部分がまず大陸から捥ぎ離された。
そこの太平洋沿いには、何箇所も大きなマグマだまりが地下にあって、大規模な陥没と大爆発が起こり、
その灰は地球温度を10度も下げる程の量であり、1千キロメートルも積もったりする。
地下ではマグマだまりが次第に冷えて花崗岩になり、それは比重の関係で浮かんできて地表を持ち上げ、山の形が形成された。
東日本はおなじみの3つのプレートが押し合って海底が持ち上げられ、峰の尖った山脈になった。
ところで私の住む房総半島はなかなか生じなかった。もっとも遅く日本列島の仲間入りをしたそうである。

それで~~
何のためにこれを持ち出したんだったかな。
そうそう、結論、国土の75%を占める山々は険しいものが多い、このおかげで綺麗な水の豊かな(例えばヤマメはこの清流に生える苔を食べている、この環境あればこそ美味しい塩焼きをたべられる)自然の恵みをいただいているのだが、もし、プレートが今も絶えず押し付けてきて、山を高くしていなかったら、どうなる? たちまち侵食によって平地になり、四季の変化も自然の恵みも減ると言うことになる。

そんなこととは知らず、のんきに喜んだり怒ったりして暮らしていることではある。

さて、関東地方は空梅雨でいつ雨が降るかと、雨乞いでもしたいような日々が続いた。
と言っても
うちのあたりでは、少し土を掘ると水が出てくるそうで、どの家にも井戸がある。そのせいか、どの草木も日光を満喫して青々としていたのだが、私の気持ちとして心配していた。中にはさすがに水を欲しがる鉢もあったりして。

*雲よりも太陽強し 空梅雨の緑産み出す地球のパワーは

なんども天気予報にだまされて、ついに雨が降り出した時、口をついてできた、子供のように。

「雨よ、降れ降れ」
それに少し抑揚がついた。ここで雨雨フレフレ母さんが、、、とならないところが文学修行の成果である(関係ないか、この歌だって立派な詩である)と言っておこう。なぜならその抑揚は、ごく自然に北原白秋の「城ヶ島の雨」になって行ったからである。
それがわかった時、驚いた。もう何年も思いついたこともなかったのに!

 雨は降る降る 城ヶ島の磯に
 利休鼠の 雨が降る
 雨は真珠か 夜明の霧か
 それとも私の 忍び泣き

 舟は行く行く 通り矢のはなを
 濡れて帆あげた 主の舟

 ええ 舟は櫓でやる
 櫓は唄でやる
 唄は船頭さんの 心意気

 雨は降る降る 日は薄曇る
 舟は行く行く 帆がかすむ

youtubeで聞いてみた。やたらと難しい。これにオカリナを合わせようとした人もいる。
美空ひばり、倍賞千恵子、鮫島なんとかの三人三様の歌い方を聴いた。
ここでそれをリンクさせられたらいいのですが、サービスが悪くてすみません。

ドイツにいる友人にこのことを書き送ったところ、案の定、彼女も城ヶ島の雨の虜になって頭の中で鳴り続けているとか。
こんなことを体験して
なんだろなー、母が死と戦っている時にーと思ったが、少しの喜びの時間ではあった。

それで、生存本能があるのはどうしてだろう、
それは、何故生きていなければならないのだろう、とも問える
この生の意味は、と言う古今の問いになる
生きて何かをするために、かくまでこの世に居させられる
それが仕組みだ
では何を?
それにしても、死と死後のことがあまりに謎である
と、書いたが本当はかなり真実がわかっていて、知られていないだけなのか
知らされていないだけなのか、
恐ろしすぎるから、それとも楽しすぎるから、
楽しすぎてもISの若者のように、260人の処女を得ようと死に急ぐのだろう

(また変なところにさ迷い込んでしまった!
世界中の知恵者、天才たちをせっついて、私向けの答えの候補の手応えを感じてはいるが、
とても自分になど表現できない)

さて元に戻って、テーマだけがおぼろにつながっている。
昨日のこと。
母は変わらず薄眼を開けることもできない。目を閉じたままで瞬きをする。
呼吸のたびに胸が不自然に大きく動くような気がする。またいわゆる無呼吸が頻発している。
目覚めると、口をなんとかして欲しいらしく声を出す。
横に寝かせると少しは楽なようだ。

口内の不愉快と痛みを紛らわすために、また歌を歌うことにした。

>待ちわびし雨落ち始め「ふうるふる」と城ケ島の歌こころより出づ


城ヶ島の雨を歌おうとしたが難しすぎたので、雨降り母さん?に取り替えた。好きな歌で、孫に歌ってやったこともある。
しかし、
次はなんと「雨降りお月さん」が登場した。これまた何十年ぶりであろうか。
思いもかけず出逢った。

雨降りお月さん 雲の蔭
お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
ひとりで傘(からかさ) さしてゆく
傘(からかさ)ないときゃ 誰とゆく
シャラシャラ シャンシャン 鈴付けた
お馬にゆられて 濡れてゆく

一人でどうしてお嫁に行くのか、おかしな話である。
待てよ、これは母のことではないか?

終戦まであと一年半と言う頃(其の頃、それを知る由もなく)縁があって結婚ということになったが、花婿が急に帰国できなくなり、母は一人で嫁入りした。その時の文金高島田の写真がある。一人で立っている。ぼんやりした瞳だ。

歌いながら、その時の気持ちを思い、またそれからの時の流れを考え、目の前のやせ衰えたすがたをみて、つい泣けてきた。悲しいということではなく、人の運命への感動、慈愛とでも言おうか。
母は寝入ったしまっていたけれど、私の声が震えているのを聞いていたかもしれない。

母がまだ息をしているこの世の時間、柔らかい額の皮膚はまだ暖かい。


2017年8月13日 三題 七月三日の九十五歳の誕生日を超え、八月となり、4日となり

(1)
医師の予想を裏切って、母が七月を持ちこした頃、今更のようにわかったことがあった。

そもそもの発端は、敬愛する父の誕生日(何年生まれかは関係なく、月と日)が大切な長男の死の日となったこと。生死に意味を見つけたくて、この二人が時空を超えた生まれ変わりであるということにした。

偶然か運命か、議論は別れるだろうけれども、
その前から目の前に見せつけられていたのに、やっとその後わかったこと。
父の死の日が三男の誕生日である、ほぼ。誰が先とは言えないが、とりあえずは長男から父、そして三男という円環ができつつある。

その後、頼りの弟が亡くなり、その日がなんと夫の誕生日となってしまった。この二人は意外にもつながっていたのらしい。

そこで、母のうとうとする時間が増えてきたとき、やっと気づいたことがある。次男の誕生日が来週である。そこが重なり、二人の立場がつながっているのではないかと。
それは嬉しいことであったので、凄いなあと天を仰いだ。
(もし重ならなくても、ほとんど同じだ、と付け加えたのだけれども)


(2)
母がうとうとしながらも、口の中や右脚を痛がって顔をしかめている。
私はそのひたいを撫でながら、「もうすぐもうすぐよ、楽になるからねー安心して、もうすぐよ」と魔法をかけた。
この時は、昏睡状態になるということを考えていた。
八月三日木曜日のことである。

その夜、穏やかな顔になって目を開けなくなった。
翌日八月四日 午前も午後も変わりなく、楽になっていた。ただ呼吸が胸を大きく動かして、空気を求める、かのようだった。
六年前の弟の昏睡状態の時の呼吸に似ている。

看護師が血圧が取れない、と言った。空気が肺に入って行ってないと。下顎呼吸とか。

「では昏睡ということですね」と私。「危篤状態よ、おばさん」と姪が応じた。

私はまた、ひたいの暖かさを確かめるように撫でながら、「もうすぐ、もうすぐ楽になるからねー」と囁いた。その時は、母がそのやせ衰えた肉体を去って自由になることを意味していたと思う。

一人なら、残っていたのだろうが、その日は夫がどうしても見舞いに行くと言うので、仕方なく彼の運転で訪問していたのであった。
それは最悪な運転だった。ほとんど追突事故になりかけ、2回追突されそうになった、こちらのミスで。

私はこの夫を家に置いておくために、仕方なく帰途につこうとした。そしてつい、こんなことを母に頼んだ。
暖かいひたいに私のおでこをくっつけてそれを感じながら。「お母さん、無事に帰れるように護っててね」 
死のうとしている人にそんなことを頼む始末だった。

無事だった。降り口を間違えて遠回りしたが帰り着いた。

「無事だった?」と姪が電話してきた。「今からまたこちらに来る?」「また2時間かかるから、ちょっとわからないよ。また何か起こったら別だけど」母の施設まで電車で2時間かかるのだ。

一時間ほど後、夜七時十五分頃だったか。もう息がないと電話がきた。姪と義妹が髪をとかしたりしている時、顔が軽く動いたそうだ、そのままもう息をしなかったという。
その後医師が来て死亡診断書に老衰と書いた。彼はその夜あちこちで臨終を告げて回っていたらしい。

帰途の道中を護ってもらった、ということになった。少し日がずれたが、母の死の日と次男の誕生日がほぼ関連づけられた、二人とも芸術家肌である。納得納得。
そんなこんなの気持ちを、考えているうちはそうでもないが、言葉にして声を出すと途端に嗚咽になる、これはどういうことだろう。

とりあえず、さあ、死は来た、安らかな死を迎えてしまった。今晩は、どの本を読めばいいのだろう、何を、、、と頭の中が妙に寂しい、空っぽだった。


(3)
母の遺体はすでに葬儀屋の一室に安置され、これから、細かい打ち合わせに出かけようとしていた。
朝、バス停で、スイカを出そうとしたところバッグから鍵がすべり出た。そして落ちた。そしてそこには溝の穴が開いていた。お気にりの絹の飾り紐がスルスルと消えて行った。

これはまずい。家に入れない、夫は電話に出ない、玄関にも出ない。寝室の窓をノックするしかない。しかし、時間がない。えい、ままよ、このまま出かけよう。穴の位置を確かめる。大雨が降らなければそのままだろう。なんとか対処するぞ。

しかし、かなりのストレスだった。葬儀屋での話し合いに問題はなかったが、帰ってからのことを思うとク~~という感じだった。

道具があるか、それが問題だ。溝の蓋はビクともしない、棒2本で挟もうとしたが無論無理であった。汗を流しながらバス道で道路にうづくまってゴソゴソしている。
結局、夫が玄関を内側から開けてくれ、私が磁石が要る、というと、冷蔵庫に大きなのがくっつけてある、と言う。それに工夫して紐をつけ、さて、出陣だ。

穴にぶら下げ、地面で寝かしてから動かす、しばらくの試みののち、なんと鍵が磁石にくっついて上がって来た。その時の達成感。この大事な五色の絹の糸よ。組紐の飾りがとりわけ美しかった。

これから何をするのだろう。次は夫を見送る仕事なのだろうか。これはいかにも難儀そうだ。
それからおそらく、自分の死に方。



~~真夏に真冬の歌を  手持ち無沙汰のあまり?~~
即詠:
母逝きてなほもお喋り続くらし笑顔楽しも同じ屋に居て

大盛りの高砂百合に大き桃を 母の空腹せめて満たさむ


片方の手が暇になったところで
短歌をまとめてみました。

それにしても、ふと感じたのは
あちらの人は、実は残された人のこと余り考えていない
のではないか
ということ。
何かで結構忙しい?
こんなこと初めて考えた。


今年二月の歌です。ざっとでも読んでいただけるとありがたいです。



  「平成二十九年 立春」

蝋梅の蕾の辛抱ここまでと黄色深めて立春となる

美しき何かの記憶沈み居て甕の冬水澄みて動かず

如月は憧れゆかなむ白銀も白梅もよし見知らぬ鳥も

春立ちて水青むとぞ 輝ける季語はつかにも心騒がす



   「河津桜にメジロまつわる」 
 
桃色の河津さくらに草緑 メジロの群の歌のささめき

いにしへの音「越天楽」聴衆にこだま届きてとよもすため息(オカリナの演奏会の記憶 雅楽えてんらく)

放下してテレビの笑ひに身を任す仕事にあらねど我が勤め終え

テレビとふ平面に浮きつ消えつする死の相あまたドラマにニュースに

迫真の刑事物見て生と死の意味をも思ふリラックスしつつ

「ワクワクとして死にたし」とさんまさん ただの笑はせ上手にあらず(以上テレビ好きの私です)



   「春一番」

西風によろめかされて信号を渡ればそこに蝋梅の風

春一番二日続きて黄水仙なぶられゐるをおろおろ見詰む

コンビニは昔の八百屋と「お使いに」ゆく道の辺に春の花色

三寒に戻れば毛糸帽子とし四温の日差しはツバありに行く



   「ヒッグス粒子のさらに先」

この宇宙一か八かの境なるとヒッグス発見 課題またぞろ

生の意味あるやなしやと願ひきてヒッグス粒子の裁定くださる(この物質世界の存立はあまりに絶妙、あまりに際どいところで可能になっている、らしい。らしいです。)

求め求めたどり着きたる尾根道のあまりに狭き誰が選択

待てよ こは物の理のみの計算にて真空の気は考慮に入れず

ふた開けてネコの生死を決めるもの尊き意味あれ我らが願ひ

一粒をタネとして置きなほ五粒 在るとも無きとも神の劇場

ヒトたちは神の息吹を吐きながら思ひ思ひに舞台を通る

忘れつぽい我らに神のGPS取り付けあればいつも見つかる(ここらへんの歌は私の勝手気ままな思いです。)


ではお仕舞にいたします。

2017年9月25日 ま、いいか~~

昨夜、必要に迫られて自筆で歌を15首清書した。亜脱臼と言われている右親指の付け根に違和感があったが、我慢して書いた。

夜は痛くて眠れない。湿布を貼ったら普通はなくなるはずの痛みが底意地悪い感じで続く。
ま、これは何てことない。

やや問題は、母の逝去の後眠れなくなったことである。あれこれ試しても、4時間くらいがせいぜいで、昼間二回は死ぬほど眠たくなる。しかし苦しいだけで眠れるわけではない。
そうだな~ 夕方ウオーキングしてみるか。コンビニに買い物がてら、はやりのインターヴァル歩行で。
短いスパンで速足をやめると、その度に体が回復を図るので、その回数が増えて効率がいいらしい。
ま、とはいえ、これを実行できるかどうか。

3ヶ月休眠の後、太極拳練習を始めたところ、もう二回続けて誰もこない。一人ぽっちである。みんなだれてしまったか、他の用事を入れたのだろう。
仕方ないので、一人で自撮りをやってみた。ただスマホカメラの守備範囲の中にとどまらなくてはならないので、普通は5、6メートル必要な型演武を3メートル四方のところに収めなければならない。

ミズスマシのように、くるくる回れるように足の方向を変えて結構うまくできた。
おかしかったのは、もう動き始めたのに、右手首のシップに気づいて、動きながらひっぺがし、放り投げたり、あるいは2度目になってやっと電気をつけようと思いつき、あたりをうろうろし、戻ってきて一人でうなづいたりして、緊張感が全くないことである。
ま、それも楽しかった。

そうそう、練習の甲斐あり、また腰痛を克服できて、姿勢はいいとしても、丸見えの二の腕のいかにもおばあさんというたるみには参った。やれやれ。
ま、それも許そう。

この間に母の忌明けを受けて、やっとこれでダンナを帰省の旅へ連れて行けることになった。ところが、折もおり、ミュンヘンではビール祭りとなり、ホテルはとんでもない値段なので、十月半ばまで待つことになった。
しかし、それではもう寒すぎる。確かに。
冬の服がない、という理由でなんとダンナが今年は行かないと言い出した。
確かに、向こうの情勢は危うい。
(今は日本も危ういのだが。ホーキング博士が人類はあと100年で死にたえるとか言った。予想を10分の一に縮めたらしい)
ま、敵(!)がそういうならそれもいい。


姪から久しぶりに電話あり。母の介護認定がいまになって決まったとか。最も高い5をもらえると誰も予定していたのに、4だった。
あの状態よりひどい5ってどんなものか??
ともかく、その見込み違いのせいで医療保険も介護保険も許容範囲を超えて使ってしまったらしく、計算がややこしいことになってケアマネジャーさん、大困惑らしい。
ま、これもこちらはどうしようもないことである。


さて悪口ではない、と断って。。。。

うちのダンナだけど、自分で人並みにできることと言ったら、トイレくらいなのに、どうしてそうなるか不明だけれども、小用では便器の外に散らばしてしまい、あるいは水を流すとそれが溢れ出して水浸しになる。
もちろんその度に私は大いに喚き散らすのだが。

しかしその結果、トイレの神様の歌ではないが、私も相当美人になっていることと思われる!!

