「黄 昏」 ~平成・老人ホームの乱~

7.自由の地

社長は、笑顔をきつい顔に変え、運転手を向くと

「ありがとう、おかげで助かった。でも分かってるな!このことは絶対誰にも言ったらだめだぞ。くれぐれも頼むぞ」

そう言いながら、社長は財布から千円札を二枚出した。


「釣りは要らん。とっとけ」


と、運転手に渡した


 「社長。千円札があと三枚足りません。介護タクシーなので高いんです。それに屋根に登った手数料」


運転手は、指を一本出しながら、両手の手の平を差し出した。


「何! 足元を見やがって。でもしょうがないか。おかげで助かったんだから


渋々社長は、一万円札を一枚財布から取りすと千円と交換に、運転手の手の上に置いた。


「有難うございます。くれぐれも体に気を付けて頑張ってください。施設に帰る際にはまた呼んでください」


と、運転手が言うと、社長は怒りながら


何を! もう二度とあんな所に帰るもんか!」


と言うと、運転手はタクシーに乗り込み、逃げるように引き上げっていった。


社長は、玄関から中にると、裏口から顔を出し、手招きをしながら、四人を呼んだ


さあ、みんな入ってくれ。こっちにはスロープがあるから、車椅子も入れる」


四人が裏口に回ると社長は外へ下りてきて


「俺は近くのコンビニに、買い物に行ってくる」


と言って、トコトコと出かけて行った。


すけさんは、謙三の車椅子を押しスロープを登ると、裏口から家の中へ入っていった。そして、女性二人も、その後ろから付いて中へっていった。

中に入るとそこは二十畳くらいのリビングで、ここにも自分で書いた絵が所狭しと飾ってあり、中央には中曽根・田中角栄・村山元首相の書が飾ってある。

「大したもんだ。さすが社長。なんであんな施設に入っていたんだろう?」

と、すけさんが、不思議そうな顔で言った。

程なくして社長が帰ってきた

「みんな、ビールとつまみを買ってきたぞ。今日の成功を祝って乾杯だ。すけさん、音頭をとってくれ

と言い、社長が皆にビールを手渡すと、すけさんが音頭をとった。

「それでは、みなさんの今日の労を労い、そして全世界の老人たちの夢を、ここに叶えることが出来たことに対し、乾杯をいたします。かんぱ~い。」

みんなニコニコしながら、ビールを高々と天に上げ、乾杯をした。

謙三もうれしかった。感激した。こんなにも簡単に事が運んでいいのだろうか。謙三は車椅子を押して貰うだけだったので、簡単に思えたかもしれないのだが、大変だったのはすけさんだった。

施設では禁酒禁煙だったので、みなビールを飲むのは久しぶりだった。特に謙三は脳梗塞になってから禁酒を言い渡されていたので、十年ぶりくらいにビールを飲んだ。

「うまい。久しぶりだし、格別今日のビールはうまい。」

すけさんは、汗をかいたのと、ことを成し遂げた満足感で、ビールのうまさが倍増しているようだった。

ほろ酔い気分の社長が自分のことを喋りだした

「みんなは白菊会というのを知っているかい。身寄りのない人たちが献体をする大学の会だ。死んだら直ぐに大学が引き取りに来る。葬式代もいらない。死ぬのに一銭も要らない。その代わりにホルマリン漬けにされ、学生たちに切り刻まれる。実は俺もその会に入っているんだ。あの施設にもその会に入っている人が、何人もいるよ。」

謙三はぞっとした。

死んでから切り刻まれるなんて嫌だ。よく生きているうちにそんなことを決められるもんだ。考えられない。それに社長は子供さんたちもいるだろうに。

そう思った。

すけさんが、

「社長は、息子さんも娘さんもいらっしゃいますよ。どうして献体するんですか?」

と言うと、

「俺は頑固そのものだった。社員にも子供たちにも。社員にはそっぽを向かれ、子供たちは皆家を出て行った。だから面倒を見てくれる人は誰もいない。俺は生涯孤独なんだ。でも今はみんなが友達という気がしている。生涯の友だ。かんぱ~い。」

ほろ酔い気分だった。

すけさんが、顔を真っ赤にしながら立ち上がって、両手で指揮をし、

「よし皆でいつもの歌を歌おう。せ~の」

 

♪僕らはみんな 生きている

 生きているから 歌うんだ

 僕らはみんな 生きている

 生きているから 笑うんだ

 手のひらを太陽に かざしてみると

 真っ赤に流れる 僕の血潮

 ミミズだって オケラだって

 年寄りだって みんなみんな

 生きているんだ 人間なんだ

 

