どんなに大事にしても、使う人の心がにごっていれば、その物には、なんの意味もありません。
何故なら、物はきれいな心も汚い心も、両方吸収するからです。
私達は、日常でたくさんの物を使いますが、ずっと大事にし続ける物は、まれです。
しかし、愛着がわき、どうしても捨てられないものがあれば、その物は、大きな意味を持っています。
例えば、身につけるものです。これには、深い愛着がわいてきて、ずっとつけ続けたりしますね。
時計やアクセサリーやパワーストーンがそうです。
私は以前、とても好きな人がいましたが、その人との縁は完全に切れました。でも、その人がいつもつけていたパワーストーンを今も懐かしく思い出すのです。
もう私の中に、その人への思いはあるかどうか定かではないのですが、私はあのパワーストーンが懐かしいです。
もし捨ててしまっていても、また別のをつけていて、大切にしていたら、ああやっぱり変わっていないな、もとのままの懐かしい人だなと思います。
パワーストーンが時空を越えて、死後の世界で再会する目印になるような気がします。
物にはそういう、深い意味が入ることがあるのです。その人がパワーストーンを愛したから、
また、私もその人を一時愛したから・・・。
その恋は破れ、私は遠く離れましたが、時空というものは不思議なもので、物によって人と人をつなぐ力がありそうです。
私はある人に、宝物をごっそり捨てられましたが、最近、髪どめを買いました。すると、その髪どめは、捨てられたものの魂を宿しているような気がしました。
物は生まれかわるという著書でも書きましたが、本当なのですね。
うまくいくことも、いかないことも、私の新しい宝物は、吸収する、そして私を浄めてくれる。
悪想念のかたまりの人には、この感覚はないでしょう。
理不尽に人を傷つける人の物は、よどんでいます。
心をきれいにしたくて、いつも傷ついている人の、永遠への架け橋を、宝物はつくります。
私は宝物を捨てられた。でも、その宝物は天国にちゃんと保管されている。それを、新しい髪どめが教えてくれました。
失ってもまた巡りあえる、本当の愛と同じで、心がきれいだったら、必ず心の傷を埋めてくれる人が現れる。物もそのひとつです。