おまけに、こんなこともあらんとでも言う計らいだったのか、お隣のMrs. Kから新聞紙を毎日届けてもらっているではないか。
トイレ掃除の第一段階に必要な新聞紙の符号はぴったりと合っているのだ! これなくしては私は気が狂っていただろう。
夫の、こんな姿に惑わされないよう私の修行は着々と進んでいるのだ。
ま、そういうわけでありがたい。


一昨日、ローソンでコピー機を使った。短歌をできるだけ変な風に作って、認知症的歌風30首「十円の足らず」を投稿用にプリントさせんとしたのである。

よく忘れたりするので、しっかり原稿を手から離さず、機械にも置き忘れのないよう、注意万全、よしうまくやった、と元気に次の買い物へと移ったのであった。

ダンナの好きな赤烏帽子、ではないが、フルーツヨーグルトを集中して見ていると、「あの~」と店員がそこに来ている。
「これをコピーされたでしょうか」と一枚の紙。私の身上書ではないか。原稿に付けるためのもの。
「え、まだ忘れてた?」と独りごつ。
「いえ、落とされたようで」

私の指にはもう感覚神経が少ないらしい。よくある。十円玉と百円玉の見分けもつかないし。
ま、お手上げだ、仕方ない。


さて、このように種々「ま、いいか」を繰り返す日常であるが、最後に友人に起こった話を。

彼女はまだまだ、かなり気の利いた頼りになる老女である。銀行で、10万円を下ろし、それをさらに数万円ずつ2箇所に振り込んだりをうまく済ませた。
間違いが起こらないよう、お金をしっかり意識して動かした。

買い物などして帰宅、カバンを見るとなんとなくお金が少ないのに気づいた。電話でお店に尋ねたりする。

間も無く電話があった。彼女の銀行からである。お金が無くなっていないかと尋ねられた。確かにそうなのだが、この質問はなんなんだ??

説明があった。落し物として届けられたので(謝礼はいらないですから、と断られた上で!)、当該のATM付近の監視カメラを当該の時間、ずっと観察したのだという。(まるでドラマみたいなことが起こったのだ)

すると、浮かんだのがこの友人の姿である。多分口座番号も同時にわかるのだろう。名前も電話もわかる。
そして電話されたのであった。
ただ、無くした金額は向こうからは言ってくれなくて、いくらですか?と尋ねられた。幸い、友人はもう計算していたので、
「2万円ちょ、、」と言うと、
「そうですよねえ、2万円ですよねえ!」
と相手も大喜びで言った。もう口座に戻してあるので心配なきようと。

友人は、ちょっとしたお菓子を持って銀行まで出かけた。
この心がけが良いのだろう、私には真似できないかもしれない。
つまり、カウンターで訳を告げ、当時の担当者を尋ねるとお待ちください、たぶん副支店長ですから、と待たされた。
どんなハゲ親父が(とまで友人は言わなかったが、近いことを想像していたかも)出てくるかと思いきや、
「それがね、すごい美人だったの!」
と彼女は遠い目をして感激を思い出している様子。
「女性?」
「そう、テレビに出るような人など足元にも及ばないような超美人だったの! もうぽけーっと見つめていただけ」
幸せそうな彼女に
「男性でなくてよかったわねー」
「そうそう、大変なことになるところだった!」
と、老女二人大口を開けてカラカラと笑い合ったのであった。

おまけ付きの話であるが、
言わんとしたことは、この友人の指にも触覚神経の摩滅があったということ。
しっかり握っていたものが滑り落ちてしまい、その感覚、その音にも気づかない。

ま、いいか、仲間もいるし。


2017年10月23日 人を待たせる

さて、どうなりますやら。

可笑しいことが溜まってきたので発散いたしましょう。

可愛い嫁の藍ちゃんの
緑の黒髪につけて欲しいと思って
誕生日祝いに
多分パレッタ、というものを買いにそごうへ一路。

滅多にない余所行きというので
とろとろの生地のジャガー柄のワンピースに
寒いので足首までもあるロングコートに
中国製の植物繊維で編んだ帽子
いざ。

7階のロフト近くにはたくさんのATMが並んで
おりまして
何と辺りにはひとっこひとりいないので
ゆうちょのコーナーでのんびり、
安心しきって
間違いなんかも犯しながら
焦らず慌てず手続きすること
多分十五分?

もしもし、と声がかかる。まだですか
はっと見返ると、どうしたことか、10人くらいの行列が!! どこから急に湧いてきたものかと信じられない。
たくさんの顔がじっとこちらを見つめている。

ばあさんらしい行動をしてしまった。
呆然として薄ら笑いしながら逃げていこう。

参った。

相変わらずうすら寒い日が続き
起きるや、いきなりくしゃみに襲われた。
全く抵抗できない、突発的なもの。2回のみだったのに

背中全体がカチカチになり痛むではないか??
ありえない。
しかし、母も庭に立っていて背骨の疲労骨折を起こしたし、くしゃみでもありうるらしい。

なので近くの整形外科でレントゲンを撮ってもらおうと
出発。
この時の服装も、わざとシワシワにした素材のワンピースに、懲りずに例のロングコートであった。(服装はただ付け足しの情報、誰も興味などないだろうが、私以外)

待ち時間が永遠に続きそうなので、ありがちな行動をとる。トイレ。
とても美しく、高級なウォシュレットなので使うに如かずとばかり。

シックな照明の入り口のドアを押すと、だ~れも居ない。待合室はいっぱいなのにしめしめと、ゆったり気分になって二つある個室の一つへ。

全く焦らず、用を足して、水を噴出させうまくいった気分でいると、どうしてこれを止める?と言う大疑問が!!

壁につけてある四角いプレートの、右上にお尻の絵、右下に女性の絵、左下には??認識不可。 
自宅では、お尻と女性と止めるが一列に並んでいる。
間違いようがない。
しかし、ここでは一片20cmもあるプレートのどこを押すと止まるのかわからなくなった。

同じところをもう一度押してみる
ブルブルするのみ。
また押してそれを抑える。
立つわけにいかない、困った。

数分して、あ、左上に止まると書いてあった。
こんなところを押すんだ。く~~っ

やっと出てきた。
目の前、またもやたくさんの人の顔に出迎えられた。
またもやわやわやと湧いて出てきたらしい。
どの顔もイライラしている、当たり前だなあ

コソコソと、薄ら笑いを浮かべて、すんませんと小声で。


いずれの日も、その後ずっと恥ずかしかった。
今日、小さな郵便局では、絶えず後ろを振り返り、気配に耳を尖らせていたのは勿論である。

(なお、背中は単に筋肉痛だろうと言われた。
腰椎の方が痛みはないひどい状態らしい)


~~涙腺問題?~~
今年3月18日の日記に、
ドイツの唱歌「仮題 神は無数の星の一つも見逃さず」に感涙を禁じ得なかった私の体験を記している。

♪夜空いっぱい、星はいくつあるだろ 大空ゆく雲も数限りない
そのひとつも忘れず そのひとつも逃さず 数えてくれる 神は数える

♪陽を浴び飛びまわる たくさんの羽虫 涼しい川の中 たくさんの小鮒
呼んでいのち与えた 楽しく生きよと 神は名を呼んだ

♪朝は早く目覚め 昼は楽しく わずらいもなくその日
過ごす子供たち 
神様のお気に入り かけがえのない神の愛し子

**
それから半年が過ぎ、10月1日に、 
NHK「人体 神秘の臓器ネットワーク」腎臓編を
見ることとなった。

脳神経細胞のネットワークにより、
情報と司令とフィードバックというやりとりの網の目が
全身をコントロールして、
あたかもロボットででもあるかのように
我々は動いて感じて認識している。

そう理解していた私だったが、最近の知見によるとそう簡単な仕組みではない。

また再放送があるだろうので、詳しくは是非見ていただきたいのだが、

とりあえず私の理解したところでは、、、

どこから、あるいはどこまで脳神経が関わっているかはわからないが、
臓器それぞれが情報交換をしていて、
需要と供給の協力関係を構築していることが、
技術の進歩により、
特に今回はミクロの世界をじかに顕微鏡下でその動きを見ることができるようになったことにより、
この事実が明らかになったのである。

需要と供給、という単純なやりとりではなく、
たんぱく質や分子など身体保持のために重要な
ミクロの物質の過不足がまず知らされる、

例えば腎臓に向けて心臓から
「苦しい~ 力が足らない」と通信が来る。

腎臓はすぐさま血液から水分を濾過して尿を多く作り排出する、
すると心臓は動かすべき血液量が減るので、一息つけるのである。

あるいは、このとても複雑な器官は
(ところで日本人にはこの0、3ミリほどの濾過部分・糸球体の数が少ない人の割合が高いそうだ)
何かが足らないと聞くと、

濾過した血液
(まだ尿ではない、栄養分がたくさんあるので回収するために日に15リットルも通過させチェックする)
を回収する経路にある小さな弁を
開いたり閉じたりして、
分子?の量を適量に加減して、
血流にのせ当該の臓器に送り届けるのである。


これは実にいい加減な記述ではあるが、
一段一段と小さな過程を、
まるで自動制御のように正しい方向へ積み重ねていって、
我々というバカでかい組織が日常的に、
アホなことをして体を壊していくのを
補強してくれているのである。

絶え間なく、全力で、壊れるまで頑張ってくれて
この命が永らえているのである!!

私の中に感慨が湧いた。
無償の愛を感じた。ここまでの知恵の限りを尽くしてのこの体を維持してくれる深い愛情を感じた。

こんなにもこの体は守られて大切に思われ、育まれ、護られ、愛されているのだ。

この限りない智慧を注いで何も言わない仕組み、これを愛と呼ばずに、いわゆる神と呼ばずになんと言えばいいのだろう。

そう感じられて、私は号泣した、ありがたくて嬉しくて尊くてたまらなかった。
ここにその証拠がある。
人間はついにその意図の証拠を発見することができたのだ。

>無限にして無償の愛の為す技と人体の妙テレビに嗚咽す

>わがうちぞ 指に触れゐるこの身こそかの存在の愛の手の中

>わが命守らんとてぞ精妙の絶妙の知恵を愛が動かす

>惜しむらく人の営為は無残なれ ついについにぞここに至れり

**
幼い時、父に叱られるのは結構好きだった。コラと言われるとケラケラ笑った。本式に叱られるとポロポロ涙が流れたが、それは悲しかったからではなく、父の言葉に感動して心が震えるからだった。
(ちなみにこれと正反対の怒り方は、行為のみならず人格を貶め、理解しようという気はなく、逃げ場がなくなるまでやめない。たとえこちらに直接の非があろうとも、その遠因はあなたでしょう、という深い恨みのみが残る)

どう見ても、論旨がめちゃくちゃではあるが、、、

**
ともかく。
この番組を見て以来、意識するようになった。
こんな人に私はなりたい。
私の祈り(この言葉には問題があるがとりあえず)によって私の赴くところ、
電車の中であれ、そごうであれ整形外科であれ(笑)、
行くところを天国にしてしまおう。
何も特別なことをしなくてもいい、
この意識によって天国が生じるのだ。


これは、精神病院ものかもしれない、多幸症という病もあるので、あまりにもおかしいのは確かだろう。

誰に迷惑がかかるわけでもないので、そうさせていただこう。
愛と知恵と天国以外に存在するものはない。
地獄の幻を見ているのだと。

**
そうだ、なぜ父の話が割り込んできたか。

昨日テレビでディズニー映画「邦題 人生、サイコー」を見た。

奇想天外な設定で、見る人によっては、チンギスハンを手本にした男性の夢だ、と思われるかもしれない。

600回以上も精子提供行為をして男がいる。

もちろん秘密保持契約をし、かつ、自分は大した人物ではないので使おうという人もいないだろうと思って、つまりはそれの報酬を生活の足しにしていたというのである。

二十年ほど経って、父親(仮名スターバックで提供)を識りたいという若者の訴えがあった。
その数500人以上!!

病院側が秘密を半ば漏らしたのである(最近はこんな例が多く、父親の特定が許されることもあるとか)。

偶然その訴え出た若者たちのファイルが手に入ると、
その五百人以上の子沢山の父親は、
一人一人、こっそり近づいて助言したり、知り合いになったりして、
挙句に彼らの作る「スターバックを探す会」に自分も入会、ともに楽しい時を過ごす。

中には貧しかったり、芽が出なかったり、小児麻痺だったり、
愛されるべき人物ではあるが無能な人間である彼には手に余るようになった。

そう、彼はこの子供達の守護天使になることを自分に誓ったのだ、間違いばかりしてきたが、今こそ唯一、人生で正しい選択をしようと。

最後には自分がスターバックであり彼らの生物学的父であると告白した。偶然同時に、初めて性行為により子供を得ることもできた。


やはり涙腺が脆くなっただけかもしれない、
ともかく私の目からまた涙が溢れた、
これは父なる「神」の心と同じではないか!?

地上のすべての生物と人間をもなべて愛してくれ、
我々はひたすらに愛を注がれている!!
そう思って感涙したのであった。

愛の神、その存在という確信を得るのは簡単でもある。
それを感受する脳の機構もある。

問題は、この現在の現実をどう解釈するか。
神は問題を解決しない、自然と生物に任せている。
そこにどんな仕組みを考えればいいか。

重要な点は、人間の自由意志である。
特に人間は独立自由決定ができなくては神の子とは言えない。

人間がこの世を地獄ではなく、天国にするのだ。
そうするには、何が欠けている? 
何が邪魔している?

