ハイドンとモーツァルト

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用語集

芸術家論をします。アーティスト論、クリエーター論、モノづくり論です。それから近代の生産と消費の構造を大局的につかむためのクリティーク(吟味)をします。音楽社会学、社会哲学です。ハイドンとモーツァルトを軸に論攷いたしますが、この二人についての音楽批評ではありません。難しい言葉を使いません。日常語を使います。思想書というものは、著者と読者の「周波数」がぴたりと合えば難解な内容でも読んで楽しいものです。しかしそれが合わない場合は苦痛ですから、まずここでつかう用語の定義をします。ここで一般の言葉を一般の意味とちがう形式で用います。本文は用語集の後にはじめます。

(語句の定義)
「注文者」モノまたはサーヴィスを発注する側の人。直接消費する者はもちろん、仲介貿易商人等も含む。前近代の概念。
「生産者」モノまたはサーヴィスを生産する者。
「モノまたはサーヴィス」通常いうところのモノ(自動車、洋服等々)、サーヴィスのほか小説や音楽作品や演奏や哲学者の著書など人間の行うほとんどあらゆる種類の活動の結果生産されたもの。
「注文生産」注文者の発注により生産されるモノまたはサーヴィス全般。直接消費する者の発注のみならず仲介貿易商人等による発注も含む。共通項は互いに顔が見える、具体的に注文条件がわかること。ゆえに「個性」が発注者側にある。受注者は好き勝手にモノまたはサーヴィスをつくれない。それは許されない。生産者が注文者の都合に合わせる。前近代の生産様式。
「非注文生産」一九世紀初頭から始まった近代の生産様式。消費者が生産者の都合に合わせる。注文生産が必ず生産の先に注文があるのに対して、この生産様式では注文に先立ってモノまたはサーヴィスの生産が行われる。当該生産物を誰が消費するのか不明。顔がみえない。「個性」を生産者側が持つ。消費者は生産者の生産物に自らを従わせなければならない。非注文生産様式と産業革命後の巨きな生産能力とが結合すると莫大な潜在的製造能力を持つ。したがって生産物の販売に苦慮する。好不況の周期的経済変動の起動因になる。
「反注文生産」前項と同義。ただし非注文生産が価値判断を含まぬ中立概念であるのに対して、これは強烈な価値判断を有す。すなわち注文生産を賎とし非注文生産を俗とし自らを尊とする高低貴賤の価値意識である。
「近代」一八世紀末から現在までの時代。モダンともいう。この小論は現今をポストモダンとする思考態度を採らない。近代を「個性」が注文者から生産者へ移転する過程と定義する。近代は各種生産者が「個性」を独占する時代である。
「消費者」近代の概念。注文者と似るが、注文者が注文のあとに消費もするのに対し消費者は注文できない。注文以前に生産されたモノまたはサーヴィスを突きつけられる。個性の所持を禁止される。
「殿様たち」注文生産の世界の住人。近代に入り実力を失う。王侯貴族。
「ブルジョワ市民」非注文生産の世界の住人。近代に入り実力をつける。
「知識人」反注文生産の世界の住人。反骨反俗を誇りとしそれらを製造して生きる。このゆえにブルジョワ市民と同じ穴の狢である。
「神経労働」生活のため意志に逆らって自己の筋肉頭脳を動かして働くこと。内田義彦氏の著書『資本論の世界』(岩波新書)による。
「労働者階級」一九世紀にマルクスたちが造った言葉。非注文生産様式の伸張に依ってできた。現今は会社員またはサラリーマンという。労働者は職場では雇い主が独占する「個性」に心身を従わせる義務がある。その会社の色に身を染める義務がある。ところで労働者は即消費者でもある。消費者としての労働者は生産者が独占する「個性」を消費しなければならない。あてがられた商品を消費して生きる以外に生きる術を持たない。ゆえに労働者は二重に個性を剥奪されている。会社で神経労働を、プライベートでは神経消費を強いられる。
「ハイドン」注文生産の作曲家。
「モーツァルト」注文生産と非注文生産の時代のはざまで引き裂かれた作曲家。
「ベートーヴェン」非注文生産の作曲家。
「シューマン」「ヴァーグナー」彼らから反注文生産が始まる。
「シェーンベルク以降」さらに益々反注文生産が強まる。この小論はシェーンベルク以降二〇世紀音楽がアンチ一九世紀を目指したと言う歴史観を採らない。現代音楽は一九世紀以来の立場の強化であるとする。
「音楽史」ほとんどすべての音楽史書が王侯の召使としての楽師から自立した芸術家への発展という図式を下敷きにして物語を拵える。この小論はそうした暗黙あるいは無意識の前提を排し、注文生産→非注文生産→反注文生産の変化として音楽史をとらえる。
「クラシック音楽」通常の言説では作曲家の純粋な内発的創作意欲から創造されるゆえ高尚だとされる。この小論では反注文生産音楽であると考える。
「ポップス音楽」通常の言説では、売らんがため聴き手に阿諛する低級な音楽だとされる。この小論では非注文生産音楽だと考える。つまりクラシックもポップスも聴衆の注文に先んじて作曲し世に問う、その点では全く同じである。
「純文学」通常の言説では作家の純粋な内発的創作意欲から創造されるゆえ高尚文学だとされる。この小論では反注文生産小説であると考える。
「大衆小説」通常の言説では売らんがため読者に阿諛するから低級小説だとされる。この小論では非注文生産小説だと考える。つまりクラシックもポップスも聴衆の注文に先んじて執筆し世に問う、その点では全く同じである。
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金井隆久
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