 家中に、皆の歌声が響き渡った。

 歌い終わると、皆、拍手喝采した。

 すけさんが、お腹に手を当てながら

 「でも社長。お腹がすいてきたよ。飯はどうしましょうか。」

 と言うと、

「主婦のプロだった女性が二人いるじゃないか。後で材料を買ってくるよ。ねえみよちゃん。」

と、みよちゃんの方を向いて言うと

「私家事はしたことないの靴屋自営業だったから、家事は全部夫がしてくれたし、包丁も握ったことはないの。」

と、みよちゃんが恥ずかしそうに言った。

「ええ!じゃあ、よっこちゃんだったら。」

と、よっこちゃんを探すと、よっこちゃんは玄関に立っていた。

「ここは私の家じゃない。お父さんもいないし、子供たちもいないもの。私家に帰りたいの。」

「ダメだこりゃ。また窓際になっている。結局、野郎だけでやるしかないな。」

すけさんは、観念したように言った。

「ん?何か匂うぞ。」

と、社長が鼻をクンクンさせながら、部屋の中の臭いを嗅いだ。

謙三が、自分のお尻を指さし

「えた。えた。」

と言っている。

「何?えた?臭いな。うんこが出たのかい?」

と、すけさんが言うと、謙三は頭を縦に振りながら、お尻を指さす。

「まいったな、こりゃ。社長どうしましょう。」

この家のトイレは洋式で少しは広いが、車椅子が入るには狭すぎる。

「仕方がない。二人でするか。」

社長は、謙三が乗った車椅子をトイレの前に押して来て、すけさんと一緒に謙三を立たせ、ズボンを降ろし、リハビリパンツとパッドを外した。

「うわ!臭い。」

社長もすけさんも、こんなことやったことがない。右往左往しながら、社長がトイレットペーパーを探すと

「おかしいな。トイレットペーパーが無いぞ」

社長が言うと

「ごめんなさい。僕が取りました。」

と、すけさんが、ポケットの中からトイレットペーパーを出した。

「いつの間に。油断も隙もあったもんじゃないな。」

ある程度、お尻をトイレットペーパーで拭くと、謙三をトイレに座らせ

「後は、自分でできるだろう。ウォッシュレットをガンガンかけて、綺麗に拭くんだぞ。ところで代わりのパッドとかリハパンはどうした?」

謙三は車椅子の後ろを指差し

「そこそこ」

と言うと

社長が、車椅子の後ろのポケットを探ると

「あった、あった。綺麗になったらこれをはけばいいか」

謙三がお尻を洗い終わると、すけさんは、リハパンとズボンを謙三の足元から突っ込み、パッドを股間にあてた。そして謙三を立たせると、リハパンとズボンを、腰まで持ち上げ履かせた。


「よし、これで一丁上がりだ」


すけさんと社長は謙三を抱え、車椅子まで歩かせ座らせた。

ふと、社長がみよちゃんの方を見ると、足元がびっしょり濡れ、床に水がたまっている。

「あ!やられた。」

みよちゃんは、時々、尿失禁をする事があった。特にビールを飲んだ後だったので、尚更だった。

「すけさん。床を拭いてやってくれ。どうせ、みよちゃん着替えとか持って来てないだろうな。」

と言うと、社長は奥の部屋に入、妾のものと思われる女性用の下着とパジャマを持って来た。そして浴室を指差し

「あそこが風呂だ。シャワーで体を洗って、この服に着替えて来なさい」

と社長が言うと、みよちゃんは服を受け取、浴室へ向かった。

すけさんは、床を拭き終わると、

「社長。これからも、ずっとこんなことをするんですか。俺もう嫌。」

と言って、床に座り込んだ。すけさんは、全部自分がしなければならないことにうんざりしていた。そしてストレスで、近くにあった新聞紙を破き始めた。いつもは丁寧に破くのに、今日は滅茶苦茶に破き始めた。


