時は流れ始めた、或いはあたしが進む、バートミュンスター まで

時は流れているか

時は流れているか  ーー西暦2015年 古希(70歳)ごろから始めようーー



「実はアタシね、ドイツ人を一人地下室に長年閉じ込めているのよ」

 と、これは本当の幻想の友達に秘密を洩らすことがある、そんな私、確かに妄想癖はあるのです。


「ええ」と声は尻上がりに、蝶が翅をふうわりと広げたさまを思わせるその眉を高々と上げてかすみさん、

 「な、なんでまたそんな」とどもってみせる。

 「なんでってね、アイツ私にハラスメントするんだもの、セクハラ、モラハラ、パワハラ、だヨォ。だから罰に日本という身動き取れない場所に押し込めの刑にしてやったの」

 「やったね」


「でもさあ、押し込めたのはいいんだけど、私も共にひき籠もりになったのだあ」

 「 そうでしょ。そうだと思っていたわ、何だか変だったもの、あなた。世に言う引きこもり夫婦。何故、何故、出て行かないの。鎖で縛られているの!」

  かすみさんの柳眉が逆立つ。

 「だって、あの」

 「だっても何も。出て行くのも怖いのね! 弱虫ね、ウジウジしてもう!」

 「アイツいつも死にかけてるから、まあ少し待ってみようか、とか」

 「ふん、それで? ピンピンするならいいけど、ますます依存してくるんでしょ。その割には偉そうなんでしょ」 


 私、錐子(キリコ)うなづく。

 「もうアタシも古希だものね、辛い。特に不眠なのに寝かせてくれないから。もう限度かも」


 「信じられない馬鹿ね、錐子さんって。刺し殺したらば!」


 私は言い当てられたような気がした、震えがきた。破滅だ、破滅がくるのだ。



 外では、隣家のお庭で柿の花が愛らしく咲いて、そのうちに役割を終えたらしい雄花がパタパタと落ちていく。(柿の実の描写には別に意味はない、ただ柿が好きなので)

  去年のこの頃、やっと私の原因不明の腰痛が治ってきつつあった。石橋鍼灸院で鍼を打ってもらうようになってからふたつきほど経っていたっけ。

 

 鍼灸に通う前は、整形外科医から別れにもらった痛み止めを服用していた。

 そもそも、この強力な痛み止めを初めて処方された時は、薬剤師が向かいの薬局から出向いてきて、整形医院の待合室でじっと座ったままの私に、わざわざ忠告した。きちんと処方通りに服用するように、強力なので。


 その後、結局原因不明のまま、医師も愛想が尽きた、迷惑だから消えてくれという顔をしているので、大量のそれを貰って治療を終えたのであった。

 そして必要に迫られ、日々服用しているうちに気づいた。

 なるだけ量を抑えるために、我慢できる限りは我慢し、どうしても外出ということになると倍量飲んでいたのだが、時間が空くと、たまらないような焦燥感に襲われた。臓物がかきむしられるような、地面を転げ回りたいような気分になった。 


 そして恐ろしいことに、その粒を飲むと即刻苦しみが消えた。なんとよく効く薬であることか。

 そんなことを数回繰り返した頃、ぞっとして気づいた。これは依存ではないか。中毒ではないか。

 そこから、私は必要に迫られて代替医療に切り替えることになった。


 その前から、実はふたつき鍼灸に通っていたのだがそれは、夫の合気道の先生から再三勧められていたので、ある程度お義理であった。


「俺の親父がね、胃がんで残すところ一年なんてことになってさあ、石橋先生にお願いすることにしたのさ。薬漬けで入院しているより、家で代替医療で生活してもらおうって。お酒は止めないままだよ、三年近く生きてさ、いよいよという時には、みんなにサヨナラを言って、お袋に、ありがとう、涙をほろり、事切れた、そんな理想の逝き方だったのさ」

「そんな絵に描いたような話が本当にあるとは。。。。」


 武藤先生は、袴をいじりながら続けた。

「なあ、すごいんだよ、その石橋先生ってさ。ある時は俺が高熱を出して、朝になっても引かないのに、その日はどうしても大会に出なきゃならないって絶体絶命の時があったんだけどね、電話したら、遠隔治療さ、熱が引いて、普通に出席できた」

「えっ、ほんとですか!」


 そこで、武藤先生は話を切って、弟子たちに次の技を披露し注意事項を話した後、また私の前に戻ってきて、

「それでさあ、息子の嫁さんなんだけど、すごいアトピーでかわいそうなくらいの皮膚になっちゃってね、医者ではどうせ何とかいう、効くけど結局は効かない薬をくれるくらいだからって、鍼灸に連れて行ったんだ。もちろん、有機野菜、水、料理法なぞ、生活も変えてだけどネ、何と、前よりも綺麗な皮膚になっちゃってね!」と嬉しそうにカカ、と笑った。


 そんな話を延々と弟子でもない私に聞かせるのは、実は弟子の一人である私のダンナが心臓病なのと、一途なところがありながら、性格が偏ってネガティブなことを心配してのことであった。しかしドイツ人の彼とは、何しろ意思の疎通がうまくできないので、女房の私に話しておくのであった。

 私は、幸いにもそんな話にも違和感を抱かず、むしろ興味を持つという軽薄なところがあり、武藤先生の意図に反して私の方が影響を受けていたのである。あるいは私のストレス状態がわかっていたのかもしれないが。


 もう一つ、話をさかのぼると、ダンナはそもそも武道好きである。思春期にいじめを受けていたので防御のために始めた。ドイツで合気道を習った。日本で唯一素晴らしいのは合気道のみだというのが彼の持論であった。

 幸いにも、私にも武道好きな面があり(それは単に、娘時代に小説宮本武蔵を愛読したということ、父に剣道を習ったということ、後年、新聞広告でみたある台湾美人の太極拳の姿勢が非人間的なほど美しく心を惹かれたということ、に由来するのであるが)、夫婦の意見が一致する稀な話題であった。

 こういう幾つかの後押しがあったために、鍼灸院に通うことが可能になったのである。さもなければ、原因不明の腰痛であっても、ダンナがそんな「非科学的なこと」を私に許すはずもなかったのに。



 私が軽薄なところを持ってるってのは事実で、それにプラスして人が良いので、うかうかと新教宗教などに取り込まれやすくなる。

 しかし、一見そう見えるし、敵(敵?)もこいつはたやすいと思うだろうが、どっこいそうはいかない。私にはどんな意味でも信念がないのだ。まるで原子核の周囲を回っているらしい(というのも見えないので、小さすぎて速すぎて)電子の作る雲のように、とらえどころがない、捕まえられていない、自由であるのだ、私の本性は。ちょっとすごい比喩を用いてしまったが。


 結局は完全に私をつかまえることのできた教えはない。好奇心はあるが熱狂も熱情もない。ご意見拝聴で一理はあるけど、で済ます、支配欲もない。目立ちたがり屋でもない、人に寄ってこられるのは何か勘違いが起こっている時だ。グループもグルーミングも、ちょっと試してはみたがどこにも属さないのがすぐにわかる。

 そんな七十年間であった。


 ダンナとはいつも程度の低い水掛け論のみをして、というのも元々諍いは私の質ではないのだが、彼の矛先が家族に対するものとしては鋭すぎるので、せいぜい無視という態度を基本にして「相手にしない」のだが、口論にまで発展するとその不毛さに絶望してもっと引っ込む、水掛け論を打破できなくて(討論術、ディベートなど、まああまり賢い頭を持っているわけはないので)距離を取って心が離れていくのみの年月であった。まあこれまでのことは余り重要でなく、価値がない。価値がない、と言い切るのも恐ろしい態度ではあるが。


 そうだ、今から入って行こうと思っている事柄は次のような要素と経緯で起こってきた。


一つ、十五年前に二十代で自殺した息子と三十年前に難病で亡くなった父に会うこと、

二つ、母の行き先(いわゆる終活として)を考えること、引導を渡すこと、

三つ、末の息子が死、すなわり意識の無(無神論による)に慄いていること

四つ、自分の死をたやすくする、堂々と死ぬために

五つ、意外なことだが、私の熱情は一つある、生命への悲しみ、同情、癒しの希求、同時にそれは宇宙の法則、真理への熱い熱い熱望である。


 以上の五点を背景に、七十にして私はやっと本気になった。人事を尽くして天命を待つ、とことわざにあるが、逆である。人間を信じていない私は、人事を後回しにし、天佑をまず待つことにした。心を開いて流れに任せ、天啓をいただくことにした。


 以上の五点以外に守るべき自分の信念がない、ということ、フリーであることの背景には深い疑念があるようだ。

 人間への疑念、つまり彼らの為すこと、社会の規則と規律への態度、つまり特定の時代背景に応じて社会化され、偏向されていることへの違和感がある。


 一方ホルモンによって操作されていること、これも密かに気づかぬうちにだ。これへの反抗心も私の中にあった。反抗しても負けるのだが。それゆえに一層人間の行動への疑念が深くなった。


 すべての操作は脳内でなされる。五感は情報を運ぶが、しかし脳はそれを解釈して像を組み立てるのだ。興味本位で選んだオリバーサックスの「火星人の人類学者」を、へ~とか言いながら楽しく読むうちに、ハッと気付いた。そこで表明されているのは脳の可塑性とか脳の恒常性とか、前頭葉が傷つくと理性が利かなくなるとかではなく、脳の恣意性だ。


 盲人の世界はそれ以外とは非常に異なる。有名な幻肢痛を見ても、脳が現実と唯一的に結びついているのではないことを示唆している。

 現実は現実なのか。本当にあるのか。

 脳の描く幻像という可能性もある。 

 それどころか私の意識の世界にいる人や物は私にのみ見えて感じられているもので、実在ではないかもしれない。

 外界は実在なのか。大きな疑問だ。



 痛みを感じる、人はこれに囚われる、脳内のストレスにより適切なホルモンが減り、痛みの回路が修正されないままぐるぐる巡る。この状態の患者を助ける方途が整形外科にはないようだ。


 石橋鍼灸院で体を(心も)世話されるうちに、私は原因不明の(恐らく最初は何か直接の理由があっただろうが、そして理由についてはテレビの健康番組で聞いたりもする)腰痛から徐々に回復し、施設にいる母を訪ねることができるようになった。


 ただこの間に、母の記憶がだいぶ損なわれていた。施設では眠り病と仮名が付いていたが、脳梗塞などがあったのだろう。


「お母さん、錐子よ」

「きいちゃん、あらあ、来てくれたのねえ」

 私の顔は覚えている。最近、どう? 先月は眠ってばかりいたって聞いたけど。

 え、そうだったかなあ、もう忘れた、とヘラヘラ笑う。

「 白髪が増えたねえ、きいちゃん」

「そうよ、だってもう私も七十だよ」

 九十三歳の母の顔がかわいそうなくらいシワとシミに覆われているのを私はちらと見る。骨と皮だ。


 短期記憶というのか、少し前のことを忘れている。しかし対話には支障がなく、字も読めるし、かなり普通に会話もできる。壁にある父の写真を見上げて、


「お父さん、どうしてるの?」

「さよならっていってしまったよ」間も無く三十年になる。


「恒雄はどうしてるの?」

「さよならっていってしまったよ」恒雄は弟だ、亡くなって四年が過ぎた。


「ふ~ん、それで、あの、きいちゃんは誰と暮らしている?」

「いつものドイツ人のダンナだよ」「何してる?」

「心不全が悪くなって、仕事クビ」 


「で、きいちゃんの子供は誰だった?」

 私は三枚の写真を取り出す。

「ほら、これが長男のヒロくん」

「ヒロくんは何してる?」

「さよならっていっちゃったよ」私の声が抑えきれなくて震えた。


「これはまもるだよ、九州で好きな音楽をしてるでしょ」

「まもるは歌が上手だったよねえ」と記憶に日が差したようだ。


「そしてこれが末っ子のゆきちゃん」

「へえ~」幸雄とは一時期母と三人で家出していたことがある。ダンナが荒れて堪らなかった頃だ。当時と比べて、今は性格や生活が改善した、というわけではまるでないが。


「幸雄には子供がいるでしょ、ほら可愛い祐介」

 私もつい孫可愛さに笑顔を取り戻す。


「まあ、いい子だねえ」と母は父子の姿をじっと見つめている。

 不意に

「お父さん、どうして亡くなったのか全然思い出せない、恒雄のことも」と言った。


「お父さんはほら、アミロイドーシスっていう難病で、どうしようもなかったんだよ。ツンちゃんもまた、よりによって膵臓癌だから、ほら数子おばさんと同じ、これも手遅れだったんだよ」


「そうだったんかねえ。なんにも覚えていないよ。さっぱりわからないよ」

 と、母はむしろ無表情で呟くのであった。


 その夜、寝ようとした時、突如、自分の役割がわかった。

 そうだよ、お母さんに引導を渡してあげるんだ。


 過去は覚えていない、消えた、

 未来はあなた任せ、現在も施設で人任せ、

 薄暗い闇の中に生きている、せめてあの世には会いたい人が待っていると、思わせるようにしなきゃ。きっと父もそれを私に望んでいるのだ。

  優しかった父親の笑顔に、そうでしょ、と私は呟いた。


 この時、別に霊的な世界を信じて考えていたわけではない。私はそこまで縛られていないのだが、可能性として、あるいは慰撫の手段として信じたほうが心強い、怖くないはずだとは強く思えたのである。

 いつもぼんやりしている自分の中に、強いものが現れた時私はそれを大事にする。


 五年前西暦二千十一年にダンナが失職した時、全てが折り重なってきた。


 住む家はなく、千葉にいた弟が癌手術を受け、すぐ近くに住んでいた母にも今後の行く当てがなく、私の末の息子は東京都大田区に住んでいて、嫁の心理的な問題から孫の面倒を見てくれる人が絶対に必要だった。

 当時住んでいた関西から「房総半島へ引っ越しだ!」

 そう、強く思った。決意した。行動した。


 母には弟宅近くの施設に入ってもらい弟と会えるようにする。

 引っ越しは一人でする、ダンナも母も何もできない。

 メモ帳二冊が様々な書き込みで溢れ、角がささくれだって摺れていった。


 私と夫のJBと家具がやっと新居に入った瞬間、東日本大震災という乱暴な歓迎を受けた。 

 かろうじて艱難を乗り越えた。だからそう重要ではない。


 それからもしかし、まだ許されはしなかった。神は、運命はいつまでも私を攻撃し続ける。しかし考えてみれば、私が善人というわけではない、知らずして泣かした人もあるだろう、恨みを抱いて呪っている人も絶対にいるのは知っている。


 自分が耐えていることは余りのことに思えるけれども、よく考えてみれば妥当かもしれない。あるいは、むしろ自分の苦悩は自分の罪悪感の為す技だ、そうドラマなどで聞くではないか、とすると、私が感じる苦は自分の罪を贖う、贖罪である、ともみなせる。そう思うことによって、そのままで受け入れようと思うこともあった。よく人はありのままが一番とか言う。全くその言う意味はわからないながら、そんなことかなあとも思われる。


ー−西暦2016年ーー

五 
 医者の診察を受けるときは、五分も時間をもらうと御の字である。
 しかし鍼灸医院では、(確かに保険適用なしで一回五千四百円かかるとはいえ)、五十分前後ゆっくりと相手をしてくれる。石橋院長には全体の監督役であるので、弟子の一人山本さんと次第に話し相手としての関係ができていった。まだ二十代ののっぽの青年である。
 で、二千十五年の先に触れた柿の花の散る頃には、身体的にもう訴えることがなくなり、自然に足が遠のいた。

 それから一年ののち、また柿の花の散る頃となった、それが今二千十六年である。

 で、その今から過ぎること半年前のこと、二千十五年、私のただ一人の孫祐介の七歳の誕生日、十一月十日、その日にふと半年ぶりに「鍼灸に行こう」と決意した。深夜、背中に針を刺されるような凝りを感じたのだ。その時に決心した。

 その時までの丸一年間は、深酒するようになった夫に手を焼いていた。

 すでに二千十五年九月には夫婦関係が二進も三進もいかない膠着状態になっていて、私の喉にはいつも何かが貼り付いているような違和感が消えなかった。夫も病身となり、天涯孤独ともなって、苦悩は彼にとっても十年来のものであるとはいえ、私は攻撃される側であったので、耐え難い感覚があった。

 実際、奴隷のように、また性の奴隷のように生きていた。

 古希という年齢にもかかわらず静かな老後には程遠い惨状が続いた。私にも限度が、これ以上我慢できない壁が見えるようになった。
 睡眠不足と不整脈が並行して進むらしかった。

 家人は日にウイスキーボトル一本というペースで、つまり一日中前頭葉を痺れさせている日々になっていた。その年のはじめ、二月と四月に心不全悪化のため二回入院した後、退院してから一層本格的になった。私の腰痛を痛み止めで押さえつけていた頃だ。

 深く秘匿されているだろう、老夫婦の間で。
 愛の行為? 夫婦生活? (なんと呼ぼう、名付けるべき記号はあるのか)性行為の試み? 性行為とは何? 冷感症になった妻と勃起不能射精不能となった夫の間に生じる不毛な涯のない怒号、支配と被支配をめぐる死闘。絶望しかない欲望。ただの眠りすら不可能となった。

 苦し紛れに歌を作った。日記とは言えない、事実の羅列を綴った。昔、長男が自死した時、私を保たせたものの一つがみそひともじと言われる三十一音の短歌形式の詩であったように。

 それに関連して、二千十五年九月十一日 私はこんな歌を作った。
「扉あき笑顔さし出づ 天国に住む人恋ふてすがるまぼろし」
 まるで亡き人が別の世に居ることがわかっているかのように。

 九月十五日 私には別のまぼろしが浮かんだ。
 包丁を人の胸に突き刺し、静かにさせる幻が。
 やがて私はそのことを当人に伝えた。眠りがここまで不可能となったならもう殺すか別れるしかないと付け加えた。

 社会の認識の趨勢として、家庭内暴力を耐えてはいけないと言う意見を知っていたし、友人知人、鍼灸院でも別れることが相手を生かすことであり、私が我慢していると相手の成長を妨げるとむしろ脅された。

 しかし、ある時、別の事実を、つまり別れることも病人を見殺しにすること、であり倫理的に許されないと言う事実を、自分の確信として発見した。日本に他に頼れる人はなく、故国にも親も家も友人もなかった。そんな男だった。そう言えば、小説家のフランツ・カフカも自分の足元三十センチ四方しか立つ瀬のない存在だったが。

 一方、そんな変な確信こそ、暴力の影響であったかもしれない、その可能性もわかっていたが、それでも、何とか事態を中和したいと思ってであろう、昔馴染みの父の経文「実相完全円満」を何十年ぶりに唱えて人の真の姿の輝きを見ようともするのであった。

 それどころか、急に習字の練習まがいのことをし出して、障子の破れに「実相」(五感で捉えたから現実だと考える癖がついている我々であるが、それはほとんどは歪んでいて、歪んでいない本当のあり方はと言うと、神の似姿であり何の傷もなく完璧である)と筆ぺん書きした半紙を貼り付けて忘れないようにした。

 このような「世界と世界以上」の見方は理論物理学でホログラム理論として思考されていることも知っていた。

 同時に、何となく全ての出来事が、鍼灸院へ行かせようとしているかのようにも見えてきた。塞翁が馬、とでも言うように一つが起こると、次の出来事へと繋がって、意味付けられていくように思えた。畳み掛けられているようだった。無意識に願ったことが現前してくるかのように。

 九月末には、夫の実相が完全円満であると無理にもみようとした、その甲斐あってというべきか、彼の酒量が減り、私は彼を恐れなくなり、たとえ罵られていても、心は澄んでいて、お互いを信頼できた。
 その変化は、一瞬にしてという感じだった。

 
 同じ頃、母に習字を再開させよう、つまり「実相完全円満」は父の生涯のお題目であったのでそれを書くことを勧めよう、と思い当たった。引導を渡したいという考えが実践できると思った。それで、自分でも本格的に書を書いた。その道具は遅滞なく揃えることができた。


 十月二日に私がまず母の前で書いてみせた。実行したのだ。その時の心境を詠った。
「過去失せてよるべなき母ひとり発つその日のために真言を教ふ」

 十月八日、自死した長男の命日であり、父の誕生日でもある日から心がしんしんとまとまっていた。思えば彼が思いもかけず命を絶ってから、私の異界への旅は導かれてきたのだ。

 十月十二日には「瞑想帖」を書き始めた。友人が手作りの白いノートを作ってくれたものに。
 それは字の練習でもあり、尊い楽しい時間をくれた。不眠の対策としても、呼吸法をしながら、眠る前にくらやみに座しそのお題目を唱え、万象について思いを巡らし始めた。夫も座禅にはあまり文句を言えなくて、邪魔はしなかった。

 十月十六日、数日前から私は化粧品を変えた。資生堂からコーセーにとかいうのではない、界面活性剤を使わないものに変えたのである。それまでは高いクリームを使えば使うほど、塗ったところの肌が乾くのが不思議で仕方なかったのだ。ネットの広告だったろうか、偶然に目につき気づいた。
 社会が提供する間違いに「偶然に」気づいた。すると待ってましたとでも言うように、母の介護に出かけた時、駅の側の本屋で新刊として、そんなタイトル「偶然の科学」を見つける、と言う寸法だ。そうして、すっとそれが「摂理」として納得できたのである。変な気づき、心の動きが起こった。
偶然に出会った「偶然の科学」の内容は経済的なものだった。要は偶然の意味は、むしろ必然であるかもしれないという点にある。

 十月二十二日まで思考の限りを尽くして、科学の成果も参考にしながら、形而上学的、あるいは霊的な世界を探求し、人を同胞として純粋に愛することにしようと、自分の心の方向を決めた。

 しかし、その頃三男の幸雄が転職の淵に立ち、心身ともに乱れているのを知った途端、脆くも自分の安心立命の心が崩れるのを感じた。心配の波に呑まれそうになったが、しかし、辛くも一条の真の光がを見つけることができた。
 つまり、逆説そのものであるが、心配することは帰依の心が足らないことそのもなのである。ネガティブな思考をこれでもかと積み重ねて、それが実現するのだからたまった物ではない、これに思い当たったとき、心が一瞬に軽くなり、真の麗しい姿のみが見えてただ嬉しいのであった。希望が差し込んでくる、そこには希望しかなかった。

 十月三十日、家人との間は一進一退ではあった。彼を同胞として愛すると言う自分の決意が目の前の醜さに負けてはならない、死と闇があるのみだ。特に行動で示す必要はなかった、そう自分に言い聞かし確認すれが、手応えは自分の中にも家人の態度にも時に現れた。その現れを見逃さないこともコツだった。


 十一月三日、瞑想帖に書いた。「つまるところ、トラウマとか心理的元凶を探し出して悪い意味づけを確信するのは、自分の目(これも影としての)でしかない。愚かならざるや。」



 十一月十日となった。唯一の孫の誕生日であった。生日死日の数字的偶然をいくつか体験してきた私には重要なことである。
 悔しさをにじませてわざと足音荒く入ってくる夫の動きに身をすくませ、耳栓をしてもついに不眠の一夜となった後、鋭い痛みが一瞬私の腰に走った。それが合図であった。それを見逃さなかった。
 スイと決心して鍼灸院に予約を入れた。契機を捉えた。それが孫の誕生日のことであった。


 ここからは怒涛のごとくメッセージを受け取った。
 私がそう解釈したし、そう信じてみた。
 どうなるか、何か次に来るかと。
 この日、待合室にたくさん並べてある図書を眺めていた。別に意図はなく。

 ん? 合気とある。理論物理学者とある。

 手に取るほかない。私が信用できる要素が二つ揃っていたので即、借りるほかなかった。「愛の宇宙方程式」保江邦夫


 「スピリチュアルな力がすべてを統べている」というメッセージであった。近代的人間にはますます秘められたままの、思いもよらぬ人間の能力を開拓しようとした人々の中に、おのづと植芝盛平、谷口雅春など一線の名前が並ぶ。

