引きこもりの仮想実験
これから、引きこもりの仮想実験をやってみましょう。被験者は、会社に勤めていて、通常の日常生活を行っている”あなた”です。
外部と交信できないように、あなたは、PCも、携帯電話も所持できません。そして、会社にいかず、家族や友達とも会話せず、たった一人で部屋に引きこもっていただきます。このような生活を一か月間続けた場合、あなたは、いったいどのようなことを考えるでしょうか?
PCを使いたい。ネットサーフィンをしたい。メル友にメールを送りたい。オンラインゲームをしたい。スマホで友達と会話した。繫華街で買い物をしたい。好きなスポーツをしたい。家族と一緒に食事をしたい。一刻も早く会社に行って仕事をしたい。友達とワイワイおしゃべりをして騒ぎたい。同僚たちとお酒を飲みたい。パチンコをしたい。
上記のような、当たり前であった日常生活への復帰願望が起きることでしょう。そして、このような復帰願望がますます膨らんでいったとしても、これらの願望が実現されることがないという現実に直面すれば、大きな不安が起き、パニックに陥ることでしょう。当然、息苦しい引きこもり生活から一刻も早く脱出したいと泣き叫び、破壊行為に出るでることでしょう。
引きこもりのマイナスとプラス
経済的に親に依存し、学校にも、会社にもいかず、両親や他人ともコミュニケーションをとらない、というこれらのことは、常識的にマイナスの面としてとらえられています。
引きこもるということは、非常識的な日常生活をすることです。つまり、常識的な心と行動を捨てることです。一般的には、非常識的な生活は、社会悪のようにとらえられていますが、短絡的に悪と決めつけていいものでしょうか?引きこもりには、プラスの面はないのでしょうか?
今、引きこもっている人も引きこもりと言われていない人も、常識にとらわれず引きこもりのプラスの面について考えてみてはどうでしょう。
引きこもりの人たちは、気が変になりそうな不安におびえながら、耐えながら、これらの不安から逃れたいともがきながら、日々生活していることでしょう。また、自己嫌悪に陥り、自暴自棄になり、凶暴な心理に陥っている人は多いことでしょう。
確かに、非常識的な生活がもたらす大きな不安は、引きこもりの人たちの心に自殺や殺害というような生死にかかわるマイナス的な心理を生み出す場合があるでしょう。でも、私は、マイナスだけではないと思っています。
プラスの面として、引きこもりという非常識的生活の経験を”真摯に考察した人たち”にとっては、常識的生活の客観視を可能とし、また、今まで当たり前であると信じ込んでいた社会的一般常識も客観視できるようになると思われます。
そして、今までと違った人間観や社会観が生まれ、新たな人間関係を作り出すことができるでしょう。また、今まで気づかなかった自分の長所にも気づき、新たな人生を発見することでしょう。
精神的引きこもり
自活はできているが、外部との交流を極力拒絶している人たちについて考えてみると、彼らも一種の引きこもりと考えられるのではないでしょうか?例えば、私のようなアマの小説家です。
自分に関していえば、人との交際によって起きる不安や不快感を極力避けたい性格で、高校の頃から孤独を好み、自分勝手な社会思想を作り、さらに、自分を慰めるための誇大妄想を楽しみ、今でもひっそりと小説を書き続けている。これは、精神的引きこもりと言えないだろうか?
学校に行って、就職して、自活したから、世間からは引きこもりとは言われなかった。でも、自分でいうのもなんだが、今でも、自分は常識になじめない精神的引きこもりだと思っている。