ピース

                   不審者

 

 今日も風来坊は春風に乗ってのんきに地球を観察している。確かにふうてんの寅さんのように仕事もせずに遊んでばかりで幸せそうに見られているが、本人は人間には理解できない重要な仕事をやっていると自負している。実のところ、地球の調和を図る仕事をやっていると自分勝手に思い込んでいるに過ぎないのだが。今朝も、根城の曽根から北上し二見ヶ浦の巡視に出かけた。この時、サーファーたちを見るたびに思うのだった。何が楽しくて板の上で踊るのか?なぜ、人間は奇妙な娯楽を好むのか?

 

 福岡市と唐津市に挟まれた糸島市は、巷(ちまた)でいうド田舎だが、春の田舎は格別に気持ちがいい。桜のピンク、レンゲソウのワインレッド、菜の花のイエロー、目に優しく心を和ませてくれる。風来坊は早朝に1時間ほど糸島の北部を巡視して、糸島オリーブ園のすぐ近くにある50メーターほどの背丈を誇る鉄塔で休憩するのを日課としていた。休憩場所というのは、その鉄塔のてっぺん近くに工事作業のために作られた約1メートル幅の金網が敷かれた小さな足場スペース。知名度のある福岡タワーをまねてその鉄塔を勝手に伊都タワーと名付けている。

 

 今日も、風来坊は伊都タワーにやってきたのだが、いつもの休憩場所に奇妙な動物の先着があった。このような経験は初めてであった。しかもその小さな休憩場所に身を縮めて寝転がっているのは、男女の区別がはっきりしない老人のようであった。ちょっと、気味が悪かったがいつものように、鉄枠にそっと舞い降りた。いったい、このけったいな老人は何者だろうと首をひねった。どうしてこんなところで老人が寝転がっているのか、ちょっと考えてみたがカラスの常識ではわかりかねた。

 

 工事作業員がたまに鉄塔に登って来て、真剣な顔をしてせまっ苦しい作業場で何やら手足を動かしているのを見たことはあったが、彼らは、まだ顔に張りのあるいきのいい青年だった。ところが、目の前の休憩場所に寝転がっているのは、気を失っているような、熟睡しているかのような老人にしか見えなかった。人間とカラスの年齢は、異なるのだろうが、直感的に人間の年齢で80歳は超えているように見えた。半袖に半ズボンの小柄な老人が、作業用の小さな足場スペースに身を縮めて寝ころんで、いったい、何をやっているのか?

 

 風来坊は夢でも見ているのかと思ったが、目の前には、顔が小さく白髪でショートヘアのジイーのよなバアーのようなのが、寝ころんでいるのは確かだった。天賦の才に恵まれた風来坊は、人間のように学校に通ったことはなかったが、博学で人間についてもかなりの知識を持っていた。鉄塔を登ってくるのは、工事作業員がほとんどで、一般の人が登ってくることはない。それは、非常に危険だからだ。その常識からすれば、今の目の前の現状は、常識に反していた。風来坊は、老人の作業員かとも思ってはみたが、あまりにも痩せこけてひ弱過ぎる。また、気絶したかのように寝転がっているのはなぜか?そのことを考えると、やはり、作業員ではないように思えた。

 

 絶景の眺望を求めて一般人でもここまで登ってくることは可能だろう。でも、80歳を超えていると思われる小柄で痩せこけた老人が、50メートルほどの高さまで自力で登ってきたと思うと人間の精神力に感心した。それにしても、こんな高さまで登って、怖くなかったのだろうか。バアさんであれば、信じられないことだ。しばらく、しわだらけの寝顔を感心して眺めていたが、寝ぼけて転落しないか心配になった。万が一のこともあると不安に思った風来坊は、ちょっと声をかけて起こしてやることにした。「おい、ちょっと、こんなところで寝るんじゃない。落ちたら、一巻の終わりだぞ。おい、早く起きるんだ」

 

 風来坊は、怒鳴るほどの大きな声で老人に声をかけたが、全く反応がなかった。このまま放って置いたからといって必ずしも転落するとは限らないと思ったが、やはり、心配になった。大声で起こしても起きないのならば、頭をくちばしでつついて起こしてやる以外に方法がないように思えた。でも、びっくりして飛び起きて、鉄枠の間から滑り落ちて頭から真っ逆さまに転落されても困る。起こしてあげたこっちが、過失致死に問われる。風来坊はちょっと躊躇してしまった。