 超弦理論をめぐる話と摩訶不思議とも思える偶然、必然、運命のつながりが語られる。

「かくしてここにあまりにも明らかに、パズルが一つ一つ現れて組み合わされていく。何も画策しなくても神意の真理の糸が繋がっていく」と、私は驚いて瞑想帖に書いた。

 家人については「あなたの役割は自身が悟ることではなく、私に試練を与え続け、真理にすがるしか無くなるまで追い詰めることだった」と書きつけた。

 飛躍もあった。愛するとは相手を神様だと思うこと、と読んで、不審な気持ちではありながら、試しに一瞬でもそう思えた時嬉しくて涙が出そうになった。

 神が愛だというのは、理屈ではとても納得できないが、理屈抜きの体験であるのかもしれない。
 

 十一月十八日からは、何十年ぶりに夫婦で一緒に並んで就寝し、静かに眠った。それは意外にも穏やかな共寝であった。私の贖罪意識が苦しみを呼び寄せ、夫の祖先たちの恨みが彼を通じてなぜか私に向けられた。理由は人間にはわからなくても贖罪はなされなければならない。しかし私を苦しめる役割のままでは彼も浮かばれない、私という菩薩の役割はもう長年にわたり果たしたと思われるので彼を解放しなくてはいけない、などと、証拠のないことが連なりつつ頭の中で考えが進んだ。

 しかし、共寝も一週間が限度となり、また支配をめぐる戦いが繰り返された。

 十二月になると、家人の最後の抵抗のような、修羅の日々となった。

 私ははっきりと、初めて怖がらずにはっきりと離婚を口にした。
 彼が恐ろしい形相で、上部は静かに「離婚したいのか?」と繰り返した。

 これまでそこを乗り越えることができなかったのに、私は明らかにはっきりと理性的に離婚すると宣言した。

 このような、結婚以来初めての私の反乱行為には突然でも偶然でもない長い因縁の繋がりがあった。ようやくここまできたのだ。

 夫JBの根っからの合気道好き、この土地に来て出会った合気道の武藤先生、その知人の石橋鍼灸院、私の腰痛、間も無く私の問題を見抜いて院長がくれたに違いない一枚の紙。さりげなく窓口に置いてあったのだが、私がそれを見つけた。


 まずは愛と平和の祈り。「生きとし生けるものが幸せでありますように」と様々に範囲を移して願って行く練習。私は飛びついて練習した。
 生きとし生けるものの幸を祈った、心から祈った。そして私の心が澄むことによって自動的にJBの心にもそれが伝わることを信じて、愛と和解を祈った。「彼とその一族が真に癒されますように!」


 それもできなくなった時、まさに次の紙が一枚そこに、鍼灸院の窓口に置いてあった。
 躍り上がってそれをもらった。
 それからは自分の魂とも言える自分の中の「ハイヤーセルフ」へ、
「どうしても夫を許すことができない私です、そんな私を許し、全てをあなたに任せます、私の大切なハイヤーセルフ、あなたに」
と日々祈った。



 その日は十二月四日であった。そう祈りながら歩いていた。

 突然「あなたに罪はありません」と聞こえた。足が止まるほどに衝撃を受けた。
 誰の声でもない、思念というには声であった。それを受け入れた。スピリチュアルな世界という、私の意志と関わりない動きが同時に納得できた。  


 十二月七日、JBが深酒して転んで怪我をした。哀れな醜いさまを私は冷たく眺め、冷静に近場の長谷川病院外科に連れて行った。この後長谷川病院には何かと頼るようになった。
 数日後には、夢うつつの時に、はっきりと孫の祐介の声と言い方で、「おじいちゃんは、、、なんだよねえ」と響いた。空白には「仏様」が入るのは明らかだった。

 十二月十一日、裕介の誕生日からひと月たった。
 自分という意識の限界を知り、ひたすらハイヤーセルフを呼び出した。
 あなたに委ねます、ということの影響は凄まじいものである。一遍に全身が浮き上がる軽さ、心配する必要がまったくない、私はただその叡智を信じて楽しく安寧のうちに暮らせばいい、完璧を信じることだ、実相の円満なることに安堵することなのだ。これを帰依というのだろう。

 十二月十九日、就寝前にフルパワーの呼吸法で瞑想に入るようにしてから三日目。家人の一週間の便秘が解消。何かと心配な孫のことを案じるのをやめ、幸せそうに笑う素晴らしい姿を拝した。「もうこれはやめられない」と感じた。

 しかし翌日から、寝不足と緊張とで不整脈が強くなったので病院に行く。
 マイナスの波がきただけだ。
 その間に色々家政上の失敗をしたが、それにもとらわれない。
 失敗するべき成り行きだったのだ。そう受け止め、こだわってネガティブにならない。


 十二月二十四日、クリスマスイブ。一週間前から温めていた言葉をついに使うことになった。マッチョ的なハラスメントが続くので、考える前に言った。

「あなととの共生からお暇をいただきたい」
 自分に納得できるように日本的で古風な言い回しを使った。もちろんJBにはわからない。休暇を取らせてもらう、と私は訳した。そして二人の間の平等性と公平さが重要だと付け加えた。


 二十七日、またテーブルに離婚の言葉が載った。
 無意味なセクハラの後、彼が初めて無意味だ、と言ったのに乗じたのだ。
 しかしその前に、自死した長男も、またJBも、一族の希望の星であって、苦悩の記憶から救われたがっている祖先を引き連れていることが妙にわかった。それを手助けするというのも自分の、この強い私に課せられた仕事であるとわかっていた。


 二十八日、前夜、離婚を要求した。
 しかし、その後のことを考えていると、この朝のこの状況が言いようのないほどの恐怖そのものとなってのしかかってきた。怖かった。離婚が怖いのではなく、その結果が怖かった。私の身の振り方云々ではない。

 してはならない、という叫びがあった。そうすればJBをめぐる地獄を見る。取り返しがつかない。避けなければならない。
 進むも下がるも恐怖。前も後ろも断崖絶壁、あるいは切り立った崖に両側から挟み打ちだ。
 おぞましい惨めな夫の残骸がちらついた。それが恐怖の原因であることに自分でも驚きつつ、圧倒されていた。
 これはダメだ、これはとてもたまらん、私はすぐに切り替えた。


 関係を改善する最低条件がすぐにわかった。

 気持ちの上では離婚している。しかしヘルパーとして家政婦として共に暮らし、必要な世話をする。生き方(彼の三悪)と考え方(男権主義)を、家政婦が居易くなるよう改める。

 このことを翌日二千十五年の十二月二十九日に鍼灸師の山本さんに話した。まだ世間を知らない若い彼にはむごい話であったし、どこまでわかるかは別として報告しておいた。

ーー西暦2016年(71歳になる年)ーー

 平成二十八年二千十六年に入るときには、瞑想の仕方、内容について手順が決まり、なお物質世界、精神世界、さらに神的世界の在り方についても考えたが、そのときに宇宙や量子についての知識と関連づけることが肝要だった。少なくとも九次元を示唆する超ひも理論は、とりわけそのエネルギーの色と音、振動に置いて真奥の在り方を示唆していると思った。

 山あり谷ありの夫婦関係において、突出すべき認識を得たのは一月二十一日である。夫のいわゆる情けない最低の言動は念の影であり、世界中にそれを見ているのは私だけであるので、もし私さえ見なければ存在しない黒い影なのではないか? 昨年十一月三日にも感じたことが、一層皮肉な事実として心に残った。


 輪廻転生も含めた精神世界までは人間の脳の産物であろう、しかしそれと実相の世界との関わりを理解するのは実に困難である。私の頭脳はフル回転し、瞑想はフルパワーとなっていた。両の手のひらに心地よい圧力が生じた。すると、過度の集中と覚醒のために眠れなくなった。

 一月は一人で瞑想を探求したり、これまでのかかりつけ医に不眠と不整脈の治療も受けていた。
 そして二月八日、完全に眠りから見離されたのである。

 二月十二日、一月は行かなかったのだが、このためにまた石橋鍼灸院の扉を叩いた。すぐさま、私の不眠が治療の対象となった。

 翌日二月十三日、珍しく孫と息子と楽しく公園で過ごしている時、あろうことか、私は目の高さにあった雲梯に頭をぶつけて、倒れてしまったのである。そして、あろうことか例の長谷川病院外科へ診てもらいに行った。外科医は前回と同じく人間味のある人物だった。

 そして二月二十二日、JBが咳で眠れなくなり入院となった。もちろん長谷川病院内科へ入院させてもらった。この時からJBは一滴もアルコールを飲まなくなった。長谷川病院はそれゆえに忘れられないところとなった。


 翌日二十三日、また計らいが待っていた。
 父がいつも読んでいた「生命の実相」が一冊だけ鍼灸院の本箱にあった。何となく私も読んだりしたものだが、理解したという程度だった。相手の中の神様を拝み出す、という教えが昔は結局、JBのわがままを助長したのみだったようにも思われるのだが、今はこの偶然ゆえに新たな目でその本を手に取ったのである。

 その翌日朝も夜も涙が流れた。JBが可哀想でたまらなくなったのである。それは感情の流出で、自分のコントロールを外れた涙であった。

 三月には、当然の疑いが生じた。なぜ念の影が生じるのか、脳は真理を認識できるのか。この存在をあらしめている法則、真理があるのは確かだがそれはどんなものか。
 続々と、本が現れてきた。「アドラー心理学」「量子力学で生命の謎を解く」
 しかし、現実の生活はまだ整わない。昼夜逆転のJBは相変わらず不眠を助長する。しかし、私の祈りも負けずに行われた。

 四月二日、映画「マトリックス」を思い出した。この脳のみが物質であって、肉体や環境や愛や生命があるかの如くに幻の世界を感覚に感じさせている。
 もがいても、どうしても理解には限度がある。

 突然私は希望を見失い、鬱の波に襲われた。しかし茂木健一郎「生きて死ぬ私」に同じ文章があるのに驚く。
 脳神経の役割は何か。宇宙は自らの法則を数学で知りたい? あるいは、脳は幸や善のためのもので、不幸や悪は意識的に克服、ないしは選択すべきである、それは人間に与えられた自由である。
 殺生という悪があるのはただの幻である。実は原子がその密度を移動しているだけである。

 桜を仰いで歩いていたら、桜の枝が花ごとどさっと足元に落ちてきた、私の数少ない喜びのために。

 四月八日の思惑、神の姿を見つける努力に人間が駆られているのは、すなわち、神が見つけられたがっているのだ。
 夫婦としての苦しめ合うのは、お互いが一族のキリストであり、贖罪をしつつ神を見つけて、浄罪を果たすためであるとか?

 四月十日の思惑、人を嫌悪するとは恥ずかしいことではないか、と誰かに問われる。
 自分の脳の位置に、幾層もの他の意識が重なっているはずだ。それほどの不思議の能力は備えているだろう、宇宙の法則は。
 しかしながら、この物質すらもほぼ無、空であり、無に等しいものだ。実在というより、光り輝く粒子の光、色のエネルギーのはずだ。それのみが実在だろう。


 四月十四日、十六日、熊本地震。 
 地震ともに、ついに四月十六日が来た。
 この日、鍼灸の石橋院長が勧めてくれた本。「この本に多くが救われた」著者 津留某氏 近代人の孤独な自我意識に疑問符がつけられているた。それを失うのは我慢できないような気もするが、まさにそれが要請されていた。

 二十二日 精神安定剤コンスタンを医者から貰う。奇跡的によく効く。私に必要だったのは、睡眠剤ではなく安定剤だったのだ。

 五月一日、柿の実落ちる頃にまたなった時、やめたり始めたりしていた鍼灸院の本箱に見つけた。「精神世界を歩む勇者たち」同時に見つけたのは、津留某氏がその本の中で運命の出会いと語っていた「神との対話」であった。私の軽薄さにより、すぐに何かが降ってきた。

 散歩に出たとき尋ねた。何をすべきだというのだろう、この世界で。すると「夫を護ること」とイネ科の葉っぱを見ながら思った、降ってきた。それが自分の使命であったのか、逆らい非難し、苦しめられているとのみ考えていた。全て逆であった。可哀想な人よ。夫という言葉と護るという言葉がこんな風に結び付くとは、ただ驚き、ショックだった。

 平成二十八年二月の入院ののち、それ以来、夫はアルコールを断ち、やがて自分のなすべきことができるようになった。四月には私の生活が暮らしよくなり、ハラスメントの問題も随分無くなってきた。彼を信頼して、自由に接している自分がいた。「新しき啓示」「神へと帰る」怒涛のように神との対話に耳を傾ける日々だ、瞑想の代わりと思う。

 五月十三日、昔統一教会と名乗っていたグループが今は家庭連合会となって、最寄りの駅前に立っていた。JBが若い頃に友人であった天才学者が、今は問題解決の専門家になっていたことがわかる。関係性の改善の秘訣を学問的に解明したらしい。これも手引きとなるのかもしれない。



八 
 問題解決の鍵は、自我を薄め、相手を愛するというテーゼである。自分が損をするなどという懸念は不必要だ、なぜならば、人間に足りざるはなく全てすでに十分に与えられているからだ。他に与えることほどの至福はない。そこに幸福感が生じるのだ。

 「神」の定義はこれ以外にない、すなわち「在りて在るもの」すなわち「全て」であるので人間もその一部であり、ひとつである。霊的な、神聖な霊性の存在である。神の能力の縮小版だが、創造する力は同じく持っている。

 その方法は、思うものが念ずるものが即刻現実となる。それを体験する。体験して誠の自分を知り、喜びを感じることがこの生の目的であるが、気をつけないと(知らないままに現在まで来たせいで)間違ったことを思ってしまう。ネガティブなことを。
 その原因は、これまでの宗教が、人間を全き神の子とは教えず、どこか罪を犯した劣った存在だと教えたからである。人間は神の愛を信頼することができない、そんな愛に値するとも思わない、卑下してお互いを批判する。神のいわば懐に飛び込むことができるか、そこが自由意志の使い所なのだ。
 神は恐るべき存在ではなく、畏れ多い存在ではなく、無限の愛と能力の提供者である。

 ただ、神が自分の存在に自足するだけでは、神そのものの喜びを相対化して認めることができない。そこに物質世界が不可欠のもの、一体のものとして生じたのである。
 分化されたそれぞれの喜びと神性を被造物が感じることが、生の目的と意味である。

 それはすでに成就されているのだが、既存の宗教の(人間の我欲の?これを克服できないのは何故、自由意志?)神の定義がネガティブであったため、人間のネガティブな念が現実に反映されてしまった。

 本来ならば、生の完了(個々の神性と喜びを体験し自分が神の子であると知る)が死である。それは次のより高いステップに登るための喜ばしい、一時的な安心の時期に過ぎない。果てしなく進化してより神性になっていくこと、それが霊界の動きであるので。

 神は呼びかけられると、神の家に帰る道への道標を告げるだろう。ただあなたがそれに気づくほどに進化していれば気づくだろうが。いずれにしろ、道標は十分にいたるところに与えられている。ただ、自分でそれを辿って戻ってくる、それはあなたの仕事だ。

 神と人間との働きの分担はこんな感じだ。二つで一つであり、分離されたことは決してない。だから安心して、無限の愛を受けなさい、そして喜びなさい。神とそれを表現するこの世を称えなさい。称えることで歪んだ世界像が本然の神聖な姿に見えてくる。


 まあこんな風に私は理解した。輪廻転生はあるらしい。
拙作「いづこへか舞ひて流るる花や花 輪廻とはうまく考えたものだ」

 こんな話がある、事実だそうだが、ある夫婦にどうしても子供ができないので、乳児を養子にした。ところが間も無く実子が授かったのだが、夫婦は区別無く愛情を持って育てた。長男には養子であることを伝えておいた。
 学校に行くとそのせいでしかしからかわれるようになり、親子共々悩んだ。息子は実の親に会いたいと切望した。親がいることを見せたかったのである。両親は悩んで、18歳になってまだその気持ちでいるのなら探して会わせてあげると約束した。
 その時が来た。しかしその当日息子は事故で亡くなてしまったのである。悲しみと後悔に苛まされて彼らは祈った。
 あるメッセンジャーが彼らに告げた。「宇宙を統べる大いなる智慧と愛により、あなたがたの長男は実の母親に会えましたよ、彼女はすでにあの世にいたのです。死は苦しいように見えても、悲しいように感じても、一つの死をめぐる人々にとって、実は体験すべきなんらかのそれぞれの意味を送ってくれているのです。死は、終わりということではなく、生の課題を終えたという卒業の意味を持ち、かつより高い生命として再生するための出発点でもあります。同時にさっきも言ったように、その死に関わる全ての人にそれなりの深い意味を教えてくれる契機でもあるのです。さらにあなたがたの長男は亡くなったけれど、すでにそれを見越して次男が与えられていたのです。」

 神の仕組みは完璧だ。私たちを離すことは無く、しかも離して体験させ、個別の実感として各自が神と同じであり、離れてはいなかったことをわからせてくれる。

 この後も、私の冒険は(宇宙の摂理、自然法則、愛と喜び、存在の意味探求)苦しみと驚きと微笑を伴って続いていく。その様子を以下にブログ風に記録することにしよう。




十 転調:年寄りの冷や水、やってみんきゃわからん 
ーー2016年末にそこまでを振り返りつつ始めたブログ集ーー

20161224 小題 「 この夏71歳、父がこの世を後にした年齢となった」

ここ1年、紙の媒体に自分の手で(当たり前なことに)、心のうちのすったもんだを(紫色の瞑想帖に)書くようになっていたのだけれど、その他のもろもろのことも、書きたくなったような気がしてきて、まかり出てきた次第でござりまする。

今日は、何と言ってもMrs K.のことをこの世に残しておかなくちゃ。
K.と言えば、知る人ぞ知る、カフカの登場人物K.を思い浮かべる向きもあろう。不条理の謎の世界で不可能の壁にぶち当たっているK.。
でもご安心、そんなことはとっくに克服したMrs K.なのである。彼女はお隣さん、72歳でお掃除のお仕事を(さる有名な会社)生き生きとなさっている。

夫の長患い、自身の抑うつ、息子の結婚問題、などが重なった年月ののち、Mrs K.は突然(かどうかは、そこまでは不明)不死鳥のように蘇って、65歳間際で職を得た。それからは自信に満ちた生活となったとか。
細身の体はよく動く。くるくるした瞳、ボーイッシュな短髪、真っ白な歯並。清潔に掃除することが楽しく美しい。

~~~~空想癖発揮 Mrs K. 語ると役割を仮託して~~~~
 2011年の震災の日に、隣に引っ越してきた夫婦者のことが、どうも気になった。
夫は外国人だというが、彼女はその姿を見たことはない。見たという人もいる。時には車がないので乗って出かけたのであろう。
 道の反対側の菜園の所有者と隣家の妻とは気軽にしゃべっているようだった。そこからの情報でMrs K.は隣家の内実が、夫の病気も含めかなり精神的に逼迫しているらしいと感じた。
 一度か二度、垣根越しに話をしたのみだったのだが、何とない親和力から、Mrs K.はこう話しかけた。
「山本さん、お隣同志なので連絡できるようにしておきませんか、電話とそれにメールもできるように」
 
 その頃、市の方から災害が起こった場合、近所で人手の足りない家を把握したり、お互いに頼んだりしておきましょうという呼びかけもあった。第一、彼女の息子は市役所の人だったのだ。
 で、山本夫人にも渡りに船、すぐに連絡網を作った。
 間も無く、図書館に行きませんか、お茶しませんか、とMrs K.が始めた。
 喜んで、待っていましたと山本夫人も応じた。

~~~ここで語り手が私に戻り~~~
こんなわけで、付き合いが始まり私、山本夫人にはまるで菩薩のようなMrs K.なのである。買い物、通院、図書館、ガスト、郵便局に銀行、コンビニ。

ちょっとした物々交換ももちろんあるのだが、それがお世話になったから云々、という贈答文化によるものではなく、本当にあげたいから、もしよければ差し上げる、というやり方であった。それは私の大好きな方法である。

そのやり方に従い、私が最近彼女に差し上げたのが、手作りの黄色い小さな、中身は真っ白いメモ帳(というには厚い作りで、紙の質がしっかりしている)である。私も実は人からもらったのであるが。
絵を描くのが好きだった、というMrs K.なので、ちょっとしたスケッチでもどうだろう、と私は考えていた。

今日は、江戸時代から続いたという大市が開催されていた。天気もよし、風もなし、私たちは語らって、車ではなくバスで出かけた。100円の乗車賃、私の普段の足である。

昔、とは言わないまでも30年前までは、近隣の農家や工具屋が生産物を持ち寄って(何しろスーパーもコンビニも十分にはないという時代)、年越しに必要なものを売り買いしたわけである。
今ではそんな目的ではなく、食べ物の露店、フリマ、若い踊り子、おばあさんのフラダンス、楽器演奏、と老いも若きも楽しげにしている。

私は、御札(おさつ)の木、菊の苗、苔玉、を買いそうになって買わず、300円の枯葉のブローチ、広島お好み焼き、イラン人のケバブ、奈良の柿(騙されて千円取られそうになったので、小銭962円で勘弁してもらった)をゲット。
Mrs K.は、同じブローチの他、孫に頼まれた食べ物をかなり買い込んだ。みな孫には目がない。

近くにドトールがあるので、入る。Mrs K.は一人でお店で食べるということに抵抗があったようだ。私は平気なので一緒に彼女の冒険を手伝える。
そこで、黄色い手帳を彼女は取り出し、パラパラと私の目の前でページを繰った。10センチもないほどのページには蟻のような小さな文字が並んでいた。

驚いて、なになに?と目を近づけるとそんなに小さいのに、くっきりと精確な文字の線が見えた。そういえば彼女は0、3ミリのペンを色を揃えて持っていると言ったことがあった。
「実は、隷書体、というのが好きなのね」と言って、唖然としている私にあるページを見せた。そこには隷書についての説明が、辞書から引用したらしく必要なところにはふりがな付きで書き写してあった。

私は、ただ無用な音を発しているのみであった。
「でね、ほら、ここはドイツについてのメモよ、まだ書けるように数ページ取ってあるのよ。例えば、ドイツで作られた肌着って、人体工学に沿った裁断や縫い目などの丈夫で肌に優しいところなど、何年使ってもどうもないのですって」
「ど、どこからこんな情報を?」
「いろいろ、読んだり聞いたりして、あ、と思うとここに書いておくの、楽しいよ」

あるところには、FBIの心理学的な捜査方法について書いてあるので、これにも驚いた。ドラマでも見たのかもしれない。
あまりに意外な、そして素敵な使い方に感銘を受けたのだが、もっと詳しく見せてもらうに至らなかった。今度また聞いてみよう。帰りのバスの時刻になった。

「そうそう、この前山本さんが言っていたアインシュタインのことね、今日の新聞に出ていたから、ちゃんと読んでからあなたにあげるわ」
このことは、彼女には初耳だったので、新しい世界が開けたように思っているらしかった。

そして結局今日の記事のタイトルは、やや意味なく残ってしまったが、こんな世界を残して旅立たねばならなかった父のことを偲び、残された日々を意味あるものにしていこう、という決意のようなものが込められている、らしい。しっかり考えてつけたタイトルではなくて、慌ただしく。

「今日の本編」
わたくし、2014年69歳になった年の暮れごろ、腰痛に襲われた。(のちに時間系列がわかったのだが、夫が酒飲みになって間も無くのことであった)
医者との交渉ごとの困難が身に沁みた一件である。
特に整形外科、という部門につきものの不信感に襲われたのには困ったが、実は患者の無知とも関係があるとのちにわかった。
 つまり、体のこの種の痛みはまだ原因不詳であることがとても多い。同じように老化による骨の歪みがあっても全員に痛みが出るわけではない。
頚椎の故障なのに痛みは背中や脇腹に出ることもある。
なので、整形外科医の仕事は、痛みを解消することではあるがある程度行き当たりばったりであり、その本職としては何らかの、重大な病気を発見することなのだ。

これも余談である。

「さていよいよ本番」
私が腰痛で動けなくなったと聞いて、母が突然眠り病にかかった。私が連れて行くはずのペースメーカー検診をヘルパーさんと行ってもらった。すると翌日朝、眠り病発病していた。
母の心身に何が起こったかは不明だが、ともかくもう生きるのを止めたい、という反応だったと思う。思いもかけず父の後25年あまり生きてしまった、と。

しかし、徐々にまた回復して食事を摂るようになった。
私の腰痛と少しくたばっていた精神も同時に徐々に回復して、
「ああそうだ、生きて話ができるうちにできるだけ、母を訪ねよう」と気持ちを入れ替えた。

*そして翌年2015年の夏が来て
私は古稀、70歳となり、母は93歳となった。そしてすぐに父の命日7月11日となった。

「ああ、そうだ、母の安らかな最期を考えてあげるのは私の役目だ」
と、ふと気づいた。
(弟は震災の年に亡くなっていた。父母のあるいは祖父母の、そして幼年期と故郷の思い出は、それを知っている父母と私にしか残されていない、今や私しか存在していない。語り部になろうとして自分にも懐かしい昭和の時代を別に書き始めた。それも自分にしかできない使命として残し始めた)

