女性について

Yさんという、女性の看護師

私は統合失調症という、精神病患者で、ある病院に三回入院し、現在は同じ病院内のデイケアの食堂で少し働いています。

入院中、私はYさんという、女性の看護師さんに、激しく憎まれていました。Yさんは美人ではあるのですが、目とまゆがつり上がり、醜くゆがんだ顔をしていました。

私は、病棟内で、哲学の研究をしていました。確かに重い精神病で、幻覚はたくさんありますが、自分を卑下したことは一度もありませんでした。哲学のおかげです。それが、Yさんにはがまんならなかったようです。

元気になって退院し、友達の面会に言った私を、詰所にいたYさんは、ものすごい形相でにらみつけました。この前も、廊下ですれ違ったとき、私を見てYさんはエレベーターに乗り込むときにけたたましく笑いました。たいそう気持ち悪い笑い声で、Yさんはある先生を見て、その先生の乗るエレベーターに移動して、私の通りすがりにげらげら笑いました。

 

 

M先生

同じ病院に、M先生という、男性にたいへん人気のある女医さんがいます。私はつい、その女医さんを先日にらみつけてしまいました。

何故かわかりませんが、その女医さんの、「人気取り」の医療が、担当の患者さんと病棟内で一緒だっただけでわかってしまいました。

醜いYさんと私は同じ?自分に自信があって、自分の道を持って信念で生きているその女医さんが嫌いな、自分を、この文章で分析したいです。

悪くてもいい、嫌われてもいいという覚悟

人間に、善だけを求めることはできません。私も悪いし、悪くない人などいない。

しかし、女性というものは、自分を心も顔までも美しく保ちたい欲求がたくさんあります。

それは、その心は、「善」にふたをし、泥をぬるのです。

心から涙を流し、患者さんのために自己を反省するような女医さんに、私はなりたくて、高校の時は理系コースにいました。しかし、私には女医さんは荷が重いと思いました。女医さんは並大抵の人はなれません。私は、自分の器不足を知っていました。

私のいちばん嫌いな人間は、悪さといやみ全開のYさんではなく、女医のM先生です。

善というものを、あの女医さんは完全に、はき違えているからです。

どうして、悪さにふたをしているのが見えるのか、それは、M先生の人気取りの医療の中に、根深い精神病患者への差別があるからです。もし、患者さんへの差別がなかったら、嫌われる覚悟を持って仕事ができるはずです。

私は精神病でたくさん差別を受けてきました。Yさんのような看護師は女性に顕著でした。今、Yさんの攻撃はもうどうでもいい、Yさんは患者を憐れみたい、そして「かわいそうに見える」患者にだけ優しくして優越感を満足させながら看護師の仕事をしている、それは、私がもう二度と入院しなければかかわることのない差別です。

しかし、M先生は曲がりなりにも医師なので、ここで糾弾したいです。M先生のような、人気取りの偽善者が、何故堂々とあの立派な病院で高い信頼を得て高い地位についているのか、

それは人道的に許されないことです。何故なら、時に危険をおかしてでも、いい医療をして、失敗して心から泣き、進歩していくことから真っ向から逃げるのが、患者の機嫌だけを取る医療だからです。女性特有の、悪徳ですね。自分は善人だと信じすぎて、大罪をおかしているのです。

再び、Yさんについて

Yさんは、もしかしたら、私の深い心がなんとなく見えて、精神病患者のくせに許せないとでも思ったのでしょうが、どんなにYさんににらまれようが、精神病患者として働かないといけない今の職場が、私は幸せです。私は自分のペースで仕事ができています。でも、女性が高い給料をもらって仕事をすることは並大抵ではないですよね。しんどいと思います。しかしだからと言って自分の仕事の中で、人を差別する・・・あってはならないことですね。女性が、男性からずっと低く見られ続けるのは、私情をはさんで、自分だけの美意識で仕事をするからでしょうか。そうではない素敵なキャリアウーマンに、私はなりたかったです。
karinomaki
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