 

 しばらく考えたあげく、びっくりさせないように、くちばしの先でほほをゆっくりかいてみることにした。鉄枠からヒョイと老人の左肩に飛び乗った風来坊は、寝顔の左ほほを直線を引くようにくちばしの先で23度ひっかいった。そして、耳元で声をかけた。「起きるんだ。こんなところで寝るんじゃない。落ちたらどうするんだ。早く、起きろ。起きろ」声をかけては、くちばしの先で頬や額をひっかいたが一向に目を覚ます気配は見られなかった。

 

 大声を出してもくちばしでひっかいても起きないところを見ると、このまま後12時間は起きそうにないように思えた。このままぐっすり寝かせておけば、いずれ目が覚めて無事に降りて帰るようにも思え始めた。余計なおせっかいはやめて、小柄な老人をこのまま寝かせて、鉄塔の南側に見えている雷山(らいざん)別荘に行ってみることにした。そこには、ゴルフが趣味の主人と同居しているマンチカンの丸顔ピエロがいた。ピエロは美意識過剰のピースと違って気取ったところがなく、気心が知れていた。

 

 突然、飛び起きた老人が、枠から転げ落ち、眼下の竹林に墜落しないかとの一抹の不安はあったが、心配ばかりしていてもどうすることもできないと思いパタパタと飛び立った。飛び立つとすぐに老人に振り向き一瞥(いちべつ)したが、やはり、目をしっかり閉じてぐっすり寝入っていた。糸島オリーブ園の上空を過ぎ去り、時計回りに巡視を兼ねて迂回していくことにした。平原歴史公園西側上空を通過し、南東に向かい観光客でにぎわっているファームパーク伊都国上空を通過した。そこから南方面に見える雷山ふもとの色とりどりの別荘を目指し、のんきに北風に乗って流されているとほどなくして雷山別荘に到着した。

 

               疑惑

 

 ピエロの別荘は雷山ゴルフ場の10番ホールの南側にある。たまに、ベランダのテーブルの上で無防備に寝転がって、日向ぼっこをしているピエロを発見することがある。風来坊は、ゴルフ場に到着するとコースを反時計回りに大きく一周巡視するのだったが、ゴルフボールを持ち逃げされた恨みなのか、目を吊り上げてにらみつけるプレーヤーがたまにいた。今日も2番ホールの上空に差し掛かると「コラー、撃ち落としてやる」とわめきたてたおっさんがいた。もっとも、ゴルフボールとやらが、高級品ならば、怒り狂うのも無理はないのだが。

 

 確かに、カラスの仲間には、ゴルフボールをくわえて逃げ去る輩もいるが、別に悪気はない。単なる知的好奇心からくる遊びに過ぎない。風来坊にしても別に悪気があって飛んで来るゴルフボールをキャッチするのではない。飛んできたゴルフボールをキャッチするのが得意なだけだ。むしろ、ナイスキャッチと拍手をいただきたいくらいだと思っている。問題は、言語の相違のため、人鳥友好条約が結べないことだ。

 

 確かに、人間はカラス並みに賢い。でも、カラスと違って、人間はいろんな遊びを考えだす。自由に遊ぶことは、認めよう。多少の自然破壊も多めに見よう。ならば、カラスが遊ぶことも認めなければなるまい。人間だけがボール打ちを楽しんで、カラスのボール拾いを非難しては、自然の摂理に反するのではないか。風来坊にも人間には理解しがたい言い分があって、当分ボールキャッチ遊びをやめる気はない。ゴルフ場を周遊しては、23個は飛んできたゴルフボールをナイスキャッチして、池にポトンと落とす。その時、クラブとやらを振り回す狂人がいるが、風来坊は意に介しない。

 

 10番ホールの上空にやってきた風来坊は、黄色いテーブルが置かれたベランダに目をやった。テーブルの上には真珠色の猫が気持ちよさそうに仰向けになり万歳して寝ころんでいた。あのみっともない寝相は、まぎれもなくピエロ。風来坊は、ピエロを起こさないようにそっとベランダの手すりに舞い降りた。鉄塔の老人のようにぐっすり寝込んでいるようで、全く微動だにしない。猫は長い間人間と暮らしていたために、彼らに感化され、本来野生動物に備わっているはずの警戒心、さらに俊敏さまでもが退化してしまったようだ。

 

春日信彦
作家:春日信彦
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