小説の未来(13)

問題設定とドラマチック解答

 

 まず、意外と意識されていない小説における問題の設定とその解答の特殊性について述べてみたいと思います。私たちは、生きていくうえで多くの問題にぶち当たっています。いや、具体化していけば無限の問題に囲まれて生きています。

 

大半の学生は、問題と言われると授業で学習されている受験のための数学や英語の問題を思い浮かべられることでしょう。そのような試験のための問題には、周知のことだとは思いますが、必ず一つの正解が存在するように作成されています。

 

 おそらく、そのような試験のための問題を授業で毎日のように解いていると“与えられた問題を解いていくと必ず正解がある”という意識が強くなっているのではないでしょうか。しかも、入学試験のような問題には、唯一の正解があるわけで、当然のことですが、正解がないような問題は作成されません。

 

当然、試験は、解答の正解不正解による得点化が目的ですから、問題作成時点において正解が存在しない問題は排除されることになります。学生の皆さんにとっては、こんなことは、当たり前のことで、別段どこにも疑問点がないように思われることでしょう。

 ここで、試験用の問題とそうでないぼんやりとした感情に関した問題について考えてみましょう。前者には、必ず正解があるわけですが、後者の解答には、正解と言えるものが必ずあるのでしょうか?また、感情に関する問題に解答がなされたとして、それを得点化できるのでしょうか?

 

 ルールが明確でルールに厳格な数学であれば、必ず解法が存在し、その解法によって正解が導き出されます。多くの学生は、授業において多大な時間をかけて解法を記憶し、受験においては、短時間の解答時間内に、記憶した解法を用いて素早く解答しているのです。

 

条件が明確に設定された問題は、論理的思考と解法の記憶という手段を使って正解を導きだすことができます。でも、日常生活における複雑で難解な人間関係の問題は、どうでしょうか?

 

 複雑に条件が絡み合った人間関係の問題に関しては、条件設定次第で無限の解答が得られると思われます。ほとんどの人は、無意識に自分に都合の良い条件を設定して、無限にある解答のなかから、一つか二つの解答を見つけ出します。そして、あたかもその解答が正解であるかのように思ってしまう場合が多いのです。

そこで、ぼんやりとした感情の問題と小説家とのかかわりを考えるわけですが、小説家は、いったいどんな問題を解き明かそうとしているのでしょうか?その点を考えて初めて、小説家の存在意義が浮き彫りになってくるように思えるのです。

 

あくまでも、私個人の考えではありますが、小説家とは、ぼんやりとした感情の問題にオリジナルな具体的事例を設定し、自然言語を使ってドラマチックに解答する芸術家と思っています。

 

 多くの人にとって、正解が特定しづらいぼんやりとした感情の問題は、日常生活において意外と意識化、言語化されにくいものではないでしょうか?言い方を変えると、ぼんやりとした感情の問題は、あまりにも条件が複雑で、条件設定がしづらいために、言語を用いた具体的な問題として作成しにくいと言えるのではないでしょうか?

たとえば、友達とちょっとしたことで喧嘩別れになったが、どのようにすれば仲直りすることができるのか?

 

好きな人に好きだと告白したいが、それができない気の弱い性格を変えたいがどうすればいいか?

 

いじめられている人を助けてあげたいが、そうすると今度は自分がいじめられるようで怖くて助けることができない。このような臆病な性格を変えたいがどうすればいいのか?

 

家族関係がうまくいかず、イライラが募って、誰かをいじめたくなってしまうそのような卑劣な性格を変えたいが、どうすればよいか?

 

 夫の浮気を許したいが、心の底にある憎しみが消えず、この女の業と言えるような憎しみを消し去るにはどうすればいいのか?

 

春日信彦
作家:春日信彦
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