私はコレでタバコやめました

第一章 いらぬ前書き

私は、禁煙も賭け事をやめることも依存症からの脱却ではないかと思います。


自分をあざむかず、自分のために、自立し自分は自分らしい、唯一の方法で行動したらよいと思います。


自分のほかに確かなものはなく、自分を変えるのは自分です。


悔いのない人生を送りましょう。


病気で、行動したくても出来ない人もいます。


今、自分が行動できることに感謝して、自分を輝かせてください。


人を見て、人の行動を真似て行動するにも限度があります。


自分らしい方法なら、迷わず自分の思うままに、自分を変化させることができます。


「 禁煙 」をチャンスと考えて、自分の心に挑戦してください。

 

禁煙すれば寿命が延びて、長生きするとは言いません。


禁煙しても、喫煙しても、死ぬときは死ぬのだと思います。


禁煙などは小さなことで、大麻やコカインなどの麻薬を止められない人は、もっと深刻だと思います。

 

私は、若いとき、ルーレットは遊ばないが、パチンコなどという投機的な遊びに依存したことがあります。


律儀にも、一日に一回、パチンコを遊ばないと落ち着かないのです。


私は、女房の親戚が我が家を訪問したときも、遊んだことがあり、その結果は、大損して一万五千円も、浪費してしまい、後になって、女房の親戚にご馳走を振舞えば良かったと、後悔したこともあります。


あるいは、パチンコで手持ちの現金を使い果たし、我が家に現金を取りに戻り、それから再び遊んだこともあります。


そうして、儲けたことは覚えていません。


負けることを承知で、賭け事をする。


一種の「 自虐行為 」で、それを「 快感 」と思うところに、「 異常性 」があることに、気づかない私でした。


真面目ですが、人生の楽しみとか趣味が無い人が、賭け事に負けるのではないかと思います。


私の場合は、度胸が無くて、楽に儲けようという、自分勝手な人生観だったと思います。

 

こんな私でも、1226日でもって禁煙し、もう十年以上も禁煙しています。


私の知り合いに、「肺ガン」の疑いがある同僚がいます。

彼は、共稼ぎで、経済力も充分に有ります。その彼が、「肺ガン」の疑いで、先日、細胞を取って調べてもらいました。

彼は、負けず嫌いで、人の忠告に従って禁煙する事を、断固として断っていました。

今度は、自分の身体からの忠告ですので、禁煙するでしょう。

人に見せて「禁煙」するのではありません。人のために「禁煙」するのではありません。

人の目を気にせずに、禁煙しましょう。

 

私は、タバコを止めた後、ブログを書き始めました。


タバコを吸いながら、ブログを書いても良い物は作れません。


なぜって ? 


テレビからの情報なんですが、脳の信号伝達を、本来の伝達物質に代わって「ニコチン」が、その役を演じているから、イライラするのだそうです。


タバコを吸って、スッキリするのは、「ニコチン」があなたの頭脳を占領している証拠です。


タバコを吸っても、吸わなくても、脳は働くのです。

 

吸わない場合は、「クリーンなエネルギー」で脳は働くでしょう。


タバコを吸っていると、脳だけでなく、肺などの臓器も「ニコチン」に汚染され、病気になったあなたを親身で心配するのは、「 妻や子 」だけだと思います。


そんな人を泣かせてどうするのですか?


タバコを止めない「 あなた 」が「 諸悪の根源 」です。


「 止めなさい 」と言われるうちが「花」です。


 そのうち、無視されます。 


 その時は、あなたには、あなただけしか味方はいません。


あんなに自堕落な私が、精神力で、タバコを止めましたから、大変、自信を持って言えます。

 

           「 タバコは、止められる 」

 

禁煙して思ったことは、本来の身体は、綺麗で必死に生きようとしていることです。

 

