芸術の監獄 伊福部昭

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「芸術の監獄 伊福部昭」( 1 / 5 )

「芸術の監獄」のラストを飾るのは、作曲家伊福部昭(1914−2006)であるが、若い頃の私は、彼の音楽は全く知らなかった。2004年の年末、NHKBS で「ゴジラシリーズ」を放送した時に音楽を聴いて、その荘重、かつ巨大な世界にすっかり心を奪われてしまい、以降、私にとって日本最高の作曲家は、伊福部昭で決定してしまったのだ。

良い年の「大人」になってからファンになったために、私は伊福部の楽曲を聴く前には、必ず作品の年代とどんな目的で作られた曲かを調べてから聴く習慣がついた。いや、調べなくとも、CDを買う前に読んでしまうのだ。ほとんどの場合、アマゾンからCDを購入するから…これは、「芸術の監獄」にて綴られる他の芸術家と私との関係性とは、おのずから異なる。20代の私が、「伊福部昭公式ホームページ」を目を凝らして読む今の私を見たら、なんと思うだろうか? 明らかに私は、ITのフィールドに描かれた伊福部の「宇宙」を体験しているのだ。

このことが、エッセイにどのような影響を与えるかは、お読みになった方の判断に任せるしかないだろう。前振りはこの辺で。

 

さて、私は、伊福部の音楽も好きだが、伊福部の弟子にあたる作曲家たちが語る彼の謹厳たる生き方(主にCDに入っているライナーノーツで綴られている。)に、賛嘆の念を禁じ得ない。例を挙げると、池野成(いけのせい)の、東京芸大の新入生だった当時の思い出が興味深い。(出典は、キングレコードより発売の「伊福部昭の芸術 3 舞 伊福部昭舞踊音楽の世界」のライナーノーツより)

 

ぴかぴかの1年生だった池野氏は、カリキュラムの提出作品のヴァイオリン・ソナタが、どうしても書けない、と指導教官の伊福部に泣き言を言った。すると伊福部は「君はそれが書きたいのか、書きたくないのか」と。

「書きたくないです」

「なら書かなくて良い」教官の言葉とは思えない台詞に、池野氏びっくり。ただし、それでは留年になるのでは?と不安を口にする教え子に、伊福部はきっぱりと「そんなことは知らないが、書きたい物を書くのが物書きで、書きたくない物を書く者など、曲書きの風上にも置けない!」と、現代の物書きや作曲家の耳が痛くなりそうな正論を吐き、次いで「君は何が書きたいのか?」と尋ねる。

「芸術の監獄 伊福部昭」( 2 / 5 )

「管弦楽作品です」

「なぜそれを書かないのか」

「管弦楽法を知らないからです」

「そんなものは自分で勉強するものだ!」

これぞ、道なき道をただ1人で歩んできた人にしか言えない言葉。そう、彼は音楽大学を出ずして、ほぼ独学で作曲法を学んできた人だったのだ。そして、池野氏は次のように独白しておられる。

 

「一見、新入生にとってはやや苛酷な対応とも思われる先生のお言葉ではあったが、この時、私は自分がどんな世界に足を踏み入れたのかが子供心にもよく判り、腹を決めなければならないと肝に命じ、同時に、心中に広がってゆく或る爽やかな自由の感覚に浸されたことを今でも鮮明に思い出すことができる。」(註:この一文は原文ママ)

このお話には続きがある。伊福部はほどなく、あの「ゴジラ」の音楽を担当することになり、若い池野氏にオーケストレーションの手伝いをさせたのだ。実地に勉強する機会をちゃんと提供してあげたのである…というか、好都合だったという側面もあるかもしれないが。しかし、池野氏がきっとむさぼるようにオーケストレーションの勉強に励んだことは、容易に想像がつく。

 

伊福部が、芸術家として一流だったのみならず、若い弟子たちに慕われるにふさわしい風格を持っていたことは、このお話だけではなく、「伊福部昭公式ホームページ(暫定版)」の、永瀬博彦氏、石丸基司氏執筆の「オリジナル・エッセイ」を読むとよく分かる。特に永瀬氏の「雑司ヶ谷の伊福部昭」は、東京音大の学長職にあった伊福部の、自分の生き方、思想、世界観をさりげなく見せることで、学生に、芸術とは何か音楽を作るとはどういうことか、を考えさせていたことが分かって実に興味深い。このホームページには、伊福部本人の執筆した批評的エッセイや、挨拶、舞台を見た感想などが掲載されていてまさにお宝!!という印象なのだが、もういい加減に彼の音楽そのものについて、私は語るべきだろう。

 

さて、伊福部昭の音楽は、ご存知「ゴジラシリーズ」のみならず、交響曲から舞踊音楽、管弦楽まで多岐にわたっているが、どれもこれも「伊福部節」ともいうべき、強烈な特徴がある。

「芸術の監獄 伊福部昭」( 3 / 5 )

それはビートの躍動感と、重低音楽器の荘重な迫力、そして蒼穹に響く金管楽器の長く続く旋律。かっこ良い。伊福部の楽曲には「○○大行進」「○○大進撃」というタイトルがよく見られるが、曲想から言って自然と言うか妥当と言うか、あの規則正しいずしっ!ずしっ!ずしっ!という響きを聴くと、元気よく歩かずにはいられないのだ。


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何を聴いても、荘重で壮大な音世界が楽しめると思うが、私のおすすめの曲は、「シンフォニア・タプカーラ」(1954)と、デビュー作「日本狂詩曲」(1935)だ。特に後者は、「サビ」にしても良いようなキャッチーな旋律が、なぜかいきなり冒頭で歌われるという、やや常道から外れたつくりが面白い。匂いがしないうちに、料理のお皿が目の前に出されるような気がするが、あら不思議、「サビ」がちょっとずつ姿を変えて、何度か歌われるうちに、思いがけない変身をするのだ。これには感動する。伊福部のアタマには、旋律のストックが常時あったのかもしれない。

 

旋律のストックと言えば、伊福部は戦前の曲の一部を、戦後、専業作曲家になってからの長い曲の一部に組み込むと言うワザを頻発していて、例を挙げると、1944年に陸軍の依頼で書いた「兵士の序楽」のサビの旋律がそっくりそのまま「SF交響ファンタジー第1番」(1954/1983)の最後の部分になっている。また、2010年8月8日に初演された「音詩 寒帯林」の中盤には「ゴジラ」の最重要旋律がちゃんと登場していて、日比谷公会堂の聴衆を大喜びさせた。「寒帯林にゴジラが上陸!」な瞬間であった(?)。

 

全体的に、やはり伊福部の若い頃の(特に1930年代の)楽曲には、日本的と言うよりはユーラシア大陸的、そしてなんといっても、アイヌの祈りや踊りの要素が溢れていて、やはりこの人のオリジナリティは「北海道」なのだ、と感心する。なんというか、せせこましくないのだ。音響は西洋楽器なのに、旋律は日本でも、西洋でもない。そしてビートが素晴らしくて踊りたくなる。その特質が遺憾なく発揮されたのが、「シンフォニア・タプカーラ」で、この楽曲を聴くと、祈りと祝祭、日本のなかの非日本、などという言葉が浮かぶ。

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深良マユミ
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