小説の未来(13)

そこで、ぼんやりとした感情の問題と小説家とのかかわりを考えるわけですが、小説家は、いったいどんな問題を解き明かそうとしているのでしょうか?その点を考えて初めて、小説家の存在意義が浮き彫りになってくるように思えるのです。

 

あくまでも、私個人の考えではありますが、小説家とは、ぼんやりとした感情の問題にオリジナルな具体的事例を設定し、自然言語を使ってドラマチックに解答する芸術家と思っています。

 

 多くの人にとって、正解が特定しづらいぼんやりとした感情の問題は、日常生活において意外と意識化、言語化されにくいものではないでしょうか?言い方を変えると、ぼんやりとした感情の問題は、あまりにも条件が複雑で、条件設定がしづらいために、言語を用いた具体的な問題として作成しにくいと言えるのではないでしょうか?

たとえば、友達とちょっとしたことで喧嘩別れになったが、どのようにすれば仲直りすることができるのか?

 

好きな人に好きだと告白したいが、それができない気の弱い性格を変えたいがどうすればいいか?

 

いじめられている人を助けてあげたいが、そうすると今度は自分がいじめられるようで怖くて助けることができない。このような臆病な性格を変えたいがどうすればいいのか?

 

家族関係がうまくいかず、イライラが募って、誰かをいじめたくなってしまうそのような卑劣な性格を変えたいが、どうすればよいか?

 

 夫の浮気を許したいが、心の底にある憎しみが消えず、この女の業と言えるような憎しみを消し去るにはどうすればいいのか?

 

このような感情に関する問題においては、具体的な条件を設定し、さらに問題を具体化されなければ、解答しにくいのではないでしょうか。しかも、それらの問題に解答が得られたとしても、さらに条件を加味し続ければ、いくつもの解答がなされることになります。

 

人間関係における問題には、性の違い、遺伝子の違い、生い立ちの違い、家族構成の違い、年齢の違い、言語の違い、風習の違い、宗教の違い、生活環境の違い、などのもろもろの条件によって、解答が無限にあると言っても過言ではないのです。

 

実生活においては、つかみどころがないぼんやりとした問題のほうがほとんどで、また、あまりにも条件が複雑すぎて明確な条件設定もできず、したがって、それらの問題に対する解答も定まらない場合が多いのではないでしょうか。

 

このようなことを考えると、多くの人達は、悶々と悩み苦しむ日々を送っているのではないでしょうか。だから、悩みを解消するために、宗教を信じたり、占いを信じたりする人がいるのでしょう。

 

さらに、悩みによる苦痛が思考停止を引き起こすと、うつ病になったり、最悪な場合、人生を悲観して、自殺したりする人も出てくるのです。

小説創作の効用

 

人は、ぼんやりとした問題に取りつかれ、それらの問題に悩みますが、問題が解決されなければ、不愉快な悩みが鬱積していくことになります。悩みが鬱積していくと、もはや、悩みを引き起こしている問題を探り当てることも困難になっていきます。

 

私は高校生の頃から小説を書き始めたのですが、そのころを振り返ってみると、疑い深い私は、家族のこと、進路のこと、職業のこと、貧富の格差、戦争犯罪、人種差別、学歴差別、自分の性格などのぼんやりとした問題を無意識に抱え込んでしまったように思えます。そのためなのか、不必要な悩みが鬱積し、その悩みのはけ口として小説を書き始めたように思われます。

 

言い換えれば、小説の創作の過程で、心の中に巣くうぼんやりとした問題を自分なりの言葉で具体的な問題として設定し、恐る恐る自分の心を客体化しながら、試行錯誤で解答していたような気がします。そうすることによって、自分の気持ちを楽にしようとしていたように思われます。

 

当然、学生であれば、試験問題を解く解法を記憶することを優先すべきだったのでしょうが、記憶力の悪い私は、記憶の苦痛から逃避するために、また鬱積した悩みからくる苦痛を少しでも軽減したく、小説を書き始めたのではないかと思えるのです。

 

春日信彦
作家:春日信彦
小説の未来(13)
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