人間は、自我で、身体を汚しますが、ニコチンで汚すのは「 あなた 」です。


このままでは、あなたを慕う「 妻や子 」が泣きますよ。


一刻も早く、禁煙する事をお勧めします。

第二章 「 禁煙セラピー 」の読書感想

今日、古本屋で、「 禁煙セラピー 」 (著者)アレン・カー・(訳者)坂本章子 を買いました。


私は、禁煙していますが、この本を読むと、色々と考えさせられる事があり、「 禁煙セラピー 」を読んだ感想文を書きたいと思います。


あなたの近所の古本屋に、本が有るかどうか調べてください。


定価は、900円ですが、平成16330日で、165版発行になっていますので、きっと安く入手できると思います。


それを見ながら、「 禁煙 」について、一緒に語りましょう。


ここでは、この本の感想として、記事にしました。


興味が出てくれば、原本をお読みください。


No を付けていますが、これは、「 禁煙セラピー 」の進行に合わせたものです。

 

( はじめに )

 

私は、「親に無理やり連れてこられた、禁煙する意志など、これっぽっちもない若者」を禁煙させる事は出来ません。


私は、禁煙を真剣に考えて、「禁煙をしようという決意を持った人」である事を対象にします。


まず、自分の心に、素直に話し掛けてください。


「私は、本当に、禁煙をしたいと思っているのだろうか?


もしも、禁煙を望むなら、簡単です。


アレン・カーは「喫煙を止めるのが怖くて心を開けない」から禁煙できないと書いていますが、違うと思います。





禁煙している自分の姿を、信じる事が出来ないのです。


自分が、自分を信じられないから、禁煙が成功しないのです。


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アレン・カー氏は、

「一度は禁煙したのに、また始めてしまった人です。禁煙できた時は、とても喜んでいたのに、また罠にかかってしまい、もう二度目は効かないのです」

と書いています。

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しかし、私は違うと思います。

 

自分を信じられないから、禁煙する事が出来ないのです。

 

 自分を信じて、禁煙にチャレンジしてください。

 

 

アレン・カー氏は、「なぜ禁煙が難しいのか」を理解することを言います。


禁煙は心の問題なのです。


これは、正しいと思います。


自分を良く見なれけばなりません。


 一種の「哲学」です。


アレン・カー氏は、自分の指示に従うように書いています。


私は、この本に従って禁煙はしなかったのですが、従った方が楽かも知れません。


アレン・カー氏は、お菓子やチューングガムなどの代用品を使わない方法ですが、私は、お菓子を使いました。


私は、タバコを吸わないなら、水やお茶などの代用品を勧めます。


お菓子は、肥満になり、後日、大変に苦しみます。


そして、アレン・カ氏は、タバコに関するあなた自身の考えや世間一般の常識に疑いを持ちなさいと書いています。


タバコを習慣と思っているなら、身体に毒のタバコは止めたほうが良いでしょう。


アレン・カー氏が書くように、ほかの習慣を持つこと。


それは、本当だと思います。 


習慣が一番ダメです。


習慣は人格を作り、根本的に「あなた」をダメにします。

 

 自分が、自分を信じられなくなるのも、この習慣のせいです。

 

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アレン・カー氏は、タバコはおいしいと思っている人は、タバコをいつも、傍に置いていなければ、安心せず、無い場合は、パニックに陥るのはどうしてですかと書いています。

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かっての私もそうでしたが、これは、自分が自分を信じれない人の悲しさだと思います。


健康的な「おいしさ」ではなく、身体に害があるタバコを吸うなどは、自殺行為です。


すぐに、タバコを捨てなさい。


一箱の中に、何本、タバコが入っていても、すぐに捨てなさい。


惜しむのはタバコではなく、あなたの身体の状態です。


タバコを吸えば吸うほど、ダメになります。

 

No1、 私もニコチン中毒だった。(私こと筆者の告白)

 