**
そうそう、もう一つ、
とは言え、ここに書いたようなことは私という好事家のタワゴトであり、
笑って読んでくださるといいのですが。

これから、神学というより、哲学を学ぶ者にしばらくなろうと思う。
そのテキストはとりあえず、ヤスパース(1883~1969)哲学入門 である。
難しい。しかし幸いにも原典も読めるので咀嚼していくつもりである。


2017年11月17日 水素水浴と軍鶏に出会う

単なるこじつけとも、狂気とも思われるかもしれないが。
そんなことなら書かざるべし、となるところ、何しろこれは私の美貌、おっと、備忘録なので書く以外にない。

数日後には、すっかり忘却の彼方、かもしれない。
そうであっても世になんの差し障りもないのだけれど、せっかくこの機会が存在するのでやはり利用させてもらおうと決心して。


その1 *****
10月19日、ダンナがどうしても合気道を見学だけでもしたいと言って聞かず、私を恫喝して来た。
最近息切れが改善したので欲がでてきたのだ。

じゃあ一人で行ったら、と言うと、
「何かあった時にそばにいてくれないと困る」
「あんたは命をかけて合気道を見にいくのね」
「そうだ」
「それじゃ、せめてお願い、と言いなさい」
「お願い!!!」
と彼は怒って怒鳴った。

実は私も気にはなっていたのだ。齋藤先生が最後に会った二月前にはエネルギーが細ったみたいでヨロヨロしていたのだ。
HPも更新されていない。


あれ? 齋藤先生、見るからに元気だ。
向こうからニコニコしてやって来た。
お互いに「生きてたか」と言う無言の交感があった。

「水素水のお風呂に入ってるんでね」と話がすぐに本題に。数日前にどこかで私はその話に接していた。
来た!と言う感じだ。

宇宙で最初にできた原子である水素、小さいので普通の容器では通り抜けて出て言ってしまう。
お風呂だと体に直に入り込んでいって、
活性酸素の0-0-0にくっついて 
H-0-Hつまり水になり、
残りは酸素だ。

これまでからすの行水だった齋藤先生が、爾来お風呂が楽しみで、出るのが惜しいくらい気持ちよく、ひと月もすると、仕事が捗り、よく眠れて、みんなが顔に何か塗ったの?と尋ねるほどツヤツヤして来た。

指導の様子も、リラックスして楽しそうにしている。前のような痛々しいところがない。

私は、この世の真理と人間の行く末を知るために長生きしようと決心しているが
(何しろこの決心が遅すぎたので残り年数が少ない、しかし、この人体は実はかなり長く使えるように設計されているとか)、
水素水の理屈はかなり的を射ているように思えたのだ。

ただ、そのためにいくらお金がかかるかが問題だ。


その2 ****
二つの台風の合間に唯一、晴れた日があった。10月20日だったと思う。

珍しく散歩に出かけた。これと言った自然がない辺りなのだが、川はある。

海に近いのでもろに潮の満ち干の影響がある。
川幅は5メートルほどだろうか。
両はしの部分は浅瀬になっている。

その左右の土手が人工の緑地になっていて、まずは椿とどんぐり関係の?木々が茂っている。

影の多い薄暗い公園は、小さなどんぐり(椎の実?)がびっしり散り敷かれている。

うっかりするとそのコロコロの車輪に乗ってしまい、バランスを崩しそうだ。時々お年寄りが犬を散歩させているだけ。椿の実を一応拾っておく。

平成通りという大きな道にぶつかるので、そこを横切るとまた川が続いていく。

そのあたりは桜並木で、春には人出が多いのだが、まだ紅葉も始まってはいないので、だ~~れもいなかった。

草の中に亀の甲羅があった。ちょっとのぞいたが生きてる気配がなかった。

さらに川の方へ、理由もなく近づいた時、バタバタと羽の音がしてその先の川の浅瀬に着水したものがある。

川までは急な傾斜でなんとなく濡れており、その先には川を距つ金網があり、木や草が茂っている。私はてっきり鷺かと思い、その姿を予想して見つめた。

白い、でかい、威厳がある、首が短い、顔が赤い、嘴が小さい、歩き方がニワトリだ。大きな尾羽がふさふさしている。
ニワトリのように見えた。しかし、飛んで来たのだ。水に入った。何かをついばんでいる、つがい。

わけがわからない、おまけに色々なものに邪魔されてよく見分けられない。どう見てもニワトリ系ではあるが。

しばらくビデオに撮って、帰りかけた。

すると亀がいない。あれは生きていたらしい。

帰ってから検索すると、何の事は無い、しゃも(軍鶏、闘鶏)であったらしい。野生なのだろう。


その3 *****
カール ヤスパースの著述選集をふうふう言いながら読んでいた。これはいかん、と思って彼についての伝記を並行して読む。
私の結論!(笑) 
彼は実存的有神論的哲学者である(キルケゴール、スピノザの系列)。この手の無神論者がサルトルなど。

そのうち、いわゆる宗教的恍惚状態に関する情報がもたらされて、話には聞くが、と、もちろん興味を惹かれ、W. ジェイムズ「宗教体験の諸相」上下を手にいれた。
いずれの本もアマゾンで安く手に入るありがたさ。

今読んでいるところでは、宗教には、というか信仰には、楽観的なものと悲観的なものとがあるそうだ、そこまで進んで来た。
いわゆる全能者に100%委ねるお調子者か、原罪(不完全な人間)という蟻地獄と救いとの間で矛盾に沈む者。

で、その分厚い本を読みながら、何気なく次のページをめくった時、左側に「軍鶏」という字が目に飛び込んで来た。

指はさらに次をめくっていたが、何かあったぞ!!と思って振り返ったのだ。
(ヴォルテールの「無関心主義」の熱狂を「年とった軍鶏のようなたくましい精神」と形容している箇所であった。ちなみに、次のような言い回しも引用されていて面白い「あの学生は神の存在しないことを信じて、それを崇拝している」)

この調子では、「亀」という文字が見つかるかも!!(笑)


こんなことで、神経をピリピリさせているのも確かにおかしい。想定外の成り行きに出くわす、と思う。シンクロニシティかと。

今日はここまで。
笑止千万ということでよろしくお許しくださいませ。
ご笑覧ありがとうございました。


2017年11月17日 小江戸、川越に遊ぶ

空の上半分がまだ青く、下部はバラ色の晴れた夕空である。下弦の半月はおそらく深夜まで登場しないのだろう。

*前回の記述以後のまとめ。

この10日間、亀とはどこでもすれ違わなかった。
水素水浴の計画はまだ実行できていない。

心理学的神学的哲学者カール ヤスパースについての本を読み終え、次に読む次第となった宗教体験の本を読んでいる。
が、なんとなく気力が上がらなくてスピードがない。

それもそのはず、顎や脚や手の甲や、かぶれたように発疹ができて痒い。

塗り薬の痛み止め、液体の痛み止め(いずれも関節用)、液体のかゆみ止め(ムヒ)の3種類を勘違いして使った(我ながら呆れた!)ことで、悪化したのかもしれない。

あるいはダニも一役買っているかもしれない。


肝心なこと:頭を悩ましているのは、あの::の呼び名のことである。

どう考えても、私の想像可能性の規模をはるかに超えた、
定義不可能な存在(こう書くとすでに人格がくっついてきそうになる)に
何と呼びかけたらいい?

そんな名称が存在しない、無理だ。
在りて在るもの
叡智
万有
神様(勿論、しかし、この記号はとてもじゃないが手垢にまみれている)とか。

呼びかけられないと瞑想もうまくできない感じがする。

おまけに、現実にも囚われていて、これから先のことを考えるとどうもまずい状態なのだ。

しかも、もっとまずいことには
11月7日の朝、目覚めた時に事態のまずさがわかった。

自分の悪行で大切な人たちを苦しめたことが馬鹿にはっきり理解できた、できれば無視していたかったことが。
ぞっとするほど、つくづくとわかった。

>許さるるなきわが業と思ひ知るいかでか知らねけふとふ刻に
>惨めなる死にざまならむその筈とこの身に敢えて悲痛をねがふ

*その日の夕刻、その昔のママ友のハナ子さんが、ドイツから日本に帰省していてLINEをよこしてくれた。

明治神宮の銀杏並木が綺麗そうなので3人で行こうと誘われる。夫は渋々ながら心づもりしていたが、ついにやはり諦めてくれたので(!)、二人で少し遠出ができそうになった。

川越、ということになり、イザ小江戸の雰囲気をと、新宿から埼京線に初めて乗り、初めて埼玉県に足を踏み入れた。

旧市街、といった感じの通りで、まず、最初の豆の店であまりに甘さが素晴らしくて、脳がいかにも喜んでしまい、早速買ってしまった。

ハナ子さんとは、
あの(生真面目な)ドイツ人が今や、日本の漫画やコスプレやキティちゃんを受け入れるなんて、考えられないことが起こっているのよねーなどと話しながら、
例に漏れず私もキティちゃんの茶道ストラップを買ってしまう。

ひたすらうろうろしているうちに、早も日暮れが近くなり、道の最後の店に入った。

もうそろそろ店を閉めるとお内儀さんが言う。

ダンナに何か、武道的なものを探していた(半分は機嫌を取ろうとして)が、最後の最後の瞬間にやっとそこで見つけた。

名前の字のストラップコレクションなのだが、たくさんの中から、探しているうちに、最後に見つけた。

「魂」それに、「空」の二文字を。

アルミ箔に字の形がくっきりと型抜きしてあり、打ち出された字もぶら下がるように仕組まれている。
これ!と一気に決まった。

*帰りの電車内で、二人とも問題解決の糸口をなんとか見つけたく、細々と喋っていた。

問題とは、老後どこに住むか、と言うことだ。
彼女は離婚して息子と二人暮らしだが、要するに私も彼女も日本とドイツに心が引き裂かれていて、困っている。

出身地の田舎だと家を建てることのできる彼女は、しかし都会が好きなので東京で借りたい。

「でもさあ、こんな風に1、2ヶ月自由に旅行して回れる人には日本に住まいはいらないんじゃない?」
と私。
「半年半年で過ごしたいのよ」とハナ子さんが続けて「そうすると根拠地が欲しいわけで」と言う。

「私も行ったり来たりが理想だけど」と私が言うと、いきなり彼女にアイデアが降りてきた。

そうは思ってもなかなかそこまではっきり言うことができたのは、やはりパワーのひと押しがあったのだ。

「わかった、私たちで住まいを半々で住むことにしましょうよ」
「そうね、交代で住む、いい考えだわ(やったー)」

と言うわけで、意見が一致した。その時池袋に着いた、別れの刻であった。
ハナ子さんはここで降りるのだ、その一瞬前に決定した。

窓の外で手を振る姿が見えた。この瞬間に決まったなんて、、、と流石にあっけにとられた。
そんな住み方を実は想像していた。
切り出すことはそうそう簡単でない話題である。
ともかく希望は伝え合うことができた。

*結局、かなりおかんむりであったダンナとまた無事に会い、ストラップを差し出した。

しかし翌朝、使うところがないから要らないと返してきた。
それを契機に、ケンカなどせず、物理、心理、真理などの話となり、並行宇宙に住む夫婦ということになり、魂と空の二文字はまた受け取ってくれた。有り難かった。

>「魂」と「空」の二文字川越の道の終わりの店に贖(あがな)ふ


2017年12月13日 タイトルを考え忘れた、、、急に寒くなるらしい

11月半ばに、川越に遊んだ時から、ひと月経ってしまった。
近いところで憶い出すままに。

昨日12月11日月曜日。
南風しきり、いつもより3度は気温が高い。
翌日には寒くなる季節のチェンジ。

十年、温かく見守ってもらった歌の師匠に感謝の一端でもお届けしなくてはと焦ってはいたが、
さてどうしたらいいものかとここしばらく案件として抱いていた。
(なぜなら、自分の歌の下手さ加減に嫌気がさして、衝動的に退会してしまったものの、師匠はじめ、歌会のみんなに非常なショックを与えてしまうことになり、後味の悪さがあったのだ)

するとついにきた。
私の愛すべきアッシーさんが、
「ひょっと思いついたので本日、お寺さんに海苔をお歳暮に送ることにした」と言う。
新海苔がもう出ていて、彼女が長年働いていた海苔屋さんなので、すべて心得ている。

これを好機と受け取らずして何としよう? 然り。
一件楽・落着のこと。

ところで同じ日の朝のこと、起きてみたら、

(起きる前にもう、家中に散らかっているゴミを集めて、早くにゴミ出しするのにほとほと疲れた、と言う感じがして、「何の楽しみもないなあ」と暖かい羽毛布団から出たのだが、、、)

廊下に大きな満杯のゴミ袋がくくって準備してあるではないか。
誰がした?
「敵」しかいないではないか。
本当に? 
ペーパーゴミ製造機(潔癖症ゆえに)、かつ粗大ゴミ(謂れは略)である仇敵が?

最近、親指の関節炎をアピールしていた私の作戦がかくも成功するとはね!

すると、不意にこの「頼りになる存在」が同志のようで頼もしく、あてにできるのが嬉しくなった。
そうか、私はそんな同居人が欲しかったのだ、この感じが。


さて、少し遡り********
11月は、おおよそ「宗教的体験の様相」上下巻を読んでいたらしい(驚くほど記憶が失われる! ほとんど読む甲斐なし!)。神秘的体験の研究書、ただし19世紀。
人間の脳の不思議といおうか、「聖徳」なのか不明。

ただ、11月22日に
下巻の20章に「神の信義」という字を見た。見た途端に感極まった。初めて見た言葉なのに??
おかしなことだが、いわゆる神の本質をこの言葉に見ることができると確信した。
(人間はあてにならない、しかし神の約束は絶対だ。他力本願の核心に触れたような気がした。この定義と概念をもって、その仕組みを神と仮に呼ぶ我々であること)

*12月の満月の日、3日に
Mrs. K に連れられて何となく図書館へ、目の前の書棚(ジャンルをはみ出た部類の場所)をザーッとみていく。

ん? 「生命とは何ぞや」と言う厚い本がある。ベタなタイトル。宇宙超出学??? 
とりあえず「現代諸科学の検証を通して生命の体系的構造を明らかにする」と言う意図の本らしい。

借りてから、ちょっと読み出して、あ、こりゃダメだ、と投げ出した。
我慢してさらに少し読み、あ、すごい人だな、と思い直した。
が、あまり読まない。

身過ぎ世過ぎのためにだらだら過ごす日々、
12月5、6、7日ごろ

テレビで見る海外ドラマのそれぞれで「変化」「意思」「理想の自分」と言うフレーズがやたらと使われているゾ、とか

8日に、昔からのHP(亡くなった長男のいわば墓碑として、十八年来の)や新しいツィッターに「信義」のこと、宣言しておく。

その翌日9日。
パソコンがストライキを起こしている!! 愕然とする。
アカウントエラーとかお知らせも来ている???