父が最後まで一心に唱え、修行していた経文の一部を、まず筆で書くことにした。母は父を尊敬していたことだし。
お習字が好きだったし。
書道の心得、と言っても子どもの頃以来である。
「実相完全円満」
ゆっくりと筆の線が美しくなるように気をつけて運ぶと、次第に母が言っていたように、心が落ち着いてくるのがわかった。

そう、この言葉によって私はいわば母に、引導を渡そうと思ったのだ。恐れなくむしろ楽しみに死に相対することができるように。そもそも、例の、天国のような花咲く川べり、というシーンを母は入院した時などに見て経験している。

元気を取り戻したものの、母の短期記憶力は信じられないほど無くなっていたので、私が色々あることないこと、口走り、
「死後の世界は素晴らしいと楽しみにしておいて損はないんじゃない? 極楽があると信じたが勝ちだよ」
などと力説しても、霞のように雲散霧消することになるのだが、それで諦めてはいけない。
と、頑張っているうちに、自分までそう思うようになってしまった。

これは、そうだ、試してみて損はない。
それにしても、この本題の基礎に入っていこう。

科学者が協同して追求している物理学的真理とは、どこまで追い詰めたらたどり着けるものか、あるいは否か、そのことに非常に興味を持つものの一人として、何らかの意図を持つ創造主のような存在は特に必要ないと、あの車椅子の学者が述べたとか、ではあるが、それでもどんな可能性があるのか、考えてくれる天才はもう現代にはいないものだろうか。

特に、人類の脳であるが、自分を振り返ると大して頼りになりそうでもないけれども、要するに「神的な存在」との接点はここにしかない、何らかの方法でコミュニケートするには。そうとばかりは言えないかもしれないが、とりあえずはとっかかり点である。

よし瞑想だ、修行だ、探求だ、失敗でも失うものはない。
すべての努力も虚しく、神を発見できず、くたばったら無の世界で、それこそ無だ。すべてアウトだ。
生きてるうちしかジタバタできない。

ここまで考えがまとまった時から、1年近く経った。(現在は2016年末)
いくつか改善点はある。
さあしかし、この後のことを書いていいものか、大した結果ではないけれども。



2016年12月27日 小題 「こんなこともあるのが人生か」

もし私がシリアのアレッポにいて
「反乱軍」の地域から逃れられずに
自分の政府軍からの攻撃に対する人間の盾にされ
しかもお構いなく爆弾が降ってくるとしたら

神様(アラーでも何でも)助けて、何故なのですか
と叫ぶだろう、もちろんだ。

でも平和な日本に、温暖な半島に住んで
地震も震度3くらいで過ぎるし
一応生活もできるなら
ちゃんちゃら可笑しいと誰だって思うに違いない。

でも苦楽の絶対的基準はあまり知られていない
ので、人並みに「助けて、誰でもいいから~」と
叫んででもいたのだろう。

末期の癌でもなく、俗に言うような失恋したじゃなく
ただ歳をとると先に光が見えず
つまり希望がなくなり
八方塞がり状態に陥る。
右に行こうとするが行けない理由があり
かといって左にも進めない理由がある。

昔から、わかっていたが私も相当な悪人である。
なので、これは「贖罪」であろうと思うようになった。

ギリギリに身動き取れず
逃れられないほどに縛られるというのは
苦しむようになっているのだ。

当然の報いだと思うことにして
これに耐えようと思った。
心理学的にも自分を許せず
自分を罰する、とはありうる行動らしいし。

これで悟りました、とはいかない。
すったもんだは止む気配もなし
しかし、そのうちにも瞑想を毎日続け、世界平和を念じる日々のうちに
去年の2015年11月10日(孫の7歳の誕生日)から

変なことに
次々と、ほらこれを読みなさい、と
私の目の前に本が現れるのだった。

それも実に不思議で
いつも思いもかけない風に。

そいてついに
12月4日のこと
駅のそばの陸橋の下でローソンへと
曲がろうとした時
自分の人生を悲しく思い返していた。

その時
声が、意味がはっきりと理解された
「あなたに罪はありません」

即、私はそれを了解した。
物質世界と非物質世界、二つの存在を前提としている
のだと。

科学女子の私にとって
知りたくてたまらないこの世の(ミクロマクロ通して)仕組み、その真実
そこに人類のたどり着く果てには
果たして非物質(エネルギー)の世界もあるのか?

本当の真実、
請い願ってやまない真実の姿
宇宙の裏表
人類の大脳の謎
平和と満足の世界
ここに希望が透けて見えた
ベールの向こうに明るさが。

生活の苦悩を理想の追求が凌駕する
その瞬間でもあった。


2017年1月10日 小題 「どうなのどうなの!?あの世は」

月曜日12月19日は、母をペースメーカー検査に連れていく予定だった。
そのことは実は忘れて(期日を忘れて)いたのだが、忠実な執事のように私のマックブックがお知らせしてくれた。 しかも、
普通、月曜日は太極拳の稽古があるのだが、その日に限って場所が取れなかったので、
すでに2ヶ月前から私の体が空いていたのである。

 天気は良し、風もなし。
夫も了解済みで快く送り出してくれた!!
 
しかし、
ふと浮かんだ思いのために私の心はどす黒く陰ってきていた。
 
未亡人5年の弟の嫁さん(彼女にとって私は厄介な、本当に迷惑をかける小姑)=F子ちゃん(私は彼女が大好きで尊敬もしていたので、しかし年下なのでちゃん付のままなのだが)との
母の遺産(まだ生きているが)の取り扱いをめぐる気持ちの齟齬を思い出したのだ。
 
それなら単に近寄らなければいい
しかし、
私は厄介な質問を抱いてしまっていた、
母の遺産(生きているが)の一つの口座の住所変更がなされているか、と言う質問
 
それなら尋ねればいい、
しかし、私は厄介な気後れを感じていた。
 
何故なら
すでに気持ちの齟齬が生じていたからだ
弟の死後、F子ちゃんが(遺産の受取人ではないのに)口座を管理していて
私は今更また私の管理に戻してくれとは言いづらい。
 
何故なら
弟の罹患を聞いて5年前、私が面倒を見ていた母を
彼の近くに送り込んだのだが(双方の気持ちを慮って)、
弟はさっさと死んでしまい
妙に全てが宙ぶらりんになってしまったのである。
 
概略こんなわけなのだが他人から見たら大したことでもないのに私は妙に苦しむようになっていた。
 
自分の中に欲と疑惑と不信と不安がわき起こる
それが苦しい
いつもは考えない
単に引っかかっていたのが、、、
 
急に半日の暇、と言う可能性ができたために
急にF子ちゃんの近くの病院に行くために
急に自分の疑問を解決しなければならなくなった。
 
ともかく、それはそれとして、
 
現実には、それからあらゆる悪条件が押し寄せてきた
夏の検診に比して
冬の検診時期のせいか患者が多く
 
レントゲン、心電図、診察と脱いだり着たり
 
スマホがストを起こして電話もできず
 
母はランチをのろのろと食べ
病院のタクシーも出はらい
 
やっと車椅子ごとのったバスは予想外にくねくね走り、冬至前の日差しはぐんぐん弱くなり
どうしてか公衆電話を使えなくて、老人ホームでも帰りが遅いと待っているだろうし
 第一、亡弟の家の中に母を運び込むことができないだろうし
胃の腑が痛みそうだった。

しかし 
それを耐えてあくまでもF子ちゃんを訪ねたのは
他ならぬ彼女の明るい声だった。
 
一度だけスマホが通じて
その時私は彼女に向かって最後に叫んだ
「会えるのを楽しみにしてる!」
 
ああ、彼女は100%だった
パーフェクトに優しかった!
 
F子ちゃん、弟が選んだだけあるあなただった
私に親しくしてくれた、いつものように突然に訪問する勝手気儘な小姑に対し。

 
弟が見つけてきて可愛がっていた犬が
今でも「パパ」と聞くと心乱れるそうだ
 
遺体が寝かせてある時、ブルブル震えて近づかなかった
手のひらに乗るほどのピノ!葬式後、私がその部屋に寝ているとトコトコとやってきて私の脇の下で眠った
同じ遺伝子であるのを知ったのだろう
 
今はもう年取ったピノを撫ぜて、私も心が震えた
近くで目と目を合わせた
 
懸案は問題なく片付き母は庭で車椅子で待たされていたのですぐにF子ちゃんの車で戻ることができた
 
彼女はパーフェトに優しかった
 感銘を受けた私は、せめてかわいいクリスマスカードに気持ちを込めたいと思った。(今日実行した)

~~~~~~~~~
さて、ここからだが

 
母を施設において、電車で帰る時
突然、思いが降ってきた。
世に溢れる苦しみ
例えば弟に生まれた癌細胞
例えばホームレスという生活
それが何故私でなかったのだろう(これはある方の日記で知った考えだが)?
 
苦に見舞われた人たちは
いわば私の代わりにそれを背負っているとも言える
この突然の考えは、
世界の苦悩に対し
なすすべもない私であることを残念に思うのみであるとしても
その対処のための、せめてもの第一歩となるための正しい認識であるのかもしれない
 
絶望をなんとか跳ね返す?
世界の秘密を探求する? 
とりあえず人の話からではなく自分から気づく事ができたのだ。新鮮だった。

1年前に
あなたに罪はない、と誰かに言われた時
実はその日
「私は彼を許そうと思ってもどうしても許す事ができない者です、そんな私ですがあなたに(私の最も善良な部分に)全てを委ねますので善処お願いいたします」
と念じることを学んだのであった。
彼とは夫のこと。
 
爾後
自我を捨てるごとに
なんらかの思いが降って湧いた。
でも
今回はとんでもない、私はただF子ちゃんに救われただけ。
 
でも、待って!
 
あるいは、数日前
私が魂たちに個々の名前をつけたことは?
私自身の最も深い部分に、
弟にも、父にも、
知る限りの人にも特別な名前をつけて、
そして呼びかけたのだ
 
「魂・恒夫さん、ごきげんよう!」
(と世界中の魂たちへ向けて)
 


2017年1月15日 小題 「大丈夫 死は希望である」目下の目標

今日は成人の日で祝日であるが、ごみ収集はいつものように行われる。
しかもゴミ当番が私であった。
つまりゴミを害獣より守るためのシートを出して、たくさんの水入りペットボトルで押さえつけておく。
特に雨風がひどかったので朝、6時、閉口した。
それのみならず、収集車が回収に来ると素早くそれらを片付け、お隣に持って行くまでが当番の仕事なのだ。

いつも困るのは、太極拳の稽古などが11時からはじまるとき、回収が遅れると間に合わないことだ。

今朝、いろいろ工夫を重ね、なんとかギリギリのバスに乗れそうであった。
しかし、豈図らんや、バス停で待つこと30分以上。世界に取り残されたような情けない気持ちだ。寒い。小雨が残っている。
何故ならば、今日は祝日、するとバスは30分に一回であったのだ。それをすっかり忘れていた!!

一度に二つ以上のことを正しく為すことが著しく難しい。

~~~~

さて、脳の不具合と戦いながら、
思い出すままに、この1年余の歩まされてきた軌跡を辿ってみよう。脳の老化甚だしい71歳、そう思いついたこの機を逃すべきではないと思う。
先日より、机の上に立っている5冊の本。

『はじめての短歌』穂村弘2014 

2000年から短歌らしきものを作っているのに、今頃になってこのタイトルとは恥ずかしいけれども、穂村弘は若手のホープであり、私は古手ではあるが歌風が「独自で先端的で洗練されており、知的で硬派」??なのでどんな大家よりも優先するべき歌人というべきだろう。遅きに失するとはいえ。。

今あちこちめくってみたけど、すごい人だわ。参りました。世のしきたりから飛び出している。
こんな本のページを開ける一瞬、私はちょっと息を止める。
何をもらえるかっ?!とばかり。


『偉人たちの脳』茂木健一郎2009 

図書館で、茂木さんだし脳だし、と思って手に取り、ぱらっと開けた。
p.87 キリスト(偉人の一人)について、タイトルは受難と情熱、同じ言葉passionに二つの意味があるのはなぜか。キリスト教の突出したところは「愛の教え」である。それはしかし当時の習わしと異なるので受難を受ける、が、それゆえに情熱が燃え盛る。そういう関連性。
「個人と社会の関係が予定調和に陥り、結果として沈滞する日本」と茂木さんは比較している。

ここ数日、やっとイエスキリストのことが気になり始めた。
いわゆる「神様」は偉大すぎ、でかすぎ、小さすぎ、万能すぎ、完璧すぎて声が届きにくい。
それでその部分である私専用の聖霊を呼び出しておねだりしていたのだが、これでは力が足らない感じだ。
やはりグッと能力差のあるイエスを理解せねば、あるいは彼となら全く感情的に結びつくことが可能かどうか、という方向になってきていた。

そうしたところ、古い映画「聖衣」(リチャードバートン主演)に遭遇してしまった。こんな計らいは実に小憎い神の技だ。
私の質問は、「脳のどこに、イエスに出会って心が震え、感涙するような要素があるのか、それはただの私の癖なのか?」
しかし見ると無神論者の夫もなんだか目をしばたたかせている。なんなんだ、これは? 重要な課題の一つ。

p.103 次に開かれたページは私の大好きな画家のパウル・クレーであった。タイトルは真実への覚醒。
う~~む、やってくれるな、と私は自分の脳に、魂に話しかける(潜在意識のこと、必要なものを持って来てくれる)。
実は私も色は大好きだ(誤解なきよう!)。
色は光だから。
無限のグラデーション(今、この言葉を絶望的な気分で記憶から探していた、なんとか現れてくれた)で世界に満ちているものだから。
ひとつひとつの色彩に伴う鮮烈な質感のことを茂木さん「クオリア」と命名したよね。


『神の発明』中沢新一2003 

図書館の歴史の棚を見ていたら、これが飛び込んできた。いつもの計らいだ。私はそう認識する。さっとめくると神という概念の由来と構造などらしい。おもしろそ!! 最重要課題だ。


『マヨラナ 消えたな天才物理学者を追う』マゲイジョ2013

この本は、Mrs. K.が見つけてくれた。彼女は私の物理好きを知っているので。イタリア人で、失踪してしまったこの人は、ニュートリノ、弦理論などを予測していたが不運が重なったらしい。
私が大いに気を揉んでいる物理の始まるところ、物理学で説明不能の量子問題だ。


『森の時間』前登志夫 

奈良の山奥に息づく霊力(アニミズムとでも言うのだろうか)の世界を文学的に見事に表現しきった傑作。

ところで意外にも、『神の発明』と言う本でもアニミズムが重要なポイントになっているようだ。
さらにまた、『神の発明』では、脳の進化という視点から説明してあるようなので、続けて意外にも、脳科学の茂木さんの本との関わりも見て取れる。

図書館で10分ほどで集めた本なのに、なかなか粋なことをやってくれる。
~~
これに似たようなやり方で、芋づる式に本が与えられるのが最近の私の日常である。その始まりを簡単に。
時系軸の正確さはあまりここでは必要ないだろう。

鍼灸院の待合室に本棚があり、いろいろな怪しそうな本が雑多に並んでいた。
院長には遠隔治療などのスゴ技があるという話を合気道の先生から聞いてはいたが、ただ眺めるだけにしていたある日。

どうしても見過ごせないタイトルがあった。
「合気道をする物理学者」とかいう。常のこととして、もうタイトルは忘れたが、要するにこの二つは我が家の核心なので、しかも並んで書いてあるというのは読むしかないだろう、と。

中味は、その頃から死を探索しようと決心し始めていた私にぴったりと言おうか、類が類を呼ぶ、ということか、精神世界という別世界体験が綴られている、ではないか。

本当だろうか、ともう一つ似たような本を読んだりする。

突然、生長の家という新興宗教開祖の本がそこにある。
久しぶりに読んでみる。昔、父が熟知していて私もなんとなく読んでいた。

この再会から、母に対する終末ケアという私の考えの由って来たるところがわかって来た。
立派な最期を迎えて欲しいと、私に伝えているのは、そうだ、間違いない、父からの采配であったか。

すると院長が、これは面白いかも、と冊子のような本を選んだ。「たくさんの人がこれを読んで救われた」という怪しげなタイトルがポツンと説明抜きでつけてある。第一作者がはっきりしない。
そこに脈絡なく書いてある考えは生長の家と似ている、しかし、どこかつかみどころがない。するとある場所に作者を救ってくれたと言う本の名前が記されていた。

その本もそこの本棚にあった。
『神との対話』ニール D ウォルシュ1995である。

その後、図書館で「ニューソートの歴史」とかいう本が目に飛び込んだ。アメリカのニューソートに属する本を読もうとしているとは知らなかったが、見た途端にそうだったとわかったのだ。

そんな風に図書館(全てあの親切な隣人Mrs. K.のおかげである)で、あるいは人を通じて出会った本のおおよそのタイトル
白洲正子 伝記とエッセイ
科学としての神学の基礎
キリスト教vs科学
エクスタシーの神学


2017年1月某日 ボケたのか? 地上を天国となさむ、など~~

まさに今日ばかりはヒヤリとした。
二日間、左こめかみに疼痛
どうかすると1分ごとに刺される

こういう時はお風呂だろう、昼風呂だ
しきりに新しいボディソープが思われる
いやあれは、ソープ兼バスソルトだった
まずソープとして使い
洗い落とさずそのまま湯船へ
あら不思議、入浴剤となる

臙脂色のチューブはもうセロハンも剥いで
そこに立ててある

ふふ、楽しそう
人が見たらさぞ空恐ろしいだろうけど
本人はいたって幸せ
ゴシゴシ
さあ、サブンとばかり!
 
ヌルヌル
泡らしきものあり
香りあり

し、しかし!
このチューブ、どうしてここにある?
それが思い出せないことに急に気づいた
手に入れた経緯がわからない、おののいた

だって、オルビスに注文したけどまだ来てないでしょ
じゃ、これは何? 何故ここに?

頭の中がぐるぐる回った
どこにもとっかかりがない

ハッと電気が点いた
どこから接続したのかわからないが

このチュープは昨日美容院で買った
トリートメントだった
ワア
一人に慣れているのでこんな場合でも叫んだりしない
解決策をすぐに模索する

だということは、体に悪影響はないだろう
体毛がすべすべになるくらいだ
髪を洗うことはそもそも目的ではなかった
あとでシャワーだ

と決めてしばし、絶望する
私、大丈夫か。

美容院から帰って
瞑想して、彼岸と此岸の二つの世界のありうる様を突き詰めて探っていたら
日本語だけど、意味も使い方も異国語のように歌が現れた
「地上をば天国となさむ出来るはず目標あれば行動自づと」

こんな意味だった

もう十分に人間は悲惨を体験した、まだ十分ではないのか!
今こそ!とばかりに。

これを私は心底理解して納得した
簡単さに驚いた
決心すればいいのだ

その確信の正しさを信頼している

む~~
私、大丈夫か。


2018年1月14日 小題 「私の気がかり」

表現できるかどうか、さっぱりわからないが
試してみよう
まずはこんな始まり方だ

私が生きている、(ように思える)ということは
私を少なくとも物質の法則が
それを科学的真理と呼んでもいいが
そんなほぼ完璧なものが
私の中にあり、私を制御している
つまり、
私の芯は
真理そのものである
あるいはその表現体である

それが理の当然ではないか?

理想形には程遠いとはいえ、不完全とはいえ、
そうした理屈が私を生じさせ、
数十年生きさせ、次世代を作らせた
そうしたからには

真理は存在する

宇宙の果てまで
量子の近くまで
10の69乗くらい(いい加減)の範囲を
制御するほどの
真理は存在する


ところで
光とエネルギーと質量との
アインシュタインのいう関係を思うと
私=物質、と一義的に言えるのか
それは誰でも知りたいことで
しかし不可知の領域に入ることだ
(だってね、
一片が光速の距離の平面四角形で
エネルギーをザクザク刻んだ回数が
質量だということになるので???
全然単位がわからない、、、)


仕方ない
「在りて在るもの」
という指令内容が来たので
とりあえず真理のことをそう呼んでおこう

そんな指示は
瞑想中にぴょこんと浮かんでくる
思いがけなく、どんな想定をも超えて

どこから指示はくるかといえば
私の脳内から、か
あるいは、未知の精霊の領域からか

仮に第三の眼があるとして
そこを通して精霊の領域へねじ込み
(自分の脳内ではありえないと思うので)
グリグリと
目玉を回していると

多分そこは非常に眩しいはずだが
意識には余り感じない
遠くを睨んでいると
来た!
「プラネタリウム」という指示が

そうか、仰いで見ると
プラネタリウムのごとく
そこには理想の創造世界があった
全てが「良きかな」と
輝くような美しさで
人類もいて
殺しあったりせず、自然を享受し
知識を役立てているようだ


それで?
これを何だというのです?
私はこの自分自身に向かって
あるいはもっと物知りの自分自身に向かって
尋ねる

意外な今日の指示
「ミイラ」「メモリカード」

死ぬならミイラで死ねと?
メモリカードに記録せよと?

前回の日記以来
私の頭はごく正常で
さしたるミス、物忘れは犯していない
一度鍋を焦がしただけだ

現実生活に役立ちそうな指示は
「もらいたい、と思うものがあったらまず自分から人に与えよ。なぜなら彼は私であり、私は彼であるから」
現実世界ではとんでもなく役立ちそうにないのだが

~~~~
そうだ、現実問題
1 トランプ新大統領
2 駅のホームレス
3 「サピエンス全史」これ面白い!
4 夕食に豚肉、卵1、ご飯しかない

もう一度強調しておきます
私の頭は正常範囲です
今日は、余り目が良く見えず頭が重いだけです。


2917年2月23日 小題 「これぞハプニング!」

前回の日誌とほぼ同じ頃に
何か、忘れたくないアイデアが浮かんだ
いい言葉だった
あまりにクリアだったので
忘れはしまいとメモせずに眠った
惜しいことに
もちろん思い出せない、今もどこか深くに、、

どこにも手がかり一つなく
諦めた

老いの一日は長そうで短い
出かける準備に2時間かかる
静かに自分の中に沈潜する暇もない
夫は、怒ったり笑ったりしながら物を申してくる
テレビも見なくてはならず
世界の終末が近づいているのか見極めるために、、

一年前まで私の終末が近かった
刑務所に入り、子供達の恥となり果てるようなことを
日々妄想していた

絶望が深いほど
切羽詰まった時ほど
別の世界を夢見る、激しく命がけで
人格の解離が起こる時のように

それで
しばらく鳴かず飛ばずだった
科学的な本と、歴史的な本と、神学的な本を
並行して読んだ

あまりに複雑で、命題はシンプルなのに理解するには
流石に複雑すぎて
ついにイライラしてきたので
「いい加減にはっきりさせてほしい!」
「もう少しわからせてほしい!」
と叫んで

私担当のタマシイを呼び出した
この一年間、私ができないことはこれに委ねてよろしく、と任せてきた

言葉にはならなかったが、おおよそこんな前置きで
(あなたが神のパーツで私の担当で私に責任があるのならあるいは、あなたが存在するとして本当に存在するのなら)((「神」という言葉は使うべきではないが、とりあえず記号として使うと便利なので、もっともそうするとこれまでの「神」概念に汚染されるという危険がいっぱいだが))


私はタマシイに包まれ、私の脳内を疾走した
私はタマシイではなく、意識を持った肉であるがもともと、私があるかないかはパーセントで言えば、ほとんど無に近く、私は幻想の産物かもしれないのだ。

それでも、タマシイも私も大きな法則の通りに
制御されている
次元は異なろうとも、
それ以外は存在しない全き法則と一致しているはずだ
このタマシイ、私と一体であるこのタマシイは
小さな「神」として存在している
それ以外の存在はない

そこでハプニング!
残念ながらいわゆる霊的な現象ではない

意味が突然出現した

『私も「神」である』

それはストンと理解された
前回の日誌にも書いた言葉だが、その時はただの理屈だった
それが事実だと納得したのだ
驚いた、思いもかけなかったことだ

すると
その日、うっとおしかった私の脳内の霧がさっと晴れた
突然風がスウスウ通る感じがわき起こった
神経の束から
真っ白な花が咲き開いた
輝くような白い花が
それを感じた

そこらへんに置いてあった両手の間に
エネルギーが充満した
何かが存在するような感じで

「私の本体は神である」
「だって存在の法則を体現しているのだから」
「そうである以外にありえない」
いつもの言葉をつぶやくごとにそれが現実だということがわかった


もちろん、この身体は多分幽霊のような存在で
過ちだらけだが

そこから動きたくなかったが
私は、しばらくしてから手鏡を覗き込んだ
何が写っているか、どうなったのか知ろうとして

完全な白髪になったか、
天使のようになったか、

普段の私で、ちょっとシワが一本消えたような気はした

~~~
これは昨日のことで
これを書いている今は
ショックの感は失せている
事実は残っている

ちょっとした脳のマジック?

