一 日常の時間
頼子は、毎日昼過ぎになると抗不安剤リーゼを服む。喉が詰まったようでもあるし、そこに金属または糊が貼り付いているようでもある。その違和感ゆえに絶えず、飲んだり食ったりしてしまう。
なぜ昼過ぎかというと、前夜眠る前に飲んだ精神安定剤ソラナックスの効用が切れるせいである。
そのリーゼを一粒呑み込みながら、頼子はまた思いついて、小首を傾げた。この症状のために初めて診察を受けた医院で、頼子の話を聞いていた医者が、
「ヨーキヒ、ヨーキヒ」と面白気に言ったのだが、何語なのか、頼子にはさっぱりわからい。
彼はすぐに小さな青い手帳を取り出し、さっと開いたページをすらすら読み聞かせた。
おかしなくらい一言一句違わない症状を読み上げ、最後に「唐の楊貴妃がこの症状を訴えていた、それほど古い病であり、女性にのみ現れる」と得意そうである。さしずめ医者の裏メモとでもいうべきか、本当に小さな薄い小冊子である。
さてさて、驚いたことに頼子は楊貴妃との接点を持っていたのだ。
あの、唐の玄宗皇帝の妃、傾城の美女、その美しさは想像もつかないが、あの楊貴妃。ちょっと良い気分になる。自分でもおかしいが。
喉の違和感ゆえに、その前は、ユベラという血流を増すビタミン剤を処方してもらった。その前は胃カメラを飲むはめとなり、胃酸の逆流性炎症でもなく、十二指腸にただの脂肪の腫瘍がみつかった。その前は耳鼻咽喉科で鼻からカメラを入れられ、咽頭が腫れているといって、全身の血流を良くするという漢方薬をずっしりもらった。
いくら手を尽くしても、頼子を取り巻くストレスの多寡との、押したり引いたりが効き目を左右している。ストレスが他の人より多いのか、同じほどなのか、事実はなんともいえないが、誰でも自分のことしかわからないので、各自重症だと思っているのだろう。
さっきのリーゼがまだ効かない。チョコレートは食べた。日に一個は食べろという果物、もうみかんとアボガド(マヨネーズを避けているので醤油味)まで済ませた。が、リンゴでも食べたい。
そういえば、コレステロールと血圧の薬、まだだった。と、頼子は、肉が数センチほどまとわりついている脇腹をよじって、薬の入っているブリキ缶をあけた。無い?
あ、もう横においてあったんだ。更紗模様のハンカチを母が手縫いで小さな矩形の袋に塗ってくれたもの。その中に。
やれやれ、悪玉コレステロールはしぶとい。十年近く飲み続けていたメバロチンという有名な薬では、悪玉は全然変化しない。そのせいで、心臓付近の冠動脈はもう詰まりかけているかも。新薬、なんだっけか、名前が例によって脳のどこかに隠れている。そうそう、クレストールだ、これが効きそうな感じだ。
まだまだ死ぬ訳に行かない。
あの診察から十年以上経っていた。
その間は、実母のナミがスープの冷めない距離に住むようになり、夫の和彦の心臓病とわがままに付き合わされているという日常だった。
母が居て悪い訳では決して無い、二人の関係はかってないほど良好、お互いにいたわり合い、喜んで我慢し合っていた。
二 誕生と敗戦の一大事 その1
母のナミは、デイサーヴィスに参加中。週の三日はでかけて介護してもらう。
残り三日をヘルパーさんに来てもらって、入浴、掃除、買い物、調理をたのむ。
日曜日と、毎日の夕食の世話を頼子が受け持つ。支払い、預貯金、特別な買い物、時には車いすを押して散歩、ないしは美容院とか病院。もっとも、主治医は往診をしてくれる。ナミは心臓ペースメーカーを入れていて、背骨に5カ所の圧迫骨折がある。とりあえず寝たきりではないが日常生活を行うのはまあ無理である。
トイレまでは倒れ込むようにして、何とか歩いていく。もちろん、失敗は日常であるが、トイレだけは「もう無理」というまでは頑張ってもらおうと頼子は思っている。
ナミが自宅に居るときは何をしているかというと、これが嬉々として、書道をしたり、鉛筆画に色を付けたりしている。できれば庭仕事もぜひしたいのだが、庭こそ転倒の場であるので流石にきつく禁止してある。
書も絵も花作りも縫い物も、おそらくナミの十八番と言ってよい。
それほど心を込め、注意の限りを尽くして、自分に可能な最善最高をめざす。
芸術家というより、職人的な緻密さをもってとりおこなう。
すべての所有物には、いつ、いくらで買った、という旨記してある。それが喜びなのだ。
幼い頃、叔父や叔母がそんな風に物事を大切に扱っているのを見て幼な心に刻み込まれたのだと言う。
頼子自身はきわめてがさつな性質であり、それは遺伝的な説明をつけて納得している。
ナミの姉妹、つまり頼子のおばたちがナミのみならず、頼子自身に向かっても最近よく言う言葉がある。
「ナミちゃんは、頼子ちゃんをつれて帰ってきてよかったよねえ、お陰で今はこんなに面倒見てもらえてさあぁ」
頼子がその悪夢から解放されたのは、三十代の初めだったろうか。
薄暗い家の中に一人居る。上を見ると頭上に四角い窓がある。穴がある。
誰かが頼子へそこへ行ってくぐり抜けるよう命じたらしい。
仕方なく進んでいくのだが、上昇していき、その穴に近づくにつれ、息が苦しくなる。恐怖と不安でいっぱいになる。どうしても行きたくない。嫌で怖くて仕方が無い。尋常の怖さではない。
しかしどうしても押し込まれていく。狭い。息ができない。死にそうだ。苦しい。
突然、外に頭を出した。苦しさは瞬時に消えた。明るい喜ばしさが辺り中にあった。自由で解放された。嬉しかった。ほっとした。我慢して出てきてよかった、と感じた。
そんな夢だ。全く同じパターンであって、またこれか、とうんざりしながら夢見ていた。恐怖と開放感の差が際立っていた。
人間の誕生とはおおむね、母子にとって大岩の下から脱出するような大仕事であるのは知られている。
例外もあるだろうが、頼子自身にとっても、出産とくに初産の陣痛というものは尋常ではなかった。
腰骨がぎりぎりと開いて動いていくのだ。こんな痛みについてどんな女も他の女に告げなかった。それは余りにひどい痛みだった。
気を散らすために自分の髪を抜けるほどに引っ張ったものだ。こんな痛みが初めて母になる女に秘密にされていることは、良いことなのだろう。そうでなければ少子化が決定的になったかもしれない。いかに自然が性欲と快楽を男女に適当に分配したとはしても。
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