少しいじってみるが、とりあえず「自分で直しておいてね」とPCに頼んで終了。
と言うのも突然、ひらめいたのだ。

「あ、そうか、ネットで遊んでばかりいないであの本を読めってことね! はいはい、致します」

そこでひとしきり、それを、どんな誰がどうしてそんなことを延々とルルと書き続けているのかさっぱりわからないまま読む。それがある程度理解できるのは、物理や生化学の片々の知識、プラス、例の「神との対話」を読んだことの影響である。そうでなければとても意味をなさないことだろう。
この本に私にとっての意味があることは確かだが、まだよくはわからない。

「こりゃ、いずれにしろ天才の一人だ」とあちこちで感心しつつ読む。アインシュタインと物理世界の仕組みを解釈していくようなものだ。
大丈夫、私は時に涙腺がゆるくなるが、その割には冷静さを取り戻す。第一、この本には感涙するようなフレーズはないようだ。(後記、2018年12月に偶然に!この本のメモを見つけた。新しい目で読み直すとその素晴らしさがよくわかった。天才だ。)

翌朝、10日日曜日は
まだうっとおしい気分で目覚めた。
だってパソコンが壊れている。アカウントエラーなんて最悪だ。
アップルに電話かけるかなあと思いながら、開いて見ると。。。。

もちろん! 
ちゃんと自分で治している。さすがアップル。

気分良く新聞を読む。お隣から毎日もらう昨日の新聞だが。
そこに、これこそダンナが必要なもの!と言う製品が新発売されていた。
なぜかという説明は省くが、要するに椅子に座った人が、ホットカーペットを足の下から膝上までかけて、すっぽりこたつ気分になる、というシロモノである。
勇んで注文、火曜日には来るそうだ。

おまけに、その紙面には、父からの昔馴染みの生長の家の新しい本の宣伝もあった。右寄りの傾向があった教義は三代目により、変化させられたという噂だ。読んでみたいと思っていた。

もう一つ、ラッキーだったのは、例の、年寄りの冷や水で私が落として壊したオカリナのこと。
上のファの音がやはり治らない、というので何と先生が(私たち生徒平均年齢、多分七十歳を相手に娘ほどの年齢の)新しいオカリナと取り替えてくださったのである。

(が、目下のところ、それに慣れるのがやや問題で、私の親指がますます痛くなった。
もう一つやや問題なのは、補聴器のことである。右耳が難聴になっていて、検査によれば、たくさんの音が認識できなくなっている。それはもはや脳の認知機能の衰えであるそうで、できるだけ音を聞かせないとますます衰えるので、トレーニングと思って補聴器をつけるようにと、いうことになった。その補聴器というのが高価なばかりで不愉快極まりないのである)

*たらちねの母の情けは描かるる花とし今もわれに息づく

*花びらの輪郭描く細線の精確にかつ無きが如くと

*黄金のいちやう並木にまた会へり ただそれのみのけふの出来事

*日も月も同時に沈みがらんだう 霜月に増す自転公転速度 

*氷雨の夜をホームレスのごとただに耐へ 朱の玉一つ藪柑子の実


日々の些事大事、備忘録として記しました。



2018年1月25日 遅ればせながらやっとの事で?

太極拳の稽古の帰りにデニーズにふらりと入った。

公民館のそばなので中高年女性で一杯の喧騒。
お一人様の私はやおらクーポンを示して、カレーとドリンクセット100円引きを確認する。
実は目的は苺たっぷりサンデーであった。何年も食べていないサンデー。

それが運ばれてきたとき、斜めの女性がちらとこちらを見た。見られたか、と苦笑する。だって、そりゃそうでしょう、二度見するかも。

でも、この柔らかな喧騒の中で、静かにしんと自分に集中できるのが快かった。


やっとどうにかたどり着いたかな。
いや、どうだろう?


この宇宙を構成するもの(?)でその存在のうち、
普通の物質はわずか5%である。
1/3ほどは暗黒物質、残りはダークエネルギー。

私としても、この割合で構成されているのだろうから、謎の存在がこの身体のほとんどを占めているわけである。

このスケールで自分を触ると、実体があるように感じる、脳はそう感じる。

しかし細胞の次元では生体工場のように機能していてお互いに連絡網を張り巡らせている。

細胞核の次元では化学反応が主役である。

さらに超ミクロの次元では量子が奇妙な振る舞いで動いている。
初耳のことだったが、量子の次元では時空が別れてしまう、なので同時に別の場所に存在したり
、遠い場所にある存在が同じ情報を持っている
、ある時は粒でありまた波である、などの事態が生じると聞いた。
存在は単に数字であり、あるいは情報であると言う話もある。


とりあえず、ここまで科学的真実を究明してきた人類の端っこの一人として、
個人的にいわゆる「神」の存在を探求しよう、

事実何らかのやり方で存在し、影響を与え、生物の悲惨を慈愛を持って掬い上げてくれる者であるはずの「神」に、迫ってみようと思っている私、遅ればせの老女。
ないしは焦っている老女。

(寄り道、変な映画があった。「神」はとんでもない意地悪なクズ野郎で、下界を苦しめて喜んでいる。ただその息子がイエスと言い、救いを計画した、云々。
笑えた)

で、曲がりなりにも、何かに導かれるように、二年近く歩んできた。

いまだに引っかかっているのは、唯一のその存在を何と呼びかけるかと言う問題。
呼びかけれなければ話しかけられない。

ここには、自分の心がかかっている、そこには自ずとその大存在の定義と関連性と意味がかかっている。
この私でなにを達成できようはずもない。不可知のままであるとしても。


最近、導きによりある本を読んだ。

見えるものと隠れて見えないものとが存在しているこの世界。
「隠れ身(カクレミ)」が縮まって「かみ」となった。

漢字の選択にはまたそれなりの理由はあるのだろうが、ともかく「かみ」と言う発音に重大な基本的な意味が隠れていたのだと思えた。
なので「神」と呼ぶことができる。

しかし、そんじょそこらの神ではないので太いと言う字をくっつけて「太神」としよう、それでいいですね? おおみかみ。

さて、当然のことに、
私と言う存在は法則である神の法則に則って存在させられているので、神そのもの、ないしはその縮小版である。

いわば神の子であるが、大海の中の一つのしずくのようなモノではあるが、神と同質である(とてもそうは見えないとしてもそこにはそう見えない理由があるはずだ)。

この私の現在意識、潜在意識を持ってしても足らないまだ深いところに真の我が同居しているはずである。割合は知らない。

それをなんと呼ぼう。以前はハイヤーセルフ錐子さん(自分の名前)、と呼んだ事もあった。
なんだかなあ、気持ちはわかるが、とずっと一年くらい考えていたら、どこからか降ってきた。
「御身」(おんみ)

おみたま、と言ってもいいのだが、降ってきたので気に入った。御身ふじのさん、あるいはさま、と呼ぶことにした。
かなり納得できた。

ここがはっきりしなくて、瞑想にも引っかかってしまっていたんだよなあ。
そして、実際は、神様は莫大すぎるので、不可知なので、私担当の小さい聖霊?を引き合いに出すのも良いだろうと。

するとおととい、スマホのアプリに新製品が出てきた。日々の営為をメモしようと言うアイデアだ。

勿論これまでも可能性は様々あったのだが、何と無く手頃で愛らしい。
とりあえず無料の5つ分をメモし始めた。
瞑想、血圧、掃除洗濯、入浴シャンプー、そして懸案の美容院(笑)

これまではコインの表と裏のように、我と神との関係を思い描いたりもしたが、それよりも渾然一体? 要するに二人で一つ、お互いに必要不可分、不可欠、永遠にいっときも離れた事ない。

我々が一層よく全体を理解できるのは、まさに死んだ後である。そこには大きな喜びが待っている(ここが我々には重要)。

物質的生命は幻ではあるが、そこで神性を求め実現して進化を体験しつつ喜ぶための装置であるので、
悲惨や苦悩や不幸はあるように見えてもただの対称物、
とらわれてはならないものである。

全ては神のプレゼントであり、感謝して苦を通り抜けることが肝心である。
この点が、修行して悟るべきところであり、また「神には計画がある」とも言われるところである。

おおよそ苦の世界の原因は人類の不安に由来すると考えられる。
神から離れたと言う不安があり、絶対的安心を得られないので己を守ろうと足掻く。
これらはかなり組織宗教自身の蒔いた種のせいであり、改善すべき点である。

全体的に、かなりの他力本願である。

と言うのもこの現世人間の努力や修行などたかがしれたものであてにならないのに対し、神の信義は完璧である。

なのでこれを絶対的に信頼するに如かず。

つまり我々はすでにいつも永遠に天国にいる。天国在住であること。ゲームしても良いが。


2018年3月6日 地獄行きを免れようと

大海のような聖なる存在の呼び名と
近くにいる水の一雫のようなお世話係の呼び名を決めて、爾来私は落ち着いている。

しかし、私が浮かんだり沈んだりして遊んでいる海底に差し込む光の角度によってだろうか、
肉体には老化の兆しがあれやこれやと現れる。


*私の難聴と耳鳴りがひどいと聞いて、親切この上ないK夫人が評判のいい遠い耳鼻科へ連れて行ってくれた。

検査の結果、「もう何もできません。薬で治療しても無駄です。幸い、もう片方の耳は歳にしてはとてもいいのでこれで行ってください」

*朝になり目を開けると、いきなり鼻水攻撃を受けた。
負けてたまるか、とさっむい中、薬局に行くと、
風邪にあらずアレルギーの鼻水だと言われた。

これまでアレルギーはせいぜいアルコールに対してのみと思っていたのでショックを受ける。

*次の夜、いきなり口内を攻撃された。
舌先と舌裏が痛く、飲むのも喋るのも難しい。
もちろん舌癌を疑う。最悪のことを疑いやすいものだ。

それで翌日すぐに、まず総合病院的整形外科病院へ電話して、口内炎は何科であろうかと尋ねた。
受付嬢は長く待たせた後、「耳鼻科だろうということです」。

そうか、歯科でもないのか、とさっむい中を耳鼻科へ行く。
「これは痛いですね~」とお薬をもらう。

*出たついでなので、さっむい中、駅の反対側の眼科に回る、というのも格子柄の紙を使って最近「老齢黄斑変性」をテストするとひどくなっていて実際その片目だけ見にくいことが多い。

しかし、宣託は大して悪くなく、何もされずに戻される、一年ぶりの検査だった。

*間も無く節分、立春という最も寒い季節である。
懸案のオカリナ発表演奏会がその週末に迫ってきた。
まさに節分の日がそれだ。

衣装にする予定のスカートの丈が足らないので、それをあと10センチ長くすべく、さっむい中、手芸屋さんに出かけた。

夜には買ってきたレース布を仮縫いした。久しぶりにちょっと女性的な仕事だ。
手首の関節は相変わらず痛い。
次の夜黒い細い糸で細かく縫い付けた。
やった、という達成感あり、壁にかけて眺めて、演奏会への意欲を高めた。
もう怖いもの無し。
ちょっと危ないパートはあるけれども。音を低めて吹こう。
それよりもオカリナを落としたりしないこと。それが肝心だ。だいたい、落としたら粉々に割れるような楽器ってありうる?などとやや八つ当たり的に頭が動いたりする。

翌日は最後の練習日である。

*よく眠って置くために、コンスタンという本当に親切な安定剤を飲んですっと知らぬ間に眠った。

すっと目が覚めた。ゴミを出す日ではあるが、どうだろう、夫がすでにゴミ袋を作ってくくっているかもしれない。

最近私の手首が具合悪いアピールによって、素晴らしい変身を遂げつつある?彼である。

目を開けて、天井を見た。
ランプの傘の影が天井にあるのを初めて意識した。
なぜならその影が上下に激しく動いていたからだ。

頭の中がクラクラしている。時々、これまでも朝起きた時に感じていたのだが、それは面白い、という感覚で受けめていた。

だがこれは違う、世界が揺れ動いていた。思い切って体を起こすと部屋がグラグラしている。負けるものかと、じっと睨みつけていると、まずい、船酔いのように胸がムカムカしてきた。
それから果してもどした。
胃のなかは空っぽなのに。

練習に行く気満々だったのでショック、その後に美容院の予約まで入れていた、六十日ぶりの。

翌日は歌会、翌々日は太極拳、よくよく翌日は演奏会である。しまった~~

それから、吐き気と戦いながらメールで連絡合戦。グループには一斉通信も送っておく。

*という荒波にさらされながらも、
「ここ、今こそ、極楽浄土」と自分に言い聞かせ、
御身錐子さんと話し合って、太刀打ちできるかを試す。

つまりこの邪魔者たちに気を取られない、
おっけー、もうわかった、去れ、というわけだ。

さて、本題。

私へのプレゼント備忘録。 
1 目の前に存在する(ように見える)ミクロからマクロの物質世界の法則を見出すことは人類存在の意味である。

2 この肉体と頭脳も大宇宙に匹敵するほどの見事な法則と仕組みを持っている、これを探求するのも人類に課せられた使命である。

3 光も物質であるが??電子はエネルギーである。質量ゼロ。
この有無の境界の意味は如何。

それは殊に光が粒子か波動かという問いに凝縮されているようだが、
この最小の物質があるとして、
それは波動(幾重もの水の輪)によって動かされている、という仮説があるらしい。

そうすると量子はあり得ないようなおかしな性質を持っていると思っていたのが、そうでもないことになる。

これにはパイロット波という例が例えにできる(空き瓶に手紙を入れて海に放り込むと海岸に流れ着く現象)とか。

4 各人が自分の人生の目標を持って生きること、そうすれば生きる道中の苦難も耐えやすいだろう。

自分の目標(自己実現?)に向かって各自が努力すること、それが人類の生きる意味である、なんて実は思ったことがなかった。

これはまさに天上天下唯我独尊ではないか?

5 それで私も後40年生きるとして(何歳まで生きるつもり??)、
肉体をよくメンテナンスして、
人類進化の(絶滅でもよいのだが)道に科学的哲学的社会学的心理学的考察を続けていこう、

ことに人類の際限の無い慾をコントロールして、自分を識り、制御して他人を傷害することなく、共有と協力という長所を有効に働かせるように。

それは他利的ではあるが、結局は自分をも生かす方法である。

例えば現在では、ナショナリズムへの傾倒がまた芽吹いてきている。
自分、家族、グループ、国、民族、宗教を守るという基本的な情緒なのだが、だからこそ恐ろしい。地球の民、へ変身するべきでは?

6 神の信義を確信できる = 常住極楽浄土 = お互いに愛と協力を 

この変な等式は、実は結婚40年にならんとしてやっと、というか偶然にも??思い知ったのだが、(恥ずかしいことだが)、私は愛する人にたいしてのみ(つまり結婚するときの夫)非常に利己的で要求が多く、お互いに愛し合い、助け合う、という関係を全く考えていなかったのである。そして、色々の不足不満を抱き愚痴っぽく、恨みがましかった。

まあ、偶然にも相手も似たり寄ったりだったので、これこそ破れ鍋に綴じ蓋。
おかしなことに、両親は立派な手本をたえず示してくれていたのに、である。わけがわからない。

おまけに、自己中心的であることは「自分に正直」なのだと認じていたのである。

なるほど、私が焦っているのも宜なるかな。
地獄行きを免れんとして急に神を追求し始めたのであろう。

以上、ここしばらくの間のすったもんだの顛末であります。

最後に拙歌2首を
口直しにもなりませんが。

>半月が斜めにかかる夕暮れは般若の片目まじろぎもせず

>尊きも 光の産み出す存在を光にて観る 病める地球に

ここまで読んでくださり、お疲れ様でした。ありがとうございます。
 
十一  心を鎮めて次の時、神と付き合いながらの異国の日々を次第に思い出そう
    その試みの一つ

  小品  「揺れる水面」      


  一話
 もし私が私について自由に、思う存分、隠すことなく話しても良いと言うようなことが起こった時があったとする。私は自分が神であることを誰にも気づかれないようにしてきた。人間の内で暮らしてみたいと言うただの好奇心、というか究極の好奇心、あなたにおいて私を感じたい気持ちが自ずと物質創造へと反映するのである。

 いつから自分を個別化して、人間の内に潜んでいたかと尋ねられると、およそ三万年くらい前、ということになる。つまり前に進む時間軸において、大脳の進化が現在の状態にまで達した頃である。

 すると瞬く間に砂つぶが落ちてゆき、人類の天才たちが次第に私と言う真理を追い詰め追いすがってきた。願っても無いことだ。無限という概念を人間が考え始め、数学という範疇で「無限プラス無限は」などという等式を扱い始めた。ここ百年のこと。