それにしても
トランプとプーチンでどんなタッグを組んで
世界を破滅寸前まで追いやるのか

私は妙にニヤニヤしている
思い出してはほくそ笑んでいる


2017年2月15日 小題 「重なる偶然あるいは神慮」

珍しく鉢花を購入。
昔持っていたがその後なかなか見つけられなかった花キリン。もう一つ、お初にお目にかかるアッサムニオイザクラ。本当に匂う。化粧品のような甘い香りだ。
これらが目に入るたびに、香りが漂うたびに幸せな気分になれる。

 今回の偶然の出会い、あるいは神慮、はかくの如き次第である。
 
桐島洋子と佐藤愛子、この自立した二人の女傑の本を求めたわけでもないのにほら、と手渡された。
歌人会の同僚が「ほら、読んでみる? 今返してもらったのだけど」と桐島洋子の最近の本を貸してくれるという。長く放っておいたのだがついに読んでみると、カラッとした合理的思考のその他の部分とは異なる記述があった。

彼女は気功を習ってはいたのだが、ある時瞑想していると体が自然に動き出し、各部分が勝手にくねくねし出したのだ。1時間も続いてそれが終わるとスッキリしたという。

次は、先日、太極拳の仲間が「ほら、読む?」と渡してくれた「老いの力」という50代から80代までの佐藤愛子のエッセイ選集。
竹を割ったような人となりが窺える中に突然、整体師にかかっていた彼女に、体が勝手にクネクネあちこち動くということが起こり、自分を治療したという話があった。
そればかりではなく、もっと思いがけなく愛子さんにホルターガイストのような霊現象が起こった。
死後の世界を暗示するものとして、少なくとも死後はあっさり無というわけにはいかないかもしれない!
それが吉と、出るか凶と出るか、慌てないようにと、最近はこの可能性を大いに考慮に入れている私である、


先週の水曜日に、唯一ゆっくりした日だったので昼前まで新聞を開いて、切り抜きしたり、日と月の時刻を図表にしたり、寝間着のままでいた。

展覧会などの日時が小さくお知らせになっていた。

あ、と惹きつけられたのは、実は上野の国立科学博物館に翌日木曜日に行こうか迷っていたからである、ひどく寒くなるという予想だった。

その日水曜日は休館日のはずだった。しかし、目を落としたところに月曜日休館とある。

時計を見た。12時15分前。快晴。
即決心して、夫に宣言した。バスは11時59分だ。

サンスクリーンクリームも塗っていなかったが、そこらへんにあるものを引っ掛けて出発。
途中で立ち食いでもしようと思っていたが、乗り継ぎがあまりにぴったりすぎて暇がなく、かろうじてコーンスープを飲んだ。風はひどく冷たい東京である。

展示について書くのが眼目ではない、こうして不意に行かされたということを書いた。

で、2万年前、クロマニヨン人というのは遺伝子的に我々と全く同じホモ・サピエンスである。
毛皮を針で縫い合わせた服を着て、貝殻をビーズのように帽子に縫い付け、石の道具にも模様が彫ってある。
レスコーの洞窟壁画は、写実的でもあり、想像的でもある。さらに幻想的なものもある。みんなで協力して延々と描いたのである。(写真にトリ人間が見える)


 さて、お隣の Mrs. Kから一日遅れで新聞をもらうようになってすぐ、広告に「サピエンス全史」というのを見て、即購入。

作者は、人類とその前の原人を分かつ機能を「認知革命」と呼んでいる。
大げさに言えば、心理的に、目の前にあることよりもその前後への思いが強く働くのだ。
無いものを想像してリアルであるかのように対処する能力、例えば銀行という仕組みも全員が約束のもと、運営する(信用が元になるが)ので架空のものが力を発揮する。

(農業革命、産業革命1次、2次 帝国主義 科学革命 貨幣経済 資本主義 民主主義 グローバリズム、という章立てになっている)

 で、こんな風に、人類の歴史という視点から何千年、何万年とさかのぼることになったのだが、、、

さらに思いがけなくも、やがて地球の歴史をも通過し、183億年の宇宙の歴史(ところで、遠い星ほど速く遠ざかって宇宙は膨張していくそうだが、なぜより速く遠ざかるのかが最近やっと理解でき、別に不可思議な現象ではないとわかった)をあっという間に(便利にも)意識の中で走り抜け、、、

例のビッグバンの頃、物質世界ができた理由を新しく教えてもらえることになった。
それもテレビの番組をみわたしていて目に飛び込んできた言葉「反物質」「ダークマター」「ニュートリノ」のおかげである。偶然である。

かいつまんで、しか書くことはできないのだが、要するに最初、物質(電荷プラス)と反物質(マイナス、いわば鏡像)が同数できたはずなのにどうして物質世界ができたのか、ぶつかり合ってエネルギーとなり無が残るはずだったのに?
反物質のうち一個が物質に変換すると、対消滅が起こったのち、50億分の2の割合の物質が残るそうだ。

ところで、その物質ももしダークマターという未だ謎の存在がなければお互いに凝縮し合って物質になれなかったはずだという。
普通の物質1に対し、ダークマターは5倍量で銀河団をバラバラにならないよう締めつけている。

ところで全てを通り抜けていき、この今もここら辺にいっぱいある素粒子ニュートリノこそ物質でも反物質でもない(電荷がない)ので、これがバランスを物質側に寄せた張本人ではないかと見られているらしい。

(ここでもう一つ出会いの偶然があった。ニュートリノのこのようなどちらにでも変化しそうな性質をマヨラナ変性というのだが、マヨラナというイタリアの物理学者、彼が行方不明になったことを書いた本があり、何とこの本をMrs. K.が、図書館でたまたま見かけて私好みではないかと推薦してくれたのであった。)

ともあれ、これらについては鋭意実験が行われている。


 ホモ・サピエンスは、自らが発達させた科学を最大限に利用して、自らを進化させ(=滅び)、アンドロイドなどの別種になって生き抜くであろう、と「サピエンス全史」は予測している。

物質世界の謎でも手こずっているのに、魂の世界のことには手が回らないだろうが、証明がなされることを(生きている間になんてとても無理だろうが)願いたい。

そうするともっと別種の進化も可能であるかもしれない。何しろ、ホモ・サピエンスはまだ幼年時代であるらしい。

自分を見ても不手際の多いことには驚かざるを得ない、幼児のようだ。せめて、人類のこの特殊に発達した脳に、霊的な機能も仕込まれているかもしれないとこっそり思っている。


2017年2月20日知らぬ間に宇宙の一大事が!

2012年7月以降も、世界に色々あれど、我々の日常は普通の幸不幸、運不運のままに暮らして来た。

私にとってのリラックスタイムは、テレビドラマ(主に海外刑事物)を見る時間かなーと思う。
でもそう言うと、殺人やサイコが好きみたいだし(事実興味深い)、
それにテレビを見てる時は、脳は完全に受け身で活動が少ないらしいので、
また、ドラマの中の集団の絆が結構気に入っているみたいなので、
自分でもどうかなー怪しいなーとは思いつつ。

もう一つ、テレビの楽しみは明石家さんまの番組。
これは夫には大不評なのだが、彼自身が面白いと言うより、ほかの人を一皮剥いで、笑いの対象にしてしまう、あるいは人が自分をオープンにする羽目になる、という点を買っているのだが。

(7年ほど日本にいなくて、帰国してテレビを見たら、妙齢の女性たちが、あけすけに恋愛を語るのに、=ついでに言うとそのほかに生理用品のコマーシャルが大々的に流されているのにも= ともかく仰天したのだが、それは彼の番組だった)

それに、さんまさん語録、生きているだけで丸儲け、というのがいたく気に入っているし。

彼のように恵まれていればそう思うのも当たり前だろうが、一般的にこのスタンスで、それ以上の生きている全てに感謝できればハッピーになること請け合い、と、今日はつくづくそう思える。(今日は、と言うのは昨日そう思わされるような文章を読んだせいだが)


さて、2015年頃にはスイスにあるLHCとか言うミニビッグバンを発生させる装置が、高エネルギーにアップされると何となく聞いていた。
そうすると、原子核の中にある陽子を光速でぶつけあわせ、未知の素粒子をどんどん発生させる、つまり見つける、ことがより可能になる。
ただ、自分ではそれがどんな意味かは知らぬまま。


一昨日から、急にその結果が気になっている。もう2017年だ。
何故か。テレビだ。
テレビ番組表を流し読みして、何気なく映画を録画しておいた。「パーティクル フィーバー」

それが何と、上に触れたスイスのCERNという大規模施設での「ヒッグス粒子」発見までのドキュメンタリーだったのである。2012年までのことだ。

最後の、神の粒子として長く予言されていたのだが(ピーター ヒッグス博士によって)、私の理解するところを表現すると、それは宇宙に充満していて、粒子の自由な動きを邪魔するために、動きが遅くなる。このことが「質量を持つ」ということらしい。そして、質量を持つとお互いに重力で引き寄せあい、この宇宙が出来うる、のである。
なので、これなしでは宇宙が成り立たない。

さて、目的の粒子が実際に見つかったので喜んでいた科学者たちは、間も無く頭を抱えた。

何故なのかまでは知らないが、ヒッグス粒子の質量は軽いものであってほしいらしい。
要するに、それはこれまで延々と研究されてきた方向の正しさを決めるものだからだ。
それが標準理論とか、超対称性理論とか、いわゆる美しい論理、数学の式で表現できる宇宙の姿、のことである。

一方、計算上の宇宙の質量は実際よりずっとずっと大きいそうだ。だからもっとたくさん粒子があってほしい。

そうでないと、別の宇宙、マルチヴァース、泡宇宙、カオス、ただの偶然、という学者にとっては絶望的な宇宙像が出てくるのだ。
この場合ヒッグス粒子の質量は重たいということになるのだそうだ。しかも文字通り最後の粒子として。

残りの質量は別世界にある??

必死でヒッグス粒子の質量を調べて見ると、

驚くなかれ、それは、ちょうど真ん中。
二つの可能性のどちらもあり得る、という値だったのである。こんなことがありうるだろうか。
これが2012年のことだ。映画はここまでである。



2017年3月4日 終活における 些事と大事304

前回の日誌からもう2週間経ってしまった。
月末と月初はジタバタする時期である。
するべきことを粛々とこなして、終活の日々もここに三月に至る。

いわゆる短期記憶、ワーキングメモリーとかの磨滅には参る。

この季節、確定申告のためにする、医療費の仕分けと計算だが、今年は特に間違えることはなはだしく、ため息つきながらやっと一覧表を作った。57万円もの額になった。

こうして税の控除をしようとするのだが、実際は、所得より控除額が完全に多くて話にならないのである。

個人年金(苦労して長年掛けておいてよかった、そうでなければ今の生活が成り立たなかっただろう)から源泉徴収された分を還付してもらわなければ!という一心のみで。

こんな重要な雑事につい紛れてしまうのではあるが、あくまでも(遅々としてではあるが)私の非物質世界探求は続いている。

向こうからぶつかってきた本など、ははーっと押し頂いて何かどこかのアンテナにピンとくるものがあるかどうか、私の心の深部にしっくりと捉えられるのかどうか、客観的、理性的に読みながら、もちろんそこを越えられかどうかが眼目なので、瞑想のうちに、
「そうであるならそうであれかし、在らば在れかし」
とあなた任せでじっと待っている。


終活の日々に、今回受け取った言葉は

「死すらも生命である」という文であった。

突然この一文が光り出したのだ。

もちろん、私の場合は武士のような潔い思いからではない。
生は死を超えて続く、永遠に続く、という命題からである。
そこには、偶然で動くものは何一つなく、全てが、全てが大きな法則の展開だ、という信仰がある。

であってもしかし、人類の意識にはその「?」からの自由意志があり、しかも結局その「?」に抱かれたままであるはずだという、まさに孫悟空の立場である。

何気ない言葉が突然光りだすのは、実に頼もしい。

「?」と書いたのは、私がたどり着こうとしている、存在が私の定義する力からはみ出しているので、呼びかけることさえままならないという、まさに悩ましいわからない課題であることが現れた結果である。

神よ、主よ、仏様、と簡単に呼びかけることができない。
しかし、それを考え、開拓して行くのは心楽しい、とも言える。


遠隔治療?の巻

知人が全身の痛みに苛まれていた。メール付き合いでしかないのだが、もちろん伊達や酔狂で知り合ったわけではないはずなので、瞑想して、
「彼女の苦悩が解決したことをひたすら感謝します」
と念じた。

こうこういう手順でこう念じた、と彼女にメールすると、間も無く返信に、同じ時刻にすでに痛みが消えたと言ってきた。

魂は一続きなので、量子効果のように、あっという間に伝わると仮定しているので、あまり驚きはしなかった。関係はなかったのかもしれないが、ここは無理にもそう思うことにした。

その夜だったか、夫がどうしても本屋に行くというのへ、あまり乗り気でなく付き添って行った。(乗り気でない些細な理由は様々あった)

しかし、
店に一歩入り、通路の真ん中に書棚があって、そのど真ん中に、新聞広告で見て、しばらく前から気になっていたタイトルが見えた。

「死ぬ瞬間」キュプラーロス
一冊しか残っていない。
即買い。また出会ったのだ。

内容は、死を予告された重病人を心理学的にリサーチすることと、思いもかけずそこからカウンセリングとしての効き目が見られ、一分野が開かれた、という次第を記したものであった。

読みながら、しかし、これではないな~と思い始めて、訳者のあとがきを見る。

筆者は、研究者として始めたのであったが、種々の体験を経て、死そのものの新しい(新しくはないのだろうが、改変された?)定義を信じるようになって行った。

なるほど、ここだったか、と教えてもらったこと(神慮)に感謝して、彼女のその後の本を手に入れようとしている日々となった。


2017年3月12日 「あなた?」はご存じでしょうが

(これは虚空「あなた?」への報告です。なので、また戯れ言、世迷いごとになりますが、それを敢えてするのは、たとえ私が見失っても、向こうは私を決して見失わず、興味とケアを忘れず、私にGPSタグをつけていると、そう信じることにしていればこそ、なのです。)

さて、ここ1週間の某時における些事ですが、「あなた?」はご存知のはずですけれども、まあ日本語による世間話ということで。
と書く間に、構想を忘れてしまいました。思い出した順に行きましょう。

時節柄流行の確定申告。
月曜日に市役所へ雨の中出かけるも、「市役所での例年の申告は二月で終了につき、税務署へお出かけください」との張り紙がありまして、春雨? に濡れてバスを待つというお馴染みの光景です。
 
そうそう、恐れていたバスの時刻改正が庶民には改悪となり、1時間2本となりました。

火曜日、このバスをうまく捕まえてJR、タクシーと乗り継いで税務署へ到着しましたら、外に長蛇の列。
事故渋滞の車列のごとく一歩、一歩と進み行き、やっと入り口まで到達したので、中を見ると、

そこもまたグネグネの人の塊、人間の頭が詰まっていました。
50人x4列、進むと第一の関門(右か左かへ)
同じく50人x8列のジグザグの道を進むと第二の関門(書類確認)
40人x5列進むと、やっとパソコン入力となり
ここでやっと老女一人が、椅子を要求してすみに座らせてもらっています。

その他大勢、ほとんど中高年で、税金を納めるというより、還付金をもらうという逼迫した目的のため、文句や小言を言う人もいなくて、絶望的な視線を天井、ないしは足元に向けているのみ、我が同胞のこの忍耐力には、つくづく感心しました。
終わってみると、しっかり4時間立ちっぱなしだったわけで、駅まで20分をよろよろ歩き、やっと見つけた中華店へ倒れこむように入りました。
しかし、予定通りの還付金をもらうこととなり、ミッション満了です。


さて、口調も変わり、
木曜日、
朝6時に起きてゴミ当番の務めを果たしに(あまり日頃交流のない後ろのお隣さんから日にちを交代してと言われたので)、南側のドアをさっと開けたところ、

スッキリした曙の空色が広がっていた。
私は明け方がかなり苦手で、夜の暗さを引きずった空には悲しみを感じてしまう方なので、この爽やか感にはびっくり。これなら好きかも、と。

その夜、
ちょうど手に入ったキュプラーロスの「死ぬ瞬間と臨死体験」や森田健の「生まれ変わりの村」を読みあさっていたところ、

「暁の1時間を、真理への想いに、あなた自身への回帰に使わないか?」
と読んだ気がしたので、ハッとしてページをめくってみるが、もう見つからない。
あの夜明けの空の色が目の前に広がり、なるほどいいかも、とは思ったものの、できるとも思わず眠った。


さて、
翌朝、6時にふと目覚めた、ような単にまどろんでいるような時、突然のイメージにショックを受けて目覚めた。
うちに古い、誰も使わないボアの男物の室内ブーツがある。それをあの駅に住むホームレス氏にあげよう!
なんだって??!!

自分で驚く。
いい方法ではないか。この冬も靴下なしで壊れた靴のままだった。ひどい状態の脚だ。

そ、そうですね、これならできそうです。やってみましょう!! (もっとも次第に自信がなくなり、あれこれ考えあぐねて実行には遠そうなのだが)

春眠暁を覚えず、とばかり、だらしなくもまた眠りこもうとした。と、また起こされる。

思考が素早く駆け巡り、あっという間に結論が出る。

私のこの世の、この生活に不満不平を言うのはもう止めよう!! 
(解説:そんな理由はないはずだ、完璧の創造を信仰するのなら)

実際、満足できるほどの有難い生活ではないか?!

ありうるすべてを、善きことはもちろん、病も貧も手のかかる夫も含め、どんと受け入れよう、私は!

ありがとう、と言ってそうするのだ、喜んで!

自由な意思決定である。
自由を感じた。
不平不満に押しつぶされるのではない、
それを押しのける自由も得たのだ。

とはいえ、弱虫の私が後ろの方で、困ったなあ~と袖を引くのではあったが。


タイトルは忘れたが、ブラウニングとか言う人の詩

時は春
日はあした
あしたは七時
片岡につゆ満ちて
揚雲雀 名乗りいで
カタツムリ枝に這い
神 空にしろしめす
すべて世は こともなし


以下は全くの冗談です。ふと思いつきました。

NPO法人設立案
この世の悲惨をとめよう
ホームレスにブーツを
ブラウニング混声合唱団
子育て応援老人団

2017年3月18日 気づく、と 忘れる の応酬

前回の日誌の最後に与えられたミッション:
*今生のこの生活に金輪際不平不満を言うなかれ
*ホームレス氏を支援せよ

困った。
前半生、家族では優しい、温和な男達しか見たことなかったのに、この伴侶は天罰かとも思えるほど、手に余る。今でもそうだが、それでもこうして生きていける。そこを足場にすると、妙なことに不満は思わない、ありがたいと思う
と言う行為と、
現実には、腹を立てたり言い合いをしたりする行為
この二つが、共存して別に違和感がない。
それが面白くなっていた。

問題は2つ目だ。
月火水と言い訳めいた外出が続いた。
ついに明日が木曜日となり、どう見てもこの日だろうとわかるが、あれこれ、想像してひるんでしまう。
勇気が出ない。

もし「神様」だったらどうする、もし「愛」そのもだったらどうするだろう?
ベンハーという映画が昔あった。
砂漠で、ベンハーが行き倒れになる場面で、人影が彼に近づく、ひと椀の水を、命の水をくれる。

そしたら私はスッと立ち上がって、水をあげに行くだろう。私がせめて神の子だったら。余分なことは考えないだろう。ホームレス氏の壊れた靴と汚いスネ、薄いコートもボロボロになっている。

木曜日にもう迷わず、突進して駅に行った。
その日、歯医者の予約の前にこの課題を済ました。
ミッション完了!

私の友人にはこんなふうに説明した。

「一つには、ホームレスにありがちな袋をたくさん持って歩く、ものを集める、という甲斐性?がなくて、この寒さの中、他のホームレスはセーターなど手に入れているのに、余りにもひどい有様なので、普通に考えても放って置けないでしょ!と、無視している人間への怒りすら感じて。

また一つには、あれこれ読んだり知ったりした中の、「あなたが神ならどうする、愛そのものであるならどうする」という問いかけが浮かんで来て、その途端に、怯む心が消えたのです。この言葉を思うたびに、神性がぬっと乗り出して来てそれでいっぱいになってしまいます。

そのどちらかの状態をキープしたままで、ずんずん進んでいき、新聞紙の上で座って眠っている彼をつついて、
「新しい靴、履いてください!」
そしたら、目をやっと開けて「ありがとう」と。
喋れるんだ!

でも実は、一つ私への助けがありました。
すでに二つプラスチックの白い買い物袋が置いてあったのです。多分食べ物。
それも私を力づけました。他にも誰かがいて、彼はこれらを受け取ったのだと。この事実が。

そう、室内ばきは小さすぎるとわかったので、夫の新品の靴をあげたのです。(その人の壊れかかった靴もひどすぎました)
夫の足はむくんでしまってもやは履けません。
それとひざ下までの靴下、化繊のホットシートも。」

別に神様になったような高揚感はなかった。
さっとこの出来事を通り過ぎていた。

実は既にその前、日曜日に、私は大いに感動して涙を流したのだった。
(この日記を書くのは、そうでないと全て忘れてしまうからである。毎日のように何かを与えられるのに、or 見つけるのに、痕跡が残らないことがある)

ドイツの童謡の一つがオカリナの練習中に見つかった。

夜空いっぱい、星はいくつあるだろ
大空ゆく雲も数限りない
そのひとつも忘れずそのひとつも逃さず
数えてくれる 神は数える

陽を浴び飛びまわるたくさんの羽虫
涼しい川の中 たくさんの小鮒
呼んでいのち与えた
楽しく生きよと神は名を呼んだ

朝は早く目覚め 昼は楽しく
わずらいもなくその日
過ごす子供たち 神様のお気に入り
かけがえのない神の愛し子


こんな「神」との関係、こんな「神」の意図、こんな実際、それをどれほど切望していることだろう。
目の前の現世は程遠い。
どちらかが間違っているはずだ。

21世紀までに人類が追い詰めてきたとんでもない宇宙の仕組みを見ると、現世の悲惨の方が分が悪い。人間の愚かな部分の方がありえない。

木曜日の夜、新聞に本の広告が目に止まった。
「神の子」というタイトルだ。
あんまりじゃない?と思ったが、、、

金曜日、図書館に行った。1分ほどぐるりを見渡すと、果たして「神の子」が目の前にあった。
なぜ読むのかは分からずに、上巻を読破した。

もうひとつ
今週の気づき:
(なんとこれらの失われやすいことか、こうして印をつけておかなければもう見失う)

・こうして君の前に次々に差し出される配慮は、実は君自身が創造したものなのだ、君はミニ「神」だからね
・ええっ! 私が創造していると? あなたの神慮ではないのですか? 
・そうだなあ、何しろ私と君はひとつのものだからして。

2017年3月26日 行ったり来たり

弥生の冷たい雨が
クリーム色の薔薇を濡らしている
蕾のまま2ヶ月も耐えて数日前の暖かさにちょっと騙されて咲いてしまった
おまけにヒヨドリに齧られている

同時に笑って咲いたヒゴスミレ、白
鹿児島から母と共に旅をして房総半島でも門柱の角で満足して香っていることだろう
そこまで鼻を持っていけない

薬丸岳作「神の子」上下を猛スピードで読んだが
力作ではあったけれど、却下。
キャサリン・ロス  森田健 大川隆法 通り過ぎる。

しかし、「神の子」下を図書館に受け取りに行った時、
大阪人の幻月さんの名を久しぶりに見て、めくって見たがおどろおどろしくて却下。

その隣に、玄侑宗久の名が。
そうか、これだったか~と納得して借りる。
仏の世界に招かれたようだ。

しかし、その際に小さな事故が起こった。
切れ味の悪いカッターを使っていたら、案の定左の親指の腹をスパーっと切ってしまった。
血をしばらく滴らせる、妙に美しい赤色だ、この色好きだなあと思いながら。
それからアルコール綿と共にムギュッと押さえつけること1時間、
暇なので瞑想もする
最近は第三の目に集中すると、呼吸が楽に出来るようになった。目の奥に小さな四角があり、こちらが進んでいるのか、向こうからやってくるのかともかく、疾走感がすごい。「真実への回廊」と名付ける。

名付ける、と言えば、未だに呼びかけ方にこだわっていて、アレヤコレヤ、決定しない。

在りて在るなる太神(おおみかみ)
完全の実相なる統めら命(すめらみこと、天皇ではなく)
永遠の慈愛なる太魂(おおみたま)

この三つの相が私なりの定義となっているようだ

玄侑さんの本はとりあえず
「アミダーバ無量光明」
もろに臨死体験と死後の感覚に挑戦したもので、物理を援用しているところ、大いに我が意を得た。

「化蝶散華」
まだ読みかけなのだが、アプローチが「お金」の役割と位置づけなのが独特だ。禅の世界に入って行った男が「魂あり」の立場と世間の有様とを擦り合わせていく、という話らしい。確かにここ(すり合わせ、意味の改革)が肝心なのです。

これまで単純に、死ねば終わり、と思っていたので、せめてそうでない可能性を探ろうとあれこれ行ったり来たりしているが

贅沢にも
既成の宗教や他人のお題目を借りるとしても、

自分自身に問いかけて、勘違いであれともかく自分の中から自分用の世界理解を深めていこうとしている。

それで、次々に面白いことが目の前に差し出されるように出てくるのだが、ここで、注意。

これをもって深慮、摂理、と捉えるべきか
あるいは自分が決定して選択しているのか、視野が異なってきたのみなのか。

まあ、退屈している暇はない。
しばらく仏の世界に。


2017年4月2日  寄ってたかって知らされる

ともかく書いておかねば。

先週月曜日、時間を無理にやりくりして、私のアッシーさん(同年の女性、運転が好きで、かつ嫁姑問題で家に居たくない、それであれこれ付き合ってくれる貴重な存在)と風雨の中、木更津までドライブへ。

さあ、ついたと駐車場で彼女がドアを開けたところ、思わぬ突風が!
ドアが大開になり、隣の車に衝突してしまった。しかも運転席には女性が座って居た。
それで、傷がついたので話し合い、結局保険屋さんが入ることになった。

日頃、呑気な我らも少ししぼんでしまった。
帰ってから思い返す。
「起こったことには全て意味はない。意味を与えるのは君だ」と思いが湧いた。

そうだなあ、途中の産業道路では3回も危険な瞬間があった。とろとろ走る軽自動車なので、後ろから追い越しをかけられた、3回とも十分な車間距離もなく、大型車に挟まれそうになった。

これだ。
私はこれを参考にして、ドアが風で事故を誘発したことを、これくらいで済んだと思うことに決めた。

彼女からも「気が緩んでいたなあ」と反省して前向きに捉えるメールが入った。

その朝、和田さんという短歌のお仲間のことを考えていた。出逢う全ての人、物、事が尊き存在であると和田さんが感じていることが、その短歌に滲み出ているなあと。

そして、諸々思いを馳せている時に、「私は自分だけの世界に生きている」と浮かんで来た。私が彼を憎いと思ってもそれはそう認識するからで、彼なんかいない。憎しみは不要で幻想である」

(しかし、愛がある場合はどうだろう?
創造主の定義からして「徳」のみは実在なのであろうか?
と次の問いが待っている)

さて翌日火曜日、母を施設に訪問。滞りなく。
で、その際に本屋さんに入ったら、
雑誌のコーナーに、「ミクロからの宇宙」「唯識」という文字を見つけて迷いなく、2冊を手に取る。
レジに並べてあった、「なぜこの世は『ある』のか?」という問いを発している本を、迷いなく購入。

帰りの電車で「唯識」を読んでいると、「一人一宇宙」と目に入った。ここでこれに会うとは!!

