遺伝子分布論 22K

サキの話

  菌糸類の研究をいつ始めたのかサキは覚えて
 いない。武術の鍛錬を開始したのと同じぐらい
 だったはずである。しかしそうすると立って
 歩きはじめたぐらいである。
 そんなはずはない。
 
 ここ最近は地上と宇宙の居住地で同程度の新種
 が発見されるので、サキが年間で地上と宇宙に
 いる期間もちょうど半々程度になっていた。
 
 この時代、地上と上空を行き来する人は比較的
 珍しくなっていた。
 
 今回は自然重力下、比較的乾燥した地帯の雨期
 である。この時期だけ、緑が増える。いい季節
 であるが、来年のこの時期までしばらく地上に
 降りられないと思っていた。
 
 最近始めたコケ類の研究手法をさがすために
 こもるからである。菌糸類では自作のAIで特殊
 な走査方法を使用していたが、その焼き直しで
 済めば話は早いはず。
 
 そのほかにも、軍事顧問の仕事が増えていた。
 16歳で個人国家として独立したサキに興味を
 示すのは同じような個人国家に限らない。
 
 もっとも、その軍事顧問の仕事が地上を走査
 する際には役に立っていた。セキュリティに絡
 んだ情報を各国が一般の研究機関には出し
 づらいからである。
 
 おかげでたいした苦労もなく、充分な収入が
 得られていた。
 
  ここで接近物の警告が上がってきた。
 研究道具はすでに片づけたあとである、あとは
 かねてよりの場所に移動するだけだった。
 アナログな日よけの帽子にアナログなシャツ、
 短パン、その下に光学迷彩。
 
 雑な接近に思えたのは相手によほど自信がある
 からだろうか。
 
 ウォーミングアップも兼ねて軽く走りながら開
 けた場所へ着いたとき、その相手も走ってきた
 感じだった。アンドロイドでもアップするのかな、
 などと考えているうちに距離を詰めてきた。
 
 民間用に偽装した軍事タイプ。しかし、見た
 ところ武器はない。もちろん、そんなものを持っ
 ていればここにつく前にキャッチされているが。
 
 予想はしていたが、話しかけてこないところを
 見ると交渉するつもりは全くなさそうだ。短時間
 でケリをつけようとしてくる。そして、相手は
 こちらの実力を知らない。
 
 ただ、この瞬間はいつも緊張で手が痺れる感覚が
 ある。いつも最初の一分が肝心だった。
 

サトーの話

  道に迷ったのはもちろんマニュアル運転に
 切り替えていたからである。しかし、サトー
 ユタカは、ほかにももっともな言い訳が
 ないか探していた。
 
 といっても、今日は出張終わりの空いた時間
 である。言い訳する相手もいない。いったん車
 を停めて、少し歩いて見晴らしのいい場所で
 一服しようとしていた。
 
 この時代でもアナログカーは少なくない。
 しかし、最新型よりも値段が高いうえに劣る点
 もたくさんあり、妻にもいつも文句を言われて
 いた。
 
 しかしサトーはそこだけは譲れないと思って
 いた。たしかにガソリン車ではない。この時代
 に完全受注タイプのガソリン車はとてもサトー
 の給料では買えなかった。

 太陽光発電も備えた電気タイプのエンジンで
 あるが、ガソリン車風に振動し音を出す。
 そこが見る人によってはかえってダサいと感じ
 るし、実際エネルギー効率も悪い。
 
 いつかフリーのジャーナリストになってやる、
 そう思いながら今の新聞社で10年が経とうと
 していた。経緯があって今は妻と一人の子ども
 と駐在し、今日は愛車で出張だった。
 
  違和感を感じたのは、遠目に一人乗りの
 ホバーを停めてから足で走る人影が大型店舗
 などで見るような制服を着ていたからだ。
 
 そして、これも忽然と現れた日よけ帽を
 かぶった十代と見られる女性と挨拶したかと
 思いきや、制服のほうが殴り掛かった。
 
 ように見えた。というのは、少女のほうが、
 つまずいたのかどうなのか、とにかく避けた
 のだ。が、制服はそのまますごい勢いで殴る
 蹴る。少女はそのうち派手に吹っ飛んだり転が
 ったりしているが、なぜか意識を保っている
 ように見える。
 
 ナンだこれは、と一瞬呆気にとられている
 間に、テキストが飛んできた。「ロボットが
 暴走しています、避難してください」しかし、
 サトーは内容を読む前にこれまでの経験から、
 直感から、非常にマズい事態であることを
 把握した。
 
 単なる暴走でなかったら?
 
 民間のアンドロイドがあのような動きができる
 わけもないし、もし軍事用であればその意味
 するところは明白だった。
 
 この子がやられたら間違いなく、次に証拠隠滅
 で消されるのは自分、地方の新聞社とはいえ、
 ジャーナリストの勘がそう言っていた。ヒザが
 躍るのをかっこ悪いと思う暇さえなかったし、
 妻や子の顔が思い浮かぶ暇もなかった。
 
 愛車をどう発進させたかほとんど憶えていな
 かったが、自動運転に切り替えていったん落ち
 着いた。何か理由を見つけて家族で一時帰国し、
 そしてまた理由を見つけてこっちに戻らない、
 などとぼんやり考えていた。
 