 大脳の重さと容量には一定枠があるが、そこから紡ぎ出される想像、イメージ、思考は
私に似て無限であり、無限大無限長、超無限ですらある。


 ところで、神である、と自白するからにはこの現世が誤解に満ちていることを考慮すべきである。特に、「神」についての誤解。人類は私、あるいは想像の私に対して様々な名称をつけた。今、私は日本語を話していて、かみ、という言葉の由来は、「隠身(かくりみ)」、つまり「隠れて見えない存在」からきている。「く」と「り」をも隠したのである。要するに、その意味は、人類には見えない、視覚のどこにも私から発する光子が入ってこないということ。死角である。

 つまり私は光を発しない、人類が鋭敏な機械を作り私を観察しようとすると、その瞬間にもうそこにはいない。消えたかのように見えるが、これは神の神秘的な秘密の部類に入るが、超超ミクロな粒子ですら私ではなく、ふっと波動となって霧散する。波動が私の動きである。一個ではなく、無限に、無数に、どこにでも存在する、あるいは存在すらしないが、在る。

 言葉の限界にぶつからざるを得ない。有無の概念を超えるのである。在りてかつ無きも同然だが、幻のような、「やや在るに近い世界」を(ああ、言葉の一つ一つが使いづらいことだ)無限に作ることはあったし、あるし、あるだろう。(この時間軸の人類的な一方性は私が課した縛りである)

 そうだ、たくさんの縛りをその幻想世界に作っておいた。有限であること、まずはこれが一番目。時間は光とともに存在し、空間も光とともに存在する。光の彼方は、漆黒であり無いも同然なので、有限である。

 それでも人類には十分に広大無限であり、この目の前の宇宙の仕組みを知る科学者こそ、従来の概念による神を信じないとはしても、自らが追い求める、解明しようとする相手である真理、宇宙の仕組み、法理の複雑高邁甚大さには愕然とせざるを得ない。ここに大いなる叡智を、見ざるを得ない。それは人類の肉体においても、またその特徴たる頭脳の仕組みにしても、複雑精緻な仕組みには学者こそ驚き呆れ、誰がこれを作りなしたのかと訝るのも当然である。とは言え、まだ単に物理的な真理というにすぎないのだが。

 道はまだ遥か。私にどこまで迫ってくるか、私のおいた縛りと解けの縁故において。

 私は意地悪でそうしているのではなく、人類を本当に私の実子として扱っているからこそである。(しかし本当の所は、誰でもその核心において時空を超え真理そのものなのであるが)



 この議論の出だしに戻ろう。誰が私に何を尋ねるというのか、とりあえず誰かが尋ねるとして、尋ねられる対象としての私が、無のように広大無辺、無限大ないしは無限小であってはならない。諸君と同じような有限の姿で描かれなければならない。しかしその姿を人類の文化にすぎないとして、信じない人間は増えている。宗教への疑いだ。ただ、無神論者であっても、知りたがっている。自分たちが真理を知りたがっていることの意味を知らないままだとしても。

 地球上のおおよその現状はこうだ。

 ネガティブなことにのみ注目して、まるで神が人類を苦悩させるために大脳を与えたかのように、この生の意味を問い、目的を問い、死があることに絶望し、不幸と不運を神に呪い、あるいは幸運を幸福を神に願って祈る。同じ神に、二つの対抗するグループが勝利を祈ったりもする。人類は殺しあう。どんな理由であれ。もっとも人類は助け合いもするが。あるいは無視したり苦しめたりいじめたりする。我が子を愛したりたまには殺したりする。向上心があるかと思えば怠けたり自暴自棄になったりする。それは運命のなす業であるとしか思えない。

 確かに、確かに、相対的ではあってもそれぞれが苦悩している、あるいは種々の理由で喜ぶ場合もある。




  二話
 人類の一人を俯瞰して、空間的時間的に眺めて観察してみよう。
 祖先探求家、とでも言えるようなひとかたまりの人々なら、インターネットを駆使してあらゆる情報をかき集め、十世代前の先祖グループを探し出せる。私にはもちろん、知識の全てが備わっているので、人類の最初の一人からの増加は逐一承知である。

 この手の祖先の数が思いの外膨大であり、重なり合っていること、個々に唯一無二である生命体の綿々たるつながりについては、二十一世紀、ほとんどの人類が学んだり、考えたりして承知している。

 それを踏まえた上で、任意に一人の島国の住人を今、みてみよう。この人物が目下のところ私なのである。

 魂はグーグルのサーチエンジンの完全版のようなもので、全て必要な時に必要な解決を知っている。が、ここで、これからここに書かれることの前提条件として私についての誤解の最たるもの、に触れておこう。

 キリスト教の聖書の創世記にはこう書いてある。全能の神エホバが言葉を発し、光が生まれ、そこから地球の生態系を作り、自分の似姿であるアダム、そしてその肋骨からイヴを作った。ライオンもうさぎも共に暮らして楽しかった。満足だった。美しさと叡智とは完璧だった。

 それから、堕天使である蛇が肉と頭脳を目覚めさせた。私は怒って、罰したそうだ。が矛盾したことも言ったようだ(そう書いてある)。
 アダムは汗して糧を得ること、イブは苦しんで子を産む事。
 だがその前に「産めよ増えよ、地に満てよ、地のものを支配せよ」とか妙なことを告げた、と書いてある。その解釈だが、おかしなことに、誰もオカシイなあとは思わなかったようだ。それを真に受けて、人類は肉欲、繁殖、殺生、権力、戦争、地球破壊へと突き進んだ。

 一方で、罪の意識と恐怖と不安から自由にならないままである。殺し合いや病気のせいで、肝心の脳を使った真理の追求は遅々として進まなかった。二千年もかかってビッグバンという現象と量子の世界をやっと知った。天才たちが身を粉にして探求した。

 そうだよ、人類よ、この遅さも神の罰だったという意見もある。余り知られていないが。
 心あるものの、永遠の悲しい問い、何故に我々は存在するのか、どうせ死ぬのに、苦しんで絶望して! 何故に存在するのか???

 しかし、人類よ、安心せよ、神は罰など与えない。神の辞書にはその言葉はない、その概念はない、そんなことを思いつきもしない。
 何故なら。。。。神の定義上、そんなことはあり得ない。不可能である。砂の一粒たりと神が間違って造ったものは存在しない。

 神は完璧無比、パーフェクトである。だから神と呼ばれるのだ。オントロジーではある。生物や人類を苦しめるためにこの世を造ったのではない。第一、君達は苦しんでいない。そう思っているだけである。苦しみのように感じるのはただの幻覚であり、仮想なので、ハッと目を覚ませば消える。百パーセント消える。無かったかのように。無かったのだ。

 数日前にみまかった白寿の老人がいて、兜太と言う変わった名前だったが、日々の瞑想として、亡くなった知己の名前を呼んでいたのだが、そうして、魂を呼び出して語ったりする三十年のうちに、人生の不条理への怒りにいくら燃えていても、死後の世界の穏やかさをしみじみ感じざるを得なくて、ついには生きたままで極楽往生したのであった。

 彼は俳句の名人であったが、人類が各種のエンターテインメントに血道をあげる気持ちは、創造者の私には当然のことである。現代におけるその最たるものとしてゲームと呼ばれる遊びは、今後ますます技術的に発展して、リアルか幻か区別がつかなくなるだろう。
 子は親に似るものだ。


 人類の感情、情緒の種類はそれほど多くない、と言っていい。複数の感情が混ざっていることも当然ある。
 その発生には一定のパターンがある。山本徹、というのが私が目下保護している質量体の名前である。言葉を使うとその傍から、記号学的問題が立ち現れる。この場合は、物理学的な説明が必要だろう。

 すでにかなり人口に膾炙しているように、原子核の大きさを野球のボールだとすると、原子の外枠は野球場全体に及ぶという比率になる。そこを光の速度で回転しているのが(余りにも速いので雲のように見える、見える?)電子であり、その空間は真空(何もないという意味ではない、そんな場所をも通過するようなミクロの素粒子もある)である。原子同士は電子を共有することによってかすかに触れ合い結合し、化学法則に従って分子となり、やや安定する。安定するとさらに結合を増やす。原子核の中にいくつの粒子があるかによって、元素が(元素表にあるような)規則的に作られ、各自の性格ができる。

 ある程度の塊をアミノ酸と名付け、二〇種類ある。それを組み合わせて生命の体ができるだが、その前に、ロゴのような組み合せの効く形をした塩基のうち四種類が選ばれて隣り合ってくっつく。そのくっつきが数回続き一つの遺伝情報を担う。違う並びで違う回数でくっついて別の遺伝情報となる。それが繋がって、、、二本螺旋、、、染色体、、、細胞核、、、細胞(ミトコンドリア細胞も)、、、七十兆個まで、肉体の各部分が遺伝子の、あるいは各種ホルモンの製造司令によってせっせと作られる。

 外との接触による情報のフィードバック、各臓器間の情報交換、見事な連携プレーだ。
 私ですら見とれるほどの大活躍である。
 みんなでみんなを作るのだ。そういえば、最近ロボットに優秀な人工知能を入れて人間まがいの動作をさせるよう発展していることについて、危惧の声がある。いまにロボットが自分で自分を作ってしまうだろうと。おかしい、生物の構成はまさに自分で自分を作っているのに。生体ロボット。

 ともかく、あまり想像もつかないとは思うが、肉体の基礎にはこの「真空」がある。総体的に、生物の体の基盤は原子核である。真空によって、エネルギーである電子によって取り巻かれている。その大きさは何と表したらいいのか、それは人類の概念では表現できない。

 実は、私は今「山本徹」の肉体を守っている、形成している、生かしている、のである。ただ、当人の意識においては私を認識していない。人類が探し求める真理も救いの神も自分の中にあるのだが、それを忘れている。というのもその状況が私の仕組みなのだから。


  ボク、山本徹いう生粋の関西人やけどな。人間、日本人、五五歳、それと生涯未婚、別に欲してそうなったわけやないけど。まあ、どうしてやろ、疑おてしまうんや、この女性が好意を寄せてくれはるのは本当にボクを知っての上やろか、ボクという人間に対する愛やろか、それとも結婚いう妥協やないやろか、むしろ? などと気を回しているうちに、同居の母も亡くなりぃして、親族いうたら割と近くに住んでいる妹家族だけになってしもうた。

 大阪大学を受験しようかと思うほどの成績やったから、まあ人並みの頭ではあったと思うで。仕事は中堅の自動車セールスマン、人と話すのは苦にならない質やしな、比較的楽しく過ごしてきたんや。いわゆるバブルも、はじけたバブルも経験した。一貫してサムライ魂、のような生き方への幼い、というか、純な憧憬が消えへんかったのは、家庭いう責任を持たんかったせいかもしれんけど、それの体現が合気道というものでな。

 合気道の開祖、ヒゲの長い、小さな盛平じいさん、やっぱ武道の天才やな。こんなに気楽に呼んだらみんなに怒られるわ。物理学と宗教をミックスさせた感あり。
 身体力学をよく把握し、攻撃者の重心をすっとずらすと、相手はもう自らを放り投げるしかない、骨を折りたくなければな。接点の一箇所に全身の力、あるいは気を集中させたらそりゃすごい力が発生するいう仕組みやね。気、て、まあエネルギーやん。見えない。でも効果絶大。ここから、ややミステリアスな、神的な部分が仄見えるやろ。

 え、誰に向かって話してるって? あ、あ、そうか、今はシュートさんや、ボクの頭の中のひょろ長いイギリス人。彼、合気道好きでな、ボクともちょうどいい相手、腕前がね。ボクやや英語できるからな、二人でああだこうだ、手の組み方を研究したり試したり、楽しいで。最後は畳の上でゴロンと転がる、その楽しさ! 

 戦っているように見えるけど、それは目的じゃないのんや。競争でもない、仮想の戦い、身体と精神、物理と形而上学との絡み合いの研究、うん、そうやな、かっこいいやろ。もちろん、もし誰かに突然襲われたら、とかボクの体験やけど、車に当てられたら、そこで日頃の反射神経が効くんや、あっという間に投げ飛ばしたり、車に飛ばされても猫のようにくるりと回転して地面にしゃがんどる。(まてよ、猫いうのはその割りにはよく車に礫かれとるなあ、そうか、あれは光が眩しすぎて身動き取れないせいやと聞いたで)

 山本徹は、咳払いした。つい嵌まり込んでいたシュートとの話を打ち切る。半ば気を失っていたのか。

 誰も知らない、自分に今何が起こっているのか。自分でもわからない、ただ背中と胸が痛んでたまらない。それをこらえようとすると、猛獣のような咆哮が喉から溢れる。それをやめることもできない。瞬時、少し痛みが和らいだとき、柔らかい微笑の顔が浮かんだ。どこと言って欠点のないブロンドの女の顔、それはシュートの奥さんの顔だ。シュートにはどこか、遺伝子の質の悪さ、よのうな部分があった。そう言ってはおこがましいが。彼女には彼には勿体無いような、上質の遺伝子を山本は感じる。シュートの異様なところについ引っかかってしまった彼女マリーに、ダグ・シュートはまさに彼女の上質なところに彼の遺伝子を送り込んだのだ。八歳の息子ハーッシュは天使のような声をしている。子供だとはいえ、わずかの時間で関西弁を自由に操る、それは大した出来であった。

 妄想の中にいるうちに、救急医がやっと診てくれた。大動脈が裂けかかっているのではないかという。裂けてしまっていたらもう命はなかったろう。

 不思議なことに、命拾いした山本徹にはしかしもう合気道は無理そうだった。 入院中はただひたすら安静、血流を正し、栄養バランスを管理され、山本徹の体は真面目に反応し、また浮世に戻って来た。

 合気道の道場に一歩入ったとき、彼は毎度発声練習をして、自分の声が響き渡るのを楽しんだものだ。実は彼には美声があり、市の合唱団で長く歌っていたのだ。そういえば、マリーの両親はともに英国ではオペラ歌手だそうだ、家で合唱するのだと聞いたことがある。まるで夢のような場面ではないか、自分がまだ結婚を諦めているわけではない、とわかっていた。

 しかし、とりあえず、どうしよう。会社では閑職扱いになり、まだ役に立つかどうか自分でもわからないのだった。散歩の代わりに、家の周りの土を掘り返して、畑を作ることにした。下手なりに大根、人参、ネギ、葉の物が育つ。妹に分けても余ったのは、近所の弧老の家に配って回った。どの家でも、爺さん婆さんには顔を輝かせて助かる~~と言われた。ふんふん、とそんな帰り道ではつい歌の練習をした。小さなボランティアか、と呟いて。

 リハビリも兼ねて、と思っているうちに、スーパーで彼らに頼まれた買い物もすることが次第に多くなっていった。昔、母が八百屋の注文聞きの若者に夕食の献立の相談がてら要な食材を持って来させていたのを思い出した。買うついでのサービスだった。
 近所を回るうちに、これまで接触のなかった人々のうち特に困窮している家が意外に多いと気づく、ここは大阪市の北側、ベッドタウンとも言える中流の洒落た中都市で、金持ちも山手には邸宅を構えていた。もちろん、山本徹の家も安普請の平屋建てではあったが。