それで電車を降りそこねてしまった。
(唯識とは:私に説明できるとは思えないが、孫悟空とともに三蔵法師がもたらしたいわゆる大乗仏教の考え方で、日本では新仏教と禅宗における基本である。
ただ知らされている状態、という意味の言葉で、空の思想でありヨガとも繋がっている。
現代社会では最近マインドフルネスという瞑想行為が流行っていて、それは同じ作者の「唯識」という本の英語訳から発生したという話)


話はこれで終わらない。
世界中が寄ってたかって、私を世界の別の見方へ導いているかのようだ。

ジム・ホルト著「世界はなぜ『ある』のか?」早川書房
著者は科学哲学者であり、古代からの思想を探り、現代の哲学、科学、神学の先端的意見を探求している、まるで私の代わりに、物質世界がなぜ在るのか、を。

実にスリリングな情報ばかりで、章ごとに休憩を入れてしまう、あまりの充実感に。

理神論 科学の発達によってますますこの世界の壮大さ、玄妙さ、知性のようなものは認めざるを得ないようになった。この意味での神、までは納得できる。

しかし、それ以上の、人間に関わろうとする神についてはどうなのか? 慈愛やあらゆる徳性、神性、(罰する神というのは論外だ)あるいは、この世に溢れる悲惨に手を打たないことなど、
ここが問題なのだ。

私にそれがわかるはずもなく、最高の頭脳によっても明らかとは言えない。
馬鹿の考え休むに似たり、と、私は「大きな智慧に委ねます」とつぶやいた。

が、どうしても気がおさまらず、神の心が感じられなくては生きている価値はないですよ、と私が迫ると、

「君の中に愛があるだろう、平和と幸せと善意と許しへの希求、激しい希求が。それが神の心だ」

自分に呟いたのは自分だが、嬉しさがあった。涙が出た。

悪と見え、無力と見えるものがあっても、こちらに重心を置くのだ。そこに人間の自由意志があり、それが神の目的であり、人間の生の目的であろう。

「あ、戦いは止めよう、憎むのはまずい、止めよう。」
と心で思うことが重要なステップなのだろう。
これが、私の今朝の思い。ここまで。


2017年4月10日 今日もやってみる? 待てばなんとやら

今日もやってみる? 待てばなんとやら

なぜこの世はあるのか? ジム・ホルト
やっと読み終えた。
科学哲学者ジム ホルトの、ギリシャ時代から現代の最先端まで、哲学と物理学をたどる旅は
意外にも、ダライ・ラマかと思われる僧の言葉で、つまり仏教の教えにおいて決着を見た。

安易に「神、創造者」を立てないと言う方針で論理と科学的真理の突き進む「それはなぜ、それは何故」と言う終わらぬ問いかけにはビッグバンという壁がある。
無から物質があらわれる。(これは可能だ、と言うか解っているらしい、この仕組みは物理学的に解析されている)

そこでもなお「それは何故」が付いて回る。
始まったこの宇宙には終わりもあるらしい。
無と無の間の170億年。

ここで、引用してみようと思う。
我々は死において平等である。死の心理学。
誕生は偶発的だが、死は必然である。

「私はなぜ死に不安をおぼえるのだろう。自分の死を容易に想像することができない、自分が完全に無意識な状態も想像できない。
死が恐るべきものであるとみなされるのは、無が果てしなく続くという見通しそのもののためではなく、生のあらゆるよいものを失うこと、永遠に、のためだ。~ー
だが、もし人生に何もよいことがなければどうなるだろう?~ー
死はわれわれから、特定の喜びを奪うのでもなく、もっと根本的なこと、すなわちわれわれが存在しつづけている生き物として、主観的意識体験を奪う。
~ー死の恐怖は、自分がいなくても生の奔流が続いていくと言うことの怖さをはるかに超えている。それ無というゆく末だ。どうやってこの無を思い浮かべればいいのだろう?
私だけの自己の消滅である恐怖。その理由は、自分は自分がいる現実の本源ではなく、自分は世界の中心ではないと言うことを死は暴くからだ。
(一方、この生は子宮の静謐から疎外されたもの、でもあるので) 一体感の回復を待ち望む旅の終点は、、、つまりあの暖かい母の海、あの満足した無意識の永遠なる安息の場所、無である。」

と、ここへダライ・ラマが登場し、あの笑顔で
宇宙に始まりはなかった。だから無が存在に取って代わることはありえない。
宇宙は無ではないが、確かに無にとても近いもの、つまり空虚だ。事物には、それらの属性だと私たちが見なす実質性が、あまり備わっていない。この世界は夢が幻のようなものなのだ。

なぜこの世はあるのか?と言うライプニッツの問いには、何かが実際に間違いなく存在すると言うことが前提になっていた。つまりそれが幻想なのだ。

ここで終わりになっている。と言うことは、
ホルトさん、ご苦労様でした。
「神」はどうなるのかなぁ・・・


現実に戻り、
この木曜日に福島県まで桜を見に行くことが、やはり決まった。福聚寺住職の玄侑さんに手紙を持って行こう。
ちょっとした思いつき。。

現実に戻ると、
色々交錯するものが多くて、
なかなか思う通りにはいかない。
したいことはできず
したくないことをせねばならず
意欲と希望を持っていても
体には故障が起こる

いやだなあ を
よし!やったろ!に変えられるか。
(自分が決めることだから)

人の意見はスルー
(私だけの世界の登場人物だもの)

もしこれで無残な死に様を晒すことになったとしても
外見は外見
その意味は絶対最高のはず
(なぜなら全てを大いなる智慧に委ねた結果なので)

ここまでの帰依、絶対への信仰を
信じてはいないけれども
ありうるべきだと理解している。

最近の発見:
桜の花はハラハラと散る、と思っていたら
満開の花のまま、瓶のひと枝は
風の吹かない玄関のたたきで
もう1週間、じっと保っている
どんな終わり方をするのだろう。


2017年4月23日 あしたが楽しみ

全くの私事、日常
公開するまでもないのだけれど
書かなかったらただ消滅するのみ
電子の世界に暫時漂わせて

10日ほど前、私の不整脈悪化
目の前に白い幕が生じて
穴を通してかろうじで世界が見えた
手足の力が抜けてしまう

が、立ち直った
さて、強い薬を服用することに
乗り切っていく日々

福島県三春町の花見山見物の件は
もろもろ整い(おかげさまで)
夫も機嫌よく(どうしたわけか)
首尾よく(早朝特急で40分後には東京駅着
構内にて翻弄されるも無事乗り切り)

さらにラッキーなこと
運転者は二人、添乗員のおじさん愉快で
同席の80代女性と話題がずれず
東北自動車道も常磐道も全くスイスイと
暖かく、曇りから晴れ

のどかな景色の向こうに白銀を抱く
阿多多羅山系と吾妻山連山(これには桜以上に感激
関西で山に囲まれての暮らしに慣れている)

トイレ休憩のサービスエリアの
清潔で便利なこと
つい散財してしまった
夫に特別な取り計らい(彼の好きな龍と陰陽マークをデザインしたキーホルダー)
お隣やアッシーさん、菜園のご夫婦には
乾燥しじみなどを

サツマイモと栗の饅頭が
味見させてもらったら美味しくてつい自分買い
手作りの毛糸のキティちゃんまで

困るのはただ一つ
景色の中で自分を撮れないことくらい
ま、あまり意味ないけど
手を伸ばして無理やり花桃に自分を入れて撮影し
変な図柄となる
観光バス、ほどほどの数で
餅入りのアイスなど食べる

肝心の花は、まさに絵のよう
特に三春のダム近辺は
桜真っ盛り
枝の先まで花の鞠玉
ひらりと散る花びらすらない

観光など何十年ぶりであろうか
人生の記念の一日
ここは天国かと何度も思わせられた

帰り、東京駅からも快速で座って1時間
なんとまあ運の良い私


さてしかし、帰ると夫がおかんむり
いくら電話しても私が出なかったと
いつものすったもんだ
外では音が聞こえないのに(呼び鈴を聞きたくない?)

もしもの時に通じるかが
心配で夫はいつも無駄にかけてくる
ちょうどこちらには都合の悪い時が多い
そして用事は何かと言うと
何かを買ってきて、なのだ
これでは狼少年ならずとも(狼が来たと村人をいつも脅していた)緊急時に信用されないだろう

ま、これもいい
巻き込まれるまじ!

ところが!
ここ数日誰からもメールがこないことに気づく
試しにスマホとPC間で送ってみたら
変な、英語付きで戻って来た!!

総じて意味不明な内容
すわ、いわゆるマルウェアに取り込まれたか!!
と内心青ざめた

しかしセキュリティはかなりいいはずだが
折しも、
亡き長男の写真立てが落っこちた
妙に心配、妙に頼もしい
どっちだ???

何が起ころうとどっしり構えて
信仰を忘れず
全てを善き意思に委ねよ

結果は、当該の会社に電話
土曜日は時間外なのに妙に親切に
老婆の世話をしてくれて
解決
「OSのヴァージョンアップなどで
サーバにメールが溜まっていたそうだ」(引用すれば)

すっかり
雲が晴れて
元気になった私

考えてみれば、、、、
知識さえあれば
知識がなくても然るべく電話すれば
結果は同じく無事解決したのであろう

花見旅行にしても
むやみに喜んで「やっぱりなあ」と
世界の黒を白にひっくり返している
この自分
その無意味さ、愚かしさとも言おうか
我田引水もいいところ

実は旅行を決める頃
北朝鮮からもし東京に攻撃があったら??
という番組を見た

実は怖くなった
安全なこの地域からわざわざ東京へ
出かけるのが

しかし、
頭をコンと叩かれたように気が変わった

よし、だから私は行くのだ
このバスの中の人々、周囲の行き交う人々
その全てを守るために
何が起ころうと大丈夫と
全ては空であるから被害はないと
念じるために
愛を送るために
委ねるために

「神仏」との協同作業で
生きる名人に皆がなれるように
切に願う
願うまでもなく
すでに大きな手の内にあるのだが
つまり我々は驚くなかれ、
神仏と一体の存在なのだが

しかしそれを知っているかというと
そこまで図々しくない方がいいと
思ってしまうだろう
自分が神様と同じだなんて(小型版ではあれ)
ありえない
却って怒られて叱られてしまう
もっと謙虚であれとか。

日々起こっている悲惨は忘れていないよ
私だって!
諦めないでなんとか手伝いたい

我々老人が直接的に手助けするのは無理でも
理想と真実を追い求め
その力と実現を信じて
慈愛の念を送信することはできる

あと50年、私はそうしたいと思う
明日、何を体験するか
楽しみなことしか起こらない
そう信じることにする


2017年5月2日 3、4個のハプニング 阿吽の呼吸

この1週間、3つのハプニングに出遭ったこと
このまさに今、この瞬間に思い出せるまま
書き出そう。

以前読み始めていた「生まれ変わりの村」というシリーズ、
ついにその4冊目においてその核に出遭ったらしい。

貧しいとうわけでもないのに、その村人たちは未だに洞窟に住んでいて、しかも幸福に感じている。死んだのち、忘却のスープを飲まないという言い伝えが広まっているのが、生まれ変わったという記憶を持つ割合の多い原因だとか。

インタビューの内容は、生まれ変わるまでの日にちの長短はあれ、似通っている。その語り口も淡々として、神仏を頼ったり、修行をしたりとは縁遠い感じである。

というところから、インタビューアー森田健氏は(かなり神秘的な体験もあるらしいが)かの鈴木大拙の悟り観を援用して、かの?よく使われる「あるがまま」に生きる、を村人たちの態度に当てはめている。

お腹が空いたら食べる、のと同じように、悟りや神仏を請い願うことなく、まして修行や瞑想などしてそれに捉われ、しがみつくのではなく(それは在るがままとは異なる)、流れるように自分の深層意識のままに生活して幸福なのである。表層意識に邪魔させない、ということらしい

さて、私は考え込んでしまった。
かなり意図的に真理とか(悟りのことは余り意識していなかったが)探求中の身としては、様々な方法でしがみついているのは確かだ。

幸いにも、集中力が弱っているのでさほど考え込んだわけでもないが。

と、二つ目のハプニング、忘却中。~~~

スープも飲まないのに!!

三つ目は、人間の生きる意味について「悟った」こと!!

そうだ、待つのも面倒なのでこれに取りかかろう。
 
昨日土曜日に、3ヶ月余りぶりに孫と会えることになり、電車で木更津へ向かっていた。
辺りの景色はこんな感じ。

>湖の中ゆく道と思ふまで水張田(みはりだ)光り聖五月来も

青葉若葉と水田の光、薫風と、麗しいばかりであった。
と感じた瞬間、頭のどこかが開いて
「人間の生まれて生きる目的は、その意味は、この世を天国のように素晴らしいものにすることである(もちろん人間自身も進化して前進すべし)」
と言葉が繋がった。

まさにその通り、と思えてその明らかさに感動した。
これまで聞いても読んでも、そんなバカなと思っていた文章が超深刻に真剣に真実に思えたのである。
ここに辿り着けたことがとても嬉しくありがたかった。
静かに涙が流れた。

騒然とした世界、きな臭い状況であるのはわかっているが、地球を壊すのではなくより良い世界にすることが人間の使命であると確信できた。
この目的に沿って、多々異なっている意見や信条や思い込みを調整し和解へと持って行くことが今までできなかったのは、人間の使命をこうだと確信することができないからではなかったろうか。

とりあえず私の中ではこんな風な了解がなされた。
 


さあ、2番目は何であったか、まだ思い出さないのでとうとう紫の瞑想帖のメモを見ることにして、別室へ取りに行ったところ、干しておいた布団を押入れに入れたり、お菓子を持ってきたりして、すっかり用事を忘れていた。

余分な時間を食ったが、やっと前後関係がわかった。

孫の可愛さときたら予想外であり、しかも大部分の祖父母に起こる現象である。

愛する誰かを見つけられるチャンスはそうそうない。愛することは喜びであり、恵みである。

なのに、
訪問されることは苦痛だ、片付けや準備がしんどい。
理由は簡単だが解決が難しい。
常々家事を怠っていることから来る。うちにゴミ製造機がある(居る)ことが言い訳になったり、事実、家事の増大を引き起こしている。
まず、そんな自分が嫌だ。(単に甲状腺機能低下による鬱かもしれないとしても)

土曜日の朝目覚めた時、数日苦しんでいたのに解決しないので、滅多に使わないのだが「かみ、、さま」とまさに神頼みして呼びかけた。
「今日一日、また善い体験をさせてもらえること感謝致します」
とあらかじめお礼から言っておいた。お願いはしないほうがいいようだ。
それはその存在の全能さと矛盾するから逆効果であって(なぜなら、こうしてくださいと頼むことは神の仕事が不手際だということになる)、
なので、むしろ彼の?彼女の?その全能に身を委ねて帰依するほうがいい。
(そうか~ これが潜在意識界とかいうものかな~)

まだベッドに寝転がっていた私は、床に足をつけた。その瞬間が妙に記憶に残っている。
一歩踏み出すごとに、ゴミを拾い、次の一歩で洗濯物を集め、動くごとに何かをした。手も足も仕事をした。
いつもだと朝食だけしかしない間に、洗い物、モップがけ、トイレ掃除をこなしたのである。

確かこのことが二つ目のハプニングだったのだろう。
だいたい、三つあると思ったのが不思議だ。(私、大丈夫か?)


こうして、私と息子、孫は合流し、渋滞などの荒波を越えて仲良く過ごした。うちにもやってきて「怖いおじいちゃん」にも会った孫は、チェスの対戦を迫った。

そうそう、
息子も、理系だったのがこちら方面にも目覚めているので、朝の電車の中で私にわかったことを短い言葉で伝えた。

息子は、うなづいた。「ウン」と言ったが私には、「そうだね」と聞こえた。

夕刻、出かけられない夫を残して、回転寿司屋で三人でたらふく食べた。そのまま私たちは別れた。
出足の良い息子の車が、あっというまに遠ざかり、空を見ると2、6の繊月がまだ高い位置に光っていた。
そこで1首

>腹みつるまで寿司を食(は)み うかららと別れ往くなり三日月つれて

夫は多分パソコンで囲碁をしているだろうと思った。
寂しいはずだ、親族は誰もいない、異国で私だけを頼りに生活している。おまけにうからには煙たがられている。悪人ではないがあまりにネガティブなのだ。
彼を帰国させること、
それが差し迫った課題であり、全然解決しそうにない。
恐ろしすぎて話題にもできないほどである。

あ! 本来の二つ目のハプニングを思い出した。

若葉に関すること。
今年は桜に堪能して、さてこの季節の爽やかさはまるで肺がクリーンアップされるようなのだが、残念ながら目からの情報のみで、実際に体験するまでにはまるで行かない。

と、ぶつくさ思いながら、家賃を払いに遠くの(指定された)銀行まで出かけた。
帰りのバスを待つ間、いつもと違う方向になんだか清々しいものを感じた。それもそのはず、若葉が種々うち重なって、なんとなく源氏物語の青海波、と言った趣が漂って来る。
その日は、脚が不如意だったが、100メートルほど歩くと突然森林が始まったのだ。

種々の大木が青い影を作って、別種の空気を生成していた。しかし一方では人の手も加わっていて、整然と敷石が敷かれてあり、設計されたものなのだ。名前が付いていないらしい。
左手、下って行くと池がありその手前の綺麗な敷地ではボール投げを一人でしている男性がいた。作り付けの高いコンクリート壁に打ち付ける音だけが響く。

右はやや小高く、自然そのものに見える。若葉の天井を見上げ、足元の濡れた土、クマザサ、初めて見る花、(鳥はいなかった)眺め回して、私はついニヤニヤしてしまった。

有難い、こんなところにこんな林があろうとは。まさにこれを体験したかったのだ!!
これが今の望みだった。

これが木曜日だった。翌日太極拳の仲間に尋ねてもほとんどこの森のことを知らなかった。知っている人も場所についてはトンチンカンなことを述べた。

ところで、その後すぐに、ある懇意な人の日記にボール投げの話、特に壁投げ?の話が出ていたので、あそこでチラと見た人のことが思い出された。

私は時空を超えて彼を見たのだろうか。


2017年5月10日  死生学とかや それにプラスあるいはマイナス

現実の死をめぐる、比較的実践的な生者の対応を、学際的に考える、または死への心の準備を整える、というのが、死生学とかいうものらしい。

この対応の中で
プラトンが哲学的に主張したこと、
魂の存在とその不滅(肉体は滅びる)
これを私は探求している

その方法、
自然に私の方へやってくる本、
届けられる機会と契機
自分の中から生まれてくる言葉と思い
私を無にし、
信じて待つ、何かぴったりのものが降ってくるのを

なのだけれども
浮世の憂いと心配に巻き込まれ
鳴かず飛ばずで過ごした1週間ではあった

十年ないしは二十年の私たち夫婦の生存期間が
社会から落ちこぼれ、社会から拒絶され
横死、客死、離婚、孤独死、殺人、自殺、貧困

という展開で進む可能性が
無くはない
悪くすると牢屋にたどり着く(これはつまり介護殺人の予期不安)

特に
地球の裏側のドイツへ引っ越し
などという恐怖の計画が進んでいる
引きずられて行く

これまでの経験からすると
地獄めぐりのようなことになるだろう

昨日土曜日の朝。
やっとのことで、全身呼吸法による瞑想の試み
やっとのことで
宇宙を統べる大いなる存在に対し、
「今日も善き体験をさせていただくことを感謝します」
と述べることができた。

午後になり
広島時代からの盟友三木さんへメール
大変な荷物を背負うことになったねえ、とわかってくれる
あれこれ、心配事を書くうちに

委ねる、という字が浮かんだ
そうか、どこかの時点で出会った「ハイヤーセルフ」
これを思い出すことができてよかった!


「見える宇宙、見えざる世界を動かす存在
不可知の智慧、善と愛と自由であるはずの存在
我々がその部分である唯一の存在へ」
と私はある限りの知識を総動員させて呼びかけた

全てを委ねます、お手上げなのです
全てを委ねます」

このいくつかの文章により煮詰まっていた不安と絶望感がまさに雲散霧消した。これは実は、自分の潜在意識、ハイヤーセルフ、魂に呼びかけたのでもあった。何しろ神様はデカすぎる。

とりあえず自分にかく魔法をかけ、
効率100%の神の仕組みへの帰依を示すことに成功した

ケセラセラ、とも言えるか?