私は、五年以上前ですが、一日に30本は、吸っていました。


大学の頃から吸い始め、マージャン・パチンコなどの時は、必ず吸っていました。


最初は、軽いタバコでしたが、だんだんニコチンの量が増えてきました。


喫煙の決定的瞬間は、大学の卒業論文を書く時です。


タバコを吸えば、リラックスしたようになり、どんどん書けました。


それからは、坂道を転がるボールのように、タバコを吸い始め、手が黄色になりました。


就職してもタバコは止めません。


研修が一時間ごとに区切ってありますが、あれは喫煙タイムだと思い、感謝して吸ったものです。


私の若い頃は、禁煙している人は、稀で、喫煙者が多く、タバコも専売公社で、国がタバコを売っていました。


私は、国家に協力しているつもりで、バンバン、吸いました。


健康なんて、タバコを吸っている間は健康で、タバコを吸うのは健康の証拠だと思っていました。


駅のプラットホームで、ポイ捨てし、タバコを吸いながら街を歩き、路上に、ポイ捨てしました。


皆さんがポイ捨てする気持ちも解りますが、あまり行儀の良い行為ではありません

 

結婚後はもちろん、子供が生まれても、タバコを吸い続けました。


赤ちゃんの前では、さすがに吸いませんでしたが、別室で吸っていました。


その当時は、「 ベランダで 」という智慧はありませんでした。


ですから、別室はタバコのヤニで黄色です。


パソコンを置いている部屋が、別室で、今も黄色い壁紙のままです。


そのうち、子供が大きくなって、幼稚園の陶芸教室で、私の為に、真っ白な「 灰皿 」を作ってくれました。


そこで、タバコを吸う事を反省すべきなのに、あろうことか、その「 灰皿 」を、「ありがとう」と言って使っていました。


ホントにバカな親です。


家の中での受動喫煙などは、思いもつかず、室内でタバコの煙を吐き、家族の健康については考えていませんでした。


そして、決定的な事が起こりました。


私は、友達が集まる念仏会に参加しまして、昼休みにタバコを吸ったのに、皆が念仏の最中なのに、部屋を抜け出して、タバコを吸ったのです。



私は、「 自分は地獄に落ちるな 」と思いました。



その時のタバコは、ちっとも美味しくなかった事を覚えています。


これが、私が行き着いた、喫煙の果てでした。

 

私が、念仏修行から抜け出して、タバコを吸ったという罰当たりの行為を書きましたが、この念仏修行で、「 どうしてタバコを止められないか 」と、考えるようになりました。


このままでは、地獄に落ちるとは思いませんが、それから吸うタバコは少しも美味しくなくなりました。


しかし、惰性はありました。

 

常に、新品のタバコ一箱を所持しないと不安なのです。


朝、タバコを買いまして、幸せな気分で一服します。


お昼休みの頃は、15本ぐらい残っています。


仕事が終わり、家路につく頃は、8本ぐらい残っています。



そこで、不安になります。



タバコが好きな自分は、明日の朝まで、8本で大丈夫なのか? という不安です。



不安だから、新品のタバコをもう一箱、買って、この新品のタバコの封を切らないと誓う。


なのに、残りの8本を吸ったら、その瞬間、新品のタバコの封を切って、タバコを吸っている。


朝には、全部、吸ってしまい、結局、その日は二箱のタバコを吸ってしまった事になる。


ここで、気付きました。

 

  

自分は自分を信用していない!!




 

No2, なぜこんなにやさしく禁煙できるのか

 