 春先、山本徹は脇目もふらず、鍬を振るっていた。無心である。声がして、
「いつも両親がお世話になっていまあす」
と言う、同時に子供の声も
「いつもお世話になってまあす」
と聞こえた。誰のことかと思いつつ顔をあげると、小道によく似た母と子がこちらを向いて笑っているので、徹も自動的に笑いを返す。
「この先の坂の上、田村の娘なんですう」
と語尾を伸ばして言う声が若々しく響いた。色白でふっくらしている。それだけで十分だと瞬間的に徹は感じた。
 それが出会いであった。
「いい声をしてますね」
と徹が敏感に察して言う。
「そうですかあ」
とコロコロと笑う。それから田村の老夫婦からの情報で、かの子がシングルマザーであり、介護士をして子を育てている、その子は一年生だとわかった。妙に利発そうな眼差しが印象的な。

 冬の間の入院生活からやっと啓蟄の虫のように這い出たような気がした。特に死にたいと切実に思ったわけではないが、死ぬならそれでもいいと何処かで思っていた。両親はすでにあの世にいるし、この世に心残りも無いではないがまっすぐに心穏やかに生きてきたのを自分に褒めるような心持ちでもあった。

 そして、人の助けになりたい、もしできるなら、と感じている自分に気づいてもいた。何かが、さらさらと流れていた。特に努力しなくても目の前の諸々に心穏やかに、ありのままに接することの平安が徹の中にはあった。こんな自分を賜ったのは前世の因縁かな、とチラと思ったがまた忘れてしまった。

 まあ、ボクの顔はノーブルな方やしな、そんなに悪い印象は与えへんと思うけど、と山本徹はひとりごちつつ、三十過ぎくらいに見えたさっきの母親を思い描いては鍬を振るっていたのだが、恋の始まりのような高揚した、あたりの色合いが変化したような気がするかと気をつけていても、それほどでもなかったけれども、それでもわずかに幸せな気分ではあった。脳の扁桃体あたりにある恋愛の、というか性愛のスイッチが入らなかったのはそれは年齢のせいかもしれんなあ、とまたひとりごちた。

 昔、性愛関係ではお互いに満足していたが、感情関係では、というか人格関係では最悪という相手に出会ったことがある。女の動作や、言葉、意見、考え、反応、嫌悪感と非難の多さ、否定的な悪意に満ちた判断、食べ物の好み、色、自然、動物への好き嫌い、どこにもうなづきあい、微笑み合い、認め合って親しく尊び合うという接点がなかったのには参った。第一、他者を認める、仲良くしよう、という態度がゼロだった。世界中を彼女が呪い、呪詛と憎悪のことばを吐き続けるのを、徹が我慢していなければ一日として付き合いは続かなかっただろう。 有り体に言えば、嫌いなタイプだった、おそらく彼女の方も徹のようなやわで優しげな、人の良すぎる男では物足りなかったはずである。しかし、神の言葉通りに性愛のホルモンはバンバンと出ていて、生命を、人間を突き動かすのみ、そこに本来は選り好みはないのだが、一つおそらくより良い遺伝子を選ぶ、という生存競争上の戦略が隠されていて、時に、性愛の相手が一人に決まる場合がある、それを恋愛と呼び、文化的にロマン的な結びつきと思わせ、子を育てるのにふさわしい環境を整える一助とするらしかった。徹はそう教わった。文化人類学などをまあ、いい加減な気持ちで専攻したからであったが。

 要するに、もともと誰でもいいから性愛が満たされて、日常生活であまり齟齬がなく、できればにっこりし合うほどの相性の良さがあればもう満点なのだ。あれ、どうしたんや、自分? 山本徹はあまりに適当な自分に驚く。かなり気難しいここ十年であったのに。

 そうやな、執着、依存、それが問題ちゅうわけか。恋したら執着する、嫉妬する、愛されたくなる、所有したい、所詮そういうことやったんや。人間の品を落とす、、、どうしたんや、この悟りみたいな考えは? 死にそうになったおかげで? なんか憑き物が落ちてしもうた? ようオカンが言うてたが、人生はあざなえる縄の如し、となあ。ところであざなえる、ってどんな漢字やったやろ、帰ったら調べよ。

 採れたばかりの大根を数本、新聞紙でくるんだのを箱に入れて、ちょうど自転車でコンビニに持って行くところだった。夕闇がおりて、空の色がすみれ色だったし、上限の繊月が西空にかろうじて引っかかっているのを見ながら、人気のないのを幸い、ちょうど3月のコンサートの演目に決まったイタリア語の歌を口ずさんだ。まだ完全には覚えていない。

 山本さあん、と声がかかったので、山本徹がキュッとプレーキ音をさせたのはセブンイレブンの手前の歩道であった。まだ寒さの真っ最中なので、路地や道端に雑草一つも咲いていないが、人間の花の笑顔がそこにあった。一回り小さな笑顔も添えて。

 笑顔はいいもんや、と咄嗟に感じた。田村さんの娘さんは、先ほどは、と言い、昨日はまた母がお世話になりましたそうで、と新たにお礼を言い始めた。アハ、いえいえ~と山本も言う、お互い様ですよって。これ何?と子供が、よく見ると男の子らしい、女の子のような感じだったが、よく見るとどうも男の子だった。子供は、自転車の荷台の箱を突っついている。これこれ、と母親が注意する。
「これな、大根が入ってるでボクが作ったやつ。送りに来たん」
と半ば母親に説明したのだが、子供は少しも納得していない、さらに
「どうして、誰にぃ」
と尋ねて来た。その子供らしい押しの強さについ母親も笑ってしまっている。その程度の反応が山本は好きだ。子供に躾が厳しすぎるのは見ていて心が痛む方だった。
「誰にってか、え~っとおじさんの先生にや」 
「先生って誰~?」
 母親がまた笑っている。息子の頭を少しさわりはしたが口では咎めなかった。 
「吉田先生」 
「へえ、何の先生?」 
「合気道の先生」 
「大根好きなの、その先生?」
 そう訊かれるとは思っていなかった山本は不意をつかれて、どもった。 
「大根、大根、嫌いっちゅう人はあまりおらへんで、第一採れたてで美味しいはずやし」「ふぅん」 
「キミ、大根好きか?」 
「大根、、、まあ料理によるよね~」
 このもっともな返事に大人は笑い出した。

 それから、コンビニに双方入っていき、用事を済ませる。山本徹は弁当を買い、母子も夕食らしきものを買っている。それとなく見ていると二人分だ。そういえば、と山本は思い出そうとする、田村さんの奥さんは確かハーフとかで、二人には娘と孫がいるが、別に住んでいるとかだったかいな~、記憶は確かではない。

「では、どうも」
と、山本があまり厚かましくないように遠慮してさっさと済まそうとすると、母親が答える前に
「またあしたもくるからな~」
と、子供が言うので、
「お。そうか、じゃ採れたての大根あげるさかい」
と思わず言ってしまった。母親の方は可愛くて仕方ないというように、我が子をまた撫でながら、ころころと笑った。
 なかなか、最近ないようないい感じの人やなあ、と思う。神さん、と人間の癖で、大空を見上げて語りかけた。ありがとう、どうも、いつも。いいプレゼントまたいただきました。山本徹の意識は自分がそうつぶやく声を聞いた。



 私、大きな神、太神であるが、は決して手は出さない。いわゆるちょっかいは出さない。全ての決定は人類の自由に任せてある。その結果がどうなるかは決まっているが、取り立てて良いとも悪いとも言えない。どっちにしろ最後は大団円である。最初からそうだ、大団円でないことはあり得ない。この私が唯一の存在なのだから、全ては最初から永遠まで完全無欠、パーフェクト、間違いなし、極楽浄土なのである。これには大いに不満の声が上がることだろう。何万年にも渡り、呪詛の声が上がっている。これだけ神に祈っても何のことも起こらないではないか、と。

 しかし考えてもみて欲しい。先にもすでに触れたことだが、神に願いをかけても、相反するチームの願いが同じく勝利であるなら、どう頑張っても半分はがっかりする。勝負事や戦をしなければいいのだが、まあしてもいいのだが、勝ち負けにこだわってはいけない。楽しく勝負するならいい。結果がどうであれ、楽しく遊べたことが素晴らしいのである。

 そして肝心な点は人類がそのことを思い出すかどうか、であり、もちろん覚えているのだが、表面意識のバリアーを超えてまさに今、現在、そのことを思い出せたらしめたものなのである。

 ところで、この山本徹君が人生の達人になるための準備を私はちゃんと整えておいた。大病に際して泰然自若と応対したのは見事だった。心に引っ掛かりが少ない、執着の少ない環境と生活が役立ったのである。これはイエスの言葉にすでに現れている真理の一つ、この世を動かしているシステムの仕組みである。そして彼は頼りになる暖かい家庭を思い描いている、諦めずまっすぐに決めている、その幸せの可能性を選定している。

 そうであればまた、システムのもう一つの仕組みが有効になり、同類の同種のものが集まるようになる、自ずと。彼の願いは具体的な形を取り始めるだろう。しかし、その幸せをより確かに体験するためには、第三の仕組みが働き出す。
 禍福は糾える縄の如し、と私が彼の母親に言わせたごとく、光と対照的な闇が姿を表す。それを克服して初めて光の輝かしさが一層身に沁みる。そのような法則がある。

 一見私の意地悪のように思うだろう、神ならさっさと幸せにしてくれ、と思うだろう。それは神の概念の履き違い、勘違いである。神は、私は完璧であるので、不幸せな存在は創らなかった。聖霊である私と表裏一体の物質宇宙が不完全であるわけがない。人類の意識にそう見えるだけだ。人類は真理の美しさ、完全さを忘れて生まれてくる。それも私の意地悪ではない。

 私の愛をたっぷりと受けて、それ自身完全である分身たちが遊べるように、ちょうど人類が架空のゲーム世界でハラハラして遊ぶように、遊び場としての幻想世界をこしらえたのだ。ただ、その仕組みや法則がわかっていては、本来の自由意志を発揮できない。自由は無制限の愛と一対である。

 最初から満足が与えられていれば、大した体験にはならない、普通のこととして慣れてしまう。しかし、その前に克服すべき暗黒が現れると、それとの対象によって、自由と選択を通して、本来の目的である光明が強まるはずだ。つまり、人類の行動の責任は、一見暗黒に見えることが現れても、山本徹君の大病の場合のように、あまりそれに拘らないで行き過ぎさせることである。相手をあまり憎んだり、追いかけたり、思い出したり、不安がったり、悔しがったりしない。現状を受け入れる。できればこれくらいで済んでよかった、ありがとうございますと言ってもらえるといいだろう。

 まあ、それとても、私と人類の遊びではあるが。彼らは知らないけれども。遊びだがしかしこの遊びが真理の遊びなのである。実はみんなわかっている。ただ生まれるときには忘れることになっている。

 人類が私のあり方を想像しやすいように、こう記してみよう。私は存在する全てであり、私はエネルギーである。真善美の全てであり、無限の愛そのものである。人格ではなく、人間の想像は及ばないのだが、なんとかぼんやりとでも想像してみてほしい。

 そんな神がいわば鏡を覗く。いわば湖面を覗く。
 自分を写してその完璧さをみようとして。私の唯一の願いである。
 鏡の中は幻である。そこには私の小さな似姿たちが活動している。真善美を体験しようとして。
 影や歪みを事前に経験しては真の愛を感じて歓喜する、ことになっている。

 人類が永遠の問いのように謎を追いかけている、その謎の答えである。

 人類存在の理由は(全宇宙も含め)影を押しのけ、一歩一歩とより高い境地に達することである。影に気を奪われてはいけない。それから死を恐れてはいけない。死は恐れではなく待ちに待った喜びの、真理と神とに出会える機会なのであるから。

 かと言って、この幻想世界が修練、ないしは試練の場であるわけではない。真理を思い出しさえすれば瞬時に問題は解決するようになっている。この種の大問題に関して、「死すべきもの人間」という有名な言葉があるが、死を意識する人類には苦しみがつきまとうのは確かであろう、しかし、死とはなにか、死の様相と死の感覚は、これまでの想像を大いにこえている。極楽浄土という想像は当たっている、それは保障しよう。



(ん? 何かおかしいんとちゃうか) 山本徹の胸が一つトンと鳴った。旧姓に戻って田村かの子となっている彼女が頻繁に両親を訪れていて、それはたとえ出会うことがなくても徹には喜ばしいことだったのだが、夜遅くまであかりが灯っていたり、男の怒声や、子供の泣き声が風に乗ってふっと聞こえることが重なった。父親の田村の爺さんがそんな声を出すわけはなく、別に暮らしている息子のなんとかいう人も見かけただけだが愛想の良さそうな人柄である。

 そや、と、所在ない時外国のテレビドラマをよく見ている徹には曲がりなりにも思いつくことがある。(ひょっとして前夫のドメスティックバイオレンス?)(接近禁止令? 日本にもあるはずやが)と思って外を見透かしたが、その夜は静かだった。次の日の夕方、坂を早足で降ってくる田村かの子の姿があった。笑ってはいない、そのまま徹に会釈して去っていこうとするのを、
「ち、ちょっと、ちょっとあれですけどね、万事オーケー?」
と茶化した風に尋ねてみた。ドラマの真似になってしまった。

「あ、あの、今夜ヘルパーの夜勤で、私がね、子供をこっちに預かってもらおう思うて、急いで行くとこで」
 無理な笑顔になっている。
「そうでっか、気ぃつけて」
と見送ったが、自分こそ田村家の様子に気をつけようと思うのであった。

 寒い夜になった。十時ごろ、いきなり大声が北側から聞こえたので、徹はすわ、と立ち上がった。気が良くて、人助けを気軽に始める性格であるのは知っている。しかし今回は田村家ということもあるせいか、どこか胸が潰れるような不愉快な気持ちを感じて、山本徹は大きく息を吸った。

(ボクは合気道の黒帯二段や、というのはかなりのものや、けど何しろ大動脈が壊れかかっている身であるなあ、それがこの変な気持ちと関係あるのやろうか)きちんと動きやすい靴を履き、身に添った上着を着た。人助け、は代償が、自分がその時に得るものが大きいのだ。それは自己満足かもしれない、と冷静に判断している、しかし今は、妙に不安だった。無力感さえあった。(おかしいで、ちょっと。どうしたんやボク、いつも鷹揚にしてるやろ、こら、)突然「くそっ!」と心から言葉が出てきた。「くそオヤジめ!」


 だ、誰や、くそオヤジて、、、母親が亡くなってからは、すっかり忘れていたはずの記憶だったのが急に噴き出してきたらしい。

 典型的だった、酒、母への非難、叩く音、母の息遣い、それらを隣の部屋で聞いていた。母を守りたかった、小学一年という自分が不甲斐なかった。恐怖と怒りで小さな拳が震えていた。幸いにも、オヤジは家を出て、どこかで行方もわからなくなった。そうかあ、いわゆる抑圧してたみたいやな、ボクも。心理学の本も読んだことがあるし、テレビの教養番組などでも知っている。オヤジがいる間は、安心して母親に甘えることもできなかった、むしろいつも見張っていたのだ、だれかが危害を加えないかと感じて。
 徹は少し自分に混乱しながら、でも、お母ちゃんは安らかに亡くなりはった、それでボクもそろそろ気が落ち着いたはずではあるけど、と忙しく考えを走らせた。


 目の前ではしかし、二つの影がもつれ合っていた。田村さんと大柄な男がお互いに腕をつかみ合っていたのだ。
「どしとんのや!」と徹は思わず怒鳴った。
「お前、お年寄りに何しよんや!」
「関係ないやろ、すっこんでろ!」
「暴力に関係ないはないぞ」
俺の子ぉや、返せ、会わせろ、ゆうてんのんじゃ!」
「そんな様子では無理やろ、たとえ会わせてもいい、思うても」