眠る前にまた思いつく
確かに、サピエンス全史を通して
不調和と苦悩と諍いの世界
そんな風に見えるけれども

待てよ
神の尺度で見ればこの数万年は
瞬く間であろうに
幻のように泡沫のように
苦しみの息吹として浮かんだだけのもの
神の恩寵の隠し味のようなもの(これはいい表現だ 笑)

よかった
これにたどり着いて

今朝になって
心配事を人に預けたのですっかり気楽
なんだか
アイデアや言葉、思ったこともないような文章が
あれこれ生まれてくる

まあ睡眠不足のせいかもしれないけれども

この関係の短歌:

呑み込まれ不安のふくろ被さるる一なる神の偏在を忘れ

友にメール書くさえ契機 ピンセットにつままれ脱出一気に広し


2017年6月3日 ニューソートの神の定義

大上段に振りかぶったようなタイトルになったけれど、これについて大して書けるような私ではない。

とりあえず今まで主に読んできた本がニール・ウオルシュのものであることによる。
ともかく、これまで人間がすがったり、または無視したりしていた神なる存在のその定義と、それに関連して、物質世界の意味 人間との関係がどうも不具合だと思われてきた結果が、新しい考え、を求める人たちを生み出したようだ。

現世では、母を往復四時間かかって見舞いに行き、さすがにフラフラになって帰宅、
帰ると夫の世話、
そして不眠(ここにきて、母の終末とそれに伴う心配事)には安定剤服用

現世のこんな仕事に気を取られ、どうも瞑想することにならない。
すると、少し悪いことをしてる、みたいな感じがしてよくない。
 
が!
ここで新しい思考を思い出そう。
そんなことで気を悪くするような狭量な人?じゃないでしょ、あの存在は。
こんな自分に負けるな、
もっとリラックスして親友づきあいしろよな
あんまり親方が大きすぎると言うなら
小型のハイヤーセルフがいつもここにいてくれるじゃない

そうだね、
特に瞑想の時間なんてとらわれないで
常にコンタクトしてるとしよう
息を吸うごとに
   神霊世界へと膨らんでいく
息を吐くごとに
   物質世界に愛を捧げる

そんなことをさせていただきますよ
気楽な道を歩みましょう


「あのね」
といきなりGさんが話し出した。
「私の母が亡くなる時に~」

みんなで両親のあるなしを話していた時である。
「もう、本当に子供みたいに幸せいっぱいの笑い顔で亡くなったんです! もう信じられないくらい嬉しそうに」
「え、じゃ何か見たとか?」
「そう、両手をかきいだくかのように動かして、私が誰かいるのと聞くと、そうだと言うジェスチャーをするの!」

「なんて素晴らしい、よかったねえ」とみんなが驚き、かつ喜んだ。

その話を姪にしたところ、
「パパもそうだったよ~」
と言う。
「息を引き取って酸素マスクを外したら、口が笑っていたんだよ、ニコーっと」
その話を最初私が聞いたときは、何かの偶然だと思った。歯を食いしばっていたのだろうと。
「幸せホルモンが出る、とか言うしね」
と姪は続けた。

そうなら結構なことだ、本当に。

昨日、いかにも皐月、と言う空の下を乗り換え駅まで歩いていた。そこは初めての駅である。そのせいか少しワクワクした気分で、好奇心が満ちてきた。

おじいさんが紙切れを渡そうとする。
いつもは断るのに、なんだかもらいたいような気がした。

そのチラシはなんと日蓮宗の宣伝であった。
房総半島は日蓮の在所であるそうだが、私がこれまで最も気にかけなかった宗派である。

仏教の他宗派を激しく攻撃し、禅ですら否定したらしい。
そして蒙古襲来から日本を守ったとか。

で、
そこには死相の話が書いてあった。

死後の人相が、人によりあるいは高貴な和顔となり、あるいは正反対ともなる。
ちょっと極端な書きぶりだったが、私には例により示唆されるところがあった。


死によって、ただ無と暗黒が来るのか
そうではなくて地獄か極楽なのか
そうでなくて、魂にとって階段の踊り場なのか
つまりそもそも永遠の魂があるのか
魂は、善意の神と一つものなのか

どれを選ぶ?
どれが人間にとって効果的か?


2017年7月13日 どうなることやら、私の自由意志だとはいうが

前回の日誌からひと月が経過しました。今日は7月8日です。
あの時、6月8日ですでに25日という時間が経っていました。

合わせておよそ55日間、九十五歳の母は点滴数百cc以外は飲まず食わずで、脳梗塞後を元気に?生存しています。
病院はとっくに追い出されたので、これまでの施設に戻っています。

今夜はほとんど満月状態の赤みを帯びた月が、私の目の前にぽっかり浮かんでいます。夕七時という頃です。

文字通り空には雲ひとつない、暑い、風のない、蒸し暑い房総半島に、白い木の花、ねずみかなめもち(かな?)とハゴロモジャスミンと金銀のスイカズラがかすかに香っていますねー 有難いことに。

本題に行きましょう。

この間に私のしたことは、週に五日の割合で日参すること。うとうとと覚醒を7:3くらいで繰り返す母を、手足と頭、首などに触れてマッサージの真似事。
顔に香り高い化粧水とクリームをつけるも、ほとんど嗅覚はなし。

麻痺していない右脚が時々痛む以外は、乾きも空腹もないらしく、床ずれを防ぐために左右に転がされては静かにしている。
大声で何かを尋ねられると、うなづいたり否が伝わったりする。
看護師に名前を呼ばれると、かすかにアイ、と返事をする。ともかくア、の音の発声は作れるらしい。ありがとう、の最初を言うらしく見える。状況的にそう判断するのだが。

体の中に囚われているに等しい。
意識はどうなっているのか。何かを考える能力は失われていない、明らかに。
(字は書けるのだ。体勢が保てないので困難なのだが、名前も何月かも書ける。足が冷たい、とも。驚いたことに、「私は何を考えているかさっぱりわかりませんです」とも書いた。自分を客観的に判断しているのだ)

これでは本当に辛い意識状態なのではないのか。

と、常人には思えるのだが、見ている限り穏やかである。
口を開けてカーカー眠るか、目覚めて目玉をキョロキョロ(といっても左側はあまり認識できないらしいが)させる。その目は、意外にも母の父親の目にそっくりだ。

ますます即身成仏という言葉が私にはリアルになってきた。
このままエネルギーを下げて行って入滅するのだろう。

しかしここまでのことをいくらなんでも私は考えていなかった。
母の死をできるだけ穏やかなものにする、と決心していたとはしても。
 
「楽しい素晴らしい、思いもかけないあの世」という考えを何度か、私の想像として母に一人語りした。


あ? そう言えば?

私は母の世話をすると思っていたが、私こそ、こうして死を迎えるあり方を母によって見せられているのだと、突然私の考えが逆転した。私の方が引導を与えられていたのであった。

いつもながら、神にはどこまでも裏技があるので感心する。
(その存在の定義と呼び名を色々考えたが、バカの考え休みに似たり、ともいうので、諦めて、標準的な「神」と呼ぶことにした。なぜなら、何かの折に叫んだり呼びかけたりするのは、やはりこのすでに刷り込まれた言葉だから。私の「主」というのも可能性ある。なぜなら、私担当の、私という一個別化された魂こそ私の意識や肉体の「ぬし」であるので) 


さて、本題の本題だ。
母は7月3日に九十五歳の誕生日を迎えた。ブリザードフラワーのプレゼントをあげたが、すぐに忘れてしまうので、全く甲斐がないことこの上もないのだが。


その翌日、「神へ帰る Home with God」という、もろに死について詳しく書かれた本を、ビニールの本屋の袋に入れ、
冷房が効きすぎた時のためにスカーフを入れ、
さて、紫色の瞑想帖も入れた。

ここには私にとって重要な、神学研究??の思いつきや思索??が、ともかく私にしか重要でないことがワンさと書き溜めてあるのだ。私の心が詰まっていた。

暑くて眠たい。
千葉までの車中で、ふと目覚めたような気がした。座っている体より離れてその黄色いビニール袋があった。認識したのだが、それを引き寄せる前にまた眠り込んだらしい。

あ、千葉だ、と降りて、エスカレーターを二つ降り、道を渡りそごうを右に見つつ、京成電鉄へ移動。

改札から、エレベーターでホームに上がる。
上がってからまだそこに立っていた時、
あれ、袋を持っていない!
斜めがけのポシェットと日傘のみだ。

あれを忘れた。座席に置きっぱなしにした。
頭にガンときた。
回れ右、エレベーターを降りる。

あれを失った。大変な失態である。世に二つとない、本は買えるがあれは、私の心だ。

私には幸いにも行くあてがあった。いつも通るこの乗り換えの道にJRの遺失物届け所があるのを知っていた。
飛び込んで、説明する。

「11時2分発です、後ろから3両目くらい、ボックスになっていない席です!」

あとで電話をもらうことにして、這々の体でまた京成電鉄へ移動、ものすごい喪失感である。

一方、誰かがそれらを読むことを考えると、いたたまれなかった。さっぱり理解できないか、笑止千万な内容ではあろうが、ともかく読まれることは想定外なのである。

読む、誰かが。
読まれる、誰かに。
誰が。
どんな人が。

待てよ。
ここが我慢のしどころだ。日頃、神に言われてきたことを忘れるな。

この世の出来事に無駄なことはない。
その誰かはこの本や帳面を必要としているのだ。
私にとってより、その人にとって意味があるはずだ。

これで気持ちがうんと軽くなった。

電話が来る。「駅員がその車両あたりを見ましたありませんでした。どこにも届けもありません」

そうか、誰かが必要としていたのだ。
あげよう。

その日の夕刻、また帰りがけに寄るとやはり誰も届け出てなかった。

そうか、もっと必要な人がいるのだ。

誰にも話さず、孤独な時間だった。信じ難さは残っていた。私にとっての喪失感と誰かの役に立つ、ことは両立していた。

翌日の夕刻、母の帰りにまた遺失物届け所に行った。
「届け出がありました」

私はさすがに力が抜けた。また戻ってきた。
これまでの時間の続きを過ごしていいのだ。


で、
神との付き合いの全体の流れの中で
懸案はもう一つ、夫の取り扱いがあった。(なんたる文だ!)

母に先を越されて?
肝硬変初期の夫は、帰省を延期せざるを得なくなった。
はっきり言って、彼は母の成仏を待っている。
彼にもあまり時間はないかもしれないのだ。責める気は私には無い。

とりあえず簡単なのは、ゆだねる、という行為と気持ちだが、
それにしても、この世は私だけの宇宙であり、すべてが私が選んで決定したことである、という自由意志論についてはさっぱりわからないままである。
神って、万端、手を尽くして準備しているが、自由意志のままに動き、動かしているのはこの小さな創造主、我々、なのだと。。。????
 


2017年7月31日  待って、消えないで!ーー改め、今のうちに

未だに、私の九十五歳の母親の介護のことである。
そう、点滴のみで2ヶ月半、たった。
医者の予定?では今日が最終日、
七月末までとか。

今日は全く目を開けず、比較的穏やかにドラキュラの口を開けて眠っていた母のひたいに、私のひたいをそっと当てて、黙って別れてきたのだが。

帰りの電車の中で不意に思われたこと。
母のいる今のこの世の時間、今の時空、今のうちに何かを書いておこう、もう過ぎ去ってしまったら2度と手に入らないこの時間のうちに、母がいるという特別なこの世の時間のうちに!
切実に、この時空に掴み下がっていたかった。

なんでもいい、母のいる時間、というタグが付いている。
タグが大事だ。
さっき、ドラキュラの口、と書いた
口を開けたまま眠るので、この十日ほどは、口内炎がひどくなり、一週間前には、血を垂らし、口内も唇も血だらけ、うみだらけで横たわっている母を見て愕然としたのだった。血膿をごくりと飲み込んでいる。

これが口中に広がったら、と思うと絶望的なパニックになった。苦しませないと決意して看病しているのだ。
すぐに医師に相談して、幸いにも深く眠って苦痛を感じないようにと、点滴を減らしてくれることになった。
最近の若い医師は、延命だけに集中するようなことはないようだ。特に高齢者になると大問題、死活問題?である。

点滴が減ると、てき面に尿量が減る。
日々弱って、ウトウトの度合いが増えていく。
今日は、清拭と尿バッド交換の時、例のごとく左右に転がされた時だけ、片目を開けた。
ヘルパーが何か軽口を叩いた時、明らかに母の口が大きく、ひし形に開いた。それは笑った、ということだ。

笑ったといえば、

関西時代に、デイサービスで母が詩吟を少し習ったらしい。ある日、私が隣室にいると、どこからか、低~い、不気味な、単調な呻き声が長々と聞こえてきた。

何事であろうと母の部屋に行って驚いた。母が詩吟を唸っていたのである。私は大騒動し、私たちは大笑いした。

その話を、一月くらい前母に対し、一人語りで話して
「鞭声粛々~~
夜 河を渡る~~」
と私も一節唸って見せた。子供の頃ラジオでよく聞いていたものだ。
すると母が大笑いを始めた。声は出さずに、口をひし形に大きく開けて、涙を流して笑った。もちろん私も母の大笑いがまたおかしくて、涙を流して笑った。

あれが最後の大笑いになるらしい。

おとといは、母の好きな唱歌を歌って聞かせた。
母も私も歌は下手だが、好きな歌はたくさんあった。思い出すままに懐かしい歌を次々に歌い、母が眠ってしまっても、満足するまで一人で歌った。

七十二年、いや胎内を入れると七十三年の長い付き合いだった、実に長い。
母からは学ぶべきことはたくさんあったのに、少しも真似なかった。自由に生きさせてもらい、心配ばかりかけた。今尚かけている、覚えていないにしろ。

明日、また会える。
毎日こうして、往復4時間以上かけて通うことが意外にも苦にならない。


以下は、六月の歌
*光るなき入江の水の白白と六月尽へ母は看取りへ

*点滴の溜まりて腫るる母の身のいよよ即身成仏なるか

*言葉出ず飲まず食はずの94の名前を書きぬ計算もせり

*ニーチェ説く超人なるか我が母の飲食不要永久機関
 


ただ何か書くための余談として 「恵みの雨に 大地の恵みも」

先日NHKテレビで今の日本列島になるまでの地学的な話を放送していた。
要するに私の崇めている(?一目置いているということ、こう言うのもまたこれはこれではてな?ではあろうが)地殻の動きである。つまり、太陽や月や、諸々我々に影響を与えるものはあるが、地殻の動きも重大な影響を与えると言うことで。

かいつまんで書くと、西日本に当たる部分がまず大陸から捥ぎ離された。
そこの太平洋沿いには、何箇所も大きなマグマだまりが地下にあって、大規模な陥没と大爆発が起こり、
その灰は地球温度を10度も下げる程の量であり、1千キロメートルも積もったりする。
地下ではマグマだまりが次第に冷えて花崗岩になり、それは比重の関係で浮かんできて地表を持ち上げ、山の形が形成された。
東日本はおなじみの3つのプレートが押し合って海底が持ち上げられ、峰の尖った山脈になった。
ところで私の住む房総半島はなかなか生じなかった。もっとも遅く日本列島の仲間入りをしたそうである。

それで~~
何のためにこれを持ち出したんだったかな。
そうそう、結論、国土の75%を占める山々は険しいものが多い、このおかげで綺麗な水の豊かな(例えばヤマメはこの清流に生える苔を食べている、この環境あればこそ美味しい塩焼きをたべられる)自然の恵みをいただいているのだが、もし、プレートが今も絶えず押し付けてきて、山を高くしていなかったら、どうなる? たちまち侵食によって平地になり、四季の変化も自然の恵みも減ると言うことになる。

そんなこととは知らず、のんきに喜んだり怒ったりして暮らしていることではある。

さて、関東地方は空梅雨でいつ雨が降るかと、雨乞いでもしたいような日々が続いた。
と言っても
うちのあたりでは、少し土を掘ると水が出てくるそうで、どの家にも井戸がある。そのせいか、どの草木も日光を満喫して青々としていたのだが、私の気持ちとして心配していた。中にはさすがに水を欲しがる鉢もあったりして。

*雲よりも太陽強し 空梅雨の緑産み出す地球のパワーは

なんども天気予報にだまされて、ついに雨が降り出した時、口をついてできた、子供のように。

「雨よ、降れ降れ」
それに少し抑揚がついた。ここで雨雨フレフレ母さんが、、、とならないところが文学修行の成果である(関係ないか、この歌だって立派な詩である)と言っておこう。なぜならその抑揚は、ごく自然に北原白秋の「城ヶ島の雨」になって行ったからである。
それがわかった時、驚いた。もう何年も思いついたこともなかったのに!

 雨は降る降る 城ヶ島の磯に
 利休鼠の 雨が降る
 雨は真珠か 夜明の霧か
 それとも私の 忍び泣き

 舟は行く行く 通り矢のはなを
 濡れて帆あげた 主の舟

 ええ 舟は櫓でやる
 櫓は唄でやる
 唄は船頭さんの 心意気

 雨は降る降る 日は薄曇る
 舟は行く行く 帆がかすむ

youtubeで聞いてみた。やたらと難しい。これにオカリナを合わせようとした人もいる。
美空ひばり、倍賞千恵子、鮫島なんとかの三人三様の歌い方を聴いた。
ここでそれをリンクさせられたらいいのですが、サービスが悪くてすみません。

ドイツにいる友人にこのことを書き送ったところ、案の定、彼女も城ヶ島の雨の虜になって頭の中で鳴り続けているとか。
こんなことを体験して
なんだろなー、母が死と戦っている時にーと思ったが、少しの喜びの時間ではあった。

それで、生存本能があるのはどうしてだろう、
それは、何故生きていなければならないのだろう、とも問える
この生の意味は、と言う古今の問いになる
生きて何かをするために、かくまでこの世に居させられる
それが仕組みだ
では何を?
それにしても、死と死後のことがあまりに謎である
と、書いたが本当はかなり真実がわかっていて、知られていないだけなのか
知らされていないだけなのか、
恐ろしすぎるから、それとも楽しすぎるから、
楽しすぎてもISの若者のように、260人の処女を得ようと死に急ぐのだろう

(また変なところにさ迷い込んでしまった!
世界中の知恵者、天才たちをせっついて、私向けの答えの候補の手応えを感じてはいるが、
とても自分になど表現できない)

さて元に戻って、テーマだけがおぼろにつながっている。
昨日のこと。
母は変わらず薄眼を開けることもできない。目を閉じたままで瞬きをする。
呼吸のたびに胸が不自然に大きく動くような気がする。またいわゆる無呼吸が頻発している。
目覚めると、口をなんとかして欲しいらしく声を出す。
横に寝かせると少しは楽なようだ。

口内の不愉快と痛みを紛らわすために、また歌を歌うことにした。

>待ちわびし雨落ち始め「ふうるふる」と城ケ島の歌こころより出づ


城ヶ島の雨を歌おうとしたが難しすぎたので、雨降り母さん?に取り替えた。好きな歌で、孫に歌ってやったこともある。
しかし、
次はなんと「雨降りお月さん」が登場した。これまた何十年ぶりであろうか。
思いもかけず出逢った。

雨降りお月さん 雲の蔭
お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
ひとりで傘(からかさ) さしてゆく
傘(からかさ)ないときゃ 誰とゆく
シャラシャラ シャンシャン 鈴付けた
お馬にゆられて 濡れてゆく

一人でどうしてお嫁に行くのか、おかしな話である。
待てよ、これは母のことではないか?

終戦まであと一年半と言う頃(其の頃、それを知る由もなく)縁があって結婚ということになったが、花婿が急に帰国できなくなり、母は一人で嫁入りした。その時の文金高島田の写真がある。一人で立っている。ぼんやりした瞳だ。

歌いながら、その時の気持ちを思い、またそれからの時の流れを考え、目の前のやせ衰えたすがたをみて、つい泣けてきた。悲しいということではなく、人の運命への感動、慈愛とでも言おうか。
母は寝入ったしまっていたけれど、私の声が震えているのを聞いていたかもしれない。

母がまだ息をしているこの世の時間、柔らかい額の皮膚はまだ暖かい。


2017年8月13日 三題 七月三日の九十五歳の誕生日を超え、八月となり、4日となり

(1)
医師の予想を裏切って、母が七月を持ちこした頃、今更のようにわかったことがあった。

そもそもの発端は、敬愛する父の誕生日(何年生まれかは関係なく、月と日)が大切な長男の死の日となったこと。生死に意味を見つけたくて、この二人が時空を超えた生まれ変わりであるということにした。

偶然か運命か、議論は別れるだろうけれども、
その前から目の前に見せつけられていたのに、やっとその後わかったこと。
父の死の日が三男の誕生日である、ほぼ。誰が先とは言えないが、とりあえずは長男から父、そして三男という円環ができつつある。

その後、頼りの弟が亡くなり、その日がなんと夫の誕生日となってしまった。この二人は意外にもつながっていたのらしい。

そこで、母のうとうとする時間が増えてきたとき、やっと気づいたことがある。次男の誕生日が来週である。そこが重なり、二人の立場がつながっているのではないかと。
それは嬉しいことであったので、凄いなあと天を仰いだ。
(もし重ならなくても、ほとんど同じだ、と付け加えたのだけれども)


(2)
母がうとうとしながらも、口の中や右脚を痛がって顔をしかめている。
私はそのひたいを撫でながら、「もうすぐもうすぐよ、楽になるからねー安心して、もうすぐよ」と魔法をかけた。
この時は、昏睡状態になるということを考えていた。
八月三日木曜日のことである。

その夜、穏やかな顔になって目を開けなくなった。
翌日八月四日 午前も午後も変わりなく、楽になっていた。ただ呼吸が胸を大きく動かして、空気を求める、かのようだった。
六年前の弟の昏睡状態の時の呼吸に似ている。

看護師が血圧が取れない、と言った。空気が肺に入って行ってないと。下顎呼吸とか。

「では昏睡ということですね」と私。「危篤状態よ、おばさん」と姪が応じた。

私はまた、ひたいの暖かさを確かめるように撫でながら、「もうすぐ、もうすぐ楽になるからねー」と囁いた。その時は、母がそのやせ衰えた肉体を去って自由になることを意味していたと思う。

一人なら、残っていたのだろうが、その日は夫がどうしても見舞いに行くと言うので、仕方なく彼の運転で訪問していたのであった。
それは最悪な運転だった。ほとんど追突事故になりかけ、2回追突されそうになった、こちらのミスで。

私はこの夫を家に置いておくために、仕方なく帰途につこうとした。そしてつい、こんなことを母に頼んだ。
暖かいひたいに私のおでこをくっつけてそれを感じながら。「お母さん、無事に帰れるように護っててね」 
死のうとしている人にそんなことを頼む始末だった。

無事だった。降り口を間違えて遠回りしたが帰り着いた。

「無事だった?」と姪が電話してきた。「今からまたこちらに来る?」「また2時間かかるから、ちょっとわからないよ。また何か起こったら別だけど」母の施設まで電車で2時間かかるのだ。

一時間ほど後、夜七時十五分頃だったか。もう息がないと電話がきた。姪と義妹が髪をとかしたりしている時、顔が軽く動いたそうだ、そのままもう息をしなかったという。
その後医師が来て死亡診断書に老衰と書いた。彼はその夜あちこちで臨終を告げて回っていたらしい。

帰途の道中を護ってもらった、ということになった。少し日がずれたが、母の死の日と次男の誕生日がほぼ関連づけられた、二人とも芸術家肌である。納得納得。
そんなこんなの気持ちを、考えているうちはそうでもないが、言葉にして声を出すと途端に嗚咽になる、これはどういうことだろう。

とりあえず、さあ、死は来た、安らかな死を迎えてしまった。今晩は、どの本を読めばいいのだろう、何を、、、と頭の中が妙に寂しい、空っぽだった。


(3)
母の遺体はすでに葬儀屋の一室に安置され、これから、細かい打ち合わせに出かけようとしていた。
朝、バス停で、スイカを出そうとしたところバッグから鍵がすべり出た。そして落ちた。そしてそこには溝の穴が開いていた。お気にりの絹の飾り紐がスルスルと消えて行った。

これはまずい。家に入れない、夫は電話に出ない、玄関にも出ない。寝室の窓をノックするしかない。しかし、時間がない。えい、ままよ、このまま出かけよう。穴の位置を確かめる。大雨が降らなければそのままだろう。なんとか対処するぞ。

しかし、かなりのストレスだった。葬儀屋での話し合いに問題はなかったが、帰ってからのことを思うとク~~という感じだった。

道具があるか、それが問題だ。溝の蓋はビクともしない、棒2本で挟もうとしたが無論無理であった。汗を流しながらバス道で道路にうづくまってゴソゴソしている。
結局、夫が玄関を内側から開けてくれ、私が磁石が要る、というと、冷蔵庫に大きなのがくっつけてある、と言う。それに工夫して紐をつけ、さて、出陣だ。

穴にぶら下げ、地面で寝かしてから動かす、しばらくの試みののち、なんと鍵が磁石にくっついて上がって来た。その時の達成感。この大事な五色の絹の糸よ。組紐の飾りがとりわけ美しかった。

