ピース

               疑惑

 

 ピエロの別荘は雷山ゴルフ場の10番ホールの南側にある。たまに、ベランダのテーブルの上で無防備に寝転がって、日向ぼっこをしているピエロを発見することがある。風来坊は、ゴルフ場に到着するとコースを反時計回りに大きく一周巡視するのだったが、ゴルフボールを持ち逃げされた恨みなのか、目を吊り上げてにらみつけるプレーヤーがたまにいた。今日も2番ホールの上空に差し掛かると「コラー、撃ち落としてやる」とわめきたてたおっさんがいた。もっとも、ゴルフボールとやらが、高級品ならば、怒り狂うのも無理はないのだが。

 

 確かに、カラスの仲間には、ゴルフボールをくわえて逃げ去る輩もいるが、別に悪気はない。単なる知的好奇心からくる遊びに過ぎない。風来坊にしても別に悪気があって飛んで来るゴルフボールをキャッチするのではない。飛んできたゴルフボールをキャッチするのが得意なだけだ。むしろ、ナイスキャッチと拍手をいただきたいくらいだと思っている。問題は、言語の相違のため、人鳥友好条約が結べないことだ。

 

 確かに、人間はカラス並みに賢い。でも、カラスと違って、人間はいろんな遊びを考えだす。自由に遊ぶことは、認めよう。多少の自然破壊も多めに見よう。ならば、カラスが遊ぶことも認めなければなるまい。人間だけがボール打ちを楽しんで、カラスのボール拾いを非難しては、自然の摂理に反するのではないか。風来坊にも人間には理解しがたい言い分があって、当分ボールキャッチ遊びをやめる気はない。ゴルフ場を周遊しては、23個は飛んできたゴルフボールをナイスキャッチして、池にポトンと落とす。その時、クラブとやらを振り回す狂人がいるが、風来坊は意に介しない。

 

 10番ホールの上空にやってきた風来坊は、黄色いテーブルが置かれたベランダに目をやった。テーブルの上には真珠色の猫が気持ちよさそうに仰向けになり万歳して寝ころんでいた。あのみっともない寝相は、まぎれもなくピエロ。風来坊は、ピエロを起こさないようにそっとベランダの手すりに舞い降りた。鉄塔の老人のようにぐっすり寝込んでいるようで、全く微動だにしない。猫は長い間人間と暮らしていたために、彼らに感化され、本来野生動物に備わっているはずの警戒心、さらに俊敏さまでもが退化してしまったようだ。

 

 しばらくピエロを眺めていたが、全く起きる気配がない。あの得体のしれない老人と同じだ。「おい、もうそろそろ目を覚ましてもいいんじゃないか。タヌキ寝入りだろ。お前さんは、ネコなんだぞ。タヌキじゃないんだ。まったく、その寝相は何とかならんのか。みっともないったら、ありゃしない。ネコの威厳ってものが全くない」ピエロのしっぽが左右に動くと、左目がかすかに開いた。

 

 大の字のピエロはニャ~と一声だすとくるりと回転し身を起こした。「何だ、タヌキ寝入りだと。俺はぐっすり寝てたんだ。カラスと違って、ネコは毎日人間のご機嫌を取って、気疲れしてるんだ。風来坊にはわかるまいがね。空を飛べるカラスがうらやましいよ。ところで、何か面白い話でも持ってきたのか?」話し終えたピエロは、右手でお尻をゴシゴシとひっかいった。気疲れしているという割には、贅沢三昧をしているように見受けられた。最近、栄養過多なのかかなりふくよかになった。

 

 「ヘ~、気疲れね~、その割には、モフモフしてるじゃないか。贅沢しすぎじゃないのか。あまり、うまいものを食いすぎると、糖尿病になるぞ。気をつけたほうがいいんじゃないか」気にしていることを指摘され、しかめっ面になったピエロは、大きく背伸びした。「いってくれるじゃないか。まあ、そのことは、もっともだ。最近、ちょっと気が緩んで、食いすぎているようだ。気をつけんとな。それより、面白い話はないのか?」ニコッと笑顔を作った風来坊は、くちばしを上下に動かした。

 

 「それがだな~、面白いというか、奇妙というか、非常識というか、全く理解しがたい現実に、今しがた直面した」両耳をピクピクと振るわせ顔を引き締めたピエロは、風来坊を見つめて話を促した。「なになに、面白そうな話じゃないか。どんな話だ」腕を組んだ風来坊は、ウ~~と一つうなって話し始めた。「今朝のことだ。俺が二見ヶ浦一帯を巡視して、いつもの休憩場所の伊都タワーにやってくるとだな、先着がいたんだ。その先着というのが、どうも、よぼよぼの老人のようなんだ。こんなことって、初めてだ」

