小説の未来(18)

          引きこもりのマイナスとプラス

 

 

 経済的に親に依存し、学校にも、会社にもいかず、両親や他人ともコミュニケーションをとらない、というこれらのことは、常識的にマイナスの面としてとらえられています。

 

 

 引きこもるということは、非常識的な日常生活をすることです。つまり、常識的な心と行動を捨てることです。一般的には、非常識的な生活は、社会悪のようにとらえられていますが、短絡的に悪と決めつけていいものでしょうか?引きこもりには、プラスの面はないのでしょうか?

 

 

 今、引きこもっている人も引きこもりと言われていない人も、常識にとらわれず引きこもりのプラスの面について考えてみてはどうでしょう。


 引きこもりの人たちは、気が変になりそうな不安におびえながら、耐えながら、これらの不安から逃れたいともがきながら、日々生活していることでしょう。また、自己嫌悪に陥り、自暴自棄になり、凶暴な心理に陥っている人は多いことでしょう。

 

 

 確かに、非常識的な生活がもたらす大きな不安は、引きこもりの人たちの心に自殺や殺害というような生死にかかわるマイナス的な心理を生み出す場合があるでしょう。でも、私は、マイナスだけではないと思っています。

 

 

 プラスの面として、引きこもりという非常識的生活の経験を”真摯に考察した人たち”にとっては、常識的生活の客観視を可能とし、また、今まで当たり前であると信じ込んでいた社会的一般常識も客観視できるようになると思われます。

 

 

 そして、今までと違った人間観や社会観が生まれ、新たな人間関係を作り出すことができるでしょう。また、今まで気づかなかった自分の長所にも気づき、新たな人生を発見することでしょう。


         

                             精神的引きこもり

 

 

 自活はできているが、外部との交流を極力拒絶している人たちについて考えてみると、彼らも一種の引きこもりと考えられるのではないでしょうか?例えば、私のようなアマの小説家です。 

 

 

 自分に関していえば、人との交際によって起きる不安や不快感を極力避けたい性格で、高校の頃から孤独を好み、自分勝手な社会思想を作り、さらに、自分を慰めるための誇大妄想を楽しみ、今でもひっそりと小説を書き続けている。これは、精神的引きこもりと言えないだろうか?

 

 

 学校に行って、就職して、自活したから、世間からは引きこもりとは言われなかった。でも、自分でいうのもなんだが、今でも、自分は常識になじめない精神的引きこもりだと思っている。

 

 

 


 

 なぜ、引きこもりに陥るのか?それは、人とのかかわりで”嫌な思い”をしたくないからです。学校に行けば、他の生徒と先生から、バカだとか、ネクラだとか、クサイだとか、ブスだとか、靴に画びょうを入れられたりとか、殴られたりとか、恐喝されたりとか、様々ないじめを受ける。部活では監督や他の部員にもっと必死に頑張れと非難される。会社では、仕事ができず同僚から非難され、上司からクビにするぞとパワハラを受ける。

 

 

 上記のような不愉快な状態が続けば、誰しも学校や会社にはいきたくない気持ちになってしまう。そして、自分が傷つかないように、自己防衛として家の中に引きこもる。さらに、家族から引きこもりを非難されると、家族とも会話をしなくなる。

 

 

 私の場合、幸運にも自活できた。だから、世間でいう引きこもりではないかもしれない。でも、やはり、精神的引きこもりだと思う。なぜか、それは、対人関係がもたらす恐怖や不安から身を守ろうと精神的に逃避しているからです。

 

 


春日信彦
作家:春日信彦
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