 ふつうの人生とは何だろうか、などと思って
 みた。
 

サキの話2

 「やっぱり特殊仕様はないみたいね」
「私相手にノーマルで来るとかムリがある
 よね?」
 
 ほとんど口に出して言っていたが、次の瞬間、
 肩口にシャツを掴んできた相手の腕がバキっと
 大きな音を立てた。外見には何も変わったよう
 に見えないが、駆動系がイカレたのを察知した
 のか、制服はいったん距離をとる。
 
「これ以上の行為に対しては相応の報復措置を
 とります」
 
「よく言うよ」
 引き込んだのちに裏をとり、拘束帯を取り出し
 て生きているほうの腕もきめた。コネクタを
 見つけてデバイスを挿す。
 
「前に来たやつはコネクタも殺してたんだけど」
「私と戦ったあとに再利用できるとか思ってた
 んだ」
 
 今回襲ってきた軍事用アンドロイドはふだん
 から練習しているうちのひとつだった。武器の
 所持や隠し武器などがないのはあらかじめ走査
 してわかっていたが、自分の知らない技を使用
 するかどうかに数分見極めが必要だった。
 
 と言っても、かわす自信もあり、つまり念の
 ための見極めだ。武術の指導者からも慎重さが
 足りないとか言われないために。
 
 今回は機体の仕様を充分熟知しており、弱点も
 わかっていた。特に肩口からつかんで投げを狙
 って来た際に、腕にダメージを与えられる角度
 と強さは何度も練習していた。
 
 じゃあ強度をなぜ高めないのかとなるが、そう
 すると繊細な技が出せなくなる。だいたい武術
 の世界大会レベルの人間でも、そんな弱点を
 つける者は数人しかいなかった。
 
 可視区域内に民間人がいることも気づいてい
 たが、すでに照会できていたので特に気にしな
 かった。新聞社勤めまでわかっていたが、とく
 に記事にすることもないだろう。
 
 数分してハッキングに成功したので、この機体
 からは嘘の報告があがっているはずだ。
「ターゲットおよび目撃者の処理に成功。ただし、
 本機については移動不可能なダメージを負った
 ため、偽装記録を上書きしたうえで機能停止
 する」
 
 こういった場合、もちろん襲わせた側、依頼主
 が機体を回収したいものだが、サキが呼んだ
 警備会社が先に回収してこれまたありがちな
 報告を一般公開のサイトに上げた。
 
 しかし、一点気になる部分があった。通常この
 ような出来事があった場合、機体の出どころは
 テロ組織であったり、そのたぐいの小国から
 送り込まれた形跡が記録からわかるものである。
 
 今回は大国の名前があった。これを理由に、
 この後サキは公式の場から完全に消えさる。
 事故死ということで小さな記事にもなった。
 
「やり方が雑だよね」
 
 と思いつつも、ある大国がある意図をもって
 動き出していることは明確だった。公式な身分
 のまま正面から戦うと、ちょっと厳しい、
 というのは軍事コンサルとしての知識からも、
 生き物としての直感からも感じられること
 だった。
 

サトーの話2

  家に帰ってまず確認したのは、最近の女性の
 格闘家の画像や動画であった。そして、やはり
 いた、年齢や背格好がその少女にそっくりな
 選手。
 
 しかも車で2時間の場所にその子たちが所属
 するジムの支部があった。翌朝仕事に行くふり
 をしてそこを訪ねる。職場には身内に不幸が
 あったとして一時帰国とその準備のための
 休暇を願い出ていた。
 
 そして、会えた。本人たちではないが、
 トレーナーで母親のエマ・ハントである。本人
 たちはすでにプロ格闘家としてデビューして
 おり、そこにはいなかったが、ジェニーと
 ジェシカ、親のエマも現役当時そうとう強かっ
 たが、期待の双子だった。
 
 エマに入門希望と別に話がある旨を伝え、部屋
 に案内されてさっそくその話を切り出した。
 
「それはうちの娘たちじゃないね。最近は印象
 づくりもあって一人で行動することはほとんど
 ないし」
「あの二人地上はそんな好きじゃないみたいだし」
「でも思いあたる節もあるんだよ、下の子と話し
 てみる?」
 
 ジェレイドはその双子の弟で、彼ももうすぐ
 デビュー間近だった。
「それ、サキかもね」
 従妹がいるとのことだった。3人並べばだいぶ
 違うのがわかると。
 
 しかし、驚いたことに、その双子は女子選手
 なのにジェレイドより強い、いや、重量級の
 トップクラスでさえ倒してしまうかもしれ
 ないと。そしてさらに、サキはもっと強い
 らしい。
 
「小さいころから何度か練習したけど、一度も
 勝てなかった」
「あんた前に一度も触れなかったって言ってなか
 った?まあプロデビュー前にそんな話他人に
 できないか。」
「なんせ親があれだからねえ」と横からエマ。
 親も有名な人らしい。
 
 が、そのあとエマから出た話も驚愕、というか
 ある程度予想できた部分もあるが、他人から
 あらためて言われると膝の裏あたりにぞわぞわ
 と寒気を感じた。
 
「家族も含めて狙われると思ったほうがいい」
 もう少し出世していれば、脅迫して口止め、
 というかたちをとってくるところだが、今の
 位置だと消される、らしい。
 
「うちは警備会社もやってるでしょ、その手の
 話多いんだよ」
 
「うちの本部ジムに来ればいい。そう、家族で
 宇宙に移動。ちょうど仕事も募集してたから、
 新聞記者でしょ? ブログ書けるよねえ?」
 
 というわけで、妻をどう説得するか、そこだけ
 だった。
 
Josui
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