小説の未来(14)

                               

               ゲームの特性

 

 小説は娯楽の一つで、歴史的にポピュラーなアイテムといっていいのではないでしょうか。昭和半ばまでは、ゲームの発達があまりなされてなかったために、まだまだ、小説は子供から大人までの娯楽だったように思います

 

 ところが、平成に入り、ゲームは急速に発展し、さらにスマホの普及とともに、ゲームは子供から大人までの娯楽の中心になってしまったよに思われます。最近では、23歳のころからゲームを楽しむようになり、一日に数時間もの時間をゲームに費やすと聞いています。

 

 ゲームはいかなる特性を持っているのでしょうか。このことを考えることは、小説の存在価値を考える上で重要なことだと思っています。ゲームのほとんどは、視聴覚ゲームの形式をとっていて、目と耳で反応し、指で操作します。

 

   

                 




 一般的に、ゲーム構成の言語に関して、文字言語より音声言語が主に利用され、音声にウェイトが置かれています。また、短絡的な短い言葉が頻繁に用いられています。そのため、子供でも音声と画像に反応して、楽しむことができるのです。

 

 ゲームは、イメージ娯楽と言っていいしょう。ところが、小説は文字言語娯楽です。だから、読者は視覚もしくは触覚でとらえた文字言語を言語中枢で処理をするという手間がかかります。

 

 ゲームは、言語を使って快楽を提供する小説とは違って、イメージを使って快楽を提供します。そのことは、言語力が乏しい子供でも十分に楽しめるということです。また、幼児のころからゲームの快楽を覚えてしまうと読書があまり面白く感じられなくなってします。

                感情言語

 

 小説と密接にかかわる感情言語についてですが、今はやりの”キレる”という言葉があります。この言葉は、若者の間では頻繁に使われています。怒りの気持ちを抑えきれなくなったということですが、一般的に、爆発するほどの怒りは複雑で簡単には言い表せないものです。そのためか、抑えきれない怒りを単にキレたといって処理しているわけです。

 

 おそらく、キレるほどの気持ちを具体的に述べたならば、かなりの量の言語となると思われます。でも、気持ちを具体的な言葉に変換することが苦手な人は、キレたといって暴言を吐いたり、暴力をふるって事態を処理してしまうのです。

 

 小説家にとっては、気持ちを言語化することが主な作業ですから、こみ上げる怒りをいろんな言葉を使って具体的に表現し、客体化していきます。そして、書物となった小説は、”気持ち”や”思い”がいろんな具体的な言葉で表現された言語集合体といえます。

 今後、幼少のころから視聴覚ゲームに多くの時間を費やし、さらに、小学生になったころから受験勉強という言語ゲームに多くの時間を費やしていくならば、多くの若者の言語中枢において、感情言語の占める割合はますます小さくなっていくと思われます。

 

 キモイ、シネ、キレる、ヤバイ、マジ、などの短絡的な言葉が若者の間では頻繁に使われていますが、ますますこのような短絡的な言葉は増加し、使われるようになると予測されます。簡略された言葉がコミュニケーションをあいまいにするとは思いませんが、感情まで短絡的になるのではないかと危惧されます。

 

 感情言語の貧困化は、感情の貧困化をもたらすと考えています。そう考えると、親子関係や男女関係をより豊かなものにしていくには、人々の感情言語をより豊富にしていく担い手が求められると思います。そして、その担い手の一つとして小説家があげられると思っています。

春日信彦
作家:春日信彦
小説の未来(14)
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