 

 真剣なまなざしでピカピカと瞳を輝かせたピエロも腕組みをして、ウ~~とうなった。「それは、奇妙な事件だ。本来、人間は臆病と決まっている。ましてや、老人が鉄塔に登るってことはあり得ることじゃない。うちの主人なんか高所恐怖症らしく、屋根に上っただけでも足がすくむといっていた。一度観覧車に乗って、眼下のアリのような小さな人間を見たとたん気を失ったと言っていた。きっと、見間違いだ。その奇妙な動物は、ウラウータンじゃないのか?」そういわれると風来坊も自分の記憶に自信がなくなってきた。

 

 しばらく自分の記憶を確かめていたが、やはり人間のようでオラウータンではないように思えた。首を傾げた風来坊は、まん丸い目を大きく見開き返事した。「いや、老人に違いない。小柄でやせ細っていたが、白っぽい半袖のポロシャツに、ネズミ色の半ズボンをはいていた。服を着る動物は、人間だけと認知している。オラウータンであれば、全身毛むくじゃらじゃないのか。やっぱ、あれは、人間だ」コクンコクンとうなずいていたピエロだったが、疑問点を投げかけた。

 

 「確かに、人間は服を着て、オラウータンは毛むくじゃらに違いない。でも、最近のイヌやネコは、人間並みに服を着せられる。隣のエリザベスというネコは、毎日、派手な服を着せられて散歩に出かけている。飼い主は会う人ごとに「かわいいでしょ、この子」といっては満面の笑顔で自慢しているそうだ。おそらく、その服を着た奇妙な動物は服を着せられたオラウータンに違いない。もう一度、間近に見つめるといい。きっと、顔に毛が生えているぞ」

 

 しばらく記憶を再確認していた風来坊だったが、あの奇妙な動物が人間であれオラウータンであれ、勝手に登ってきて気ままに寝転がっているのだから、しばらくして目が覚めれば、勝手に降りていくに違いないと思った。それに、あの現象は、幻覚だったのかもしれないと思い、奇妙な動物についての話はやめることにした。突然、ピエロのお腹からグ~~という大きな音が飛び出した。ピエロは、朝食を済ませていなかった。主人の千春と孫の千夏は、朝早くから散歩を兼ねたランニングに出かけていた。キリンさんのように首を長くして、ピエロが二人を待っているといると玄関のほうからリリリ~~ンとドアが開く鈴の音が響いてきた。

 時々、孫の千夏は土曜日の夕方に雷山別荘にやってくる。昨夜泊まった千夏は今朝早くに千春を起こしてランニングに出かけていた。おじいちゃんに影響された千夏は、5歳にしてプロゴルファーを目指していた。「ただいま~~。ピエロ、起きた~~」千夏のかわいい声がベランダまで響き渡ってきた。ニャ~ニャ~と返事すると千夏が元気よく駆け足でベランダに飛び込んできた。

 

 テーブルの上で待っていたピエロに駆け寄ろうとした千夏だったが、手すりにちょこんと、とまっている白いハトに目が引き付けられた。一瞬立ち止まった千夏は、振り向いて千春に声をかけた。「おじいちゃん、白いハトがいるよ。早く、こっちに来て」千春はバスルームから返事した。「ちょっと待ってくれ、今シャワーだ。ハトちゃんに待ってくれるように言ってくれないか」

 

 少し肥満でくちばしが大きい白いハトをじっと見つめていたが、ニャ~~という鳴き声を聞くとピエロにエサをやることを思い出した。「今すぐ持ってくるからね。ピエロ」やっと朝飯にありつけると思ったピエロはしっぽを大きく振って笑顔を風来坊に向けた。ハトと間違えられた風来坊は、カラスとばれないうちに飛び去ろうとした。その時、ピエロの呼び止める声を聞き、開き始めた翼を止めた。

 

 「おい、もう帰るのか。まあ、たまにはいいじゃないか。千夏ちゃんは、いい子だぞ。カラスをハトと言ってくれたことだし。もう少し、遊んで行けよ」風来坊は、よく白いハトと間違えられる。白いハトと間違えられても別段構わないと思っているが、やはり、カラスはカラスであって、白いからといって決してカラスが突然ハトになることはない。時々、女子にちょっとこのハトって肥満じゃない、など言われるときがあるが、こんな時はかなり落ち込む。さらに、ハトにしてはブサイクね、とどめを刺されると地獄に突き落とされる思いになる。

 

春日信彦
作家:春日信彦
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