「でも、何とかなったじゃないか。そうか、疲れているし、お腹もすいたんだろう。ご飯にしよう。俺が弁当でも買ってくるよ。いや、今夜はお祝いだから、寿司でも取るか」

言うと社長は、電話の方へ行こうとしたが、なにやらから物音が聞こえてくるのに気がついた

車が何台も止まる音がして、

「バタン、バタン」

と、車のドアが閉まる音がする。そして、外のほうから

「社長。そこにいるのはわかっている。みんなを連れて出てきなさい。」

と、女性の施設長の大きな声がした。

「施設の連中だ。なんで此処にいるのがわかったんだ。きっとタクシーの運ちゃんだろう。あいつは口が軽そうだったからな。」

と、社長が言うと

「社長。あたがそそのかしたんでしょう。あなた達にもしものことがあったら、私はどうしたらいいの。」

施設長が、泣きながら外から叫んだ。

「我々は、もう施設には帰らない。我々は自由を手に入れたんだ。」

と、社長が言うと、

「そうだそうだ。もっと利用者を大事にしろ。」

と、すけさんが叫んだ。

「そうだ、そうだ。」

とみよちゃんもよっこちゃんも叫んだ。

「もっと利用者に自由を」

社長も叫んだ。

「もっと職員の待遇を良くしろ。」

と、謙三は言いたかったが

「あうあうあう。」

としか言葉にならなかった。

社長はタンスを開けると、手ぬぐいを取り出し頭に巻き、二階へ上っていった。

二階へ上りサッシを開け、ベランダに立つと、外の施設の人たちに向かって、演説をはじめた。

「介護の諸君。街を見たまえ。老人だらけだ。あと十年もしたら、街を歩いている人も、車を運転している人も、ほとんどが老人だらけになってしまう。その大半が認知症だ。行く処も分からない。帰る道も分からない。そういう人達を、どうしていけばいいのか。今、君たち若者は、真剣に考えて行かなければならない。老人を施設に縛り付けるそれじゃ老人の不満が増えるばかりだ。老人に自由を与え、可能性を与え、なおかつ安全に、幸せに暮らせるよう、君たちは、考えなければならない。老人を敬い、老人が、幸せに余生を過ごせる世の中を作らないと、あちこちで反乱が起こるぞ。君達より、老人の方が、圧倒的に数は多いのだ」

社長は涙ながらに演説を始めた。頭の中では自衛隊の市谷駐屯地で演説する三島由紀夫と、自分の姿が交錯していた。

理想は、自分の家で、健やかに過ごすことだ。もしそれが出来ないとしたら、施設を快適に過ごせるようにすることだ。老人を敬いなさい。老人を子ども扱いするんじゃない。戦後の何もない時代から、今の日本を築いてきたヒーローたちなのだ。今は子供みたいかもしれないが、その皺には、ものすごい経験と、知識が刻まれているのだ


ビールと興奮とで、少し赤ら顔の社長の目からは、涙が流れ落ちていた。

「我々は、二度とあんな施設に帰るつもりはない。君達は、タクシーの運ちゃんにここを聞いたのかもしれないが、我々はここから一歩も外に出ない。」

社長が言うと

「社長、タクシーの運ちゃんは関係ないよ。社長はいい腕時計をしてるでしょう。それにはGPSといって、社長がどこにいるかわかる機械が入っているんですよ。」

職員の一人が言うと、社長は訳が分からない顔

「なんだ、そのデーペーエスというのは」

「人工衛星からの情報で、その時計の居場所が分かるようになっていて、インターネットを見れば、社長が、今どこにいるのかわかるんですよ」

「な、なんだと。ここがわかったのは俺の腕時計のせいなのか

社長は、腕時計を外すと、床に叩き付けた。

「社長。ご飯はどうしてるの?みんなのオムツは有るの?介助できるの?」

と、施設長が言うと

「いや出来ません。僕はもう疲れました。僕は帰ります。」

と、すけさんは、ほとほと疲れた様子で、簡単に折れてしまった。

「何、もうあきらめると言うのか。お前はそれでも男か!」

と社長が怒鳴ると

「社長、もう無理だって。施設に帰れば上げ膳下げ膳。何とかみんなが生きていけるのは、介護の人たちが世話してくれるお陰だよ。僕はもう疲れた、介護の大変さがわかった。施設に帰る。社長、後は頼みましたよ。」

と、すけさんは言って、とことこ外に出て行ってしまった。

後は頼んだと言われても、社長一人では、到底みんなの世話はできない。すけさんがいたからこそ、何とかここまでやってこれたのだ。

「さあ社長。すけさんがいなかったら、何にもできないでしょう。施設に帰りましょう」

と、施設長がの中に入って来て、社長の手を取り、外へ連れて行こうとすると、

「分かった。もう観念したよ。ただ、一つだけお願いがある。たまには外出をさせてくれ。もうパチンコにはいかないから

と言うと、施設長

「分かりました。たまには許可しましょう。ただ出掛ける時は、必ずの腕時計を持って行ってください。それとこんなことは、もう二度としないでください。これで三度目なんだから」


と、言った


 社長は苦笑いしながら


 「わかった、わかった。もう疲れた。二度とこんなことはしない」


と言いながら外へ出ると、謙三は施設の車椅子用のリフト車に、そして、社長達は別の車に乗せられ、施設へと向かった。


車の後部座席に乗っていた社長は


そうか、あのデーペーエスの付いた腕時計さへ無ければ」


と、心の中でつぶやくと、その目がきらりと光った。


車は、次々施設の駐車場に到着した。玄関先では、施設の職員が大勢待っていた。


職員や社長達が車から降りると、職員の一人が駆け寄ってきて、社長の手を握り


「良かった。みんな無事で帰って来れた。みなさん、ご苦労様でした。」


と、笑顔で、それでも泣き出しそうな顔をしながら、みんなを労った。


もう回りは、夕焼けで真っ赤に染まっていた。


 広大な湾の背後は、夕日で赤く染まった山が、悠然とみんなを見守っていた。

陽が沈む


それでも、陽はまた昇る


老人の皺には、


知恵と経験が刻まれている


若者よ、老人から学べ


老人に、尊敬の念を持て


君達もすぐに、老人になるのだ』

なべ
作家:薬師丸 悟郎
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