これから何をするのだろう。次は夫を見送る仕事なのだろうか。これはいかにも難儀そうだ。
それからおそらく、自分の死に方。



~~真夏に真冬の歌を  手持ち無沙汰のあまり?~~
即詠:
母逝きてなほもお喋り続くらし笑顔楽しも同じ屋に居て

大盛りの高砂百合に大き桃を 母の空腹せめて満たさむ


片方の手が暇になったところで
短歌をまとめてみました。

それにしても、ふと感じたのは
あちらの人は、実は残された人のこと余り考えていない
のではないか
ということ。
何かで結構忙しい?
こんなこと初めて考えた。


今年二月の歌です。ざっとでも読んでいただけるとありがたいです。



  「平成二十九年 立春」

蝋梅の蕾の辛抱ここまでと黄色深めて立春となる

美しき何かの記憶沈み居て甕の冬水澄みて動かず

如月は憧れゆかなむ白銀も白梅もよし見知らぬ鳥も

春立ちて水青むとぞ 輝ける季語はつかにも心騒がす



   「河津桜にメジロまつわる」 
 
桃色の河津さくらに草緑 メジロの群の歌のささめき

いにしへの音「越天楽」聴衆にこだま届きてとよもすため息(オカリナの演奏会の記憶 雅楽えてんらく)

放下してテレビの笑ひに身を任す仕事にあらねど我が勤め終え

テレビとふ平面に浮きつ消えつする死の相あまたドラマにニュースに

迫真の刑事物見て生と死の意味をも思ふリラックスしつつ

「ワクワクとして死にたし」とさんまさん ただの笑はせ上手にあらず(以上テレビ好きの私です)



   「春一番」

西風によろめかされて信号を渡ればそこに蝋梅の風

春一番二日続きて黄水仙なぶられゐるをおろおろ見詰む

コンビニは昔の八百屋と「お使いに」ゆく道の辺に春の花色

三寒に戻れば毛糸帽子とし四温の日差しはツバありに行く



   「ヒッグス粒子のさらに先」

この宇宙一か八かの境なるとヒッグス発見 課題またぞろ

生の意味あるやなしやと願ひきてヒッグス粒子の裁定くださる(この物質世界の存立はあまりに絶妙、あまりに際どいところで可能になっている、らしい。らしいです。)

求め求めたどり着きたる尾根道のあまりに狭き誰が選択

待てよ こは物の理のみの計算にて真空の気は考慮に入れず

ふた開けてネコの生死を決めるもの尊き意味あれ我らが願ひ

一粒をタネとして置きなほ五粒 在るとも無きとも神の劇場

ヒトたちは神の息吹を吐きながら思ひ思ひに舞台を通る

忘れつぽい我らに神のGPS取り付けあればいつも見つかる(ここらへんの歌は私の勝手気ままな思いです。)


ではお仕舞にいたします。

2017年9月25日 ま、いいか~~

昨夜、必要に迫られて自筆で歌を15首清書した。亜脱臼と言われている右親指の付け根に違和感があったが、我慢して書いた。

夜は痛くて眠れない。湿布を貼ったら普通はなくなるはずの痛みが底意地悪い感じで続く。
ま、これは何てことない。

やや問題は、母の逝去の後眠れなくなったことである。あれこれ試しても、4時間くらいがせいぜいで、昼間二回は死ぬほど眠たくなる。しかし苦しいだけで眠れるわけではない。
そうだな~ 夕方ウオーキングしてみるか。コンビニに買い物がてら、はやりのインターヴァル歩行で。
短いスパンで速足をやめると、その度に体が回復を図るので、その回数が増えて効率がいいらしい。
ま、とはいえ、これを実行できるかどうか。

3ヶ月休眠の後、太極拳練習を始めたところ、もう二回続けて誰もこない。一人ぽっちである。みんなだれてしまったか、他の用事を入れたのだろう。
仕方ないので、一人で自撮りをやってみた。ただスマホカメラの守備範囲の中にとどまらなくてはならないので、普通は5、6メートル必要な型演武を3メートル四方のところに収めなければならない。

ミズスマシのように、くるくる回れるように足の方向を変えて結構うまくできた。
おかしかったのは、もう動き始めたのに、右手首のシップに気づいて、動きながらひっぺがし、放り投げたり、あるいは2度目になってやっと電気をつけようと思いつき、あたりをうろうろし、戻ってきて一人でうなづいたりして、緊張感が全くないことである。
ま、それも楽しかった。

そうそう、練習の甲斐あり、また腰痛を克服できて、姿勢はいいとしても、丸見えの二の腕のいかにもおばあさんというたるみには参った。やれやれ。
ま、それも許そう。

この間に母の忌明けを受けて、やっとこれでダンナを帰省の旅へ連れて行けることになった。ところが、折もおり、ミュンヘンではビール祭りとなり、ホテルはとんでもない値段なので、十月半ばまで待つことになった。
しかし、それではもう寒すぎる。確かに。
冬の服がない、という理由でなんとダンナが今年は行かないと言い出した。
確かに、向こうの情勢は危うい。
(今は日本も危ういのだが。ホーキング博士が人類はあと100年で死にたえるとか言った。予想を10分の一に縮めたらしい)
ま、敵(!)がそういうならそれもいい。


姪から久しぶりに電話あり。母の介護認定がいまになって決まったとか。最も高い5をもらえると誰も予定していたのに、4だった。
あの状態よりひどい5ってどんなものか??
ともかく、その見込み違いのせいで医療保険も介護保険も許容範囲を超えて使ってしまったらしく、計算がややこしいことになってケアマネジャーさん、大困惑らしい。
ま、これもこちらはどうしようもないことである。


さて悪口ではない、と断って。。。。

うちのダンナだけど、自分で人並みにできることと言ったら、トイレくらいなのに、どうしてそうなるか不明だけれども、小用では便器の外に散らばしてしまい、あるいは水を流すとそれが溢れ出して水浸しになる。
もちろんその度に私は大いに喚き散らすのだが。

しかしその結果、トイレの神様の歌ではないが、私も相当美人になっていることと思われる!!

おまけに、こんなこともあらんとでも言う計らいだったのか、お隣のMrs. Kから新聞紙を毎日届けてもらっているではないか。
トイレ掃除の第一段階に必要な新聞紙の符号はぴったりと合っているのだ! これなくしては私は気が狂っていただろう。
夫の、こんな姿に惑わされないよう私の修行は着々と進んでいるのだ。
ま、そういうわけでありがたい。


一昨日、ローソンでコピー機を使った。短歌をできるだけ変な風に作って、認知症的歌風30首「十円の足らず」を投稿用にプリントさせんとしたのである。

よく忘れたりするので、しっかり原稿を手から離さず、機械にも置き忘れのないよう、注意万全、よしうまくやった、と元気に次の買い物へと移ったのであった。

ダンナの好きな赤烏帽子、ではないが、フルーツヨーグルトを集中して見ていると、「あの~」と店員がそこに来ている。
「これをコピーされたでしょうか」と一枚の紙。私の身上書ではないか。原稿に付けるためのもの。
「え、まだ忘れてた?」と独りごつ。
「いえ、落とされたようで」

私の指にはもう感覚神経が少ないらしい。よくある。十円玉と百円玉の見分けもつかないし。
ま、お手上げだ、仕方ない。


さて、このように種々「ま、いいか」を繰り返す日常であるが、最後に友人に起こった話を。

彼女はまだまだ、かなり気の利いた頼りになる老女である。銀行で、10万円を下ろし、それをさらに数万円ずつ2箇所に振り込んだりをうまく済ませた。
間違いが起こらないよう、お金をしっかり意識して動かした。

買い物などして帰宅、カバンを見るとなんとなくお金が少ないのに気づいた。電話でお店に尋ねたりする。

間も無く電話があった。彼女の銀行からである。お金が無くなっていないかと尋ねられた。確かにそうなのだが、この質問はなんなんだ??

説明があった。落し物として届けられたので(謝礼はいらないですから、と断られた上で!)、当該のATM付近の監視カメラを当該の時間、ずっと観察したのだという。(まるでドラマみたいなことが起こったのだ)

すると、浮かんだのがこの友人の姿である。多分口座番号も同時にわかるのだろう。名前も電話もわかる。
そして電話されたのであった。
ただ、無くした金額は向こうからは言ってくれなくて、いくらですか?と尋ねられた。幸い、友人はもう計算していたので、
「2万円ちょ、、」と言うと、
「そうですよねえ、2万円ですよねえ!」
と相手も大喜びで言った。もう口座に戻してあるので心配なきようと。

友人は、ちょっとしたお菓子を持って銀行まで出かけた。
この心がけが良いのだろう、私には真似できないかもしれない。
つまり、カウンターで訳を告げ、当時の担当者を尋ねるとお待ちください、たぶん副支店長ですから、と待たされた。
どんなハゲ親父が(とまで友人は言わなかったが、近いことを想像していたかも)出てくるかと思いきや、
「それがね、すごい美人だったの!」
と彼女は遠い目をして感激を思い出している様子。
「女性?」
「そう、テレビに出るような人など足元にも及ばないような超美人だったの! もうぽけーっと見つめていただけ」
幸せそうな彼女に
「男性でなくてよかったわねー」
「そうそう、大変なことになるところだった!」
と、老女二人大口を開けてカラカラと笑い合ったのであった。

おまけ付きの話であるが、
言わんとしたことは、この友人の指にも触覚神経の摩滅があったということ。
しっかり握っていたものが滑り落ちてしまい、その感覚、その音にも気づかない。

ま、いいか、仲間もいるし。


2017年10月23日 人を待たせる

さて、どうなりますやら。

可笑しいことが溜まってきたので発散いたしましょう。

可愛い嫁の藍ちゃんの
緑の黒髪につけて欲しいと思って
誕生日祝いに
多分パレッタ、というものを買いにそごうへ一路。

滅多にない余所行きというので
とろとろの生地のジャガー柄のワンピースに
寒いので足首までもあるロングコートに
中国製の植物繊維で編んだ帽子
いざ。

7階のロフト近くにはたくさんのATMが並んで
おりまして
何と辺りにはひとっこひとりいないので
ゆうちょのコーナーでのんびり、
安心しきって
間違いなんかも犯しながら
焦らず慌てず手続きすること
多分十五分?

もしもし、と声がかかる。まだですか
はっと見返ると、どうしたことか、10人くらいの行列が!! どこから急に湧いてきたものかと信じられない。
たくさんの顔がじっとこちらを見つめている。

ばあさんらしい行動をしてしまった。
呆然として薄ら笑いしながら逃げていこう。

参った。

相変わらずうすら寒い日が続き
起きるや、いきなりくしゃみに襲われた。
全く抵抗できない、突発的なもの。2回のみだったのに

背中全体がカチカチになり痛むではないか??
ありえない。
しかし、母も庭に立っていて背骨の疲労骨折を起こしたし、くしゃみでもありうるらしい。

なので近くの整形外科でレントゲンを撮ってもらおうと
出発。
この時の服装も、わざとシワシワにした素材のワンピースに、懲りずに例のロングコートであった。(服装はただ付け足しの情報、誰も興味などないだろうが、私以外)

待ち時間が永遠に続きそうなので、ありがちな行動をとる。トイレ。
とても美しく、高級なウォシュレットなので使うに如かずとばかり。

シックな照明の入り口のドアを押すと、だ~れも居ない。待合室はいっぱいなのにしめしめと、ゆったり気分になって二つある個室の一つへ。

全く焦らず、用を足して、水を噴出させうまくいった気分でいると、どうしてこれを止める?と言う大疑問が!!

壁につけてある四角いプレートの、右上にお尻の絵、右下に女性の絵、左下には??認識不可。 
自宅では、お尻と女性と止めるが一列に並んでいる。
間違いようがない。
しかし、ここでは一片20cmもあるプレートのどこを押すと止まるのかわからなくなった。

同じところをもう一度押してみる
ブルブルするのみ。
また押してそれを抑える。
立つわけにいかない、困った。

数分して、あ、左上に止まると書いてあった。
こんなところを押すんだ。く~~っ

やっと出てきた。
目の前、またもやたくさんの人の顔に出迎えられた。
またもやわやわやと湧いて出てきたらしい。
どの顔もイライラしている、当たり前だなあ

コソコソと、薄ら笑いを浮かべて、すんませんと小声で。


いずれの日も、その後ずっと恥ずかしかった。
今日、小さな郵便局では、絶えず後ろを振り返り、気配に耳を尖らせていたのは勿論である。

(なお、背中は単に筋肉痛だろうと言われた。
腰椎の方が痛みはないひどい状態らしい)


~~涙腺問題?~~
今年3月18日の日記に、
ドイツの唱歌「仮題 神は無数の星の一つも見逃さず」に感涙を禁じ得なかった私の体験を記している。

♪夜空いっぱい、星はいくつあるだろ 大空ゆく雲も数限りない
そのひとつも忘れず そのひとつも逃さず 数えてくれる 神は数える

♪陽を浴び飛びまわる たくさんの羽虫 涼しい川の中 たくさんの小鮒
呼んでいのち与えた 楽しく生きよと 神は名を呼んだ

♪朝は早く目覚め 昼は楽しく わずらいもなくその日
過ごす子供たち 
神様のお気に入り かけがえのない神の愛し子

**
それから半年が過ぎ、10月1日に、 
NHK「人体 神秘の臓器ネットワーク」腎臓編を
見ることとなった。

脳神経細胞のネットワークにより、
情報と司令とフィードバックというやりとりの網の目が
全身をコントロールして、
あたかもロボットででもあるかのように
我々は動いて感じて認識している。

そう理解していた私だったが、最近の知見によるとそう簡単な仕組みではない。

また再放送があるだろうので、詳しくは是非見ていただきたいのだが、

とりあえず私の理解したところでは、、、

どこから、あるいはどこまで脳神経が関わっているかはわからないが、
臓器それぞれが情報交換をしていて、
需要と供給の協力関係を構築していることが、
技術の進歩により、
特に今回はミクロの世界をじかに顕微鏡下でその動きを見ることができるようになったことにより、
この事実が明らかになったのである。

需要と供給、という単純なやりとりではなく、
たんぱく質や分子など身体保持のために重要な
ミクロの物質の過不足がまず知らされる、

例えば腎臓に向けて心臓から
「苦しい~ 力が足らない」と通信が来る。

腎臓はすぐさま血液から水分を濾過して尿を多く作り排出する、
すると心臓は動かすべき血液量が減るので、一息つけるのである。

あるいは、このとても複雑な器官は
(ところで日本人にはこの0、3ミリほどの濾過部分・糸球体の数が少ない人の割合が高いそうだ)
何かが足らないと聞くと、

濾過した血液
(まだ尿ではない、栄養分がたくさんあるので回収するために日に15リットルも通過させチェックする)
を回収する経路にある小さな弁を
開いたり閉じたりして、
分子?の量を適量に加減して、
血流にのせ当該の臓器に送り届けるのである。


これは実にいい加減な記述ではあるが、
一段一段と小さな過程を、
まるで自動制御のように正しい方向へ積み重ねていって、
我々というバカでかい組織が日常的に、
アホなことをして体を壊していくのを
補強してくれているのである。

絶え間なく、全力で、壊れるまで頑張ってくれて
この命が永らえているのである!!

私の中に感慨が湧いた。
無償の愛を感じた。ここまでの知恵の限りを尽くしてのこの体を維持してくれる深い愛情を感じた。

こんなにもこの体は守られて大切に思われ、育まれ、護られ、愛されているのだ。

この限りない智慧を注いで何も言わない仕組み、これを愛と呼ばずに、いわゆる神と呼ばずになんと言えばいいのだろう。

そう感じられて、私は号泣した、ありがたくて嬉しくて尊くてたまらなかった。
ここにその証拠がある。
人間はついにその意図の証拠を発見することができたのだ。

>無限にして無償の愛の為す技と人体の妙テレビに嗚咽す

>わがうちぞ 指に触れゐるこの身こそかの存在の愛の手の中

>わが命守らんとてぞ精妙の絶妙の知恵を愛が動かす

>惜しむらく人の営為は無残なれ ついについにぞここに至れり

**
幼い時、父に叱られるのは結構好きだった。コラと言われるとケラケラ笑った。本式に叱られるとポロポロ涙が流れたが、それは悲しかったからではなく、父の言葉に感動して心が震えるからだった。
(ちなみにこれと正反対の怒り方は、行為のみならず人格を貶め、理解しようという気はなく、逃げ場がなくなるまでやめない。たとえこちらに直接の非があろうとも、その遠因はあなたでしょう、という深い恨みのみが残る)

どう見ても、論旨がめちゃくちゃではあるが、、、

**
ともかく。
この番組を見て以来、意識するようになった。
こんな人に私はなりたい。
私の祈り(この言葉には問題があるがとりあえず)によって私の赴くところ、
電車の中であれ、そごうであれ整形外科であれ(笑)、
行くところを天国にしてしまおう。
何も特別なことをしなくてもいい、
この意識によって天国が生じるのだ。


これは、精神病院ものかもしれない、多幸症という病もあるので、あまりにもおかしいのは確かだろう。

誰に迷惑がかかるわけでもないので、そうさせていただこう。
愛と知恵と天国以外に存在するものはない。
地獄の幻を見ているのだと。

**
そうだ、なぜ父の話が割り込んできたか。

昨日テレビでディズニー映画「邦題 人生、サイコー」を見た。

奇想天外な設定で、見る人によっては、チンギスハンを手本にした男性の夢だ、と思われるかもしれない。

600回以上も精子提供行為をして男がいる。

もちろん秘密保持契約をし、かつ、自分は大した人物ではないので使おうという人もいないだろうと思って、つまりはそれの報酬を生活の足しにしていたというのである。

二十年ほど経って、父親(仮名スターバックで提供)を識りたいという若者の訴えがあった。
その数500人以上!!

病院側が秘密を半ば漏らしたのである(最近はこんな例が多く、父親の特定が許されることもあるとか)。

偶然その訴え出た若者たちのファイルが手に入ると、
その五百人以上の子沢山の父親は、
一人一人、こっそり近づいて助言したり、知り合いになったりして、
挙句に彼らの作る「スターバックを探す会」に自分も入会、ともに楽しい時を過ごす。

中には貧しかったり、芽が出なかったり、小児麻痺だったり、
愛されるべき人物ではあるが無能な人間である彼には手に余るようになった。

そう、彼はこの子供達の守護天使になることを自分に誓ったのだ、間違いばかりしてきたが、今こそ唯一、人生で正しい選択をしようと。

最後には自分がスターバックであり彼らの生物学的父であると告白した。偶然同時に、初めて性行為により子供を得ることもできた。


やはり涙腺が脆くなっただけかもしれない、
ともかく私の目からまた涙が溢れた、
これは父なる「神」の心と同じではないか!?

地上のすべての生物と人間をもなべて愛してくれ、
我々はひたすらに愛を注がれている!!
そう思って感涙したのであった。

愛の神、その存在という確信を得るのは簡単でもある。
それを感受する脳の機構もある。

問題は、この現在の現実をどう解釈するか。
神は問題を解決しない、自然と生物に任せている。
そこにどんな仕組みを考えればいいか。

重要な点は、人間の自由意志である。
特に人間は独立自由決定ができなくては神の子とは言えない。

人間がこの世を地獄ではなく、天国にするのだ。
そうするには、何が欠けている? 
何が邪魔している?

**
そうそう、もう一つ、
とは言え、ここに書いたようなことは私という好事家のタワゴトであり、
笑って読んでくださるといいのですが。

これから、神学というより、哲学を学ぶ者にしばらくなろうと思う。
そのテキストはとりあえず、ヤスパース(1883~1969)哲学入門 である。
難しい。しかし幸いにも原典も読めるので咀嚼していくつもりである。


2017年11月17日 水素水浴と軍鶏に出会う

単なるこじつけとも、狂気とも思われるかもしれないが。
そんなことなら書かざるべし、となるところ、何しろこれは私の美貌、おっと、備忘録なので書く以外にない。

数日後には、すっかり忘却の彼方、かもしれない。
そうであっても世になんの差し障りもないのだけれど、せっかくこの機会が存在するのでやはり利用させてもらおうと決心して。


その1 *****
10月19日、ダンナがどうしても合気道を見学だけでもしたいと言って聞かず、私を恫喝して来た。
最近息切れが改善したので欲がでてきたのだ。

じゃあ一人で行ったら、と言うと、
「何かあった時にそばにいてくれないと困る」
「あんたは命をかけて合気道を見にいくのね」
「そうだ」
「それじゃ、せめてお願い、と言いなさい」
「お願い!!!」
と彼は怒って怒鳴った。

実は私も気にはなっていたのだ。齋藤先生が最後に会った二月前にはエネルギーが細ったみたいでヨロヨロしていたのだ。
HPも更新されていない。


あれ? 齋藤先生、見るからに元気だ。
向こうからニコニコしてやって来た。
お互いに「生きてたか」と言う無言の交感があった。

「水素水のお風呂に入ってるんでね」と話がすぐに本題に。数日前にどこかで私はその話に接していた。
来た!と言う感じだ。

宇宙で最初にできた原子である水素、小さいので普通の容器では通り抜けて出て言ってしまう。
お風呂だと体に直に入り込んでいって、
活性酸素の0-0-0にくっついて 
H-0-Hつまり水になり、
残りは酸素だ。

これまでからすの行水だった齋藤先生が、爾来お風呂が楽しみで、出るのが惜しいくらい気持ちよく、ひと月もすると、仕事が捗り、よく眠れて、みんなが顔に何か塗ったの?と尋ねるほどツヤツヤして来た。

指導の様子も、リラックスして楽しそうにしている。前のような痛々しいところがない。

私は、この世の真理と人間の行く末を知るために長生きしようと決心しているが
(何しろこの決心が遅すぎたので残り年数が少ない、しかし、この人体は実はかなり長く使えるように設計されているとか)、
水素水の理屈はかなり的を射ているように思えたのだ。

ただ、そのためにいくらお金がかかるかが問題だ。


その2 ****
二つの台風の合間に唯一、晴れた日があった。10月20日だったと思う。

珍しく散歩に出かけた。これと言った自然がない辺りなのだが、川はある。

海に近いのでもろに潮の満ち干の影響がある。
川幅は5メートルほどだろうか。
両はしの部分は浅瀬になっている。

その左右の土手が人工の緑地になっていて、まずは椿とどんぐり関係の?木々が茂っている。

影の多い薄暗い公園は、小さなどんぐり(椎の実?)がびっしり散り敷かれている。

うっかりするとそのコロコロの車輪に乗ってしまい、バランスを崩しそうだ。時々お年寄りが犬を散歩させているだけ。椿の実を一応拾っておく。

平成通りという大きな道にぶつかるので、そこを横切るとまた川が続いていく。

そのあたりは桜並木で、春には人出が多いのだが、まだ紅葉も始まってはいないので、だ~~れもいなかった。

草の中に亀の甲羅があった。ちょっとのぞいたが生きてる気配がなかった。

さらに川の方へ、理由もなく近づいた時、バタバタと羽の音がしてその先の川の浅瀬に着水したものがある。

川までは急な傾斜でなんとなく濡れており、その先には川を距つ金網があり、木や草が茂っている。私はてっきり鷺かと思い、その姿を予想して見つめた。

白い、でかい、威厳がある、首が短い、顔が赤い、嘴が小さい、歩き方がニワトリだ。大きな尾羽がふさふさしている。
ニワトリのように見えた。しかし、飛んで来たのだ。水に入った。何かをついばんでいる、つがい。

わけがわからない、おまけに色々なものに邪魔されてよく見分けられない。どう見てもニワトリ系ではあるが。

しばらくビデオに撮って、帰りかけた。

すると亀がいない。あれは生きていたらしい。

帰ってから検索すると、何の事は無い、しゃも(軍鶏、闘鶏)であったらしい。野生なのだろう。


その3 *****
カール ヤスパースの著述選集をふうふう言いながら読んでいた。これはいかん、と思って彼についての伝記を並行して読む。
私の結論!(笑) 
彼は実存的有神論的哲学者である(キルケゴール、スピノザの系列)。この手の無神論者がサルトルなど。

そのうち、いわゆる宗教的恍惚状態に関する情報がもたらされて、話には聞くが、と、もちろん興味を惹かれ、W. ジェイムズ「宗教体験の諸相」上下を手にいれた。
いずれの本もアマゾンで安く手に入るありがたさ。

今読んでいるところでは、宗教には、というか信仰には、楽観的なものと悲観的なものとがあるそうだ、そこまで進んで来た。
いわゆる全能者に100%委ねるお調子者か、原罪(不完全な人間)という蟻地獄と救いとの間で矛盾に沈む者。

で、その分厚い本を読みながら、何気なく次のページをめくった時、左側に「軍鶏」という字が目に飛び込んで来た。

指はさらに次をめくっていたが、何かあったぞ!!と思って振り返ったのだ。
(ヴォルテールの「無関心主義」の熱狂を「年とった軍鶏のようなたくましい精神」と形容している箇所であった。ちなみに、次のような言い回しも引用されていて面白い「あの学生は神の存在しないことを信じて、それを崇拝している」)

この調子では、「亀」という文字が見つかるかも!!(笑)


こんなことで、神経をピリピリさせているのも確かにおかしい。想定外の成り行きに出くわす、と思う。シンクロニシティかと。

今日はここまで。
笑止千万ということでよろしくお許しくださいませ。
ご笑覧ありがとうございました。


2017年11月17日 小江戸、川越に遊ぶ

空の上半分がまだ青く、下部はバラ色の晴れた夕空である。下弦の半月はおそらく深夜まで登場しないのだろう。

*前回の記述以後のまとめ。

この10日間、亀とはどこでもすれ違わなかった。
水素水浴の計画はまだ実行できていない。

心理学的神学的哲学者カール ヤスパースについての本を読み終え、次に読む次第となった宗教体験の本を読んでいる。
が、なんとなく気力が上がらなくてスピードがない。

それもそのはず、顎や脚や手の甲や、かぶれたように発疹ができて痒い。

塗り薬の痛み止め、液体の痛み止め(いずれも関節用)、液体のかゆみ止め(ムヒ)の3種類を勘違いして使った(我ながら呆れた!)ことで、悪化したのかもしれない。

あるいはダニも一役買っているかもしれない。


肝心なこと:頭を悩ましているのは、あの::の呼び名のことである。

どう考えても、私の想像可能性の規模をはるかに超えた、
定義不可能な存在(こう書くとすでに人格がくっついてきそうになる)に
何と呼びかけたらいい?

