付録:誕生から死後までの意識

追記 「誕生から死後までの意識」に於ける課題に対する私の解釈

付録を書いてもまだ分からないという女性の意見に答えまして、私が電子書籍に於いて課題と考えたこと、及びそれに対する私の解釈を書きたいと思います。

 

A)   発刊した動機と課題と考えたこと

 

私をカラオケに誘って頂き、飲食を共にした守山区の小林という市民係長が、60歳の定年を迎える前に肺ガンの末期で退職され、自宅療養で亡くなりになった事をきっかけにして、私はブログ「 好き勝ってな老人の話 」を立ち上げ「 自分探し 」をはじめました。

同ブログは、平成291231日を以て廃止しましたが、その総括が「 誕生から死後までの意識 」あるいは「 付録 誕生から死後までの意識 」でありまして、これは亡くなった市民係長への追悼の小説であります。

 

「 自分探し 」をする中で、1、上杉謙信の「 死中生あり 生中生なし 」や、2、ゴーギャンの「 我々はどこからきたのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」とか3、般若心経の「 色即是空 空即是色 」や4、キリスト教の「 カエサルのものはカエサルに、神のものは神に 」とか、5、空海の「 生まれ、生まれ、生まれ、生まれて、生の始めに暗く、 死に、死に、死に、死んで、死の終わりに冥し。 (空海『秘蔵宝鑰』)」などという言葉に出会いまして、これらは、死に向かう人の言葉のように感じまして、これらを一連の言葉で解釈し直すことが、小林係長への供養になり、ひいては私の死への覚悟をさせてくれるのではないだろうかと考え、これを私の「 課題 」としました。

 

一連の物語にするために使った道具としての言葉は「 宇宙エネルギー 」と「 生命エネルギー 」と私の持論である「意識は電磁波の構造を持つ」という考えと、生気論の「 気(ki)」や西洋の思想である「万物は流転する」とか「 エネルギーは形を変えるが消滅はしない 」(エネルギー保存の法則)という考えでした。

 

それらを使い、上述の言葉を、とかく批判の対象となる日本の神仏習合(明治維新に伴う神仏判然令以前100年も日本に続いていた)のもとに一連の「 物語 」として構成しようとしたのが「 誕生から死後までの意識 」という電子書籍でして、これはあくまでも小説で、私の「好き勝ってな老人の話」というブログの総括、つまり「 自分探し 」の総括ですので、鼻で笑われても文句は言えないシロモノです。

 

B)   私の解釈

 

私の小説の中では、エネルギーと気(ki)は、同義です。

物語のあらすじは、生殖により、「 宇宙エネルギー(気(ki)) 」(自然エネルギーと同義)が生き物を生かす「 生命エネルギー(気(ki)) 」に「 形 」を変えて、生き物のDNAに応じて、電場が磁場を生むようにエネルギーが意識を派生させ、右脳から空間意識を左脳から時間意識を派生させて「 誕生 」し、その後、脳が自ら作った「 時間 」や「 空間 」という概念で、経験した衝撃(エネルギー)を出来事の「 因果関係 」という「情報」として保存し、深層意識に蓄積し、自分が今後生きるための、無意識で流れるものである「 能力 」とし、日々、流転する宇宙エネルギーの気(ki)に生命エネルギーの気(ki)を呼応させて、その気(ki)を意識層から無意識層に貫く時間軸である左脳と空間軸である右脳を通じて、これまで蓄積した、無意識で流れる自分の可能性である「 能力 」を呼び起こし、そして行動に至ると考えます。(意識は電磁波の構造を持つ)

 

 

肉体と意識との統合を「 霊 」と解釈します(人間が霊長類とよばれる)が、「 霊 」は人間が考えた概念であるという点で、「 意識 」であり、「 霊 」の目指す所は「 人格の完成 」であり、ブッダがその象徴でしょう。

「 仏 」がブッダで「 覚者 」や「 悟った者 」であると解釈しますと、悟ることは「 人格の完成 」と言えましょうが「 神 」(エネルギー)になったとは考えませんので、ブッダの思想である仏教には「 神 」になる教えは無いと考えます。

神風特別攻撃隊員を死地へ向かわせる際、その命を下す上司が「 死んで神になれ 」と言ったらしいですが、戦死すれば靖国神社の桜になるのではなく自分を産んでくれた故郷の自然エネルギーに戻ると私は思いますから、人間はすでに神の子とする私の本意ではないですが、「神」を自然エネルギーとするのであれば、その言葉は正しいということになります。

 

 

「 生命エネルギー 」から派生した「 意識 」は「文化」という違った形になり、生きている他者の可能性となりますが、「生命エネルギー」の終焉である死によって、意識と肉体からなる「 霊 」はその結合を解き、意識は文化として社会に残り、肉体は屍と「 宇宙エネルギー」(自然エネルギー)に分離し、前者は地球の土に、後者は地球を取り巻く「大気」に混じるだろうと思います。

私は「 宇宙エネルギー 」(自然エネルギー)を「 神 」と解釈し、日本の宗教である神道の「八百万の神」を自然エネルギーであると解釈し、神(自然エネルギー)と人間とを取り結ぶ場所が「 神社 」であり、人間は等しく神の子として生まれ、生存中は人格の完成である「 仏 」を目指すべきと考えます。

このように、神仏が習合したもの、宇宙エネルギーと生命エネルギーが一体となったものが人間であると思います。

今の私は「宇宙エネルギーの気(ki)」の結晶に過ぎず、台風などの「 現象 」と同じ「 現象 」であり、台風が消滅すればエネルギーに戻るように、現象である私も、死ぬことにより、私を産んでくれた「宇宙エネルギーの気(ki)」に戻るだろうと考えます。

 

 

C)   課題に対する私の解釈

 

この循環が、上述の2,4,5、の言葉の内容であり、1、の言葉はその経過を示すものと解釈しています。


ただ、もう一つの3、の言葉は、「 宇宙エネルギー 」(自然エネルギー)の循環であると捉えて、西洋のエネルギー保存の法則や万物は流転するという思想で解釈してみました。

この3、は「 存在 」(真理)を、脳の産物である「 時間 」が混じった「 実体 」の観察を通して認識することが可能であるかについて疑問に思うので、「 第四章、実存主義から得たもの 」の中で「 真理 」は生きている内には分からないかといえば、分からないだろうと書きました。

これらの解釈の様子は、電子書籍で該当箇所をご覧ください。

また、3、の言葉は「 般若心経 」の一節ですが、テレビなどを視聴しますと、山岳信仰に現れる山伏が、山岳が持つ自然の霊力を身に付けるため日本各地の霊山と呼ばれる山々を踏破し、山伏修行をする際、霊山の中に設けられた祠で唱える経文が「 般若心経 」であることは、古代の山伏たちも、その経文が自分も含んだ自然エネルギーを対象にしていると考えていたのではないかと、私には思えます。

 

私の力はここまでであり、皆様の力による更なる進展を期待しています。

kandk55
作家:高口克則
付録:誕生から死後までの意識
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