私は、自分の本当の願いが「禁煙」である事に気づけば、「やさしく禁煙できる」と信じています。


アレン・カー氏は、「 タバコの奴隷となった喫煙者の恐怖心」は、「タバコを失う事」だとしていますが、私は、「 禁煙した本当の自分を見たくないからだ 」と思います。


私は、喫煙者は、自分をリラックスさせて、仕事に励もうとか、イライラする気分を無くそうとしている事は、認めます。


真剣な喫煙者がいます。


創造的な仕事をする人は、喫煙するかも知れません。


しかし、自分が、本当に創造的な仕事をしているか否かを、良く考える方が良いと思います。


自分の健康を失してまでも、タバコを吸い続けるべきか否かを、妻や両親と相談してください。


禁煙する事は、コミュニティを失う事も事実です。


しかし、喫煙者から離れなければ、禁煙する事は出来ないと思います。


その意味でも、本当に、禁煙が自分の「願い」か否かを、自分で決めてください。


禁煙するのも、喫煙するのも自由です。


それは、「 あなたが、決める事 」で、妻や両親は悲しむかも知れませんが、あなた以外の人は、そのことについては何も言えません。


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アレン・カー氏は、「①、今吸っているタバコを消した瞬間、あなたはタバコをやめたことになります。……(省略)……しかし、問題は二日目であり、10日目であり、一万日目です。意志が弱くなった瞬間、酔った弾みに、ちょっと一本吸ってしまいます。……こうして、喫煙者に逆戻りするのです」と書いています。

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私は、もしどうしても一本、吸いたい場合は、吸っても構わないと思います。


その次から、決して吸わなければ良いのです。


一本、吸ったら喫煙者というのは、間違いです。


禁煙を続ける事は辛いですが、禁煙を続けるほど、逆戻りはしません。


要は、身体全体が、「喫煙者」なのか「禁煙者」なのかです。


禁煙を続けていれば、身体が「禁煙者」ですから、すぐ禁煙のサイドに移ります。


一本吸ったら、禁煙者に戻る事は可能です。


問題は、本当に禁煙をするかどうかの決意が有るか無いかです。


ただ、記念日に、ちょっと一服という気持ちになりますが、それから続く禁煙の事を考えると、一服をしない方が良いでしょう。


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アレン・カー氏は、「人は緊張した時に、タバコを吸います。健康のことを考えると恐怖心で気持ちが張り詰めかえってすいたくなるのです」と書いています。

 

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これは、喫煙者がいう言い訳だと思います。


タバコはリラックスするために吸うというのでしょう。


しかし、「 自分は本当に禁煙したいと思っているのか、私は、何を守ろうとして禁煙したいと思うのか?私の願いは本当に禁煙であるか? 」を、良く考えなければならないと思います。


本当に「守るべきもの」が無ければ、戦うのは無意味です。


「 守るべきもの 」が「 健康 」ならば、禁煙しなくてはならないし、私のように、「 自分の欲望に逆らうため」「 自分を信じるため 」であれば、やはり戦う事になります。


守るべきものが何かにより、戦法も違います。

 

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アレン・カー氏は、「マースデン病院 (英国の有名なガン治療センター) の前の道には、他のどの病院よりも多くのタバコの吸殻が落ちているのも事実です」と書いています。

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私は、守るべきものが「自分の欲望に逆らうため」「自分を信じるため」ですから、「 死 」を目の前にしているガン治療者に、禁煙は要求しません。


死を前にしたら、モルヒネも使います。


死を前にして、「 タバコ 」がモルヒネと同じ効果を持つのなら「 タバコ 」を吸うでしょう。

 

この事について、少し書きます。


私は、余命を宣告されたら、タバコを吸うつもりです。


ですから、本当の意味では、禁煙者ではないと思います。


私は、「 タバコ 」をモルヒネのような物だと考えています。


長い人生なのに「 モルヒネ 」は、害毒です。


もっと、良い物が、幾らでもあるはずです。


もう一つ書きます。


喫煙者は、「 タバコ 」を吸って、本当の自分を忘れたい、変身して、違う自分になりたいと思っているんではないか?と思います。


かっての私もそうでしたが、それは、自分の可能性を否定しているのではないか?と思います。


その意味で、自分を信じていないし、一瞬は、ニコチンの力により、ファッとした良い気分になるかも知れませんが、その次に吸った時は、「まずい。なんてまずい物を吸っているのだろう。しかし私は止められない」と思うでしょう。


それは、自分を信じていないだけでなく、自分を虐待しているのだと思います。


本当の自分を大切にする事をせずに、故意に、仮面を被っているのです。


もう「  変身願望は捨てましょう」。



大人なのですから。



kandk55
作家:高口克則
私はコレでタバコやめました
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