そんな名称が存在しない、無理だ。
在りて在るもの
叡智
万有
神様(勿論、しかし、この記号はとてもじゃないが手垢にまみれている)とか。

呼びかけられないと瞑想もうまくできない感じがする。

おまけに、現実にも囚われていて、これから先のことを考えるとどうもまずい状態なのだ。

しかも、もっとまずいことには
11月7日の朝、目覚めた時に事態のまずさがわかった。

自分の悪行で大切な人たちを苦しめたことが馬鹿にはっきり理解できた、できれば無視していたかったことが。
ぞっとするほど、つくづくとわかった。

>許さるるなきわが業と思ひ知るいかでか知らねけふとふ刻に
>惨めなる死にざまならむその筈とこの身に敢えて悲痛をねがふ

*その日の夕刻、その昔のママ友のハナ子さんが、ドイツから日本に帰省していてLINEをよこしてくれた。

明治神宮の銀杏並木が綺麗そうなので3人で行こうと誘われる。夫は渋々ながら心づもりしていたが、ついにやはり諦めてくれたので(!)、二人で少し遠出ができそうになった。

川越、ということになり、イザ小江戸の雰囲気をと、新宿から埼京線に初めて乗り、初めて埼玉県に足を踏み入れた。

旧市街、といった感じの通りで、まず、最初の豆の店であまりに甘さが素晴らしくて、脳がいかにも喜んでしまい、早速買ってしまった。

ハナ子さんとは、
あの(生真面目な)ドイツ人が今や、日本の漫画やコスプレやキティちゃんを受け入れるなんて、考えられないことが起こっているのよねーなどと話しながら、
例に漏れず私もキティちゃんの茶道ストラップを買ってしまう。

ひたすらうろうろしているうちに、早も日暮れが近くなり、道の最後の店に入った。

もうそろそろ店を閉めるとお内儀さんが言う。

ダンナに何か、武道的なものを探していた(半分は機嫌を取ろうとして)が、最後の最後の瞬間にやっとそこで見つけた。

名前の字のストラップコレクションなのだが、たくさんの中から、探しているうちに、最後に見つけた。

「魂」それに、「空」の二文字を。

アルミ箔に字の形がくっきりと型抜きしてあり、打ち出された字もぶら下がるように仕組まれている。
これ!と一気に決まった。

*帰りの電車内で、二人とも問題解決の糸口をなんとか見つけたく、細々と喋っていた。

問題とは、老後どこに住むか、と言うことだ。
彼女は離婚して息子と二人暮らしだが、要するに私も彼女も日本とドイツに心が引き裂かれていて、困っている。

出身地の田舎だと家を建てることのできる彼女は、しかし都会が好きなので東京で借りたい。

「でもさあ、こんな風に1、2ヶ月自由に旅行して回れる人には日本に住まいはいらないんじゃない?」
と私。
「半年半年で過ごしたいのよ」とハナ子さんが続けて「そうすると根拠地が欲しいわけで」と言う。

「私も行ったり来たりが理想だけど」と私が言うと、いきなり彼女にアイデアが降りてきた。

そうは思ってもなかなかそこまではっきり言うことができたのは、やはりパワーのひと押しがあったのだ。

「わかった、私たちで住まいを半々で住むことにしましょうよ」
「そうね、交代で住む、いい考えだわ(やったー)」

と言うわけで、意見が一致した。その時池袋に着いた、別れの刻であった。
ハナ子さんはここで降りるのだ、その一瞬前に決定した。

窓の外で手を振る姿が見えた。この瞬間に決まったなんて、、、と流石にあっけにとられた。
そんな住み方を実は想像していた。
切り出すことはそうそう簡単でない話題である。
ともかく希望は伝え合うことができた。

*結局、かなりおかんむりであったダンナとまた無事に会い、ストラップを差し出した。

しかし翌朝、使うところがないから要らないと返してきた。
それを契機に、ケンカなどせず、物理、心理、真理などの話となり、並行宇宙に住む夫婦ということになり、魂と空の二文字はまた受け取ってくれた。有り難かった。

>「魂」と「空」の二文字川越の道の終わりの店に贖(あがな)ふ


2017年12月13日 タイトルを考え忘れた、、、急に寒くなるらしい

11月半ばに、川越に遊んだ時から、ひと月経ってしまった。
近いところで憶い出すままに。

昨日12月11日月曜日。
南風しきり、いつもより3度は気温が高い。
翌日には寒くなる季節のチェンジ。

十年、温かく見守ってもらった歌の師匠に感謝の一端でもお届けしなくてはと焦ってはいたが、
さてどうしたらいいものかとここしばらく案件として抱いていた。
(なぜなら、自分の歌の下手さ加減に嫌気がさして、衝動的に退会してしまったものの、師匠はじめ、歌会のみんなに非常なショックを与えてしまうことになり、後味の悪さがあったのだ)

するとついにきた。
私の愛すべきアッシーさんが、
「ひょっと思いついたので本日、お寺さんに海苔をお歳暮に送ることにした」と言う。
新海苔がもう出ていて、彼女が長年働いていた海苔屋さんなので、すべて心得ている。

これを好機と受け取らずして何としよう? 然り。
一件楽・落着のこと。

ところで同じ日の朝のこと、起きてみたら、

(起きる前にもう、家中に散らかっているゴミを集めて、早くにゴミ出しするのにほとほと疲れた、と言う感じがして、「何の楽しみもないなあ」と暖かい羽毛布団から出たのだが、、、)

廊下に大きな満杯のゴミ袋がくくって準備してあるではないか。
誰がした?
「敵」しかいないではないか。
本当に? 
ペーパーゴミ製造機(潔癖症ゆえに)、かつ粗大ゴミ(謂れは略)である仇敵が?

最近、親指の関節炎をアピールしていた私の作戦がかくも成功するとはね!

すると、不意にこの「頼りになる存在」が同志のようで頼もしく、あてにできるのが嬉しくなった。
そうか、私はそんな同居人が欲しかったのだ、この感じが。


さて、少し遡り********
11月は、おおよそ「宗教的体験の様相」上下巻を読んでいたらしい(驚くほど記憶が失われる! ほとんど読む甲斐なし!)。神秘的体験の研究書、ただし19世紀。
人間の脳の不思議といおうか、「聖徳」なのか不明。

ただ、11月22日に
下巻の20章に「神の信義」という字を見た。見た途端に感極まった。初めて見た言葉なのに??
おかしなことだが、いわゆる神の本質をこの言葉に見ることができると確信した。
(人間はあてにならない、しかし神の約束は絶対だ。他力本願の核心に触れたような気がした。この定義と概念をもって、その仕組みを神と仮に呼ぶ我々であること)

*12月の満月の日、3日に
Mrs. K に連れられて何となく図書館へ、目の前の書棚(ジャンルをはみ出た部類の場所)をザーッとみていく。

ん? 「生命とは何ぞや」と言う厚い本がある。ベタなタイトル。宇宙超出学??? 
とりあえず「現代諸科学の検証を通して生命の体系的構造を明らかにする」と言う意図の本らしい。

借りてから、ちょっと読み出して、あ、こりゃダメだ、と投げ出した。
我慢してさらに少し読み、あ、すごい人だな、と思い直した。
が、あまり読まない。

身過ぎ世過ぎのためにだらだら過ごす日々、
12月5、6、7日ごろ

テレビで見る海外ドラマのそれぞれで「変化」「意思」「理想の自分」と言うフレーズがやたらと使われているゾ、とか

8日に、昔からのHP(亡くなった長男のいわば墓碑として、十八年来の)や新しいツィッターに「信義」のこと、宣言しておく。

その翌日9日。
パソコンがストライキを起こしている!! 愕然とする。
アカウントエラーとかお知らせも来ている???

少しいじってみるが、とりあえず「自分で直しておいてね」とPCに頼んで終了。
と言うのも突然、ひらめいたのだ。

「あ、そうか、ネットで遊んでばかりいないであの本を読めってことね! はいはい、致します」

そこでひとしきり、それを、どんな誰がどうしてそんなことを延々とルルと書き続けているのかさっぱりわからないまま読む。それがある程度理解できるのは、物理や生化学の片々の知識、プラス、例の「神との対話」を読んだことの影響である。そうでなければとても意味をなさないことだろう。
この本に私にとっての意味があることは確かだが、まだよくはわからない。

「こりゃ、いずれにしろ天才の一人だ」とあちこちで感心しつつ読む。アインシュタインと物理世界の仕組みを解釈していくようなものだ。
大丈夫、私は時に涙腺がゆるくなるが、その割には冷静さを取り戻す。第一、この本には感涙するようなフレーズはないようだ。(後記、2018年12月に偶然に!この本のメモを見つけた。新しい目で読み直すとその素晴らしさがよくわかった。天才だ。)

翌朝、10日日曜日は
まだうっとおしい気分で目覚めた。
だってパソコンが壊れている。アカウントエラーなんて最悪だ。
アップルに電話かけるかなあと思いながら、開いて見ると。。。。

もちろん! 
ちゃんと自分で治している。さすがアップル。

気分良く新聞を読む。お隣から毎日もらう昨日の新聞だが。
そこに、これこそダンナが必要なもの!と言う製品が新発売されていた。
なぜかという説明は省くが、要するに椅子に座った人が、ホットカーペットを足の下から膝上までかけて、すっぽりこたつ気分になる、というシロモノである。
勇んで注文、火曜日には来るそうだ。

おまけに、その紙面には、父からの昔馴染みの生長の家の新しい本の宣伝もあった。右寄りの傾向があった教義は三代目により、変化させられたという噂だ。読んでみたいと思っていた。

もう一つ、ラッキーだったのは、例の、年寄りの冷や水で私が落として壊したオカリナのこと。
上のファの音がやはり治らない、というので何と先生が(私たち生徒平均年齢、多分七十歳を相手に娘ほどの年齢の)新しいオカリナと取り替えてくださったのである。

(が、目下のところ、それに慣れるのがやや問題で、私の親指がますます痛くなった。
もう一つやや問題なのは、補聴器のことである。右耳が難聴になっていて、検査によれば、たくさんの音が認識できなくなっている。それはもはや脳の認知機能の衰えであるそうで、できるだけ音を聞かせないとますます衰えるので、トレーニングと思って補聴器をつけるようにと、いうことになった。その補聴器というのが高価なばかりで不愉快極まりないのである)

*たらちねの母の情けは描かるる花とし今もわれに息づく

*花びらの輪郭描く細線の精確にかつ無きが如くと

*黄金のいちやう並木にまた会へり ただそれのみのけふの出来事

*日も月も同時に沈みがらんだう 霜月に増す自転公転速度 

*氷雨の夜をホームレスのごとただに耐へ 朱の玉一つ藪柑子の実


日々の些事大事、備忘録として記しました。



2018年1月25日 遅ればせながらやっとの事で?

太極拳の稽古の帰りにデニーズにふらりと入った。

公民館のそばなので中高年女性で一杯の喧騒。
お一人様の私はやおらクーポンを示して、カレーとドリンクセット100円引きを確認する。
実は目的は苺たっぷりサンデーであった。何年も食べていないサンデー。

それが運ばれてきたとき、斜めの女性がちらとこちらを見た。見られたか、と苦笑する。だって、そりゃそうでしょう、二度見するかも。

でも、この柔らかな喧騒の中で、静かにしんと自分に集中できるのが快かった。


やっとどうにかたどり着いたかな。
いや、どうだろう?


この宇宙を構成するもの(?)でその存在のうち、
普通の物質はわずか5%である。
1/3ほどは暗黒物質、残りはダークエネルギー。

私としても、この割合で構成されているのだろうから、謎の存在がこの身体のほとんどを占めているわけである。

このスケールで自分を触ると、実体があるように感じる、脳はそう感じる。

しかし細胞の次元では生体工場のように機能していてお互いに連絡網を張り巡らせている。

細胞核の次元では化学反応が主役である。

さらに超ミクロの次元では量子が奇妙な振る舞いで動いている。
初耳のことだったが、量子の次元では時空が別れてしまう、なので同時に別の場所に存在したり
、遠い場所にある存在が同じ情報を持っている
、ある時は粒でありまた波である、などの事態が生じると聞いた。
存在は単に数字であり、あるいは情報であると言う話もある。


とりあえず、ここまで科学的真実を究明してきた人類の端っこの一人として、
個人的にいわゆる「神」の存在を探求しよう、

事実何らかのやり方で存在し、影響を与え、生物の悲惨を慈愛を持って掬い上げてくれる者であるはずの「神」に、迫ってみようと思っている私、遅ればせの老女。
ないしは焦っている老女。

(寄り道、変な映画があった。「神」はとんでもない意地悪なクズ野郎で、下界を苦しめて喜んでいる。ただその息子がイエスと言い、救いを計画した、云々。
笑えた)

で、曲がりなりにも、何かに導かれるように、二年近く歩んできた。

いまだに引っかかっているのは、唯一のその存在を何と呼びかけるかと言う問題。
呼びかけれなければ話しかけられない。

ここには、自分の心がかかっている、そこには自ずとその大存在の定義と関連性と意味がかかっている。
この私でなにを達成できようはずもない。不可知のままであるとしても。


最近、導きによりある本を読んだ。

見えるものと隠れて見えないものとが存在しているこの世界。
「隠れ身(カクレミ)」が縮まって「かみ」となった。

漢字の選択にはまたそれなりの理由はあるのだろうが、ともかく「かみ」と言う発音に重大な基本的な意味が隠れていたのだと思えた。
なので「神」と呼ぶことができる。

しかし、そんじょそこらの神ではないので太いと言う字をくっつけて「太神」としよう、それでいいですね? おおみかみ。

さて、当然のことに、
私と言う存在は法則である神の法則に則って存在させられているので、神そのもの、ないしはその縮小版である。

いわば神の子であるが、大海の中の一つのしずくのようなモノではあるが、神と同質である(とてもそうは見えないとしてもそこにはそう見えない理由があるはずだ)。

この私の現在意識、潜在意識を持ってしても足らないまだ深いところに真の我が同居しているはずである。割合は知らない。

それをなんと呼ぼう。以前はハイヤーセルフ錐子さん(自分の名前)、と呼んだ事もあった。
なんだかなあ、気持ちはわかるが、とずっと一年くらい考えていたら、どこからか降ってきた。
「御身」(おんみ)

おみたま、と言ってもいいのだが、降ってきたので気に入った。御身ふじのさん、あるいはさま、と呼ぶことにした。
かなり納得できた。

ここがはっきりしなくて、瞑想にも引っかかってしまっていたんだよなあ。
そして、実際は、神様は莫大すぎるので、不可知なので、私担当の小さい聖霊?を引き合いに出すのも良いだろうと。

するとおととい、スマホのアプリに新製品が出てきた。日々の営為をメモしようと言うアイデアだ。

勿論これまでも可能性は様々あったのだが、何と無く手頃で愛らしい。
とりあえず無料の5つ分をメモし始めた。
瞑想、血圧、掃除洗濯、入浴シャンプー、そして懸案の美容院(笑)

これまではコインの表と裏のように、我と神との関係を思い描いたりもしたが、それよりも渾然一体? 要するに二人で一つ、お互いに必要不可分、不可欠、永遠にいっときも離れた事ない。

我々が一層よく全体を理解できるのは、まさに死んだ後である。そこには大きな喜びが待っている(ここが我々には重要)。

物質的生命は幻ではあるが、そこで神性を求め実現して進化を体験しつつ喜ぶための装置であるので、
悲惨や苦悩や不幸はあるように見えてもただの対称物、
とらわれてはならないものである。

全ては神のプレゼントであり、感謝して苦を通り抜けることが肝心である。
この点が、修行して悟るべきところであり、また「神には計画がある」とも言われるところである。

おおよそ苦の世界の原因は人類の不安に由来すると考えられる。
神から離れたと言う不安があり、絶対的安心を得られないので己を守ろうと足掻く。
これらはかなり組織宗教自身の蒔いた種のせいであり、改善すべき点である。

全体的に、かなりの他力本願である。

と言うのもこの現世人間の努力や修行などたかがしれたものであてにならないのに対し、神の信義は完璧である。

なのでこれを絶対的に信頼するに如かず。

つまり我々はすでにいつも永遠に天国にいる。天国在住であること。ゲームしても良いが。


2018年3月6日 地獄行きを免れようと

大海のような聖なる存在の呼び名と
近くにいる水の一雫のようなお世話係の呼び名を決めて、爾来私は落ち着いている。

しかし、私が浮かんだり沈んだりして遊んでいる海底に差し込む光の角度によってだろうか、
肉体には老化の兆しがあれやこれやと現れる。


*私の難聴と耳鳴りがひどいと聞いて、親切この上ないK夫人が評判のいい遠い耳鼻科へ連れて行ってくれた。

検査の結果、「もう何もできません。薬で治療しても無駄です。幸い、もう片方の耳は歳にしてはとてもいいのでこれで行ってください」

*朝になり目を開けると、いきなり鼻水攻撃を受けた。
負けてたまるか、とさっむい中、薬局に行くと、
風邪にあらずアレルギーの鼻水だと言われた。

これまでアレルギーはせいぜいアルコールに対してのみと思っていたのでショックを受ける。

*次の夜、いきなり口内を攻撃された。
舌先と舌裏が痛く、飲むのも喋るのも難しい。
もちろん舌癌を疑う。最悪のことを疑いやすいものだ。

それで翌日すぐに、まず総合病院的整形外科病院へ電話して、口内炎は何科であろうかと尋ねた。
受付嬢は長く待たせた後、「耳鼻科だろうということです」。

そうか、歯科でもないのか、とさっむい中を耳鼻科へ行く。
「これは痛いですね~」とお薬をもらう。

*出たついでなので、さっむい中、駅の反対側の眼科に回る、というのも格子柄の紙を使って最近「老齢黄斑変性」をテストするとひどくなっていて実際その片目だけ見にくいことが多い。

しかし、宣託は大して悪くなく、何もされずに戻される、一年ぶりの検査だった。

*間も無く節分、立春という最も寒い季節である。
懸案のオカリナ発表演奏会がその週末に迫ってきた。
まさに節分の日がそれだ。

衣装にする予定のスカートの丈が足らないので、それをあと10センチ長くすべく、さっむい中、手芸屋さんに出かけた。

夜には買ってきたレース布を仮縫いした。久しぶりにちょっと女性的な仕事だ。
手首の関節は相変わらず痛い。
次の夜黒い細い糸で細かく縫い付けた。
やった、という達成感あり、壁にかけて眺めて、演奏会への意欲を高めた。
もう怖いもの無し。
ちょっと危ないパートはあるけれども。音を低めて吹こう。
それよりもオカリナを落としたりしないこと。それが肝心だ。だいたい、落としたら粉々に割れるような楽器ってありうる?などとやや八つ当たり的に頭が動いたりする。

翌日は最後の練習日である。

*よく眠って置くために、コンスタンという本当に親切な安定剤を飲んですっと知らぬ間に眠った。

すっと目が覚めた。ゴミを出す日ではあるが、どうだろう、夫がすでにゴミ袋を作ってくくっているかもしれない。

最近私の手首が具合悪いアピールによって、素晴らしい変身を遂げつつある?彼である。

目を開けて、天井を見た。
ランプの傘の影が天井にあるのを初めて意識した。
なぜならその影が上下に激しく動いていたからだ。

頭の中がクラクラしている。時々、これまでも朝起きた時に感じていたのだが、それは面白い、という感覚で受けめていた。

だがこれは違う、世界が揺れ動いていた。思い切って体を起こすと部屋がグラグラしている。負けるものかと、じっと睨みつけていると、まずい、船酔いのように胸がムカムカしてきた。
それから果してもどした。
胃のなかは空っぽなのに。

練習に行く気満々だったのでショック、その後に美容院の予約まで入れていた、六十日ぶりの。

翌日は歌会、翌々日は太極拳、よくよく翌日は演奏会である。しまった~~

それから、吐き気と戦いながらメールで連絡合戦。グループには一斉通信も送っておく。

*という荒波にさらされながらも、
「ここ、今こそ、極楽浄土」と自分に言い聞かせ、
御身錐子さんと話し合って、太刀打ちできるかを試す。

つまりこの邪魔者たちに気を取られない、
おっけー、もうわかった、去れ、というわけだ。

さて、本題。

私へのプレゼント備忘録。 
1 目の前に存在する(ように見える)ミクロからマクロの物質世界の法則を見出すことは人類存在の意味である。

2 この肉体と頭脳も大宇宙に匹敵するほどの見事な法則と仕組みを持っている、これを探求するのも人類に課せられた使命である。

3 光も物質であるが??電子はエネルギーである。質量ゼロ。
この有無の境界の意味は如何。

それは殊に光が粒子か波動かという問いに凝縮されているようだが、
この最小の物質があるとして、
それは波動(幾重もの水の輪)によって動かされている、という仮説があるらしい。

そうすると量子はあり得ないようなおかしな性質を持っていると思っていたのが、そうでもないことになる。

これにはパイロット波という例が例えにできる(空き瓶に手紙を入れて海に放り込むと海岸に流れ着く現象)とか。

4 各人が自分の人生の目標を持って生きること、そうすれば生きる道中の苦難も耐えやすいだろう。

自分の目標(自己実現?)に向かって各自が努力すること、それが人類の生きる意味である、なんて実は思ったことがなかった。

これはまさに天上天下唯我独尊ではないか?

5 それで私も後40年生きるとして(何歳まで生きるつもり??)、
肉体をよくメンテナンスして、
人類進化の(絶滅でもよいのだが)道に科学的哲学的社会学的心理学的考察を続けていこう、

ことに人類の際限の無い慾をコントロールして、自分を識り、制御して他人を傷害することなく、共有と協力という長所を有効に働かせるように。

それは他利的ではあるが、結局は自分をも生かす方法である。

例えば現在では、ナショナリズムへの傾倒がまた芽吹いてきている。
自分、家族、グループ、国、民族、宗教を守るという基本的な情緒なのだが、だからこそ恐ろしい。地球の民、へ変身するべきでは?

6 神の信義を確信できる = 常住極楽浄土 = お互いに愛と協力を 

この変な等式は、実は結婚40年にならんとしてやっと、というか偶然にも??思い知ったのだが、(恥ずかしいことだが)、私は愛する人にたいしてのみ(つまり結婚するときの夫)非常に利己的で要求が多く、お互いに愛し合い、助け合う、という関係を全く考えていなかったのである。そして、色々の不足不満を抱き愚痴っぽく、恨みがましかった。

まあ、偶然にも相手も似たり寄ったりだったので、これこそ破れ鍋に綴じ蓋。
おかしなことに、両親は立派な手本をたえず示してくれていたのに、である。わけがわからない。

おまけに、自己中心的であることは「自分に正直」なのだと認じていたのである。

なるほど、私が焦っているのも宜なるかな。
地獄行きを免れんとして急に神を追求し始めたのであろう。

以上、ここしばらくの間のすったもんだの顛末であります。

最後に拙歌2首を
口直しにもなりませんが。

>半月が斜めにかかる夕暮れは般若の片目まじろぎもせず

>尊きも 光の産み出す存在を光にて観る 病める地球に

ここまで読んでくださり、お疲れ様でした。ありがとうございます。
 
東天
時は流れ始めた、或いはあたしが進む、バートミュンスター まで
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