 男は短気らしく、徹に詰め寄って来た。
「一応ゆうとくけど、ボクは合気道二段でな」
「俺かて空手やっとったんや」
「武道するもんが老人を掴んでどうする!」
「こいつ、関係ないわい!」
と、叫ぶと同時に、徹の胸に向かって、かなり鋭いつきが入って来た。

 稽古からしばらく遠ざかってはいるが、伸びてくる相手の腕に添うように、徹の胸が半身になって、それを避けた。同時に片手が相手の腕に上から触れた、別の手は相手の脇の下にずずっと入り込む。肩が寄り添うと、男の重心はもう前倒れになり、ひとりでに前にタタラを踏んで走り込んだ。危うく土手から落ちそうになり、男はかっとなって振り向くと、両手で襲って来た。

 徹はそれを下からポンと跳ね上げ、ついでに両腕を大きく開いた、しかしその高さに左右の高低があるので男の重心がまた偏る。慌てて元に戻そうとする力に、同じ方向に徹の腕の力が加勢したので、自分の加速力で飛び出そうとしたところを、引き止められ、今度は大きい円状に遠心力で引き回される。そこでまたそれを防ごうして、男がまさに抵抗した方向に徹の力が加わり、もう頭から倒れるほかなくなってしまう。頭をぶつけたくなければ、徹の力の導くままにでんぐり返しをして転がるより他ない。

 でんぐり返しの練習は空手ではあまりやらないので、男はしたたかに腰を地面に打ち付けた。戦意喪失。ちょうど呼ばれて、自転車で警官が到着、一件落着。


 ほんとは、もっと英語でうまく話せたらいいんやけどね、シュートさんの奥さんのマリーさん、お世話になりました。ボクが勝手に憧れて、多分恋心みたいな気持ちになってしもうてたんですが。ほとんど知らない人を恋するなんて妙なことやとはわかっても、わかっても心が、頭が暴走しよるんですな。アホらしいエネルギーの無駄。ま、とんでもないことに発展する前に、かの子さんが現れてくれてほんま助かりましてん。

 これはもう太鼓判でっせ。万に一つの快挙に当たったとしても、元々が恋心は利己的やないですか? お返しが欲しい、愛を返して欲しい、そこにしか目的はないんですから。
 もちろんボクはかの子さんが大好きやから、暴走ポイントへと切り替えるのはできるでしょう。いいや、そんな阿呆らしいことしまへん。ソウルメイト。彼女の幸せがボクの願いです。其のためなら身を引いてもいいんです。(身を引く、というほど近づいてはおりまへんけどね)彼女が頑なだったり、意地悪だったりしたらボクもこんなに好意は持ちまへん。

 あ、ちなみにボクの武勇伝はお聞きでしょうが、投げ飛ばしたというてもかっとなったわけじゃないですからね、ちゃんと良さそうな場所を見て転ばしたんでっせ。

 なぜか女性と深い縁がなく若い盛りを過ごし、辛苦を共にした母親の他界、自身の病、道ならぬ恋心、乱闘騒ぎ、悪いことを数え上げたら確かに不運ばかり、「と思うやろな」と、山本徹は妹の冴子にいきなり言って、一人で頷いている。
「そう思うやろ、冴子も」
「は? なに急に」 
「いやナ、ボクの人生不運ばかりみたいやろ」 
「まあな、わたしかて似たようなもんやんか」
「でもダンナも子供も授かったしな」
「まあね、少し強運や」
 強運というほどでもないが、と山本徹は心のうちで笑った。世に妹のいる男はたくさんいるだろうが、勘が良く愛情豊かな妹がいてくれることはこの上なくめでたい、と言わざるを得なかった。

 いわゆる不運と不運の間には、しかし例えば最近ではかの子さんとの交情があり、これはもう最高なのだ。シュートさんには男の友情を、マリーさんには恋心を、感じた、これも美しい出来事であった。病の前には合気道という深い楽しみが付け加わって、人の体と人の精神、さらにその奥の何かの意味を思わされ、形而上学的な人生の味が加わった。
 その前からずっと母親の病気と死の間も仲間で歌うことができた、歌うのは実によかった。何よりも、人生の良いことを感じて忘れず、真剣にそれらを数え上げ、ありがたく、感謝の気持ちまでになること自体、とんでもない幸運やないか。
「でっしゃろ?」とまた幻のシュートさんが徹の話し相手である。


 大げさに言えば、娘ほどの歳の差があるかの子と結婚までするのかどうか、形式はわからないが、今後もずっと交渉が続くことを二人ともに願っているのであった。会うのが楽しみで、会うことになると嬉しく、会うとただただ楽しく充たされると彼女が言うのを、徹は完全に己を解き放って聞いている。自分もそうだと返す。疑いや不安はなく、親友のようで、家族のようで、いつの間にか腕をくっつけあって並んで座っている。ふと気づくと暖かい若い腕であった。頭を寄せ合うとまるでカップルのようだ、しかしそれ以上を求
めて焦がれるのではなく、すでに十分に幸せであった。
「なんやろな、これは、この感じは?」 「そうやなあ」 
「世間の瑣事とは縁遠いなあ」 
「世にも稀、という」 
「だいたいボクらはずっとそばに暮らしてたんや、でもいつもお隣の小さな女の子やった」 
「なあ、今夜あたし夜勤外れたし、おうちへ泊りにいこか」 
「いいで、そうしよう。どうなるかな、ボクら。どうなるにしても幸せな気持ち、それは間違いないし」 
「ふん、そうそう」
 その後、すぐに肉体的に結ばれたわけではなかったのも面白いことであった。どちらも性経験のある大人でありながら、いわゆる性的絶頂のみを目指していないのである。あれこれの段階を楽しんで踏んでいった。そこまでのところでなんら不満が残るわけではなく、次回、そこから少し新しい体験があるだけでおおいなる充足であった。
 田村さん夫婦は二人が熱々だと笑っていた。近所もそうみなしていた。が、そんな関係ではなかった。もっと熱々だった。



 人類の最大のテーマ、生と死と性と神について人類が編み出してきた考え、あるいは嘘は、少し私のデザインとは異なる。しかし異なるのもまた私のデザインである。人類のDNAを十分に混ぜて、種々のパターンが生じるよう、暴走する性欲を考案した。結婚という形式も老婆の長生きも子供の発育環境を考えての配慮である。
 ところで、完璧の神の存在は必要だろうか? このままのカオスでいいとも言えないか? 神という定義を創造したのは人類のその脳のみであったとか? あとは脳神経の構築した幻像であり、それでいいのではないか?

 しかし、その幻像世界の構造の法則が、一つには形而上学的霊的な仕組み、別には物質の法則(これは人類がかなり追求してきている、ほとんど神性とのすれすれの境界までに)、これらの二層の超絶的智慧と働き方が実在するのは事実である。そう言わざるを得ない。

 ホーキング博士が「神は必要とはいえない、神はいなくてもいい」とか、ややこしい表現を使ったそうだが、人類の欲する慈悲深い情愛に満ちた救いの神のあり方が存在するかどうかは、わからないはずであろう、それを欲するように造作したとも言えるけれども、とりあえず人類の感じかたは悲観的であろうとも、とりあえず法則だけで十分完璧に進行していっている。そうでなくては完璧の存在とは言えない。それは確かだ。

 法則は何一つ滞りも間違いもなく働いている。光の世界と物質の世界において、私は存分に存在しかつそれを感じている。それが神聖ということである。どう考えても結論は、唯一、神霊しか存在しないということになる。




「揺れる水面」
  第三話
 
 人間という言葉が示すように(当然ながら日本語でのという限定で)、出会いによって綴り合わされている「人生」だ。無垢の赤子にとってすら、すでにその両親との出会いが決定的な影響を(すでに胎児の時から)持つ。それを心の履歴書の第一ページと呼ぶことができよう。例えばあたしの場合は。

 と、書く気満々だったけれども、両親について書き並べてみても月並みで退屈なだけなのに気づいた。代表的なシーンを置くだけで十分かも。


 土曜日、お天気だと半ドンで帰宅した父も一緒に、おにぎりとお茶を持ってどこか、近所の公園に出かけたものだ。そこで写した白黒の写真にほっぺをピンクにするすべを母が編み出した。

 夕食、丸いちゃぶ台を4人で囲むと、弟が嬉しそうに言った。「うちはみんな可愛いねー、お父ちゃんもお母ちゃんもお姉ちゃんも僕も」私にも本当にそんな風に見えた。みんなが頷いて幸せだった。

 父がそんな時言った、「うちみたいにお父ちゃんとお母ちゃんが仲の良い家族で本当によかったんだよ」私は、その前後、近所で父母は一緒にお風呂に入ると言いふらして(自慢ではなく単に事実として)両親にかなり気恥ずかしい思いをさせたらしい。

 今から思うと可笑しなことに、少女のあたしには家事の手伝い、女性らしい身のこなし、花嫁になるという憧れ、など母からも全く刷り込まれなかったのである。それどころかあるとき、十歳くらいだったろうか、病気がちのあたしが、「将来は看護婦さんになろうかな」と言った時、父の反応は、「なんだ、看護婦になるくらいなら医者になれよ」であった。驚いたよね。驚いたことで、社会からすでに女としての洗脳を受けていたのが今ならわかる。

 そしてこの一言は、職業選択の壁を打ち破らせた。大学進学を控えての希望職種調査欄には、父自ら書き込んでくれた。「研究、思索的仕事」 これは父自身への願いであったのかもしれない。
 さらに、これまたややおかしいのだが、小学校の校長の朝礼の訓示?を覚えている。覚えているそのことがおかしくもある。それは「群集心理に惑わされるな」という内容であった。こんな内容を強く記憶していることもさらにおかしい。

 ともあれ、その時からまさに大海のごとき可能性が広がったのである。

(と、大見得を切ってみても所詮庶民の私であった。こう書いているのは、このアラサー時代の原稿を見つけた七十三歳の老婆である。こうして漠とした時の流れを見渡していると、この文章の一つ一つに形容しがたい時の分断をみざるを得ない)

 (また四十年余り昔に戻って)
 高校時代の、いや恐らく一生を通じての(確かにそうだがやがて影響を乗り越えた)一冊の本、それはロマン・ロランの「ジャンクリストフ」である。私は受験勉強そっちのけで、ページをめくるのが勿体無く思われたほどに、一行一行をむさぼり読んだ、のちに親友が「舌なめずりしながら」という読書姿勢を教えてくれたがまさにそんな感じで。私の目からまさに鱗が落ちた。人間の精神性、内面性の扉が重々しく開かれたのである。それまでのセンチメンタルな少女趣味はいつの間にか遠ざけられた。自分の将来の姿が、可愛く優しく女性らしく、とは想像できなかったなあ。

 と、オババのあたしは過去の最初をしばらく彷徨っていた、あの頃始まったことが今ここに繋がっているのだろうか、青臭い問い、人間がある意味は何?生まれて死んでどうするの? それがここまで続いている、やはりそうなのだろう。少しでも真剣に生きようと思えば。
 
 悲しみをたたえた眼差しの、左側の横顔を、つい正面から見つめたくて左に部屋を移動してしまう。その横顔がこの小さな、数百年の古い村の、特に壊れかかったペンションの一室に現れたとき、あたしは本当に文字通り目を見張った。

 イエスは岩山のような高いところに腰掛けて、あたりには野の花がそれぞれの花の形と色のさまにそよいでいるようだった。左手の遠くには満月らしき円形が半ば見えている。雲に覆われてもいるがその光の静けさは、あるいは心を寄せられたかのような優しさは暗い空の頼りであった。

 真っ白な長襦袢のような衣服の上に、暗い色のローブのおなじみの姿である。髪は肩に軽くかかるほどで、額を見せている。両手を膝の上で軽く組んで祈っているようだった。足は素足である。それが痛々しい感じに思われた。

 白い顔色となだからかな眉、どこか下に向けられた目元、鼻筋がほどほどであり口ひげが髪の色と同じである。こんなユダヤ人がいるような、いないような、柔らかくて優しい、何よりも悲しげである。自分の運命を思ってなのか、人々の感じている苦悩を哀れんでいるのだろうか、そのどちらとでも見る人によって解釈される。

 画家の名前は書いてない。名もない昔の、イエスを愛する画家であろう。今ここでこの日本人のオババに見つけられて、心から愛されてしまったその絵の中に生きるイエスの その心情と命と愛と信仰が、そよ風のように、その場所に吹き渡っている。

 いくら写真に撮っても、実際の色より褪せて見える。農家の寝室に飾られたイエスの姿は、妙なことにしかし、テレビドラマに出て来るルシファー役の俳優と似た感じがした。彼はかってないほどにこの八〇歳のオババの気に入った俳優であった。そのドラマでは、顔自体、と言うよりその設定のキャラクターと、もちろん神(悪魔ルシファーは神のお気に入りの長男?)とのエディプスコンプレックス的な関係が、悪と死と罰というキリスト教(善悪二面の功罪があるが、死に対するやや慰めになったのは人類の必要にかなったのだろう。これはわたしの注釈である)問題の探求者であるオババにとってはこの上なく愉快で興味深かった。

 そうか、このオババが今も、ここに至ってもかくもこの男、つまり夫だが、に引っかかっているのは神のプランであるとしか言えないのかもな。とっくに捨て去ったとしても、どこかでわかっていた、同じ無駄な時間がまたやってくるだけだと。またこの国に戻ってキリストに対面する、それがプランだったのだ。やっとそのための心の調整と準備が整っている。


 先日、いつものように変数XYZの未確定な一次方程式に捕まっていた時、あたしは自分の中にあるはずの、あるしかない神霊を感じようとして、一つの幻を思い描くことができた。

 神霊は光の存在である。光が全方向に発せられる、その末端には光の無い影が生じるであろう。個々の人類の担当である光の範囲は小さくて限定されているのだ。生じた影をお互いが感得する。それぞれが自分の感得した他の存在の影を見て、それが実在だと思う。そんな仕組みである。自分一人の感得世界しか知らないが、知らずにお互いに影響し合うのだ。そうして現在の地球のような総合的な、物質が仮想する仮想の物質世界が構築されるのだ。

 その上にまた一つ、人類が神の能力を発揮してしまったインターネットの世界が、仮想であり実在では無いのに実在化された世界が構築された。何というこの世の仕組みであろうか。問題は人類がそのことを知らない、意識していないということである。
 そもそも宗教は、教会は、いわゆる聖職者はこの仕組みを伝えるために存在しているのであっただろう。しかし何故にそれどころでは無い悪や愚までも犯すような宗教となっているのか、地上の権力欲、そんなものだろうか。聖職者は、こんなにまで人類を操り愚行へと仕向けていることが地獄行きに値するとは思わないのか、それとも本当は神霊の仕組みを信じていないのだろうか。

 あたしゃその時を待っているんだ。答えが湧いてくる、というか、答えを自分が思い出すその時を、逃さぬように。まあ、どうせ肉体が滅び、神霊として形而上学的世界に戻れば全ては明らかにわかってくるから、まあ、待てばいい話だけれども。別に焦らずに、、、、そうか、オババもさっさと死ねばよかったのか、健康に気をつけて長生きしてこの世で真理を知るまでは、などと思うのも愚だったかも。いやいや、そんなはずはない。何故なら、それでは物質世界の創造が無意味になってしまう。その意味こそ、創造の意味こそ神霊存在の意味と同義であるはずだ。神霊はそれそのものである物質世界において神性を実感しようとする。


