コインの裏おもて

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第一節 近代人デカルト

 これから広い意味での近代、この時代のものの観方の功罪ということについて考えていきたいとおもいます。
 いま私たちは豊かな時代に生きています。家にはモノが溢れかえって、もう欲しい物はないくらいです。この上ないくらい幸せなはずなのに、私たちはなにかものたりない、不安やあせりを抱えて生きています。最近そうした不安は急に大きくなってきたようです。この先ますます悪い時代になっていくのではないか、そんな予感を感じています。
 近代について考えるといってもあまりに茫漠としていて、私の手に負えるものではありません。そこでそうした不安や憂いの根本にはなにがあるのだろうか、またいったいなにをよりどころにしてこれからの新世紀を生きればいいのか、という問いをたて、近世の哲学者デカルトの「我思う。ゆえに我あり。」という言葉をキーワードにし、その思索の構造をたしかめることで考えていきたいとおもいます。
 デカルトは十七世紀に活躍した人です。一五九六年にフランスのラ・エーという町に生まれ、哲学者・数学者・科学者として仕事をしました。この時代はまだ学問分野が細かく分かれておらず、哲学と科学を両立することはむしろ普通だったのですね。
 かれはまず数学者として非常に優秀な成果を上げました。解析幾何学を作り上げたのです。私は数学について門外漢なので詳しいことは申せませんが、現代の技術文明は解析幾何を抜きにしては成りたたないそうです。つまりデカルトは現代の科学・技術の基礎を築いた大功労者なのです
 デカルトはまた哲学の分野でもたいへん大きな功績を果しました。それは一言で云えば近代自然科学と社会科学の方法論の基盤を確立したということです。
 すでにデカルト以前から近代科学の営みは始められていたのですが(例えば有名なガリレオ・ガリレイなどがいます)、その科学の方法を明瞭に哲学的に基礎づけたのがデカルトです。つまり、ありがたいことに私たちが今こうして豊かな生活を享受させてもらっている現代の科学・技術はみなデカルトから始まると言ってもいいのです。そこでデカルトのことを近代合理主義の祖などといいます。
 しかし振り返って反省してみて、私たちの生活は明るく楽しいことばかりでしょうか。毎日明るく弾んだ気持ちで生活していますか。朝はさわやかにパッと目覚め、労働を喜び、家族の団欒を心から楽しんでいるでしょうか。生きるために、あまりやりがいを感じられない職種に就いている人もたくさんいます。子供の学校の成績が上がらないと愚痴りたくなるときもあります。
 そうしてどんなに幸せに暮らしている人であっても、ふと私はどこから来て、どこへ去っていくのだろう。私はいったい何のためにこの世に生まれてきたのだろう、とそんな疑問が心の隙間を埋めてしまうときがあると思います。
 しかしこの激しい競争世界で、常識でよしとされている「生産や上昇向上、前向き」といった価値観に逆行することを考えてはおられません。そこで私たち現代人は、そうした人として根源的な疑問が胸のうちにこみあがってくるたびに、懸命に努力をして押し殺し、外見だけは軽く明るく、面白い人間としてふるまっている、それが実際ではないでしょうか。そうした無理が蓄積して、私たちはいつも半健康(病気ではないけれどとても健康とはいえない)で、ストレスを抱え、豊かな時代にもかかわらず何かしらうまく言葉には言えない不満を持って暮らしている。最近はよく「物質文明の時代は終わった」などと聞きますが、これはこうした不自由な時代は嫌だ、人と人が裸の心で触れ会える社会にしたいという私たちの願いでしょう。
 それではそうした近現代のマイナスの部分はいったいいつ頃から現れたのでしょうか?
 多くの人はイギリスの産業革命からじゃないか、と考えると思います。少数の豊かな資本家と、生産手段を持たない数多くの貧しい労働者が分離して、人の労働からの疎外がおこり、さまざまな社会問題が頻発するようになるのは確かにこの時代です。しかし私は、それは産業革命期に目に見えるように顕在化しただけで、そうした近代の陰の部分もまた、実際はデカルトの仕事から始まるのではないか、と考えるようになりました。
 けれども誤解して欲しくないことは、デカルトはやはり近代合理主義を確立した人だということです。デカルトは人間の良識と尊厳を信じ、その自由意志を高く評価した人でした。
 ただデカルト本人もおそらく意識しなかったでしょうが、彼がした仕事の裏側で近代の負の部分も創始してしまったのではないか、陽の面と陰の面はあたかも一枚のコインの裏表のようなもので、切り離すことはできないのかも知れないとすれば、私たちがいま豊かな生活を享受している以上、その豊かさを手放さずにマイナスの部分だけを追放することは不可能なのでは?
 それでは私たちはどのようにして仕合せに近づけるのでしょう。そうしたことをこれから
「私は考える。だから私はある。」
という言葉をめぐって考察していきたいと思います。

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金井隆久
作家:金井隆久
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