小説の未来(14)

              ゲーム依存生活

 

 現在、AIが進歩し、ますます、日常生活がゲーム化しています。確かに、人間が数値化され、人間関係が画一化されることは、マネーゲームにおいてはプラスになるように思われます。でも、心が、貧困化するように思われて仕方がありません。

 

 ほとんどの若者は、受験勉強という言語ゲームに多大な時間を費やしています。このことによって資格や学歴を手に入れることができれば、受験勉強は決して無駄な行為ではないでしょう。でも、感情言語をアイテムとする子育てや恋愛においては、マイナスになるのではないかと思います。

 

 言語は、脳機能に大きな影響を与えます。言い換えれば、言葉は、知性だけでなく、気質や性格をも作りだすのです。例えば、女子が人からブスといわれたならば、どんなに傷つくことでしょう。そのショックは、心の傷となって性格を暗くする要因となるのではないでしょうか。

 現代においては、ゲーム依存生活を抜きに物事を考えることができなくなっています。若者の日常生活においてゲームが占める時間は拡大する一方です。このような生活が続くとするならば、いったいどんな人間集団が出来上がるのでしょうか。

 

 私の子供のころは、まだゲームは普及していませんでした。だから、学生時代の娯楽といえば、部活、読書、音楽鑑賞、映画鑑賞、囲碁将棋ぐらいだったように思います。今のほとんどの学生は、幼少のころからゲームをやっています。彼らは、ゲーム依存生活が当然なものとして育ってきたのです。

 

 視聴覚的快楽に依存する脳、常識を疑うことを恐れる脳、喜怒哀楽を言語化するのが苦手な脳、恐怖を客観視できない脳、などいくつかの不安が思い浮か上がってきますが、もはや、ゲーム依存生活から抜け出すことはできないでしょう。今後考えていかなければならないことは、ゲーム依存生活における感情言語の育成ではないでしょうか。

 

               小説家の役割

 

 読書が趣味という学生は、どれほどいるのでしょうか。人気がある推理小説でも、面白さの点においてはゲームにはかなわないでしょう。学校が読書感想文を課すことによって無理やり読書をさせたとしても、主体性のない読書からは、読書の面白さを体感することはできないように思われます。

 

 生きている限り必ず沸き起こる恐怖を客観視し、それに耐えうる心を育てるには喜怒哀楽の感情言語の育成は不可欠と思われます。仮に、今後、感情言語の育成が十分になされずに育った大人たちが増加していけば、人間の共生は難しくなって行くように思われます。些細なことで争うような人間集団が出来上がるのではないかと不安です。

 

 今後ますます、ゲームクリエイターは、人を虜にする麻薬性の強いゲームを創造していくと思われます。ゲームが感情言語の貧困化を招くからといって、ゲーム依存を阻止することはできないでしょう。そう考えてみると、小説家の役目は、ゲーム依存生活をしっかり見つめ、感情言語の普及に努めることのように思えます。 

 莫大な利益をもたらすゲーム産業が主流の経済では、これからの小説家は、経済的に優遇されることはないでしょう。でも、チャレンジイングな小説家のには、ゲームによって失われていく感情言語を少しでも復活してくれることを期待しています。

 

 確かに小説は単なる娯楽でしかありません。しかし、感情言語を作り出す小説は、人類の「平和と共生」の実現にはなくてはならないものと思っています。わたくし自身、自作が少しでも「平和と共生」に役立ってくれればといつも願っています。

 

 アマの小説家であり続けることは、いばらの道を歩むことになるでしょう。たとえそうであったとしても、誰かがそのような道を歩まなければならないと思っています。今、”何のために小説を書いているのだろう”、と自問自答しているということは、まだ生きている証なのかもしれませんね。

サーファーヒカル
作家:春日信彦
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