小説の未来(12)

基礎概念

 

小説は読者に満足していただければ、成功作品と思われますが、作品には作者なりの思いも詰め込まれています。私の場合、すでに電子書籍として短編小説73作品を公開しています。それらの作品にはそれぞれの具体的テーマがありますが、また、すべての作品には理解されにくい共通する基礎概念も根底にあるのです。この基礎概念こそ自作の最大の特徴なのです。

 

その基礎概念を理論的に説明できればそれに越したことはないと思うのですが、それが難しいのです。だから、どうにかこうにか、小説で表現しているというわけです。果たして、自分の基礎概念をどれほど読者に伝えられただろうかと思うと自信はありません。

 

簡単に言えば、力学においては、作用と反作用が同時に起きています。積分においては、解析と集積が同時に起きています。細胞においては、がん細胞と正常細胞が同時に生まれています。

 

このように相反する運動が同時に起きているのですが、我々は、一定の条件を設定して、事象を認識しています。たとえば、YX においては無限の存在を認識しますが、―1から+1までの条件を設定すれば、 有限の存在を認識できます。

 

私の基礎概念は、理論的にうまく説明できませんが、自分なりの表現として、短編を書き続けています。なぜ、短編にするかと言いますと、確かに、長編にすれば読者にとっては楽しめるドラマになるのですが、こうなってしまうと、どうしても読者は娯楽に酔ってしまうのです。だから、あえて長編をさけているのです。

 

小説は娯楽なのだからそれでいいじゃないかとおっしゃる読者は多いと思われますが、私は、表現したい基礎概念を優先したく、短編にまとめ上げています。でも、シリーズものにしていますので、それらをリンクさせれば、長編として読むこともできます。

 

言語の特性

 

 基礎概念を理論的にうまく表現しにくいのであれば、映像化してみてはどうか?と言われる方もいらっしゃるでしょう。小説が映像化される例は、多々あります。言語を非言語化する手法は、小説をより娯楽化するのには適していると思われます。

 

 松本清張の「砂の器」は、映画、TVで見られた方のほうが、小説を読まれた方より多いのではないでしょうか。確かに、映像化されるとドラマの内容はわかりやすく、主人公を通じて楽しめるのですが、果たして、人気俳優をクローズアップしたドラマで、作者の訴えたい気持ちがうまく表現されているのだろうかと考えると疑問が残るのです。

 

 やはり、言語で訴えられるものと映像で訴えられるものには、違いがあります。決して、小説にとって映像化がマイナス的なものと言っているわけでありません。いったん、映像化されたものは、言語からなる小説とは別物と考えた方がいいのではないかと思うのです。

概念の熟成

 

 私の作品は基礎概念の表現と述べてきましたが、この基礎概念を作品の創造に使いこなせるまでに、かれこれ約40年という月日を要しました。我ながら、基礎概念の熟成にかなりの時間を要したものだと思いますが、頭脳の歴史と思い納得しています。

 

 中学校1年生のころ、下校途中で両側のガードのない橋の上を歩いていたときに、ふと頭に浮かんだ“物質とはなにか?”と疑問に思ったことが、基礎概念の発端になったのではないかと思います。

 

すべての物質に共通するものがあるのではないか?いかなる物質も運動しているのではないか?物質もエネルギー形態の一つではないか?非物質はあるのだろうか?宇宙は物質なのか?宇宙の外部は存在するのか?宇宙は膨張しているのか?なぜ、生と死は存在するのか?そのような疑問が脳内を駆け巡り、それらとのかかわりとともに基礎概念が熟成されていったような気がします。

 

小説を書き始めたのは、高校生からでしたが、基礎概念を踏まえた作品を書けるようになったのは、50歳を過ぎてからのように思います。基礎概念の長い熟成が、現在の作品を作り上げていると思えてなりません。

 

文学界の歴史において、才能ある作家が素晴らしい文学作品を世に送り出してきました。幸いにも私は彼らの作品を参考にさせていただきましたが、私の作品は文学作品の域には達していないでしょう。それでも、これから小説家を志す若者に、多少なりとも私の基礎概念が参考になればと思っています。

 

春日信彦
作家:春日信彦
小説の未来(12)
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