 人生のいろいろな局面で、あたしは本当に呑気坊主だった、能天気だった、後ろ髪など引かれず意気揚々と前進して次のステージに登ったものだ、別に舞台に立ったわけではないが。

 子供時代に転勤ばかりの父について家族で各地を回ったときも、引越しが決まると、わーいと叫んだ。別に嫌なことが起こっていたからではなく、冒険精神と言おうか。高校、大学、就職、結婚、出産、ホイホイと喜び楽しみながらの人生に恵まれた、のであろう。それどころか、離婚してドイツにまで渡った。ここまでが上り坂だったかな。この後にも楽しく面白いことが起こると楽しみにしていた。

 そうではなかった。人に批判されたことなどなかった甘えん坊のあたしだったのに日々批判され怒鳴られるようになった。これまでのように行動することが今度は許されなかったのだ。七年我慢した、それも密かに相手を打擲しねじ伏せる祈り(実は相手の素晴らしい真の姿を拝み出すという趣旨であったのだが)によって。

 そこへ次の転機がきた。不思議にもまた日本に戻れることになった。夫がいい職を得たのだ。やっと暗いトンネルを抜けるのだと思った。

 しかし、そうは問屋が卸さない、という典型になった。あたしが死の床にいる父親に会いに行き、翌晩父が身罷ったまさにその刻に、ヤツは待ってましたとばかり女を作った。あろうことか男女として相性が良く、決して別れようとせず、あろうことか妻妾同居すら計ったのであった。その後に起こったことはただただ恥であった。不倫関係が終わったのは、ヤツが心筋梗塞を起こして入院してからだ。
 その後は、後五年の余命、と言われるままに、それなら、となお結婚を持続した。


 ある日の不吉な電話が、あたしの全人生を破壊した。前婚の長男が将来を果無んだのであった。親子関係は考えられないくらいうまく行っていた。ただヤツが邪魔だった、居るだけで邪魔だったのだ。あたしのやりたいことを邪魔する存在だった、それのみの存在。

 数十年して、やがて五年などではなく、すぐにも頓死、と医者に言われて、老後のための引越しをする羽目になった。その時も癖のように、どこか期待していたかもしれない、が勿論のこと、案の定、また不自由が極まったし恥も忍ぶしかなかった。


 そして、今、あたしとヤツは、八十をすぎたあたしは、重病のヤツを連れて、数歩歩けるだけで、紫色の唇になり息切れする薬漬けの男を車椅子に乗せ、スーツケース諸々と、全ての手配をドイツ語でしながら、ホテルからホテルへ、街から街へと、白刃をわたるような、神経のすり減る一月を過ごして、しかも目的を果たせないままでいたのだった。

 目的とは、ヤツを大往生させるためのドイツでの住まいを見つけることであった。

 誰でもがその無謀さ、無計画さ、不可能さ、絶望を知っていた。諌められ忠告された。あたしととりわけヤツだけが、そんな事実を知りたくなかった。実際はもっとひどかった。あまりに無知で準備が整っていなかった。おまけにヤツは入院することになったりした。医者は退院させまいとしたが、ヤツはその頑固な医者不信から治療を断り、病院を逃げ出した、というのも我々にはおまけに、ドイツでの健康保険がかかっていなかったのだ。

 あたしゃ妙に元気だった。新しい、より意味ある自らの創造の道を歩むゆえだったのか、あるいは不整脈の錠剤と精神安定剤コンスタン、それにヒアルロン酸とDHAプラスセサミンのサプリメントを真面目に飲んでいたせいか、つまりそれも自分の創り出した現象だったが、快眠快食快便であったし、ドイツ語を意外にも闊達に喋ることもできた。何語で話しているかわからないくらい自然でもあって少々のアクセントや間違いを自分の魅力にすらできそうだった。オババの魅力と容認されやすさを発揮。。。ふふふ


 ドイツ放浪生活、時に明日の宿も知れぬ日々が二〇日続いていた時、場所はドレスデン、さくらんぼやりんごやすももの花盛り、新芽の若緑、鳥の歌、暖かい日光が燦々と子供達の金髪に降り注ぐ、この世のパラダイスさながらの、視線が合えば微笑みを交わす人々、通りで倒れている人をみんなで助けようとする街角、そんなドレスデンに住むあたしの旧友と、彼女の不運に見舞われたにもかかわらず精一杯生きている夫に会うことができたにもかかわらず、彼らの危惧と助言(確かにヤツは十分に要介護状態三以上であろう)もすでに遅く全ての介護施設は満杯であって、しかもたとえ空きがあったとしても住民票も保険も病歴も記録されていない移住者に簡単な道であろうはずもなく、ヤツはやたらと毒づくばかりでその道をそもそも嫌がるばかりで、あたしは世界中からあらゆる方向から責めを押し付けられ解決へと動くことが要請されていたにもかかわらず、まず第一歩の次のホテル獲得に難儀していたのだが、それはなぜかというと、ホテルと言っても、まずクレジットカードを要求されず、キャンセルの余裕があり、ネット環境とエレベーターありという、この4点をクリアしなくてはならない、そのどれかが欠けてもおおごとになるから、それで時間に迫られて予約してしまったのを、後悔してすぐにキャンセルし、また後悔して申請し直す、その時にさらに介護施設を斡旋してくれる団体からの返事を待つのに、まだ泊まっているホテルにもう一泊延長可能か、をまず確認し、クリアし、それから日にちをずらして次の(と言っても単にヤツに押し切られただけの保養地であるが)ホテル、先にキャンセルしたばかりのところへ申請し直す、という不確定変数を一つずつ祈るような切迫性を秘めて決定していきながら、いつも絶えず、ヤツの体調という変数が全てをおじゃんにする確率も計りながら、死ぬことを願いながらあるいは今死ぬなと罵りながら、それが半日の経緯なのである。


 待っていた電話は来ず、必須の条件、心臓にその地の空気が良いという経験のある(と言ってもヤツの愛する祖母のこと)小村バートミュンスター を列車で目指すのであった。


 ネットで下調べしていた時間の列車がマインツまで行くので乗り換えるのだが、車椅子客をそれごと持ち上げる箱があるのでその手配をしてもらう。これは無料である。これは前々日に駅で行った。

 前日にスーツケース二つをホテルに送り出しておく、その時郵便局すらどこにあるかわからないので、ネットで探してタクシーで行くとそこは美容院が片手間にやっているところで、書付の方式が揃っていなかった。

 たくさんのタクシーに乗ったが、皆おじさんたちは親切であった。あたしは老女の魅力を利用してうまく立ち回り、うまく会話し、情報を得、チップを弾んだ。すると思い荷物を持ち上げてくれるのだ。

 思い出す、右の耳がほとんど聞こえないあたしには、ただでさえ困難な方言の違いはほとんど気にならなかった。何故なら耳に届いていないからである。適当に雰囲気でうなづいておく。本国人であるヤツはここにきてすら、あたしに頼る癖が抜けずぼんやりしているので、皆あたしに話しかける。ったく! 


 イエスに導かれたニュルンベルクのボロボロのペンションの大男が一泊延長を受け入れたのち、次のニュルンベルク市内のホテルの一見軽薄そうな息子が一泊延長を受け入れた時、不覚にもあたしは泣いた、そして彼を祝福した。

 全てにこんなに大げさに反応するのは、恩寵という感激を思い知るからばかりではなく、この世の仕組みの中で、こんなにも蔓延っているスマホなるものが、全くスマートではなく、国内しか通用しない、国際的に使うととんでもない料金となるのだが、当然少しやり方を工夫できるようにまでは進展しているが、そのカラクリがまったく理解できない、理解できないままでも使えればいいのだが、そうでもない、そういう日常当たり前の電話が、あるいはクレジットカードがないばかりに、あちらでぶつかりこちらで頭を抱えるのであった。

 例えば、ボロボロペンションの大男に電話するのに、公衆電話を見つけ、硬貨を入れ、番号を回して通じるまでにどんな苦労と冷や汗があったか、経験したものでないとわからないだろう。しかも一刻を争う、という状態で。

 遅れたら宿無しになるのだ。やっと宿無しを避け得て、ホッとした途端に気づく、大事な大事なヤツのインスリンをペンションの冷蔵庫に置いたままで、もう誰もいないので取り出せないということに!! 

 思えば、羽田を発つとき、前婚の次男が親切にも見送りに来てくれていたのに、インスリンを家の冷蔵庫におき忘れたままだったので、全員が青くなり、息子が車でかろうじて時間内に取りに行ってくれ、せっかくの逢瀬に話もできなかったのであった。憎らしいインスリン!!!

 そして、にもかかわらず全てを統率して進ませてくれた?多分?あの世から仕組まれたこの世の良き仕組みあり。

 そうそう、次男にはその後もお世話になった。
 例のあたしを泣かせたホテルの予約にクレジットカードが要求されていた(これは当たり前の現象らしい)のに、ヤツが入院先にカードを持って行ってしまっていたので、あたしのクレジットカードを使うほかなかったのだが、なんとその日本の口座にここ一月ほとんど入金がない状態だった。
 一計を案じ、次男に十万円借金した。彼がネットでなんとか私の口座にお金を補填したのだ。そうでなければ2千円ほどしか残っていなかった。上手くいったからよかったようなものの。


 小村バートミュンスター の、ホテルクローネのマネージャーは、低音のいい声であった。何度か電話してエレベーターや階段の様子を確認した。というのもそこは主に山登り好きの根拠地であるらしく、車椅子は考慮していないというのだ。どこに登るか? ツークスピッツェではない。

 二百メートルほどの切り立った崖のある岩山、ドイツではまさに奇観である。空の半分がそんな山で閉められたバートミュンスター、まさに珍しい。普通は低い丘と林が延々と果てしなく続くドイツの野原風景なのだ。

 ともかく、その空気の良さそうな高台のホテルクローネについたとき、あたしはどうしてか、本心から嬉しかったのでマネージャーにそう告げたのであった。
 リラの花がドレスデンと同じくらいの開き加減で何気無い風情でどこにでも茂っていた。ここに長逗留する覚悟はできていた。ヤツの好きなようにさせると。

 バルコニーから奇岩を眺め、あまりの景観に笑い合ってから、早速パソコンに向かう我々であった。あたしとヤツは思いを一つにした。ここで住居を見つける。それから日本に帰り、貸家を整理し本格的に引っ越す。

 あたしの母が半年前に施設で高齢で亡くなったのが有り難くさえ思われる。何故なら母を置いて日本を去ることはとても出来なかっただろうし、母が亡くなったからこそこうしてとんでもないことをまた始めたのであった。心配する人がいないので。しかも、あたしにはなき人たち、父母、弟、長男の気配が嬉しく感じられた、一緒にいることがわかった。

 それにしても、よく考えると今更ながら言うのも愚かしいが、なかなか無理難題であった。家を買うとすると、我々の予定三カ月では終わらないだろう、家を借りるとすると、クレジットカードの他に借金がない、家賃を怠ったことがないなど三種類の書類が必要なのに、その何一つ無いのだ。

 ヤツはバカだ。結婚証明書も忘れたので、あたしのビザは観光ビザしかない。むざむざと、無駄に大金を使って帰国する羽目になることは大いに可能性が高かった。先ごろ思いついて手続きした無借金証明はなんと日本に送られているはずだった。
 そこまで思い至ったとき、この現実はぶち当たって初めてわかったことだったので、ホテルに着いてから理由もない安堵と決意を感じたのちではあり、急に不意に強い絶望に襲われた。


 それでも、何もしないわけにいかない、二ヶ月間は帰国できないと言うチケットに縛られている。

 あたしはこの老いた体の中に一粒光を放っている神霊を感じようとした。とりあえずヤツを大往生させること、みんなに嫌われないであたしにも嫌われないで、少なくとも。

 これはあたしの練習でもあるのだろう、神霊の仕組みがそうさせると言うのではなく、あたしが素晴らしい仕組みにうまく合致していくための日々の一歩一歩なのであろう。呼吸するように。
 呼吸の目的がこの仕組みの認識であること。思考も行動も意識も。つまりいわゆる神霊以外に存在はない、それのみで、この物質世界もかの見えない世界もただそれのみで成っている。

 そうだ、もう一つ、ヤツが自分を愛し、母親を許し、みんなと世界と和解し、愛されていること、愛していること、愛のみがあることを感じることができるように、それが肝心のことだ。この完璧の世界の仕組みはまさに神業である。ただ我々の意識するものはかなりめちゃくちゃだ。ここをどう乗り越えるか。あたしなどにはわからない。できることをするのみだ。

 ここ、ドイツならざる、空気の澄んだ、海水の育んだ塩分の神秘に満たされているここ、ここに住みたい。今度こそさらなる坂道を転げ落ちたりしない、神霊との一体を忘れず、本分と実相と真性を思い出そう。ヤツに曲げられてはならない。



 到着は二千十八年四月二十四日水曜日であった。
 奇岩は窓からあたしを覗いていた。あたり中にある感嘆措く能わずと言うシステムを賛美するとしてもただ人類の見る不景気な様相のみが問題になっている。それが嘘であり、非実在であり、夢幻だと宣言する勇気は相当きつい。

 二十五日にはネットの最新の「仲介抜き賃貸情報」にホテルから数百メートルの家があり、応募には自身の紹介を書いてくれるよう要請されていた。流石にヤツが頑張って要請した。

 二十六日には見学、あれこれウマが合って内定を得た。階段があるのはヤツには避けるべきところだったが、余りに齟齬がないので相手の了承を受ける以外になかったのは何の手配だったのか。

 二十七日には契約書に署名し、こちらの申し出により一年分の部屋代を支払ったのであった。ちょうど同じ額を損失したばかりだという家主は、この奇遇に出逢う所以を持っていたのだろう。

 ともかく残りの時間をこの追及にかけようとして眠ったある夜、おとといのことだ。
 目が覚めて、驚いた。自分のミス、エラーが突然わかったのだ。あり得ない間違い、大ボケ、アホだあたしゃ。
 誰にであれ、何に対してであれ、心を開き神霊の光を感じ尊さに共感と感涙を捧げることができるようになったと言うのに、ただ一人例外があった。
 思いもしなかった、ただただあたしを苦しめ、不自由にし邪魔ばかりする人物がいて、彼も神霊の現れであることを全く考えもしなかった。誰あろう、あたしの夫であった。

 あたしは、済まないような気持ちで、改めて見るように横でいびきをかき、苦しげに浅い息遣いをしている夫をこっそり見つめた。真正面から見るのは気が引けた。横目でチラチラ見た。
 この男も神の光そのものであるのか。これは大変だ。あたしが変化しなきゃなんない。オーマイゴッド!

 これまでも同じことを読んだり聞いたりしたであろうが、初めて心の奥底に落ち込んだ。水面に映る岩山の姿、ある時は美しくそのままに、ある時は乱れて暗い、それが人類の感得する(と思っている)物質世界である。

 あたしにはかの子の生んだひ孫がいるんだ。本当に賢くて何かが違う。あの子を授かるためにこのダメ男(と思い込んで来たが)と娘を作り、婿の田村との間に孫娘かの子が生まれた。

 今、一筋の幸せの道を思い出したあたしの身内が、ささやかな貢献を周囲に広げていると思う。

 あたしだって、いく先々で全てを祝福して歩いている。
 自己満足、詮なきことであってもかまやしない。まずはそれが肝心である。

 死んだらもっと楽しい。     

                      「揺れる水面」了


東天
時は流れ始めた、或いはあたしが進む、バートミュンスター まで
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